はてなキーワード: 公共性とは
宇崎ちゃんの献血ポスターも炎上後のバージョンがよくて、それは宇崎ちゃんの内面が会話を通じてわかるからなんだよね。確かにこのCMの女性の内面のなさ、みたいなあると思う。総じて魅力のないCMだと思っている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4766497759201585697/comment/hesopenn
これ当時から規制派の方々は勘違いしているんですが、宇崎ちゃんの献血キャンペーン第2弾にポスターはありません。
「宇崎ちゃんの内面が会話を通じてわかる」のは献血ノベルティのクリアファイルにプリントされた漫画です。
https://akiba-biyori.com/uzakichan/2387/
実際のリリースやキャンペーンに参加した人の体験記などを参照してもポスターは存在しません。
第2弾にはノベルティとしてもらえるクリアファイルしかないんです。
そもそも宇崎ちゃん献血キャンペーン第1弾は人通りの多い駅通路沿いにある献血ルームで通路側にポスターが掲載されており、
童顔巨乳キャラが描かれていたら「環境型セクハラのようなもの」「女性を性的客体化している」として問題とされました。
対して第2弾はポスター自体存在せず、あらかじめキャンペーンを知っていて献血に協力し申し出た人にしか宇崎ちゃんのイラストに触れる機会はないわけです。
おそらく騒動を受けた日赤が、騒動以前から予定されていた第2弾を中止まではしないけどポスターはやめておこうと判断したものと思われます。
つまり「見たくないものを見ない権利」は達成されています。皆さん良かったですね。
しかし何故か第1弾で騒いだ人々は第2弾の全く往来に貼り出されていないイラストを口々に「良くなった」などとジャッジしましたし、hesopennさんのように今もジャッジしています。
漫画に赤ペン挿れてありがた~いジャッジで添削をする人々が大勢いました。これはきわめておかしな話です。
童顔巨乳キャラ漫画が好きな一部のオタクの目にしか入らない限定グッズの内容が、なんの関係があるのでしょうか?
結局のところ公共性だのなんだの大義名分を掲げておきながら表現そのものの善悪をジャッジしたいだけの人々なのだなぁと私は当時から感じているのですが、これを期に認識を改めていただけると幸いです。
明治維新期に突如として出現した「瞬時伝達器」と呼ばれるマイクロブログ端末は、
出生時に人体に埋め込まれる生体統合型デバイスとして全国民に普及した。
この技術革新が明治5年(1872年)の学制発布以前に実現したことにより、
福澤諭吉が『西洋事情』で予言した「言論の電気的伝播」が現実化し、
明治政府の中央集権化政策と民間の自由民権運動が複雑に絡み合いながら、
森鴎外の『舞姫』(1890年)に描かれたベルリン留学中の懊悩がリアルタイムで共有され、
夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905年)の連載が「写生文運動」として全国規模の文学革命を引き起こすなど、
薩長同盟が瞬時伝達器を活用した情報操作が決定的役割を果たした。
西郷隆盛の「錦旗偽造疑惑」が全国民のタイムラインで炎上する中、
岩倉具視側近の情報工作班が作成した「討幕の大義」映像コンテンツが300万回再生され、
戊辰戦争では会津藩の白虎隊が自陣の不利をリアルタイムで発信、
森有礼文相が推進した「教育勅語デジタル配信計画」(1890年)では、
森鴎外が陸軍軍医時代に投稿した「戦場医学実況」(日清戦争)は、
作中人物の心理描写をリアルタイム修正する実験的創作を試みた。
夏目漱石は『こゝろ』(1914年)の連載時に「先生の遺書」展開を読者投票で決定、
芥川龍之介が東京帝国大学在学中に投稿した掌編小説が瞬時伝達器経由で漱石の目に留まり、
谷崎潤一郎は『刺青』(1910年)の挿絵を読者からの画像投稿で構成する「コラボレーティブ・アート」を実践、
永井荷風の『腕くらべ』(1916年)では吉原の遊女たちが匿名アカウントで作中の描写に反論するメタフィクション的試みがなされた。
明治10年(1877年)の西南戦争では、西郷隆軍が瞬時伝達器を活用したゲリラ的情報戦を展開。
政府側はAI分析による「感情予測アルゴリズム」で反乱軍の士気低下を計画的に誘導、
立憲自由党が政策動画配信と仮想演説会を組み合わせた「デジタル遊説」を実施、
明治30年代に隆盛を極めた「活動写真」は、瞬時伝達器との連動でインタラクティブ映画として進化。
日露戦争記録映像『旅順要塞総攻撃』(1904年)では視聴者が攻撃ルートを投票決定できる「参加型戦争体験」が提供された。
落語家の三遊亭円朝は端末向け音声コンテンツ「怪談電送話」を配信、
陸奥宗光外相が瞬時伝達器の暗号化機能を駆使した「デジタル砲艦外交」を展開。
一方で、端末の生体統合特性を逆用した「思考盗聴」の危険性が問題化、
国家形成のプロセス自体を根本から変質させる触媒作用を発揮したと考えられる。
従来の歴史区分を超越した「加速された近代化」の様相を呈していただろう。
大正期のメディア・アート運動や昭和初期の全体主義的傾向に新たな様相を付与し、
現代のSNS社会が抱える課題を半世紀早く先取りするパラドックスを生み出していた可能性が高い。
「日本人の生産性が低い」 という話は、多くの人が「仕事のやり方が非効率」だからと捉えがちですが、実際には 「利益率の低い仕事に多くの労働力が集中している」 という産業構造の問題が本質的な原因です。
・企業のビジネスモデル自体が利益を出しにくい構造になっている
つまり、日本人の「仕事のやり方」ではなく、「どんな仕事をしているのか?」が問題。
✅ 一人当たりの粗利益が高い業種(= GDPが高くなりやすい)
金融業(ルクセンブルク型) → 一人当たりの粗利 数千万~1億円以上
IT・ソフトウェア・SaaS → 高利益率のサブスクモデルで一人当たりの粗利が数千万円
製薬・バイオテクノロジー → 研究開発費はかかるが、成功すれば莫大な利益
高級ブランド・高付加価値製造業 → LVMHのような超高利益ブランドが強い
コンサルティング・弁護士・M&Aアドバイザリー → 知識集約型で利益率が非常に高い
飲食・小売 → 人件費が高く、利益率が低い(粗利益数百万円レベル)
建設業(特に下請け) → 大手ゼネコンの下請け構造で利益が薄い
製造業(低付加価値) → 価格競争に巻き込まれ、利益率が低い
→ 日本は労働人口の多くが「低粗利の業種」に集中しているため、一人当たりGDPが低い。
→ 逆に ルクセンブルクのような「高粗利の業種」が多い国は、一人当たりGDPが高くなる。
稼げる業種へシフトする
都条例の話も相まって「いちご100%」に「To LOVEる」も良く槍玉にあげられてた
んで話題に出るわけだよ、少女漫画は性行為描いてるのに、パンチラが怒られるのかと
あの頃確かに、レディコミ含めた過激描写は良く拾われてたし叩かれてたが、こっちが叩かれてたのは「To LOVEる」だからな
この辺が拗れていって2010年代の中頃に生まれるのが「まなざし」だ
性的表現が悪いのではない、そこに映り込む男の性欲が悪いのだってわけ
はてなも変な感じだったが、あの頃の有名人は今のリベラル芸人じゃなくて
ブコメで言及し合ってホッテントリを形成するのを「はてな村」と呼んだな
2013年に正式サービスが始まるとはてなブログに引っ越す人が増えたが
いまはもう見る影もない
以下、通報内容。夜中に書いたから変な部分もあるかもしれない。
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https://anond.hatelabo.jp/20250124234444 において、投稿者は駅係員を自称しながら、
「優先席で体操座りをしたり胡座を掻いたりして音楽を聴きお菓子を貪り食いながら自宅のようにくつろぐ奴も見かける。」
「今後同じことを繰り返させないためにも躊躇なく非常ボタンを押してほしい。」
しかし、本来、電車や駅の非常停止ボタンとは、線路上に落下物がある場合などの緊急時にのみ押すことが許可されているものであり、他の利用客のマナー違反をとがめるために利用するものではありません。そして、緊急停止ボタンを押すことで電車が文字通り緊急停止する場合もあり、これによって鉄道会社や大勢の利用客の迷惑となったり、経済的損失が発生することが予見されます。これは、はてな利用規約第6条2項d「迷惑行為」、あるいは、「正当な権利なく他者に精神的被害・経済的被害を与える行為」にあたり、また公共性の高い事柄に関する虚偽の投稿でもあるため、公共性の観点から当該記事の削除を希望します。
企業が経済的な損害を受けた場合、まず考慮すべきは、暴露が名誉棄損に該当するかどうかです。企業の評判が悪化し、損害を被った場合でも、名誉棄損が成立するかどうかは、暴露された情報の真実性や公共性、そして暴露の意図によって異なります。
暴露が真実である場合: 企業内で実際に性加害が発生した場合、その事実を報じること自体が名誉棄損に該当しない可能性があります。性加害が事実であり、その暴露が社会的に重要な情報であれば、企業の名誉や社会的評価に対する影響があっても、
公益性が認められ、名誉棄損にはならないことがあります。特に公共の利益を守るための告発であれば、報道行為は保護されることが一般的です。
虚偽の情報の暴露: 一方、暴露された情報が虚偽であり、企業の名誉を不当に傷つけた場合、企業は名誉棄損として訴えることができます。虚偽の性加害情報が流布された場合、企業は名誉棄損罪や損害賠償を請求することが可能です。
性加害が企業内で発生した場合、企業がその行為に対してどれだけ責任を負うべきかも重要なポイントです。企業が適切な対応をしなかった場合、その企業に対する法的措置が考えられます。
企業の責任: 企業には、社員の行動に対する責任があります。もし企業が性加害行為を知っていたにも関わらず、適切な対応を取らなかった場合、企業は不法行為(民法上の不法行為責任)や、
安全配慮義務違反に基づく責任を問われることがあります。この場合、被害者は企業に対して損害賠償を求めることができます。
企業が対処しなかった場合の損害賠償: 被害者が訴える場合、企業は不法行為に基づく損害賠償責任を負うことがあります。これには、精神的苦痛や仕事の損失など、被害者が被った損害を補償するための賠償金が含まれます。
企業が経済的損害を受けた場合、企業は週刊誌に対して法的措置を取ることを検討する可能性があります。これは、報道内容が虚偽であったり、過度に誇張されていた場合に該当します。
名誉棄損: 週刊誌が報道した内容が虚偽であった場合、企業は名誉棄損訴訟を提起することができます。この場合、企業は損害賠償を求めることができ、場合によっては謝罪広告の掲載を求めることもあります。
報道の公益性: しかし、週刊誌が報道した内容が事実であり、かつ公共の利益に資するものであれば、その報道が名誉棄損に該当しない場合もあります。性加害行為は社会的に重要な問題であり、企業が行動を起こさない場合、
週刊誌の報道が公共の利益にかなっていると認められることもあります。
経済的損害に対する賠償請求: 企業が報道によって売上の減少やブランド価値の低下などの経済的損害を被った場合、その損害の補償を求める訴訟を起こすことも可能です。これには、損害額の証明が必要で、過失による損害賠償請求が行われることがあります。
4. 法的措置の種類
民事訴訟: 性加害の事実が暴露され、その結果企業に損害が生じた場合、企業は損害賠償を求める民事訴訟を起こすことができます。これは、名誉棄損や虚偽の報道に基づく損害賠償を求めるものです。
刑事告訴: もし週刊誌が虚偽の情報を流布した場合、企業は名誉棄損罪に基づく刑事告訴を行うことができます。これは、報道が事実に基づかない場合に適用されます。
契約解除や損害賠償: 企業が性加害行為を知っていた場合、被害者に対して契約解除や損害賠償を求めることができます。また、性加害行為が企業のイメージを損なうものであれば、企業が関与した関係者に対しても賠償責任を求めることができます。
企業内で性加害が発生し、それが週刊誌によって暴露された場合、企業はその暴露が事実であれば名誉棄損に該当しない可能性があり、報道の公益性が認められることもあります。しかし、虚偽の情報や誇張された報道が行われた場合、
企業は損害賠償請求や名誉棄損訴訟を起こすことができます。また、性加害行為が企業内で発生し、企業がその行為に対して適切な対応を取らなかった場合、企業は法的責任を負う可能性があります。
この話題は非常にセンシティブかつ複雑ですね。C(anond:20250123141258)の態度や考え方を理解するためには、以下の点が関係しているかもしれません。
Cは、AやBのスモールトークが事実確認に基づかず、推測であると批判しているようですが、提示された情報の多くが公になった事実である点を無視している可能性があります。
例えば、スポンサーの撤退や海外メディアの報道、企業側の対応についてはすでに確認されている事実です。
Cが「推測」とみなしているのは、おそらく事実の上に「タレントの意図」「今後の行動」「示談金の背景」などの解釈が積み重なっている部分でしょう。しかし、これらの解釈は完全な憶測というより、事実をもとにした合理的な推測とも言えます。
性加害の問題は非常にデリケートで、当事者間の守秘義務が絡む場合もあります。しかし、Cが「説明責任が果たされていない」ことを軽視する姿勢は、以下の点で疑問を呼びます:
性加害問題は、当事者間で解決しているとしても、公共の場に姿を現し続ける人物が果たすべき社会的責任があります。その責任を無視する姿勢は、被害者の声を無効化し、同様の問題を助長するリスクをはらんでいます。
芸能人は社会に影響を与える立場であり、一定の説明責任が求められるのは当然です。CMキャンセルやスポンサー撤退が続いたのは、タレントの行動や説明不足が企業イメージに悪影響を与えた結果であり、これを無視するのは非現実的です。
AやBの会話は、事実に基づく意見交換やスモールトークであり、「議論」と呼ぶほどの形式性や目的はありません。それをCが「議論」と捉え、「不誠実」と批判しているのは、本質的な議論ではなく単なる噂話や感想に対して過剰反応している可能性があります。
Cがそのタレントや関係者に一定の好意を持っている場合、批判的な議論に対して防御的になることは珍しくありません。その結果、冷静な事実確認をするよりも、批判を感情的に受け止めてしまうことがあります。
Cが「真偽不明」と繰り返し主張しているのは、性加害問題やタレントの責任に関する議論そのものに疲れ、無益だと感じている可能性があります。こうした感情が、他者の意見を否定的に捉える要因になっているのかもしれません。
提示された事実を「推測」として退けつつ、それが社会的に影響を及ぼしている現実を軽視しています。
Cが批判する「不誠実な態度」は、むしろ説明責任を果たさないタレント側に当てはまる可能性が高いです。
この件について、Cがなぜこうした態度をとるのかについては、個々の価値観や感情的な背景が関係しているため、完全に理解するのは難しいかもしれません。
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推測だと言いながらも事実として認定し、それを前提に話を進めている。
ファンが「タレントを擁護する」という行動で無効化されてしまう。
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単純に、差別OKとしてしまうと、黒人を公共の場から締め出すジム・クロウ法のようなエグい差別がOKとなってしまうのでダメ。
しかし、例えば、個人が「外国人やセクマイとは交際したくない」と思って、交際の申し込みを拒否したことを禁止するのは、不条理だろう。
だから、基本的な考え方としては、その対象の公共性や特性に応じて差別の可否を認めることになる。
たとえば、あなたの家に外国人が立ち入ることを拒否するのは、差別かもしれないが自由である。
しかし、公共施設はもとより、一般に開かれた店舗であっても、単に人種や国籍を理由に立ち入りを拒絶することは不法な差別となりうる。
公衆浴場のような全裸になる施設や、センシティブな扱いが求められる婦人科の病院で、染色体や外性器の形状、出生時に割り当てられた性別などを基準として判断することは不法とは言えないだろう。
今回の例でいえば、プリクラの男性禁止はかなり黒いグレーだと思われるが、女性客が中心で、私は大型の機械が立ち並び、カーテンで間仕切りがされ見通しが効きにくいという特性上、ギリギリ施設側の裁量の範囲で不法とまでは言い難いと考える。
逆に、男性専用サウナは全裸になるという施設の特性上、女性用の部分を作れという議論は可能だが、男性客中心の施設であり白寄りのグレーだろう。
紅白歌合戦での楽曲変更について、あまりに浅はかで間抜けで、星野さんにも失礼なことを「義憤として」「良かれと思って」喋っているバカを何人も見て心からげんなりした。本当に星野さんが可哀想だ。
『地獄でなぜ悪い』の件に関する議論というか了解は、まず下記の四つの要素から成っている。
①『地獄でなぜ悪い』の詞は、星野源さんが闘病生活中に感じたことを綴ったものであり、それぞれの孤独と苦境の中で動けないでいる人の肩を優しく抱く連帯の歌である。
②紅白歌合戦は、公共放送を標榜するNHKの、とりわけ注目度の高い看板番組のひとつであり、老若男女に高い知名度を持ち一種の権威であるとされてきた。アーティストのファンが自ら視聴するライブやフェス、民放の音楽番組とは異なる一定の「公共性」を持った場であると多くの人に認知されている。
③『地獄でなぜ悪い』は園子温の映画の主題歌としてオファーを受けて発表されたもので、かつ映画と同名であること。園子温は性加害・ハラスメントの告発を受けており、被害者が自殺しているという経緯があること(さらに言えば同映画には、園の性暴力の共犯とされた俳優も出演している)。
星野源は『ドラえもん』など、主題歌のオファーに対して真摯に対象作品に向き合って楽曲をつくるアーティストのひとりと目されており、同曲にも映画を念頭にした要素(「地獄」という言葉の使い方など)はある。
④タイミングとして、滋賀医大のレイプ事件の逆転無罪判決や、性行為強要があった岸和田市長の不信任決議を受けての議会解散、さらには中居正広とフジテレビのレイプ疑惑など、「男性による性暴力が、市民感覚として正しく罰せられていない」という印象を覚えるニュースが立て続いていた時期だった。
【1】星野源さんの体験をもとにした、切実でかつポジティブなメッセージを含んだ楽曲である『地獄でなぜ悪い』を、ことさらに封印・タブー視する必要はない。ファンが『地獄でなぜ悪い』を愛することに何の問題もない。
【2】ただし、その成立の経緯から「性暴力の加害者を連想させる」という指摘が難癖とは言えないほど隣接しているのは確かだ。
(「星野さんの個人体験をもとにした歌なんだから園子温は関係ないじゃないか!」という反論は無理筋である)
【3】公共放送の権威的な番組で【2】のような要素を含む楽曲を、世論が性加害の報道に敏感になっている時期に放送するのは、「NHKは園子温の性加害を大した問題とは思っていないし、国民の多くもそうだろうと考えている」というメッセージになりかねない。
(「過去に何度もフェスで演奏されてたし、NHKの番組でも流れたのになんで急に怒られなきゃならないの!?」という反論への回答)
この【1】~【3】を、問題視する側もそれに反発する側も取り違えてはいけないと思うし、ほとんどの人はちゃんと腑分けして語れていたと思う。
問題になっているのはあくまで【3】、「今、紅白歌合戦で流すのには、ふさわしくないバックボーンを持つ曲なのではないか」という一点のみだ。
そして、星野さんサイドは昨日、披露する楽曲を『ばらばら』に変更すると発表した。
その数時間前にあまりに醜悪な松本人志の無反省で無神経なインタビュー記事で目を汚してしまっていた私は、あのステートメントの星野さんの(ご本人の、あるいは事務所としての)バランス感覚に心打たれた。
論点になっている各レイヤーに言及し、問題が【3】であることを正しく解説し、「私たちは、あらゆる性加害行為を容認しません。」と結ぶ。そしてもちろん、楽曲を愛するファンへのフォローも忘れない。
変更された楽曲が『ばらばら』なのも良い。
かつて星野さんはこの曲についてインタビューでこう語っていたそうだ。
>みんながばらばらなことを考えながら集団を持続させていくのって、むちゃくちゃめんどくさいんですけど、それが健全なんじゃないかなと思います。ばらばらのままでも「ひとつ」のものを生み出せるだろうっていう、そんな歌だと思います。
今回の件で、撤回しろと怒りの声を上げた人も、それに対して楽曲と星野さんを守ろうと反駁した人も、楽曲変更に安心した人も悲しんだ人も、誰も間違っていたとは言わない。「ばらばらのままで良い」そのままで良いと優しく抱きとめるような選曲だ。
あーあ!直接の加害者でもなんでもない星野さんたちがこんなに「正解」を叩き出して聴く人を安心させてくれたのにさ!松本人志はさ!!!!
……というのはさておくとして。
冒頭に立ち返る。私が憤っているのは、これだけ誠実でバランスの取れた回答を星野さんサイドが出したのに、まだ上記のような論点整理をごちゃごちゃにしたまま、とんだお門違いな文句をぶーこらぶーこら垂れているファンがいることなのだ。
そういう奴は大抵、最近覚えたからよく意味も分からずに「キャンセルカルチャー」という言葉を使う。
「ファンでも被害者当事者でもない第三者のクレームで楽曲が踏みにじられて悔しい」とか「歌いたい曲も歌えない源さん可哀想」とか言うんだ。挙句には、「『ばらばら』の選曲は最高の皮肉だ!『クレーマーとは分かり合えないし分かり合う必要もない』という決別の表明だ!」みたいなこと言ってはしゃいでる奴まで。
害悪だよ。気持ち悪い。こんな奴らが「私たちが源さんを一番心配してるし一番気持ちが分かってる!」と息巻いて、批判者への人格攻撃を繰り返す。
お願いだ。もう喋らないでくれ。SNSアプリをぜんぶ削除しろ。
楽曲変更の前に「星野さんはNHKから頼まれたから歌うだけなのに叩かれて可哀想!」みたいなことを言ってる奴もいたな?お前らもだよ。
何か?星野源はNHKから「あの歌うたってくださいよ~」とオファーされたら、自分の頭で何か考えることもなく「は~いうたいま~す」と脊髄反射で答え、歌うなと言われたら「は~いうたいませ~ん」とこれまた脳みそを経由せずに答えるような、思考能力も責任能力もない無自我のデクの坊の昆虫だとでも思ってるのか?
星野源は「こういう経緯でつくられた曲だから、性被害者への二次加害になりかねないよ」と言われて、「うるせえな!俺の芸術に文句をつける愚民どもがよ!」と開き直って批判者たちに背を向けて嘲笑するために紅白で歌うような傲慢で性格の悪いカスだと思ってるのか?
いくら自分が傲慢で性格が悪くて無能のデクの坊だからって、それを星野さんに投影するのは失礼だよ。
あの選曲に悪意や皮肉が込められてるって言う奴は、「飯を食い糞をしてきれいごとも言うよ」「嘘で何が悪いか ただ地獄を進む者が悲しい記憶に勝つ」という星野さんの歌を聴いたことがあるのか???
マジでいい加減にしてくれ。せめて星野さんが可哀想なんて言わずに「俺は心が狭くて想像力がないから『地獄でなぜ悪い』を紅白で歌われて傷ついたり不快に思う奴の気持ちなんて分からん!そんな奴は俺の敵だから死ね!」と正直に言ってくれ。正義ヅラすんな善人ヅラすんな。私は星野源じゃないからお前らと共存なんかしたくない。
プライベートな事項が例えば、いついつ痔の手術をしたとか、SMサロンに通ったとかならわかるんだよ。
でも、そうじゃなくて、智子写真館だし、職場の女性に手当たり次第、お手つきしていたなら、
むしろコイツがパワハラ・セクハラの真犯人だと思えてくるわけよ。
それを白々しく、、「メディアが真実を隠蔽している」からではない。「私的な醜聞情報」は公共性と公益性と独断で切り捨てたからこそ、
元県民局長のプライベートな事柄については、取材している記者の大半が知っていたが、テレビや新聞、主要な雑誌が報じることはまずない。しかし、それは斎藤支持者が主張するように、「メディアが真実を隠蔽している」からではない。
現時点で、元県民局長のプライベートな問題と自殺には直接的な因果関係は認められない。私的な醜聞情報には、報道が満たすべき公共性と公益性、真実性が欠如している。だから、主要メディアは報じないのだ。
「立花さんのYouTubeでテレビのウソがわかった」「メディアは一切信用しない」兵庫県知事選、斎藤元彦氏の応援団に“1か月密着取材” 見えてきた勝利の背景
https://www.news-postseven.com/archives/20241125_2007032.html
https://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__130408.html
経済学的に言えば、原発の問題は、外部不経済の問題としてとらえられます。しかも原発の外部不経済というのは、とりわけて特徴的なのは、「現代の世代成員間の外部不経済でもあるが、それ以上に、環境問題一般と同じく、世代間にわたる外部不経済の問題である」とされます。つまり、非常に超長期の不確実性なので、価格=市場機構では調整しきれないという意味での外部不経済になっているとされるのです。そして次のように述べられます。
現在の世代のうち原発から得られるエネルギーを消費し、快適な生活をおくる人々は、将来の世代に放射性廃棄物という負担を課す。この意思決定には、重大な利害関係者である将来世代は参加していない。そこで、現在の世代は、もし将来世代が現在の意思決定に加わるとしたならば、将来世代はどのように主張するか、という点を考慮しなければならない。この考慮のしかたが、現在世代と将来世代との間の公正の状態を決定する。…(中略)…自動車や飛行機の事故の場合には、もし将来世代がそれらの事故を皆無にしたいと望むならば、それらの利用をやめれば、それで解決する。しかし、現在の世代が残した放射性廃棄物の場合には、これを拒否する選択肢は将来の世代に残されてはいないのである。ここでは、将来世代は現在世代の放蕩三昧を恨むしかない。
将来世代のことはどうでもよい、というのは将来世代の人権を無視することである。そして、将来世代の人権を無視する人が、現在世代の他人の人権を尊重する、などということは、あり得ない。なぜならば、人権とは普遍的な人間の権利だからである。
経済学的にいえば、現在と将来世代の人権をどのように考えるかによって、原発エネルギー利用に対して、現在の利用者が負担すべき費用は大きく異なってくる。現在と将来世代が蒙るであろう被害を値切れば値切るほど、したがって被害者の人権を無視すればするほど原発エネルギー利用者が負担する費用は安くなる。費用が安くなればなるほど、都市の原発エネルギー需要は増加する。原発推進関係者は、不特定多数者の需要が大きいことをもって、「公共性」があると「公共性」を定義するから、現在と将来世代が蒙るであろう被害を値切れば値切るほど、原発の「公共性」は増すという関係にある。この原発推進側にとってまことに都合のよい「公共性」という概念は、「公共性」が問題になるところでは──新幹線騒音・振動公害・空港騒音公害・道路公害等々──かならず利用されている。
いま述べたことからも明らかなように、原子力発電の経済分析といえども、公正とか人権といった道徳的価値の問題を視野におさめないかぎり、不可能である。そして、実は、こうした道徳的価値の問題をできるだけ排除する──分析することを断念する──ことによって、経済学を科学たらしめようと努力してきたのが、限界革命以後の近代経済学の歴史なのである。
…(中略)…
近代経済学者は、問を発すること自体を断念した、道徳的価値──自由とか人権とか公正といった価値──の問題を、もう一度視野におさめる方向を、今、模索してゆくべきである、と私は考える。…
そして結びは、原発問題を分析することが少ない近代経済学者の現状に対して、「禁欲に名を借りた怠惰のあらわれである、といえよう」という文で終わっています。
++財政について
日本は円建て国債しか発行しておらず日銀が日本円をいくらでも発行可能であるため財政問題など存在しない。
国債も日銀が発行した通貨を政府の当座預金に移すための利子付き引換券でしかなく国債発行額を気にする必要はない。
60年償還ルールとかいう日本しかやってない奇習はすぐにでも廃止するべき。
基本的に政府は投資の失敗の責任を取る必要がないために利権や雑な判断で金を出すインセンティブが強い、ゆえに政府は不確実性の高いものに集中的に投資するべきではない。
また利益が出るような経済性の高いものなら基本的に民間が勝手に投資するので政府のやるべきことは経済成長と民間需要を維持して民間投資が活発になるようにすることである。民間投資を重視するのは民間はリスクを負っているため的確な投資判断をするインセンティブが高く、またその分野の当事者でもあるため最も情報を持っているからである。
政府が投資するとすれば公共性が著しく高いが利益が出にくいもの、もしくは将来何が必要になるか分からないのだから幅広く理系分野に投資すべきである。
【論点1.女性を性的に客体化した表現により、女性の性的な部分ばかり評価される風潮を拡大再生産したこと】
今でもジェンダーギャップ120位前後をうろうろしている日本では、女性の性的な部分ばかり評価されるようになっている。街には美女や美少女(2次元と3次元を問わない)を起用した広告が溢れ、スポーツ選手や会社経営者などでもすぐに『美人選手・社長』のような枕詞がつけられる。結局、女性のすることは業績ではなく『やっている女性に性的魅力があるか、無いか』ばかり評価されているのは明らかだ。そのような社会において巨乳美少女を描いた宇崎ちゃんやたわわのようなマンガはそのような『女性に性的魅力があるか無いかばかりが問われる』社会の風潮を拡大再生産しているから良くないのである。
【論点2.公共機関とのコラボや、公共性の高い一般紙への広告により、性的なコンテンツを見たくない人の権利を侵害したこと】
そのような『女性に性的魅力があるか無いかばかりが問われる』社会を拡大再生産しないようなコンテンツならばエロであっても流通すること自体は問題ない。だが、世の中には性的な物を嫌がる人がいて、そのような人にも配慮しなければならない。だから、『書店で専用エリアで見た人が不快になる』のは書店のそのようなエリアに来た人の問題だ。だが、赤十字のような公共機関とコラボしたり、日経のような一般紙に広告を出すのは良くない。それをすると、性的な物を嫌がる人の目にも届いてしまい、相手を不必要に不快にするからだ。
【論点1について】
田中東子先生はBL本を書いて販売した。だが、そのことに何の問題があるというのか。現在の日本には『男性の性的魅力ばかりが評価される』ような社会の誤った風潮は無い。だから田中先生のBL本がそのような風潮を拡大再生産することも無いから何の問題もない。
【論点2について】
私は『BLは愛であって性欲目的ではない』のように主張するつもりはない。BL本も普通に性的コンテンツである。だが、田中東子先生のBL本は公共機関とコラボしたり一般紙に広告を出したりはしていない。だから性的コンテンツを見たくない人の権利を侵害していない。
名誉毀損の裁判において、「公益性」が認められるかどうかに本人尋問がどうとかは全く関係ないが。
タコ部屋裁判の判決においても、暇空の主張に真実相当性があるかどうかの判断はされたが、公益性については一言も触れられていない。
というより公益性が認められるかどうかのハードルは非常に低いので、大体の裁判ではまず真実相当性が争点になり、
そこで真実相当性がないという判断ができれば公益性について判断するまでもなくなるので判断されない。
また暇空の動機に嫌がらせというものがあったとしても、それを以って「公益性」が否定されるわけではない。
公益性については刑法第230条2項に「その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合」とあり、上の最高裁判所判例でも「専ら公益を図る」とされていますが、ほんの少しでも公益以外の目的があったら公益性が否定されるというわけではありません。
公共性とは「公共の利害に関する事実」なので、これが認められれば、公益性があると認められる場合が多いことになります。現実に裁判では、公共性があれば、そのような内容の投稿をすることは「公益を図る目的」に出ている、つまり公益性があると推認されることが多く、その判断を覆すに足りる証拠がなければ、公益性が肯定されています。
民事裁判って双方が証拠を出し合って、それを裁判所が検討する(裁判所が捜査したりはしない)っていう形式なんだよね。
だから、暇空くんを訴えたり、訴えられたりした人がこの判決を「暇空くんがやってるのは単なる嫌がらせである」という証拠として提出できる。
さて、名誉毀損裁判で「暇空くんがやってるのは単なる嫌がらせである」って証拠を提出すると何が起こるかというと、名誉毀損ならこの証拠をきちんと否定しない限り勝てない。
名誉毀損ってのはつまり、公に事実を摘示することでその人の社会的評価を下げることなんだけど、元記事で書いた通り、名誉毀損だけど違法じゃない、罪に問えない状態ってのがある。
まあ素人の解説読むよりは「名誉毀損 違法性阻却事由」でググった方が早いけど、これには「事実の公共性」、「目的の公益性」、「真実性の証明」全部を満たす必要がある。
「暇空くんがやってるのは単なる嫌がらせである」とするなら「目的の公益性」ってのが否定されちゃって、違法になっちゃう。
つまり、戦略と戦術の天才にしてリーガル強者の暇空くんに突如反撃のアイディアが思い浮かんで、WBPC全部でバッチリ証拠を揃えて公金チューチューを証明できたとしても、「目的の公益性」が認められない限りそれを発表すると名誉毀損になって罪に問われる。
まあ、暇空くんが裁判に出て、「いいえ裁判長、ぼくの目的は公金不正を暴くことです」って言えればそれでまあ普通に「目的の公益性」は認められちゃうらしいけどね。
人の頭の中を覗けない以上、よっぽどのことがない限りここを否定するのは難しいとかなんとか。
あとはまあ単純に「暇空くんは、公益目的ではなく嫌がらせのためにデマをばらまいている。それは彼が女性に対する差別意識や嫌悪感を持っているからである。開示請求も監査請求も、不正の追求目的ではなく、単なる嫌がらせである」って裁判所に認められたよ?ってのは単純に超強いだろ。
暇アノンかアンチでない限り、具体的な事実に興味なんか無いし検討する暇もないわけで、言ってるやつの信頼性を攻撃する人身攻撃の手法が一番強い。