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2025-02-16

anond:20250216152406

BET365とかウィリアムヒル歴史や信用もあるしな

金のない大学生時代サッカーライブ中継見るためにBET365に登録してたわ

確か賭けてはなかった

2025-02-15

自閉症ワクチン関係疑惑

https://edition.cnn.com/2014/08/27/health/irpt-cdc-autism-vaccine-study/index.html

発表された研究によると、アフリカ系アメリカ人男児は、2歳になる前にMMRワクチン麻疹おたふく風邪風疹ワクチン)を接種すると自閉症リスク高まる可能性があると結論付けられました。この研究の著者は、CDC米国疾病予防管理センター)の研究者たちが2004年にその関連を知っていたにもかかわらず、それを隠蔽していたと主張しています

 

ブライアンフッカー氏(この研究の著者で生化学エンジニア)は、24か月未満でMMRワクチンを接種されたアフリカ系アメリカ人男児自閉症と診断される可能性が高いことを発見しました。フッカー氏は、この結論に達するために、CDC研究者たちが2004年実施した研究データ分析したと述べています

 

2004年CDC国家予防接種プログラム科学者たちは、「Pediatrics」という雑誌研究結果を発表しました。この研究では、3歳から10歳の自閉症の子ども624人と、発達が健全子ども1824人を比較しました。この研究によれば、ほとんどの子どもは推奨されている通り、1217か月の間にワクチンを接種していました。

 

CDC研究者たちは、MMRワクチンの初回接種年齢と自閉症の診断には関連がないこと、特定人種グループリスク統計的有意に高くなることはないと結論付けました。

 

CDCの元データ2004年研究発表時に他の科学者も利用できるようにされていました。フッカー氏は、2013年11月に元の研究の共著者の1人であるウィリアムトンプソン博士から連絡を受けた後、自身研究を開始しました。トンプソン博士1998年以来CDCで働いているシニアサイエンティストです。

  

フッカー氏は、自身発見したアフリカ系アメリカ人男児リスク増加がCDC研究特定されなかった理由について、研究者たちが意図的分析に含める参加者の数を制限し、結果を変更したと主張しました。フッカー氏によると、出生証明書を持たない子どもを除外したことCDC研究結果を歪めたと述べています

 

「私と共著者たちが2004年論文統計的有意情報を省略したことを後悔しています」と、トンプソン博士CNN弁護士を通じて送った声明で述べました。「この10か月間、フッカー博士と多くの議論を重ねてきました。CDC実施したワクチンと神経発達障害自閉症スペクトラム障害を含む)に関する研究について議論しました。私はCDC意思決定分析が透明であるべきだという彼の考えを共有します」。

 

クリーブランドRainbow Babies and Children’s Hospitalの小児神経科であるマックスウィズニッツァー博士は、その分析が「意味のある情報提供するには不十分である」と述べました。

データを十分な回数やさまざまな方法分析すれば、統計的有意な何かが見つかるのは当然のことです」と、ウィズニッツァー博士は両方の研究を見た後で述べました。「しかし、この結果が真の陽性(真の結果)であるか、偽陽性であるか、あるいは意味のあるものであるかを示しているわけではありません」。

結構グレーなんだな

ケネディにもワンチャンあるんじゃないのこれ

2025-02-14

AI生成記事

九州大学病院オブジェクト指向システム導入の記録

序章:革新的システムへの期待

1990年代半ば、九州大学病院(九大病院)は病院情報システムの全面刷新計画していた。従来の断片化したシステム統合し、最先端オブジェクト指向技術を全面採用した次世代システムに生まれ変わらせるという大胆な構想である

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。入札条件にも「純粋オブジェクト指向技術で実現すること」を掲げ、業界内でも前例の少ない大規模プロジェクトに挑むことになった​

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。この計画応札した日本IBMは、開発言語にSmalltalk採用し、社内外からオブジェクト指向開発の専門家を総動員する。日本IBM自身のチームに加え、Smalltalk豊富経験を持つ多数のシステムインテグレータ各社が協力企業として参画し、一時期は約200名もの技術者が開発に従事する巨大プロジェクトとなった​

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医療現場からは「21世紀を先取りするシステムになる」という期待の声が上がり、IBM側も「国内最高峰病院に最新技術を投入できる」と意気込んでいた。誰もが、この試みに大きな希望を抱いていたのである

1996年プロジェクト始動曖昧要件定義

プロジェクト1996年、本格的に動き始めた。九大病院情報システム担当者たちは、院内各部からシステムへの要望ヒアリングし、「新システムへの要望リスト」を作成して日本IBM提示した。しかし、その内容は具体性に欠けていたと言われる。「実現したい業務全体像がはっきりしていなかった」のだ。病院側は約1,400床を擁するマンモス病院ゆえ、部門ごとの意見をまとめ上げ全体方針を打ち出すことが難しく、提出された要件定義書は「中身はほとんどなかった」と関係者は振り返る。一方の日本IBMも、その不十分な要件定義を十分詰め直すことなく開発を進めようとし、この問題放置してしまった。プロジェクト序盤から、実は大きな不安の種が芽生えていたのである

それでも当初の計画は極めて野心的だった。フェーズごとに順次システムを稼働させる計画で、第1次カットオーバー最初の稼働開始)は1997年1月と定められていた​

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。限られた時間の中、日本IBMと協力各社の開発チームはオブジェクト指向の新手法に挑みつつ、多数のサブシステムを並行開発するという難事業に取り組み始めた。しか要件曖昧さは各所で影響を及ぼす。開発メンバーの一人は後に「実際にはオブジェクト指向入り口にさえたどり着けなかった」と語っており、肝心の新技術を活かす以前に基本事項の詰め直しに追われる状況だったという。

1997年初頭:見えてきた遅れとすれ違う思惑

年が明けて1997年になると、第1次稼働予定の目前になっても開発は難航していた。結局、日本IBM1996年10月末になって九大病院側に「当初予定の1997年1月にはシステム稼働が間に合わない」と突然伝えることになる。これは病院側にとって青天の霹靂であった。代替策として「一部機能範囲を絞れば1月稼働も可能」といった提案すら無く、一方的に延期が告げられたことに、病院担当者たちは強い不信感を抱いたという。プロジェクトマネージャー同士の密なコミュニケーションも欠如しており、延期決定前から両者の意思疎通は十分でなかったようだ。これが最初の綻びとなった。第1次稼働時期は当初計画より9カ月遅れ1997年10月へと大幅に後退する​

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この延期表明を境に、現場は混乱に陥る。病院側は日本IBMだけに任せておけないとの思いから、一部の協力会社と直接組んで独自プロトタイプ開発に乗り出すなど、プロジェクト体制は分裂気味になった。一方、日本IBM側の士気も下がり始める。ある協力会社メンバーは「これほど求心力のないプロジェクトも珍しい」と当時を振り返り、リーダーシップ不足だったIBM姿勢に驚いている。複数の外部企業(延べ10社以上)が関与する巨大プロジェクトでありながら、日本IBM1997年10月頃まで一貫して主導権を握れずにいた、と多くの関係者が指摘する。誰がハンドルを取っているのかわからないまま巨艦だけが突き進む――そんな不安定な状況であった。

事態を重く見た九大病院日本IBMは、1997年2月から6月にかけて要件定義のやり直しに着手する。一度作成した要件定義書を更地に戻し、業務フローも含めてゼロから整理し直す作業だ。しかしこのリカバリーにも時間を要し、プロジェクトの遅延はさらに広がっていった。「ようやく問題点に光を当て始めたかに見えたが、時すでに遅し。気づけば頭上に厚い雲が垂れ込めていた」と語る関係者もいる​

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プロジェクトは先の見えないトンネルに入り込み、関係者の心にも次第に不安が募っていった。

1997年春:一筋の光明オブジェクト指向データベースの導入

混迷を極めるプロジェクトに光が差し込んだのは、1997年春のことである要件定義の立て直しと並行して、日本IBMシステム技術基盤を強化すべく重大な決断を下した。従来のリレーショナルDBではなく、米国GemStone Systems社のオブジェクト指向データベース(ODB)「GemStone」を採用する方針を固めたのだ​

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。GemStoneはSmalltalkとの相性が良いことで知られ、オブジェクト指向開発との親和性が高い製品である

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。この採用決定に伴い、GemStone社から複数名のコンサルタント来日プロジェクトに参加。停滞していた開発体制の再整備が行われた​

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経験豊富専門家の助言により設計も見直され、チームはようやく開発の目処を掴み始めたのである

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病院側もこの動きを歓迎した。長引く遅延に業を煮やしていたものの、最新のODB導入で性能や拡張性の課題解決されるならばと期待を寄せた。協力各社の技術者たちも「ようやくトンネルの先に光が見えた」と胸をなでおろした​

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現場には久々に前向きな空気が漂う。遅れを取り戻すべく、再結集した開発チームはスパートをかけた。システム全体のアーキテクチャをGemStone前提に再設計し、失われた時間を埋めるため懸命な努力が続けられる。巨大プロジェクトは今、再び軌道に乗ろうとしていたかに見えた。

1997年夏:GemStone契約交渉の決裂、暗雲の再来

しかし、その光は長くは続かなかった。1997年7月初旬、プロジェクトに再び試練が訪れる。日本IBMとGemStone社との契約交渉が突如決裂し、参画していたGemStone社コンサルタント陣が全員帰国してしまったのだ。肝心のGemStone製品も利用不能となり、頼みの綱を断たれた開発チームは一瞬にして暗闇に放り込まれた。まさに「悪夢のような出来事」であった。

7月20日になって、日本IBMはようやく協力各社を集め緊急説明会を開いた。日本IBM側の説明によれば、「GemStoneとの交渉決裂は企業日本IBM)の根幹に関わる問題による」という。詳しい理由として、契約書の条項に**「システムユーザー等が何らかの理由でGemStone社を訴えた場合、メイン・コントラクタである日本IBMが全ての法的対応を負わねばならない」といった内容が盛り込まれており、日本IBMはこの重い責任リスクを受け入れられなかったのだという。さらに料金面でも折り合わず、3カ月間におよぶコンサルタント8名の派遣ソフトライセンス料などに数億円近い費用**を要求されたことも判明した。法的リスクコスト高騰――企業として譲れぬ一線を越える契約条件に、日本IBMは最終的に「ノー」を突きつけた形だ。だが、それは即ちプロジェクト生命線を断つことを意味していた。

この報に接した開発現場は騒然となった。GemStoneを中核に据えて進めてきたアーキテクチャ設計を一から練り直す必要が生じたためである。ある協力会社関係者は「この時点でプロジェクトの失敗を覚悟した」とまで語っている。大黒柱を失ったチームには動揺と失望が広がった。折しも夏本番を迎え、福岡の空は照りつける日差しに覆われていたが、プロジェクトには再び厚い雲が垂れ込め始めた。

1997年8~9月代替案への賭けと懸命の設計変更

GemStone脱落という非常事態に対し、日本IBMと九大病院必死リカバリーを図る。1997年8月上旬、急遽代替のODB製品としてフランスA.D.B社の「Matisse」を採用する決断が下された。Matisseは国内では知名度の低いODBだが、日本でも過去Smalltalkアプリケーションデータベース採用された実績があり、「何とか使えるめどは立つ」と判断されたのである

しか代替とはいえGemStoneとMatisseでは機能に大きな違いがあった。GemStoneで可能だったサーバ側でのSmalltalk処理実行がMatisseではできず、セキュリティ機能も貧弱だったため、開発チームは不足分を自前で作り込む必要に迫られた。この結果、システム全体の設計クライアント中心処理へ大幅に変更せざるを得なくなり、再び設計の手戻り作業が発生した。炎天下での再出発であるエンジニアたちは寝食を忘れ、懸命にコードを書き直した。

その甲斐あってか、1997年9月末の時点で第1次開発の主要部分を年内に実現できる見通しが立ったという。一度は暗転したプロジェクトにも、わずかながら光明が見えた。病院側も「何としても年内稼働を」という思いで支援を続ける。だが、このとき水面下では別の動きが進んでいたことを、現場の多くは知らなかった。

1997年10月:小さな後退、大きな決断

1997年10月9日、事態は最終局面を迎えた。この日開かれた会議で、日本IBMSmalltalkによる開発断念と、マイクロソフト社のVisual BasicVB)への全面的方針転換を突如宣言したのである晴天の霹靂とも言えるこの決断に、現場は凍りついた。幾多の苦難を乗り越えようやく目指してきた最先端技術での構築を諦め、当時広く普及していたVBという「オブジェクト指向ではない」開発ツールで作り直すというのだ。九大病院が当初求めた**「純粋オブジェクト指向」**という条件にVB合致するかは議論の分かれるところだが​

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病院ももはや背に腹は代えられない。最優先すべきはシステム稼働そのもの――この苦渋の転換を受け入れる以外になかった。

実はこの決断に至る伏線存在した。日本IBM1997年4月からかにVB採用可能性を九大病院に打診しており、さら8月からは段階的にSmalltalk担当エンジニア現場から引き上げ始めていたという。ある協力会社メンバーは「裏ではVBによる開発をすでに進めていたようだ」と振り返っている。つまりGemStone交渉決裂後、表向きはMatisseによる巻き返しを図る一方で、日本IBM本体は別動隊でVBシステムの構築に乗り出していた可能性が高い。振り返れば、日本IBMにはSmalltalk固執しない理由もあった。同社は翌98年2月長野冬季オリンピック向けシステムSmalltalkで構築しようとして失敗し、結局VBで作り直したという“前歴”もあったと伝えられる。アトランタ五輪1996年)では自社Smalltalkツール(VisualAge)を投入したものの、国内の大型案件では苦戦が続いた経緯があった*4。豊富人材がいるVBなら「最後人海戦術で何とかできる」という計算も働いたようだ。GemStoneとの契約不成立も、IBMにとっては結果的Smalltalkを断念する良い口実になったのではないか――協力会社メンバーの一人はそんな憶測さえ口にする。

方針転換の発表とほぼ同時に、Smalltalkで開発を担っていた協力会社の大部分はプロジェクトから撤退することになった​

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10月中旬には、多くの外部技術者が病院を後にしている。自ら招いた転換とはいえ日本IBMにとっても苦渋の決断であった。投入したリソース費用は莫大で、一からVBで開発し直すのは会社としても大きな後退だ。しかし背に腹は代えられない状況まで追い詰められていたことも事実であろう。IBM現場責任者は病院側に深々と頭を下げ、「必ずや残された方法で間に合わせます」と約束したという。九大病院担当者も沈痛な面持ちで頷き、「形はどうあれ、患者さんに影響を及ぼす前にシステムを動かしてほしい」と絞り出すように告げた。

以降、日本IBMは自社内のVB技術者や、自社が持つ病院向けオーダリングシステムパッケージ製品*5などを総動員してシステム構築を続行した​

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データベースも、当初IBM提案していながら見送っていた自社のリレーショナルDBDB2」を採用する公算が高まった​

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目標は「年度内(1998年3月まで)の第1次稼働」​

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。もはやオブジェクト指向の夢を追う余裕はない。現実的かつ確実に動く仕組みを、一刻も早く届ける――プロジェクトはその一点に向け再編成された。かつて200名近くいた開発陣は大幅に縮小され、構成メンバーも一変する。病院看護師スケジュール管理など一部のサブシステムは、撤退しなかった協力会社が細々とSmalltalk開発を続けていたが、その姿はもはや主流から外れた存在となっていった​

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。ある古参の協力技術者は去り際に「全力を出して戦う前に、白旗を上げてしまったという感じがする」と寂しげに語ったという。こうして九大病院プロジェクトの第1フェーズ――オブジェクト指向技術による野心的挑戦のフェーズは幕を下ろしたのであった。

1997年末:現場への波紋と社会的注目

VBへの方針転換後、九大病院現場には複雑な空気が流れていた。病院スタッフにとってシステム刷新は長らく待ち望んだ悲願だったが、その中身は当初聞いていた「最新技術結晶から一転して、従来型の技術で作られるものになってしまった。「結局、夢物語に終わったのか」という落胆の声も一部にはあった。しかし同時に、「多少古くてもいい、とにかく業務改善する仕組みを早く動かしてほしい」という切実な声も強まっていた。目指すゴールは変われど、一日でも早く新システムを稼働させ、慢性的業務負荷を軽減することが現場の切実な願いとなったのだ。プロジェクトチームは日夜作業を続け、簡易な操作研修なども始めながら、年明けまでの稼働に向け突き進んだ。

そんな中、1997年11月3日付の西日本新聞朝刊一面にこのプロジェクトに関する記事掲載される。タイトルは「九大病院システム未完 巨額費用批判」。内容は「九大病院システム未完成にもかかわらず日本IBMに月額4,250万円を支払い続けており、税金無駄遣いとの指摘が出ている」という衝撃的なものだった。同日、このニュース地元RKB毎日放送東京ではTBS)のテレビニュースでも報じられ、九大病院プロジェクト社会問題として一気に世間の注目を浴びることとなった。院内では「患者そっちのけで何をしているのか」といった批判も耳に入るようになり、大学本部所管官庁からの問い合わせも相次いだ。追い打ちをかけるように外部から視線が厳しくなる中、病院IBMはただひたすら開発を前に進めるしかなかった。

結末:プロジェクトの結末と残された教訓

1998年初頭、紆余曲折を経た九大病院の新システムは、当初の構想とは似ても似つかない形でようやく一部稼働に漕ぎつけた。日本IBMは多数のVBプログラマを投入して力技でシステムを完成させ、旧来システムの置き換えを順次進めていった。最終的に納入されたのはSmalltalkでもオブジェクト指向DBでもなく、Visual BasicリレーショナルDBによるシステムだった。かくして九大病院の「純粋オブジェクト指向システム」への挑戦は事実上の敗北に終わった。現場医師職員は、当初期待された華々しい先端技術恩恵を受けることはなかったが、ひとまず業務に支障のない情報システムが手に入ったことで安堵するより他なかった。プロジェクトは当初の理念を捨てて現実路線へ舵を切ることで、なんとか沈没だけは免れたと言えるだろう。

振り返れば、この失敗の背景には最新技術への挑戦ゆえの困難もあったが、それ以上に古典的とも言えるプロジェクト運営上のPermalink | 記事への反応(0) | 21:29

2025-01-29

齋藤ウィリアム浩幸って最近どうしてんだろなとふと思った

2025-01-07

伝説の負けヒロイン「エマ」エレノアちゃん

森薫の「乙嫁語り」を久々に読んだんだけど、アミルの兄アゼル結婚してた。パリヤさんにも結婚相手が見付かってめでたい限り。しかロシアの影が不穏だな…

スミスタラスさんは再会できて、すっかりカップルになっていたけれど、この二人のビジュアルって「エマ」主人公カップルそっくりなんだな。眼鏡をかけているのは男の方だけど。

この二人が割とスムーズ成就したのは「エマ」リベンジなのかなぁって思った。

「エマ」の方は、エレノアちゃん存在があまり悲惨過ぎた。

エレノアちゃんはいわゆる負けヒロインウィリアムに惹かれ、彼と婚約するけれど、エマを忘れられないウィリアムによって破棄され、心を病んだままで本編の最終回を迎える。

主人公ウィリアムじゃなくてあくまエマの方で、メイドとお坊ちゃん恋物語テーマなんだからエレノアちゃんに一片の勝ち目もなく。

普通、こういう話で恋敵となり得る婚約者って親が無理矢理決めただとか、当人高飛車性格の悪い令嬢だったりするものだけど、エレノアちゃんはあまり普通に良い子だった…それが辛かった…。

エレノアちゃんは父である子爵高慢冷徹人物で、婚約破棄された娘を冷たく見捨てたのも悲惨。姉はエレノアちゃんを溺愛していたけれど所詮は既に他所に嫁いだ身なのでできる事もなく。

番外編で恋人候補になり得る優しい男性出会って終わるという点では良かったんだけど、それまでの過程がなー…っていう。

スミスタラスさんはどうかこういう負けヒロイン存在を作らず、普通幸せであってくれ。

2024-12-12

フランツ・リストピアノ名曲重要曲七選(前期)

 最近流行ってるゲーム史上の重要性とは何も関係ないが何となく思いついたのでやってみることにした。

 フランツ・リスト(1811-1886)はハンガリー王国の寒村ドボルヤーン(現オーストリア・ライディング)に生まれ作曲家リストハンガリー人としての自意識を持っていたようだが、両親はドイツ系であり、他方でパリ成功を収めた関係フランス語を使って生活していたと思われる。いわゆるコスモポリタンであり、○○国の音楽家とは言いにくい。音楽史上の重要性ではバッハやベートヴェンには劣ってしまうから義務教育では名前は出てこないだろうが、少なくともピアノ音楽史上は絶対に避けては通れない。無尽蔵の超絶技巧によってピアノ表現可能性を著しく拡張たからだ。膨大なリストピアノ作品から7選ではきついので、リスト活動時期に区切って7選ずつということにした。

 クラシック音楽の紹介をする以上、演奏(録音)の紹介は避けて通れない。まさか自分で弾いて確かめろというわけにもいかないだろう。筆者は、リストの豪華絢爛な超絶技巧音楽が大好きである一方、特に晩年に多い宗教的内向的音楽は未だにあまりピンと来ない感がある。努力はしたが、晩年作品を中心にうまく推薦ができていないのは好みの関係で、あまり色々な音源を聞き比べていないことが一つの理由だ。

 リストピアノ作品はあまりに膨大で、しかも抜群の技巧を要求する作品も多い。一曲ごとの規模の違いを無視していうが、大量のピアノ曲を残した作曲家であるショパン場合作品数は200強。単独ピアニストによる全集も作られているし(ギャリック・オールソンアシュケナージ横山幸雄も作ってますね)、レコード会社企画モノで複数ピアニストを起用して制作されることもある。横山氏みたいにぶっ続けの連続演奏会を開いてしまうことも不可能ではない(https://www.afpbb.com/articles/-/2784123)。

 しかリスト場合は単純な作品数の多さ、別稿・異稿が多く存在すること、難易度の高い曲が非常に多いことから、「全集」の制作は困難を極める。複数ピアニストを起用しているNAXOSリストピアノ曲集シリーズも未だに全曲をカバーできていない(もし完結していたら教えてください)。その点で単独リストピアノ作品全集という前人未踏の大偉業を成し遂げたレスリーハワードCDHyperion)は本編と別巻(新たに発見された別稿・異稿)あわせて99枚というとんでもない分量がある(全曲試聴可能https://www.hyperion-records.co.uk/dc.asp?dc=D_CDS44501/98)。優れたピアニストであるハワードでも、短期間に、といっても10年以上あるが、大量の作品を録音しなければならない計画故、詰めの甘い演奏がかなりあるように感じられ、何も考えずにハワード全集を推薦するわけにもいかない。とはいえハワードのおかげで取り敢えずリストピアノ曲のほとんどをまともな「音」として把握できるようになった。ここで敬意を示しておきたい。ハワードCDを一巻ずつ紹介している古くからサイトがあり、本当に頭が下がる(https://www.katch.ne.jp/~hasida/liszt/liszt.htm)。良くない演奏もバシバシ指摘している。

 リストの生涯について。作曲家の生涯を知ることが楽曲理解に必ずしも結びつくわけではないが、それでも、どのような作風意識しているのかとか、どのようなモチーフを描こうとしたのか(特に標題音楽場合)ということを知ることは有益だろう。作曲家の置かれていた状況を知ることはその理解の助けになり得る。リスト場合、ざっくりいえば大スターとして活躍した1840年代までの時期(前期)、ワイマール宮廷楽長としての活動が中心になる50年代(中期)、そして50年代末の波乱、特に愛人カロリーヌとの結婚が認められず、子どもの早世などの不幸に連続して見舞われた後、ローマに腰を落ち着け作曲活動を再開し、亡くなるまでの晩年の時期(後期)に活動を区切ることができる。このあとは単に前期・中期・後期とのみ述べる。ここで紹介するのは、前期、少年時代からピアニスト時代までのもの。父を失って本格的にピアニストとして稼がねばならなくなり、大スターになっていくが、仕事ばかりで事実上奥さんとは破局する。そして後年の恋人カロリーヌ出会いヴァイマール宮廷楽長に就任するまでだ。

 作品番号について。クラシック音楽には、出版社のつけた出版順序を示す作品番号(op. xxみたいなやつ)がついていることが多い。クラシック音楽では、抽象的に「ピアノソナタ」とのみ名乗る曲が多いので、作品番号は楽曲区別にとって大事になる。しかし、リスト作品番号は出版社ごとに全然違うなど滅茶苦茶で(こういうことはシューベルトにも言える)、作品番号では把握できない。そこでよく使われるのは、イギリス音楽学者ハンフリー・サールが整理して付番したサール番号(S. xx)であるWikipediaにもサール番号順のリスト作品一覧があるので参照されたい。

1. 48の練習曲 S.136(1827年出版

 彼の代表作の一つ、「超絶技巧練習曲」の初稿にあたる作品。48とあるが、実際には全12曲。「超絶」を聞いたことがある人なら驚くはず。リスト15歳の頃の作品リストハンガリー貴族たちから奨学金をもらってチェルニーの元で学んでいたのだが、本作品は明らかに影響が見て取れ、微笑ましいと思うか、チェルニー××番を思い出して頭が痛くなるかは人次第だろう。録音は多くない。筆者はハワードを一聴したことがあるのみ。ウィリアム・ウォルフラムNAXOS全集20巻)は未聴。パガニーニの影響を受けたあとの改訂版24練習曲 S.137)は異常に難易度が高い割に第三版にあたる「超絶技巧練習曲」ほど演奏効果がないのでやはりほとんど取り上げられない(ハワードは録音している)。

2. 「ある芸術家の生涯の出来事」 S.470(1834年出版

 タイトルでもしやと思った方、あなたは正しい。ベルリオーズの「幻想交響曲」のピアノ編曲だ。実は原曲よりも出版自体こちらの方が早いようだ。ふられた作曲家がヤクをやって彼女を殺して処刑されて悪魔サバトに遭遇するという夢、というとしょーもない話だが、この曲は初演当時多数の人々を熱狂に巻き込んだ。リスト熱狂した一人だった。それでピアノ編曲までやってしまったのだが、当時は録音技術がないので、家でちょっと味わおうとCDだのSpotifyなどというわけにはいかない。ピアノで弾くしかないわけだ。とはいえ、よくあるオケ作品のお手軽編曲ではなく、オーケストラの生み出す音響可能な限りピアノ再現しようとした意欲的な作品だ。演奏難易度は極めて高い。フランソワ=ルネ・デュシャーブル(EMI)とニコライ・ペトロフ(原盤は知らないがVeneziaの再版盤を所持)の演奏が世評高く、特に後者演奏は凄まじいが、まだまだこの曲のポテンシャルを完全には引き出していないような気がする。ジョヴァンニベルッチ(CD未所持)は公式YouTube演奏動画アップロードしている(https://www.youtube.com/watch?v=bSqunBoj0cY)。これが一番アクセスやすいだろう(録音は一番良い気がする)。

3. パガニーニによる超絶技巧練習曲S.140(1840年出版

 1828~34年に欧州コンサートツアーを行ったヴァイオリニストのニッコロ・パガニーニは極限まで高められた演奏技巧と表現力によって多くの熱狂ファンを獲得した。リストパガニーニに狂った一人(またかよ)。全6曲、すべてパガニーニ作品から編曲だ。ヴァイオリン技法ピアノに映すというよりも、パガニーニから霊感をもらってピアノ技巧の拡張を試みたものと言って良い。第3曲が「ラ・カンパネッラ」(ヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章編曲)だが、有名な「ラ・カンパネッラ」は、実は本曲集の改訂版S.141(1851年出版)の方であり、本曲集を聴くと、違いに驚く(逆にパガニーニ原曲を知っているとそちらに忠実ということに驚く)と思われる。そしてこの曲集は何よりも演奏難易度の高さで悪名高く、特にひたすら重量級かつ幅広い跳躍のある和音アルペッジョが続く第4曲(の第2稿)はピアノマニアの間では語り草になっている。また第6番「主題と変奏」(原曲24の奇想曲第24番)の第9変奏も地味ながら恐ろしく難しい。

 かつては本曲集といえばペトロフ(原盤Melodiya、VeneziaとOlympia再版盤で所持)、大井和郎(Deutsche Shallplatten)、そしてハワード全集しかなく、マニアたちがアップロードしているMIDI演奏非人間的超絶技巧を楽しんでいたのだが、現在ではゴラン・フィリペツ(NAXOS全集42)とヴァレチェク(Capriccio)が挑戦している。現在でもペトロフ演奏が最も高い水準にある思われるが(映像もある https://www.nicovideo.jp/watch/sm12879344)、フィリペツの演奏もそれに並ぶハイレベル演奏であり(流石に6番の第9変奏は苦しそうだが)、CDの入手可能性もあるので今ならフィリペツを聴くと良い。

 困ったことにペトロフ映像は中々手元を写してくれない。ニコニコ動画で「国家機密の指」と揶揄されているが、確かこれはペトロフカメラに写されることを非常に嫌っていたからだと思う(出典は忘れた)。

4. 旅人アルバム S.156(1836年~1842年出版)、「巡礼の年 第一年:スイス」(1855年)、「巡礼の年 第二年:イタリア」(1858年)、「第二年補遺ヴェネツィアナポリ」(1859年改訂版

 ダグー伯爵夫人マリーは当時のパリ社交界代表する人物で、たいへんな美貌の持ち主だったという。リスト1834年からマリーと逢瀬を重ね、35年にマリーは妊娠している。大胆なスキャンダル芸能人特権

 特に社交界でつまはじきにされることもなかったようだが、人目を憚るように二人は(それぞれ一時的パリ帰国も挟みつつ)スイスイタリアへの旅行順次出かけている。鉄道もない時代なので妊婦には大変な重労働だったはずだが、ジュネーヴで36年12月、長女ブランディーヌが誕生した。

 旅人アルバムは、スイス旅行で見聞きした風景民謡モチーフにした曲集で、全19曲ある。このうちの数曲が改訂を経て「巡礼の年 第一年:スイス」 S.160(1855年)に結実する。また、37~38年に訪れていたイタリア旅行で見聞きした風景芸術作品から受けた霊感表現した「第二年」と「補遺」も出版は後年だが、大部分は39~40年頃に完成していたらしい。

 旅人アルバムほとんど聴いたことがない。NAXOS全集32のアシュリー・ウォスもハワード全集でも聴いてない。巡礼の年の方は、第三年も含めた全曲盤ならラザール・ベルマン(Deutsche Grammophone)が有名。村上春樹小説中に登場したせいでクラシック音楽CDにしては珍しく再版がかかった。個人的にはルイ・ロルティ(CHANDOS)の演奏がとにかく美しく、大好きである巡礼の年は、大曲もあるが、短めで肩肘張らずに聞ける曲も多いので、リスト入門にはもってこい。第一年の大曲「オーベルマンの谷」単独ならアルカーディ・ヴォロドスSONY)がホロヴィッツ編曲を織り交ぜながら気合い入りまくっている(https://www.youtube.com/watch?v=4ADtxG-b8ik)。第二年、そして本曲集最大の大曲であり、リスト最高傑作の一つであるダンテを読んで:ソナタ幻想曲」は、評判の高いベルント・グレムザー(Koch Schwann)は未入手。ロルティ(CHANDOS)は全集版も第二年だけの旧録音どちらも良い(とにかく超絶技巧を味わいたいなら若い頃の旧録音が良い)。有名曲なので演奏動画をアップしている人はプロアマわず色々いる。

5. ベッリーニオペラノルマ」の回想 S.394(1844年)

 幻想交響曲もそうだが、リスト作品の多くを他作品編曲が占めている。特に多数のオペラ編曲があるが、この曲が最高傑作だと思う。中盤の鍵盤を駆け巡るアルペッジョは明らかにジギスムント・タールベルクの「三本の手」を取り入れたもので、聴いていて気持ちが良い。後半の「戦争だ、戦争だ!」のテーマに基づく部分は極めて難しく、ここを上手く弾けるかどうかがこの作品の見所。しかいかにも難しいという様子で弾いては興ざめ。

 今ならフィリペツの映像https://www.youtube.com/watch?v=0TMypN1gW5k)が一番良い。CDもあるらしいのだが自主制作盤と思われ、未入手。他は、かつては表現意欲にあふれるベルッチ(assai)、ヴィルトゥオーゾ的な迫力あるトム・ウェイクフィールド(Symposium Records)、そして我らがスーパーヴィルトゥオーゾマルク=アンドレ・アムラン旧録音(Music & Arts)が三大録音だったと思う。アムラン新録音(Hyperion)は若干遅くなったが、抜群に録音が良くなり、総合的にこちらの方が好きかも。若手だと韓国のノ・イェジン(NCM)やイギリスベンジャミングロヴナー(Decca/https://www.youtube.com/watch?v=OVKTEoxBIKE)が大変良い。

6. 三つの演奏会用練習曲1849年出版

 40年代作曲されたもの。全3曲。演奏会用練習曲は、チェルニーのような練習のための曲ではなく、コンサート披露して喝采さらうための曲であり、いわゆる「性格的小品」の一種リストはこういう曲をひっさげてコンサートに臨んでいたわけだ。第1曲から「嘆き」、「軽やかさ」、「ため息」と標題がついているが、出版社がつけたものに過ぎない。第2番の標題通り、全体的に軽やかな作風特に「ため息」は有名でよく弾かれる。

 第2、あるいは有名な第3番の録音はよく見るが、全曲録音というと意外とない。福間洸太朗(アクースティカ)のCDに全曲入っている。確かロルティ(CHANDOS)にも全曲録音があったはず。

7. ノンネンヴェルトの僧房ピアノ初版1843年出版

 スイスイタリアマリーと過ごしたリストだったが、ピアニストとして忙しく飛び回るためにマリーを放置してしまい、結局二人は破局する。ひどい話で、破局した後もリスト演奏活動をしていたので、リストの母が子どもたちの面倒を見ていた。

 41~43年の夏にリストマリーはライン川中州にあるノンネンヴェルトの古い修道院子どもたちと共に過ごしているが、これがマリーとの最後の親密なお付き合いだった。この曲は、当時同地に夫妻を訪ねてきたリヒノフスキー侯爵の詩に音楽をつけたものシャルルマーニュ武将ローラ戦死誤報を受けて絶望した妻がノンネンヴェルト修道院に入ってしまい、ローランは二度と妻と会えなくなったことを知って修道院を見下ろせる土地に住み着き、妻を思う歌を歌った・・・という救いのないストーリーだ(歌詞https://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S4212.htm)。マリーとの破局に後悔していたのか、リストはこの曲に相当執着していたようで、ピアノ独奏用を含めて複数ヴァージョンを作り、何度も改訂している。晩年バージョンアンスネスEMI)などが録音しているが、重苦しい。当時のバージョンはそこまで重苦しくないと思う。推薦音源はあまり思いつかない。全集を録音しているハワードライナーで"beloved"と書いていて、気に入っているみたいである。

 華麗なオペラものシューベルト歌曲編曲魔王を含めてかなりの曲を編曲しており、どれも魅力的)など、編曲を中心にまだまだ色々な作品があるが、そろそろ次の時代に進もう。

2024-12-11

Shogun』に黒人はどこにいるのか?

ウィリアムスパイビー 2024年3月8日 3分で読む

日本の諺に「侍が勇敢であるためには、黒人の血を少しは受け継いでいなければならない」というのがあります。もしそうだとしたら、FXの大ヒット作「将軍」には、怯える剣士がたくさん登場します。

(略)

2024年版は、日本人の視点に大きく焦点を当てている。ポルトガルスペインイギリスオランダ代表する最初エピソードに登場する白人キャラクターは、英雄的とは到底言えない。しかし、現在コスモジャーヴィスが演じる ジョン・ブラックソーンというキャラクターは、すでに重要人物であり、数人の日本キャラクターとともに英雄となるだろう。他の人々は、すでに10構成の新しいシリーズを、1980年から文化的な大転換として賞賛している。私は、1980年に無邪気に尋ねなかった質問を今尋ねる。黒人はどこにいるのか?

(略)

歴史家ジョン・G・ラッセルは、 「排除された存在将軍吟遊詩人ボディーガード、そして日本黒人との遭遇」という論文執筆しました。彼は、黒人がさまざまな立場日本に到着したこと、そして黒人の中には日本人の使用人を所有し、奴隷にしていた者もいたことを記録しまし た。

ショーグンの主な舞台大阪で、 このドラマ放送間中大阪日本経済の中心地であり文化の中心地でした 。日本黒人がいたとしたら(実際にいた)、彼らも大阪にいたはずです。必ずしも人々の中に自由に住み、歩き回っているわけではありませんが、ヨーロッパ使節団の一員としていたことは確かです。おそらく、2024年版のショーグンは、将来のエピソード画期的なことをして、当時存在していた黒人を登場させるでしょう。1980年にはそうではありませんでした。描かれている日本人にはさまざまな色合いがあり、そのうちの1人が黒人であることが明らかになるかもしれません。日本船とヨーロッパ船が戦う海軍のシーンがいくつか予定されているため、黒人船員の一部が歴史的正確さを反映していることが期待されます

https://www.levelman.com/where-black-people-fx-shogun/

2024-11-08

去年の今くらいから考えてたことに、ようやく答えが出た(メモ)

あとはどう書き出すかだよなぁ🤔

いつも通り、思いつくまま適当に書いとくか、出来る範囲で読みやすくしとくか、うーーーん

とりあえず、忘れないうちにメモ書きしとく

 

結論:『差別』とは、何かしらの理由をつけて他者を見下して良いと正当化し、自分の方が価値がある(上位である)とする態度のこと

ワイは以前、『差別』というものは、生死に関わる問題経済的な困窮、戦争といった深刻な問題に直結するケースのみに限定されると考えていた

なので、無礼な態度や高圧的な態度は、単にその人の問題であり、べつにどうでもいいと考えていた

 

そもそも一般的に高所得と言われる立場にある人間にとって、気持ちを鈍感に保ち、何か言われても気にせずスルーするのは、持っていて当たり前のスキル

もちろん、ハラスメント名誉毀損侮辱罪として取り上げられるレベル罵倒侮辱は除くが、それに至らない範囲言動にいちいち反応しているのを見ると、

『稼ぐ気がないんだな』『働く必要がない裕福なご家庭の人なんだな』『生まれつき過敏なんだな。生きづらそう』と感じずにはいられなかった

 

だが、他者を『バカだな』とか『ボンクラだな』と感じるとき、よくよく考えるまでもなく、"自分の方が上だ" という考え、頭にあるよね?

  

人の価値お金で測れるものではないにもかかわらず、経済力という一点で優位に立っているという理由だけでーーー・・・とか、いろいろグダグダとやるまでもなく、

自分の方が価値が上だ』ってやった時点で、<ハイ差別のもの>で話は終わりだと、ふと気付いた

 

差別』とは、特定属性(例えば経済力やさまざまな社会的地位)に基づいて、自分他者より上位に置き、他者を不当に扱う態度のことだから

 

 

なぜこれまで自分の『差別意識』を意識することが無かったのか?

  1. 労働収入必要一般国民場合トップダウン組織文化と完全無縁ではいられないから:
    自給自足生活をせず、社会に労力を提供してそこそこの収入を得ている立場場合、『上下関係』が日常化し、そこに疑問を抱きにくくなる
    端的に言えば、『自分が人にやられたことを他の人にもしている』

  2. お兄ちゃんお姉ちゃん人生の先輩という順位制(序列):
    多くの社会動物順位制を持っている。人類にもあり、お兄ちゃんお姉ちゃん人生の先輩は『○○を優先的に出来て当然』みたいな慣習はまぁあるよね
    なお、人間社会は、ほかの動物よりもより複雑な社会構造であること、序列無視する個体が相当数いることが合わさり、
    序列上目でも、動物社会のような明確な特権は貰えてはいないような・・・?といったことはよく起きる模様(中間層でより顕著)

  3. 現実に即していなかった他人能力への期待値他者視点の欠如:
    多くの人と同じく、以下のように考えていた

    ・知能とは多面的ものであり、一面からどうこうジャッジできるものではない
    知的ハンデキャップがないすべての人は、最低でも自分と同等以上の思考能力を持っている


    ・・・と言うか、自分をどこの位置に置いてるのか?と言う人物でない限り 、自分レベルがこの位置にいるなら知能は重要ファクターにならないと考えるのが正常だし、
    スキルマウント取っているの見ると心底ウンザリするのがフツーだし(VLOOKUPとか、Excelパワポなんたら術とか)、
    ドヤ顔で『IQ20違うと会話が成り立たない』とか言ってる輩を見ると、『おっ、頭が悪い/まともな説明能力がないって言う自己紹介か?』って思うのが正常

    ・・・でもまぁ、ブクマカブクマカを兼ねている増田を見ていて気付けたよね。種として見た時には誤差と言えるほんのわずかな認知能力の差で、以下の違いが顕著が出てしまうことに

 

     - 日常的な問題解決能力の違い  
     - 想像力の違い (リスク管理他者理解
     - 上記の結果として収入の違い  

  

  自分と同等以上の能力がない人や、自分と異なる興味や能力を持つ人に対して、『やる気が足りないのでは?』と傲慢な態度を取っていたかもしれない

 

年収に影響する要素で1番大きいのは『運』、ついで『社会制度』、それらに比べたら『能力』の影響は小さいことも、他人能力を見誤る要因になっている

※ それ以前の問題として、『自分他人は違うを理解する機能』がそもそも未搭載なので、何度学習しても、つい他人能力を見誤ってしま

 

 

なぜ、"自分の方が上だ" について掘り下げようと思ったのか?

例えば、女性を『おばさん』と綴り男性を『男』と呼称インタビューに応える某皇族は、自分のことを『ガチ貴族』と思ってるし、実際に貴族なんだけど、

(あれがなんでウケてるのかマジでわからん中世か? 本当、膝を折って各地を訪問した平成天皇けが皇族例外でしたわ)、

 

政財界人間は、皇族と違って、いちおう一般人の"ハズ"なのに、日本以外の国でかましたら、

失脚、株価暴落活動家永久粘着される or 永久に身の危険を覚えることになるような暴言マスコミにすっぱ抜かれたとかではなく、

公の場で自ら積極的に発信してるのマジでなんなんだろ?って思ったわけです(ナチス発言ほかキリがない)

『オメー、平等絶対日本のどこでそんな教育を受けてそうなったの?』、『オメー、ガチ貴族ではなくね?』みたいな

 

だけど、べつにガチ貴族上級国民でなくても、無限無礼な人/上からな人いますよね?

せいぜいあっても年収2000万程度で、なんならワイ以下の年収でも無限にいます

 

まり、これは生まれ社会的な立場問題じゃ無さそうだな・・・ってなったわけです

単純にその人の態度(attitude)、人間性の問題なのでは?ってね

 

なお、アリストテレスは『ニコマコス徳倫理学』で、徳(美徳)は習慣(ēthos)化によって形成されるとって言ってるし、

人間の行動が繰り返されることで習慣となり、それが最終的に性格人格形成するって言っているので、

人間性の問題という表現問題ないという認識です

 

というか、いろんな自己啓発書で古来から言われてる通りよな

※下記は、マザーテレサでもウィリアムジェームズでも無いらしいです

言葉に気をつけなさい、それは、いつか行動になるから

「行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから

「習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから

心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。

 

 

自己責任論者は、自分たちが恵まれ環境にいることを相対化できていない『自己中心論者』であるエクイティ共通善に反する傲慢

自己責任論って突き詰めたら、森羅万象あらゆる事象自己責任を主張している本人のせいに全部転嫁できるはずなんだけど、いまだかつてこの主張が自己責任論者に聞き入れられたことがないので、自己責任論者は自己中心論者だと思っている

https://anond.hatelabo.jp/20240227185639#

 

これは 1000000000%、それはそう

 

森羅万象ではなく、もっと単純な日常的な視点で言っても、それはそう

 

例えば、通貨が弱く教育医療システムが整っていない国からやってきた人々や、スラム街から成り上がった人々にとって、先進国での一般的な悩みは『甘え』のように映るだろう

同じ先進国に住んでいても、呼吸や歩行、食事など、日常生活基本的なことすら困難な人々からすれば、健康に恵まれた人々の日常的な悩みなんぞ『甘え』に感じられるだろう

でも、先進国自己責任を説いたり、ぼくあたちは頑張った!努力した!をやる人は、上記の人々と同じ立場に身を置いたことがないどころか、

そういう境遇想像することすら、まず無いのよね

 

もっと言えば、社会には多種多様問題存在する

居所不明児童悲劇 川口高齢夫婦殺害事件(2013年)当事者に近い環境に身を置く人は今日もいるだろうし、

殴る蹴る性加害など緊急性の高い虐待ではなくても、電気ガス水道が止まるのが日常環境で暮らす児童今日もいるだろうし(貧困ではなくて親が生活能力がない)、

ネグレクト機能不全家庭でなくても、教育DV暴言日常とか過干渉とか条件付き愛情とか、基盤を壊すものは無数にあってひとつひとつ挙げたらキリがない

そして、自己責任を説いたり、ぼくあたちは頑張った!努力した!をやる人は、上記の人々と同じ環境に身を置いたことがないどころか、

そういう境遇想像することすら、まず無いのよね

 

人類自然に完全に打ち勝ったわけでも、自然から独立した存在でもない

だが、他の動物と異なり、『優れた貯金力(資源を蓄積する能力)』と『高度な想像力』を持っている。そのため、先進国では、福祉制度社会保障が充実しており、動物のように弱者を切り捨てたりしない。

また、見て見ぬふりをしてしまうこともあっても、自ら手を下して積極的弱者を切り捨てたいという輩は異常者とされるし、自分自身が社会から切り捨てられたいとも思うのも異常者だ

 

したがって、裕福な立場や恵まれ環境にあるすべての人は、たとえエリートでなくても社会的責任(ノブレス・オブリージュ)を意識する必要がある

持てる者が傲慢な態度であることは、エクイティ公平性)や共通善観点から見ても、批判されるべきだ

 

 

差別意識がわかりやすい『悪意』からではなく、むしろ無自覚な『習慣化された態度』からまれる事に気づいて、今後どうするの?

批判的ではありつつも、バーカ、バーカ、と言うのは控えたいと思います

 

世の中のすべての人が自己効力感の持てる世の中でありますように🙏

2024-08-16

[]カリフォルニアから来た娘症候群

これまで手伝わなかった親族が、高齢者介護方針に口を出す状況を表す言葉

これまで疎遠だった親族が、

近辺の親族医療関係者の間で時間をかけて培われた合意に反して、

にゆ高齢患者ケアに異議を唱えたり、

医療チームに患者延命のための積極的手段を追求するよう主張したりする状況を表す言葉である

「娘」となっているが、性別血縁関係性は問わない。

カリフォルニアから来た娘」は、

しばしば怒りっぽく、自己評価が高く、明晰と自認し、情報通を自称する[1]。

対象高齢患者とその介護者、医療関係者との同意否定し、

安らかな終末を阻害するとされる。

原因・対処

医療関係者によると、「カリフォルニアから来た娘」は高齢患者生活ケアから遠ざかっていたため、患者悪化の程度にしばしば驚かされ、医学的に可能なことについて非現実的な期待を持ってしまうことにある。 また不在であったことに罪悪感を感じ、再び介護者としての役割を果たそうとする心理もある[2]。

2015年出版された『ザ・カンバセーション』(原題:The Conversation)では、アメリカ医師アンジェロ・ヴォランデスは、これを「罪悪感と否定」であり、「必ずしも患者にとって最善であるとは限らない」としている[3]。

この言葉は、1991年米国老年医学会誌に発表された、ウィリアム・モ−ロイ博士と同僚たち老年医学者の集団によって「無能高齢者意思決定:『カリフォルニアの娘』症候群」と題する症例報告で、初めて注目された。ウィリアム・モ−ロイ博士と同僚たちは、精神無能力(意思疎通困難状態)な患者の気難しい家族に、医療スタッフがどのように対処するかの方策をこの論文内で提示した[4]。

方策

医療スタッフは、患者意思決定に関する情報家族提供することが重要である

家族医療スタッフは、患者意思決定に関する合意形成するために協力する必要がある。

家族は、患者意思決定尊重し、患者自分自身ケアに関する決定を下すことを支援する必要がある。

国家地域表現・言い方

いずれも遠方で介護に参加しなかった親族が来訪し、介護や終末の計画感情的に変更しようとする表現となっている。

アメリカ合衆国・カリフォルニア

当のカリフォルニアでは「ニューヨークから来た娘」又は「シカゴから来た娘」と呼ばれている[5]。

カナダ

カリフォルニアから来た娘症候群カナダでは、「オンタリオから来た娘」と呼ばれる[4]。

日本

日本医療介護現場では「ぽっと出症候群」という言葉が知られている[6][7]。健康保険組合連合会「離れて暮らす親のケア vol.42」におけるNPO法人パオッコの資料では「遠くに暮らす子どもは、年に1、2度突然やってきて、治療法がどうだとか、こうだとか言うんだよね。普段の状況を何も理解しないまま」という医師談が紹介されている[6]。

台湾

台湾では「The Daughter From California Syndrome」が紹介された際、特定地名意味合いを消して「天邊孝子症候群」(空の向こうの孝行息子症候群)として組み込まれた。

2024-07-24

anond:20240724082511

実在するウィリアムアダムスをご都合ファンタジーキャラとして登場させた仁王は何も言われてないので

結局は「態度の問題」につきる

ファンタジー設定を定着させるべくウィリアムWikipediaを書き換えた奴とかもいなかったしな

2024-07-12

これはマジで言ってるけど、礼拝増田含めて氏ねとか障害者せとか学歴が○○だからとか攻撃されたとかやってんのいつもの増田だけ

某氏の件がいい見本になってると良いけどって思ってる

某氏スペックだけ見たら高いでしょ?だいたいの人は某氏よりもスペック低いと思うわけ

でも、だいたいの人はぶっちゃけ某氏よりも生きやすいと思う

礼拝増田・いつもの増田の生きづらさの原因は、能力スキルにはなくて、スタイルや態度(attitude)にある

生きづらいブクマカも同じだね。些細なルール違反するような子どもに育って欲しいとか、戦慄するようなこと言ってたし

 

知的怠惰を発揮する権利をフル活用する癖に、やたらそれっぽいことに異常な憧れがあるヤツ向けに補足するなら、

アリストテレスは『ニコマコス徳倫理学』で、徳(美徳)は習慣(ēthos)化によって形成されるとって言ってたでしょ

人間の行動が繰り返されることで習慣となり、それが最終的に性格人格形成するってな

 

つか、いろんな自己啓発書で古来から言われてる通りよね

※下記は、マザーテレサでもウィリアムジェームズでも無いらしいです

言葉に気をつけなさい、それは、いつか行動になるから

「行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから

「習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから

心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。

 

あと、何事も積み重ねは大事なので(もちろん他人を傷つけたり・自傷するのは除く)、

なにかひとつでも、"自発的"に積み上げてください

 

某氏の件、反面教師にして欲しいです

anond:20240712090853 anond:20240712093224 anond:20240713134748 anond:20240714223704 anond:20240722200151 anond:20240727100614

anond:20240727115014 anond:20240727115014

2024-04-14

スポーツ選手年俸が高すぎるからそれを盗もうとする悪党が現れるのでは?

格差社会が全ての問題だろ。

小僧ウィリアムテルも大判金貨でたんまり溜め込んだ金持ちがいたからこの世界存在したわけでな。

富の集中が起きるから、金庫に穴を開けて金を吸い出すインセンティブが高まりすぎるわけだよ。

富の再分配を促していけ。

2024-03-25

ウィリアムギヨームが同源だというのはわかったけど

その間にあるっぽいギリアムは無関係なのはどういうわけだ

2024-03-18

ウィリアムバロウズの『ソフトマシーン』を読ませて読書感想文を書かせればいい

手に取るように国語力が分かる

2024-03-17

anond:20240317073034

いいえ、Study hard ではなく、態度(attitude)です

努力って語源はともかく現代では貴族欺瞞しか使われないからね

 

ついでに人を作るのは能力ではなく、態度

 

たとえば、自分の専門外に安易言及したり、陰謀論を唱える学者を賢いと考える人ほとんどいないでしょ

でも、能力(Ability)だけにフォーカスを絞った客観的事実は、高学歴で少なくとも低いIQではない

  

賢い人の振る舞い、穏やかな人の振る舞いをしていれば、周りの人はそのようにその人を認識するし、

長年にわたって積み重ねられた行動や習慣は、やがてその人の性質性格と呼ばれるようになる

誰が言ったか不明だけど、世界中で似たようなことが大昔から言われている(マザーテレサではないです。ウィリアムジェームズ?)

言葉に気をつけなさい、それは、いつか行動になるから

「行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから

「習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから

心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。

  

あとこれだな

>「乗り越えられる壁しか乗り越えてこなかっただけですよね」

https://anond.hatelabo.jp/20240317004939#

2024-03-11

真田広之Shogun」、歴史的に正しくない描写アメリカ炎上

「ショーグン」の黒人はどこにいる?

ウィリアムスパイビー 2024 年 3 月 8 日 3 分で読めます

日本ことわざに、武士が勇敢であるためには少しでも黒人の血が必要だというものがあります。そうだとしたらFXモンスターヒット作「ショーグン」には怖い剣士がたくさん出てくる

(中略)

2024 年版では、日本視点さらに重点が置かれています最初エピソードに登場するポルトガルスペインイングランドオランダ代表する白人キャラクターは、決して英雄的とは言えません。 しかし、現在コスモジャービスが演じるジョン・ブラックソーンというキャラクターはすでに重要人物であり、数人の日本キャラクターとともにヒーローとなる予定です。他の人たちはすでに、10構成の新しいシリーズを 1980 年版から文化的な大きな変化として賞賛しています。私は 1980 年には素朴にも尋ねなかった質問を、今になって尋ねます黒人はどこにいるのでしょうか?

私が質問したのは、歴史的に正確ではなかったとき表現を見たいからではありません。私が尋ねたのは、1600 年以前にも日本黒人がいたからだ。ただし、日本フロリダ歴史の書き換えについて何かを教えることはできるだろうが。複数情報源によると、初期の実在将軍の一人である坂上田村麻呂 (758 ~ 811) は黒人でしたが、他の人は否定しています。彼が純粋日本人ではないということではコンセンサスがあり、 強制同化植民地化の対象となった北日本の肌の色の黒い先住民族であるアイヌの子であると考えられることが多い。

歴史マークハイマンは著書の中で田村麻呂を讃える像について説明しています

「彼が讃えられている寺院で見られるように、マロの像は他の貢献者よりも背が高かった」とハイマンは書いている、「彼の髪はカールしていてしっかりしており、目は大きく、幅が広く、茶色でした。鼻の穴は広がっていて、額は広がっていました」幅は広く、顎は厚く、わずかに突き出ていました。」

清水寺田村麻呂像は通常は非公開となっています清水寺は778年の創建以来、度重なる火災に見舞われ、何度も再建されました。現在の像には、ハイマン説明した黒人の特徴はまったくありません。

多くの研究者は、日本におけるアフリカ人示唆存在を記録しており、その起源は 22,000 年前、将軍シリーズの多くが行われた大阪近郊で遡ります

アジア海岸に到達した黒人推定数は、その大陸で彼らが発見された広い地域によってある程度推定できるかもしれない」とロイ・マイユー・ジョーンズは述べた。インド洋に面し、東海岸に沿って日本に至る南アジアの国々。当時「チパンゴ」と呼ばれていたその遠い土地に到達した人々によって語られた興味深い物語が数多くあります日本歴史の中で最も著名な人物の一人は、サカノウエ田村麻呂と呼ばれる黒人戦士でした。」

(中略)

『ショーグン』の主な舞台大阪で、 シリーズの期間中大阪日本経済の中心地であり文化の中心地でした。日本のどこかに黒人がいるとしたら(実際にいたのですが)、大阪にもいるでしょう。必ずしも人々の間を自由に生きたり歩き回ったりするわけではありませんが、ヨーロッパ使者グループの一員であることは確かです。おそらく、2024 年版のショーグンは今後のエピソード画期的な展開となり、1980 年には登場しませんでしたが、当時存在していた黒人も登場するでしょう。描かれている日本人にはさまざまな色合いがあります。おそらくそのうちの一人は黒人であることが判明するでしょう。今後、日本の船とヨーロッパの船を戦わせる海軍のシーンがいくつかあるため、黒人船員の一部が歴史的な正確さを反映することが期待されています

https://www.levelman.com/where-black-people-fx-shogun

2024-03-02

anond:20240301215107

こんなクソ国どもが嫌われるのは当然ですよね??


 / そりゃ、ヨーロッパ帝国主義植民地主義だった諸国アジアアフリカで散々嫌われている事自体周知の事実でしょ。当たり前じゃん。 

こないだもイギリスウィリアム皇太子訪問先で「奴隷制度と人種差別歴史謝罪しろ」とデモ隊に抗議されてたよね。

2024-01-16

anond:20240116003349

法哲学議論を参照して「愛らしいから」=「他とは区別される特定属性を持っているか寄付する」という考えが正義にもとることは肯定しつつ,寄付するべきではないという考えを批判してみる.

まず,正義は「等しきものを等しく扱う」ことが本質だとしばしば定義される.

かわいそうなポメラニアンと,かわいそうな黒い大型犬はどちらも「かわいそうな犬」という属性で等しく,両者に対して異なる扱いをすることは正義にもとる行為にあたる.

他方,慈悲,あるいは愛は,「等しきものを等しく扱わない」.

個体属性ではなく,今まさに存在する「この個体」を救うことに関心があるからだ.

「かわいそうな犬」だからではなく,「この」かわいそうなポメラニアンからこそ人は憐憫を垂れる.

法哲学者の井上達夫言葉を借りれば,「愛の本質である個体性への関心と配慮正義普遍主義要請対立する」(井上達夫. (1986). 共生作法: 会話としての正義. 創文社. 117.).←たしか近年新版がでている.

では我々は,正義にもとるということを理由に,特定属性を持つ人々のために自発的に寄附を行うべきではないのだろうか.

何が「等しい」のかを民主的手続きに基づいて決定し,一応の正義を認めることができる主体である民主主義国家による再分配に我々の持つ金銭というリソースは委ねられるべきなのだろうか.

そうではない.

なぜならば,民主主義国家によって達成される正義手続的正義にすぎないかである

「正しい手続きを踏んだから,かわいそうなポメラニアンを救済することにし,黒い大型犬放置することにした」.

これは本当に正義だろうか.

何が正義なのか,何が「等しい」のか,やはりその実体に踏み込んで考える必要がある.

この実質的正義と寄附を考える上で注目すべきが,この十年で存在感を増している「効果利他主義である

昨今のオープンAIアルトマン解任騒動で目にしたことがある諸兄もいるかもしれない.

効果利他主義とは,簡単に言ってしまえば「社会全体にとって最も費用対効果の高い良いことをすべき」という考え方である

ここでの費用には,金銭だけではなく,自分時間労働も入る.

かわいそうだから,というある種偶然に基づいて他者のためのリソース投下をするのではなく,コスパという等しい基準を置いてあらゆる利他的活動比較評価し,最もコスパが良いもの投資する.

これが公平であり,正義なのである

この比較には,「リソース投下に対する社会インパクト定量化できる」のが大前提になっている.

社会科学素養がある人間ならばすぐに気がつくように,あらゆるものを同じ基準定量化することは不可能である

例えば,生命という多くの人が合意するであろう基準に関しても,単に生きていれば良いのか,健康寿命なのか,QOLによって測り方が変わる.

定量化の前提は,効果利他主義限界の一つとして指摘できるだろう.


効果利他主義において,個体性への関心はどのように扱われているだろうか.

便益を最大化することにこだわることは,特定目標との個人的な結びつきを否定することになる.例えば,「家族ががんでなくなったからがんの撲滅に情熱を注ぐ」という行動は否定されるべきなのかという批判に対しては,次のように反論している.

たまたま理由だけで一部の人々のニーズを優先していることになり,もっと効果的に手を差し伸べられる人々に対して不公平である,と.(ウィリアム, M.. (千葉敏生訳). (2018). 「効果的な利他主義宣言! : 慈善活動への科学アプローチ. みすず書房. 42-43.)

そろそろ疲れてきてしまったのでまとめよう.

特定属性を持つという偶然を理由として寄附をすることは正義にもとる一方で,民主主義国家を通した再配分には手続き正義に留まるという限界がある.

実質的正義を追求するには,効果利他主義のような一定基準を持った上で,最終的には自分なりの正義を追求して寄附を行うべきなんじゃないだろうか.

なお,筆者自身効果利他主義者ではなく,単におもしろい考えの一つとして注目しているに過ぎないという点を申し添えておく.

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