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2025-02-19

anond:20250219063622

明治時代仮想マイクロブログ社会がもたらした近代化の加速と文化的変容

概要

明治維新期に突如として出現した「瞬時伝達器」と呼ばれるマイクロブログ端末は、

出生時に人体に埋め込まれる生体統合デバイスとして全国民に普及した。

この技術革新明治5年1872年)の学制発布以前に実現したことにより、

日本史上空前の情報革命が発生。

福澤諭吉が『西洋事情』で予言した「言論電気的伝播」が現実化し、

明治政府中央集権政策民間自由民権運動が複雑に絡み合いながら、

従来の歴史認識根本から変革する社会構造形成された。

森鴎外の『舞姫』(1890年)に描かれたベルリン留学中の懊悩リアルタイムで共有され、

夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905年)の連載が「写生運動」として全国規模の文学革命を引き起こすなど、

文学表現のもの双方向メディアへと変質した。

政治体制情報統制の変容

大政奉還前夜の情報戦

慶応3年1867年)の王政復古クーデターにおいて、

薩長同盟が瞬時伝達器を活用した情報操作が決定的役割を果たした。

西郷隆盛の「錦旗偽造疑惑」が全国民タイムライン炎上する中、

岩倉具視側近の情報工作班が作成した「討幕の大義映像コンテンツが300万回再生され、

徳川慶喜の恭順姿勢を決定づけた。

戊辰戦争では会津藩白虎隊が自陣の不利をリアルタイムで発信、

これが国際世論形成に影響を与え、

パリ同時通訳機能を備えた端末を通じて英仏の介入を阻止した。

明治政府検閲システム進化

明治6年1873年)の徴兵反対運動では、

全国の農民が瞬時伝達器で組織的抵抗を展開。

これに対し内務省は「治安維持電脳局」を設置、

自然言語処理AIによるプロファイリング技術を駆使し、

危険思想予測検閲実施した。

森有礼文相が推進した「教育勅語デジタル配信計画」(1890年)では、

国民の端末に強制配信機能実装され、

山県有朋の「国民道徳統合プログラム」として機能した。

文学芸術分野の変革

文豪たちの双方向創作

森鴎外陸軍軍医時代投稿した「戦場医学実況」(日清戦争)は、

従軍記者の報告を凌ぐ臨場感国民的人気を獲得。

鴎外は後に『ヰタ・セクスアリス』(1909年)の連載中、

読者からの「官能描写情報告」機能逆用し、

中人物の心理描写リアルタイム修正する実験創作を試みた。

夏目漱石は『こゝろ』(1914年)の連載時に「先生遺書」展開を読者投票で決定、

従来の作家観を超えた「集合知創作」の先駆となった。

若手作家の台頭とメディアミックス

芥川龍之介東京帝国大学在学中に投稿した掌編小説が瞬時伝達器経由で漱石の目に留まり

史上初の「バーチャル文芸サロン」が形成された。

谷崎潤一郎は『刺青』(1910年)の挿絵を読者から画像投稿構成する「コラボレーティブ・アート」を実践

永井荷風の『腕くらべ』(1916年)では吉原遊女たちが匿名アカウントで作中の描写反論するメタフィクション的試みがなされた。

社会運動大衆文化の進展

自由民権運動の加速化

明治10年1877年)の西南戦争では、西郷隆軍が瞬時伝達器を活用したゲリラ情報戦を展開。

政府側はAI分析による「感情予測アルゴリズム」で反乱軍士気低下を計画的に誘導

戦争期間を史実より3ヶ月短縮させた。

明治23年1890年)の第一帝国議会選挙では、

立憲自由党政策動画配信仮想演説会を組み合わせた「デジタル遊説」を実施

投票率が史実の91%から98%に上昇した。

大衆娯楽の変容

明治30年代に隆盛を極めた「活動写真」は、瞬時伝達器との連動でインタラクティブ映画として進化

日露戦争記録映像旅順要塞攻撃』(1904年)では視聴者攻撃ルート投票決定できる「参加型戦争体験」が提供された。

落語家三遊亭円朝は端末向け音声コンテンツ怪談電送話」を配信

バーチャル花火大会との連動企画で新たな大衆芸能を創出した。

国際関係技術革新

列強とのサイバー外交

明治32年1899年)の条約改正交渉において、

陸奥宗光外相が瞬時伝達器の暗号化機能を駆使した「デジタル砲艦外交」を展開。

治外法権撤廃交渉過程部分的公開し、

英国世論誘導成功した。

明治37年1904年)の日露戦争では、

明石元二郎大佐ロシア革命勢力と端末経由で連絡、

諜報活動効率化で史実より早期の講和を実現した。

技術限界社会適応

大正3年1914年)のシーメンス事件では、

海軍将校贈収賄記録が匿名アカウントを通じて暴露され、

従来の新聞スクープを凌ぐスピード政界震撼させた。

一方で、端末の生体統合特性逆用した「思考盗聴」の危険性が問題化

森鴎外が『沈黙の塔』(1910年)で警鐘を鳴らすなど、

プライバシー公共性ジレンマが早くも表面化した。

結論

仮想マイクロブログ技術明治期に存在した場合

その社会的影響は単なる情報伝達の高速化を超え、

国家形成プロセス自体根本から変質させる触媒作用を発揮したと考えられる。

文学における双方向性の獲得、

政治運動の即時組織化

国際交渉の多次元化など、

従来の歴史区分を超越した「加速された近代化」の様相を呈していただろう。

ただし、この技術がもたらす集合的無意識可視化は、

大正期のメディアアート運動昭和初期の全体主義的傾向に新たな様相付与し、

現代SNS社会が抱える課題を半世紀早く先取りするパラドックスを生み出していた可能性が高い。

今後の研究課題として、

端末の技術起源に関する考察海外技術流出説VS超自然的出現説)と、

大正デモクラシー期におけるメディアリテラシー教育実態解明が急務である

2025-02-14

今日の朝 寝起きでパッと閃いたのよ

それがこち

 

文芸サークル上海ハニー』

いーね 内省じゃん

 

どう

どうかな

どうだろう

自信作かな フフ

いいねと思った人はブクマください

2025-02-06

anond:20250205144846

pixiv百合文芸が1100作品とか言ってるけど分割投稿を重複して数えてるから実際は約380作品

零合の百合文芸は現時点で約360作品

カクヨムはどうなるか

2025-02-05

カクヨム百合小説コンテスト等について雑感

 今日からカクヨム百合小説コンテストが始まっている。

 カクヨムでは以前から公式百合コン企画が開かれていたが、賞金アリで書籍化を目指す公募は今回が初となる。

 これまで百合小説百合小説として評価してくれる賞といえば基本的pixiv百合文芸コンテストしかなかったので、今年度はこれに加えて零合の百合文芸コンテスト、そしてカクヨム百合小説コンテストが追加されて、百合小説投稿先の間口は大幅に広がったと言えよう。

 また、ここ数年、芥川賞候補にもなった坂崎かおる氏をはじめとして、南木義隆氏、カスガ氏などpixiv百合文芸存在感を示していた作家が各所で活躍しており、文壇に認められつつある。さらライトノベルの分野でも百合作品は増え、もはや百合ラノベ大家と化した入間人間氏の作品がまたヒットするなど百合界隈の明るい話題は多い。

 しかし、百合小説市場がイケイドンドンかと言うとそうでもない。

 先述したpixiv百合文芸は以前は複数出版社などが参画して開催されていたが、今年度は百合編集部pixiv編集部だけの体制となり、百合文芸マンガ原作コンテストへとリニューアルした。もともと回を重ねるごとに参画する出版社が変わっていったことも鑑みると、残念ながら百合小説出版のものは目覚ましい成功というレベルに届かなかったと考えられる。

 そして今回の本題のカクヨム百合小説コンテストだが、こちらも百合小説が置かれている微妙立ち位置垣間見える。

 カクヨム百合コンの応募要項が発表されたとき、度肝を抜かれたのは各賞の渋さである。なんと受賞枠は大賞が1作品、3つの部門賞も各1作品。これだけである。該当作なしの可能性も注記されているので、受賞する可能性があるのは0〜4作品。これ、「複数作品」としておいて結局1作品や該当なしでも怒る人はいないのだから、とりあえず余裕を持って複数作品としておいても損はないのでは……? と思うのは素人考えか。

 さらに、大賞は「出版検討」。部門賞は出版の「し」の字もない。つまり1作品出版されない可能性もある。また、1次審査通過作品とかも公表されず、受賞作だけドンという発表体制であることもわかっている。百合という比較ニッチジャンルの賞とはいえ、なかなかの渋さというか、景気の悪さだ。

 賞金額も景気が悪い。大賞が賞金5万円、各部門賞はアマギフ1万円。これはpixiv百合文芸の大賞が10万円、零合百合文芸の大賞も10万円であることを考えると、まあ、単純比較で少ない。それに、商業化のスキームが盤石とはいえないpixivやほぼ同人誌のようなところからスタートしている零合に対して、天下のKADOKAWAが賞金額で後塵を拝するというのはメンツ的にどうなのか。

 いや、別にKADOKAWA面子老婆心で気にしてあげているわけではなくて、メンツを保てる程度の予算すら回せてもらえていない様子の(カクヨム百合コンを企画する)ファンタジア文庫『GirlsLine』の体制心配になってしまうのだ。まあ、GirlsLineは若手の百合好き編集者運営しているようなので、もしかするとまだまだ熱意先行のベンチャー企画という不安定位置付けなのかもしれない。

 こういう風にいちいち悲観的な見方をしてしまうのにはもう一つ原因があって、GirlsLineの立ち上げ時から宣伝されていた『放課後教室に、恋はつもる。』が「売上が2巻発売の基準に至らず、一旦ここで打ち切り」(https://kakuyomu.jp/users/hibi_tsuzuro/news/16818093090391672268)ということで、紙の書籍としては1巻打ち切りとなってしまたことがある。

 このことが百合コンの渋さに影響したかどうかは当然わからないが、やはり百合というだけで一定の売り上げが見込めるほどの市場にはなっていないことが可視化された感がある。もちろん、この出版不況百合に限らずどんな作品でも打ち切りの憂き目に遭うのは珍しいことでも何でもないが。

 色々と前途多難が透けて見えるものの、とにかくこのコンテスト成功して、百合小説市場としての確立が進むことを願ってやまない。

2025-01-18

anond:20250118102239

ふた昔前だと腐女子っぽいと言われてた顔だなあ

腐の中でも文芸寄りの層っていうか

まあかぶってもいそうだが

2024-12-29

anond:20241229004208

夏目漱石の「月が綺麗ですね」論は漱石結婚生活垣間見ることができます

当時 Love という単語坪内逍遥が既に翻訳していました

坪内逍遥シェイクスピアイプセンなど戯曲研究家であり、弟子二葉亭四迷、妻は宝塚女優新劇の普及に努めました

ロミオとヂュリエットの「愛されないならいっそ死にたい」となど登場人物の激しいセリフも訳しています

一方、夏目漱石英語教師でしたが妻の父はドイツ語翻訳家の官僚中根重一で、獨逸学協会幹部です

当時ドイツ語と言えば医学薬学書など質実剛な実用書か法学哲学書の類で、文芸派とは真逆世界です

そのような義父がいればI love youなど女子供が見る芝居のセリフがサラっと言えるとは思えません

しろ気取った華族歌人的な表現と言えるでしょう

ドイツ語派には軍事的勢力もいましたので漱石が彼らに擁護されていたことも想像がつきます

2024-12-22

anond:20241222142408

小説などの文芸はお好き?

俳句和歌もいいですよ。作るほうに回るのも楽しいものです。

美しいもの自分や誰かの幸せに通じるもの、断絶や絶望を感じさせるもの。そうしたもの日常の至る所にあります。日々の些細な物事を短く記していくだけでも楽しめると思いますお薦めします。

あと、見ず知らずのひとが多数いる場所否定から会話を始めるような振る舞いは、どのコミュニティにいっても嫌われるのでおやめになる努力をしなさいな。大人になると誰も注意してくれないでしょう?

2024-12-18

anond:20241217190555

何をエロいとするかによるのでは

2024年に読んで良かった6冊の本

anond:20241217085132

読書メモの整理のために便乗。今年の読書文芸短歌仕事の専門書(ソフトウェア開発)が中心だった。

6冊を良かった順で挙げる。

大江健三郎大江健三郎自選短篇』(2014年

本書の長所最初短編から晩年短編までを収録しており年代による作風の変遷をたどれること。

ダントツに良いのは「雨の木」の連作ストーリーは「雨の木」というシンボル高安カッチャンという重要人物の周縁をぐるぐるし続け、いつまでも核心に踏み込まないため、最初は要旨をつかめない。しかし読み進めるにつれその構成多角的な視座を提供するための仕掛けだとわかる。短編であるにもかかわらず印象が何度も覆され、様々な味わいがある。

小説物語意図最初は分からいくらいが丁度いい、というようなことを三島由紀夫が何かに書いていたが、全くその通りである構成や内容が三島由紀夫豊饒の海」と少し似ている。豊饒の海は松枝清顕(早逝した親友)の生まれ変わり(と推測される人物たち)を数十年追い続ける物語で、ラストシーンでは清顕の存在自体が薄らぎ核心にぽっかり穴があく構成なのだが、大江健三郎「雨の木」もシンボルの雨の木の周縁をさんざんなぞった結末として木自体がほぼ焼失してしまう。「豊饒の海」は仏教死生観や死者に対する忘却根底に据えられているのと同じく、「雨の木」も死生観忘却(作中ではoblivion表現される)が重要テーマであるテーマに対するアンサーは正反対だが。なお先に書かれたのは「豊饒の海」。

物語の道具立てとして海外大学におけるシンポジウム海外作家引用原爆問題があり、衒学的な雰囲気を作っている点もわたしの好み。

「奇妙な仕事」などの最初短編はさすがに時代を感じる。「セヴンティーン」は発表当時右翼団体から脅迫を受けるなどかなり真剣に世の中に受け止められたようだが、令和の目線ではカリカチュアライズが激しく、大江健三郎絶対ゲラゲラ笑いながら描いただろうというノリの良さが全編にみなぎっている。また当時は右翼に対する攻撃という見方大勢だったようだが、左翼側の非論理性も指摘する内容のため、私の感覚では左翼小説と思わない。

最後の「火をめぐらす鳥」は大江健三郎流の引用の繰り返しや観念世界に入り込む構成といったスタイルを貫きつつも、おそらく意図的に情報量を落としており、ゆとりと円熟を感じさせる。

佐々木正美『子どもへのまなざし』(1998年

乳幼児育児の心構えを説く名著。以下は印象に残ったポイント

今年は家事育児ワンオペ + フルタイム勤務に忙殺され、子供への対応が雑になっていることを自覚しつつも改善策を見出せない期間が年末近くまで続き苦しかったが、本書の心構えを持っておくことで自信をもって育児ができるようになった。

夏目漱石私の個人主義」(講演1914年、底本1998年

夏目漱石1914年学習院で行った講演録。青空文庫で読んだ。https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772_33100.html

ごく短く、読むのに30分もかからないが、内容はキャリア論、社会思想フェミニズムにまでわたる。

キャリア論の概略は以下の通り。

どこかに突き抜けたくても突き抜けられず、何かを掴みたくも掴めておらず悩んでいる者は、どこに進めばよいかからない以上、何かにぶつかるまで進む他ない。自らの個性で行けるところまで行ってツルハシで何かを掘り当てれば、自分なりに道を作ってきたことに安心と自信が生まれる。反対に、行けるところまで行かないかぎり、悩みと不愉快が一生ついて回る。

昨今は会社員主体的キャリア開発が求められる一方で、異動を会社の都合で命じられたり、顧客への責任第一に優先すべきという考えもあり、主体性を発揮してばかりいられないという板挟みを感じていた。しかし「私の個人主義」を読みとりあえず行けるところまで行くしかないと開き直ることができた。

社会思想については、自らの個性尊重すると同時に他者尊重しなければならないとか、裕福な人間は相応の責任を負うべきだ、など。

岡野大嗣『うれしい近況』(2023年

岡野大嗣の歌集まり短歌がたくさん載っている本。

いわゆる秀歌、つまり散文と異なる詩的な文体で、細部の描写を通じ、多層的な意味表現する、という歌ではないものが多いが、わたしは好き。岡野大嗣の中ではいまのところこれがベスト歌集

ボーカルの話すうれしい近況のうれしいピークで鳴るハイハット

ライブの楽しさが伝わる。ドラマーボーカルトークに関心を持ってきちんと聞いておりハイハットで反応してあげるという仲の良さがほほえましい。

どの店もゆかいな高低差の街でみるみる減っていく体力だ

高低差、という単語発見したのがこの歌の成果だと思う。坂が多くておしゃれな店ばかりの街で、ついつい歩きすぎて疲れてしまたことの充実感が歌われている。

ぼろ負けのオセロぜんぜん悔しくない広いソファーに変なあぐらで

オセロ相手との関係性を想像させる表現が巧み。"広いソファー"もゆとりある生活を感じさせ心地よい。

冬目景百木田家の古書暮らし』1~5(2022年2024年

漫画

冬目景は遅筆だが近年は順調に出してくれていることに、まず安心する。

冬目景恋愛モノが多く、登場人物たちがうじうじ悩みながら自分意志で一歩を踏み出していく様子を丹念に描いていることが、本作に限らない多くの作品の特徴。本作も登場人物おっかなびっくり、逡巡しながら実に遅々たるペースで接近してゆく。時には後退することもある。しか自分意志で進むからこそ人間味があり、納得感がある。

たこれも冬目景作品共通の特徴だが、登場人物基本的に善人ばかりであるものの皆わりと淡白コミュニケーションが暑苦しくないところに品の良さがある。

そして最大のポイントとして絵がわたしの好み。

劉慈欣『流浪地球』(2024年

中国SF短編集。「中国太陽」が最良。「良いSF未来技術ではなく技術がもたらす新たな社会を描く」ということをアシモフ小松左京高千穂遥あたりの誰かが言っていたが、その好例。SFなのに人生の苦労と発展にフォーカスしておりすごくウェット。

『三体』はまだ読んでいないが読むべきかな。

2024-12-15

2024年読んでよかった5冊の本(便乗)

自分も今年読んで良かった本を5冊書いてみたい。フィクション文芸本縛りで。

ちな今年読んだ本は61冊。

「夜の欠片を集めて」(著:三崎陽一)

夜にしか現れない謎の生物「夜片(やへん)」を、主人公男性と幼馴染である彼女とで追いかける話。

話が進むにつれてその夜片の謎が解けてきて、自分自身の過去人生意味に向き合うことになるのが秀逸。

静かな文章の中にじんわりと心に響く切なさがあって、ラストの衝撃的な結末には胸がギュッとなった。読後感がとにかく余韻たっぷりでよい。

「泡沫の国、光の舟」(著:篠田あゆみ

東京の大半が水没して、人々は「泡舟」と呼ばれる浮かぶさな島に分かれて暮らしてる。

主人公青年はある日、別の泡舟から流れ着いた少女出会うんだけど、彼女秘密きっかけで世界全体の再生計画が動き出すって話。

自然人間共存テーマなんだけど、絵描写みたいに鮮やかな文章がすごいのと、キャラクターの成長がリアル感情移入しまくりだった。

記憶図書館」(著:高城琉那)

この世界では、人が生きている間に経験した記憶が本の形になって図書館に収められる。でもそれを読めるのは本人だけっていう設定。

主人公記憶図書館司書なんだけど、ある日、自分封印したはずの記憶の本を偶然見つけてしまう。そこには彼が「忘れたい」と願った真実が書かれてて……って感じ。

記憶とは何か、過去とどう向き合うべきかを考えさせられる深い物語だった。

「風はまだ、あの丘を越えない」(著:坂木蓮

長い間風が吹かなくなった世界で、主人公たちは「風を起こす装置」を開発するために奮闘する。

風が止まった理由科学的な現象だと言う人もいれば、神々の怒りだって信じる人もいて、村同士の争いが激しくなっていく。

その中で主人公過去の失敗や裏切りと向き合いながら、風の復活を信じて挑む。

科学信仰テーマ重厚で、登場人物たちの葛藤リアルだった。秀作。

「木霊たちの祝祭」(著:小野寺和馬)

都会から田舎大学に進学した主人公が、ゼミフィールドワーク山奥の村を訪れるところから始まる。

村では毎年「木霊祭」という奇妙な儀式が行われていて、木々の間を揺れる光や音が「木霊」として崇められてる。

最初はただのホラーかと思いきや、村の秘密儀式真相が明かされるにつれて、人々の悲しみや希望が浮かび上がる。

ホラー人間ドラマ絶妙に絡み合ってて、ラストちょっと泣いてしまった。

どれも一気読みしてしまって面白かった。来年もたくさん読みたい。

https://anond.hatelabo.jp/20241214160546

2024-12-03

anond:20241201202854

文フリ既存文芸から考えてるみたいだけど、ハッキリ言って、もう既存文芸崩壊してるし、崩壊後は文フリ的な物だけが残ると思うから議論の付置が古いと思ったな

これからはどんどん作者に近づきたいから買うみたいなものしか売れなくなると思う、いったら一般文芸文フリ

anond:20241201202854

事実認識については同意するけど、文フリに揺り戻しが来るみたいな話には同意できない

情報を売る的なもの、モノ消費的なものが売れなくなって(=音楽も本が売れなくなって)、その消費的なものライブととコト消費的なものに移ってきてるっていうのは、誰だって言ってることだと思う

その中で本を売るために、例えば巨大書店に行く体験とか、サイン会とかそういうのがあったわけだけど、文フリはその中の一つ。文芸ライブ化なわけよ。

買われているのは本じゃなくてライブ感、つまりビックサイトの一体感から、本に何が書かれているかは、ぶっちゃけどうでもいい

「Xでみんなが言っていたやつ」ぐらいならまだましで、「知り合いが書いてるから買ったけど、一行も読まない」ってやつも多いと思う

もちろん、こんなんじゃ、小遣い稼ぎ以上にはならないけど、別に商業を目指しているやつなんか一人もいないと思うけどね

そもそも批評的な文章商業的な居場所はないよ、そういうの書きたい人は大学の中に居場所を見つけて、小遣い稼ぎで書くしかない

もしくは、三宅香帆みたいな社会学自己啓発中間みたいなのを書くとかね

とまあ言ったけど、逆に言えば適当でも売れやすいわけで、編集者タイプの人が、売れ線を見つけて、それっぽい書き手作為をもって並べる的な、同人ゴロ的なことをすれば、儲かる可能性もあるかも

そういうこと考えた方が有意義

百合生理的に苦手。

同性愛者の人を個人としてみたとき気持ち悪いとか、同性を愛すること自体はどうとも思わないんだけど、

仮に女性から告白されたとき自分が受け入れられるかどうかとか、

女性から性的な目で見られているかもしれないこととか、

女性性的行為可能かどうかとかを想像してみたとき

気持ち悪いな……と思ってしまう。

まあ、縁もゆかりもなかったり、好意のない男性相手だったとしても同じ感想だけども……。

要するに「自分が求めていない相手から性愛対象にされる」ことへの嫌悪みたいなものは男女双方あると思うんだけど、

男性が同性に性愛対象にされることへの生理的嫌悪に比べると、

女性が同性に性愛対象にされることへの生理的嫌悪、みたいなものって世に知られていないだけなのか、

それともそういう嫌悪を抱く女はそれほど多くないのか、どっちなんだろう?

自分勝手想像して無駄気持ち悪がっているだけなのか?

小説マンガドラマなども、

ある程度のシスターフッド的な関係性や執着、独占欲(いわゆる激重感情、というやつ)なら全然問題ないけれど、

キスシーンなどが明確にあったりすると、見れないことはないがうっすら気持ち悪いなあ、という感覚はある。

最近百合一般文芸などに出てきていて、

知人からも「裏世界ピクニック」などをオススメされることもあるんだが、どうやら百合作品らしいことはかすかに聞き及んでいて、

生理的嫌悪感が出る可能性があって読めない……。読めない理由もどうにも言いにくい……。

BL生理的に受け付けない男がいるということは知られていて、BL描写がある作品男性にすすめるのはそれなりに配慮されると思うんだが、

百合生理的に受け付けない女がいる、というのはなんかあんまり知られていないというか……。

やっぱり少ないのか?みんな平気なんだろうか?

こんなこと、周りに聞けないしなあ……。

2024-12-02

anond:20241201202854

本当にマス向けの娯楽が優れてると思うならそもそも文芸なんてやる価値無いのでは

メディアとして活字、とくに文芸を選ぶ時点で間違いだ

映像なり漫画なりもっとひろく訴求できるものいくらでもあるし

それどころかSNS煽り短文のほうがまだ稼げるし人も集まるんじゃねえの

文芸なんてそれくらい商業価値が低い領域

そこでさら同人サークルやってるのを捕まえて内輪だのなんだの言ってもそんなの初めから自明の前提

単にお前がサークル活動を楽しめなかった鬱憤を晴らすために個人文芸を叩きたいとしか思えないな

そもそも別に友人づきあいサークル活動だろうが何だろうが

まらものにはつまらんといい、やりたいことやればいいだけだろう

その程度できない奴が商業作品やったほうが楽しい云々とかアホかね

本気でそう思ってるなら初めから商業に行けばいいし木っ端のサークル活動なんて気にならんよ

それなのにいちいちアマチュアサークル連中に対して「何が楽しいの?」とか言いたくなっちゃうのは

結局お前の行動基準が内輪サイクルの中から出ていないということである

2024-12-01

文学フリマ出展してみんな本当に楽しいですか?

すっかり行かなくなってしまったが文学フリマ東京が年々、盛り上がりを増して規模を拡大させていると聞く。評論系の島は特に人口を増やしているらしい。

XのTLで、「文学フリマは盛り上がってるのに出版不況は終わらない」みたいな対比で語っている人のツイートが流れてきたのを見た。

そこって対置されるもんなんかな、と疑問に思った。文学フリマで金を使うのと、商業書籍消費者として金を落とすのはぜんぜん違う事だ。

あそこに集ってるのはみんな「書きたい人」であって「読みたい人」ではない。そこを兼ねている人、ですらないと私は思っていた。

私が文フリに行かなくなったのはそのしょうもなさを感じていたからだ。

商業じゃねえんだからみんな好きなように書きゃいいさ、というのは当たり前なのだが、しかし「俺の話を聞いてくれ!同調してくれ!褒めてくれ!」という承認欲求と、「読む人が楽しんでくれたらいいなぁ」というサービス精神バランスが著しく前者に寄っているテキスト、端的に言えば「お客さんを想定してそこに媚びる」という作業があまりにもない作品は読んでて疲れるし恥ずかしくなってしまう。

とくに評論系、たとえば素人映画などのエンタメ文芸のたぐいを批評してる人の文章。「ああー、この人は物知りで鋭い視点を持った賢い人だと思われたくてしょうがないんだろうなぁ……」という剥き出しの、内容に釣り合ってない自己愛で見てられないことが多い。

私が哀しいのは、みんな自分を褒めてほしくて何か書いて文学フリマに持っていくが、誰かを褒めたくて文学フリマに行く人はそうそういないということだ。あそこは店しかない商店街だ。

一見、活発に紙幣が飛び交って何冊も同人誌が売れて「完売しました!」のポストSNSで踊っても、しかしそのほとんどは(横のブースで本を出したりしてる)同じコミュニティの友人・知り合い同士で挨拶がてらにお義理に買ったり互いに購入し合ってるだけなんじゃないか自分相手に買ってもらいたいから、褒めてもらいたいからしゃあなしに相手のものを買ってやってる、何の広がりもない循環。

少なくとも私は、友達同人誌に誘われたりして文フリに出てた時分には、そうやってネット上の知り合いや大学の後輩が出してる興味のない本を5、6000円ぶんも買って鞄を重くしてげんなりしながら帰っていた。一冊も読んでない。

そんな循環の中で買われた本だから、もちろんSNSでは褒めてもらえる。知ってる人からおざなり言葉で。「俺はちゃんと褒めたんだからお前も俺のことをちゃんと褒めろよ」あるいは「この人は買ってくれたしポジティブ言及してくれたから私も褒めとかないとな」という強制コミュニケーションとして。

そんなポトラッチみたいに金と賞賛をぐるぐる回し合う、何もかもが社交辞令の薄笑いで回ってる場所でその社交辞令に気づかず「褒められた~嬉しい~」とヘラヘラできる人は良いのだろうがしかし、そんな馬鹿が何百人もいるとも思えない。

だんだん、みんなにとっても「自分の居場所になっているコミュニティからつまはじきにされないように、内心イヤになってても行っとく買っとく」場みたいになってく(あるいはもうなってる)んじゃないか。そうなるとどっかで一気に、今の膨張の揺り戻しが来るよ。

まぁ別に、「インディーズでやってる界隈」ってぜんぶ多かれ少なかれそういう部分があると思うから、ことさら文フリを悪く言う必要もないんだけどね。小さいライブハウス借りて音楽やってる人とか、地下芸人なんて言われるお笑いの人とか。客席にプレイヤーしかいない趣味お稽古事発表会みたいな現場はどんな界隈にもある。

そこで、プレイヤー同士で品評し合って褒め合って気を遣い合って、どんどん「そのコミュニティしか通用しない価値観」みたいなもんだけ先鋭化して、商業とかトレンドみたいなものから離れていくのに快感を覚えたりしてね。

無駄だよ金と時間の。

いくらでも身内のエコーチェンバーコミュニティに閉じこもってられる時代からこそ、本当に義理じゃない、虚しくない言葉とかお金を使ってもらえる方向で作品を発表してった方が絶対いいよ。自分に気を遣う必要がない人がわざわざくれた誉め言葉って、すげえ嬉しいよ。マスに向こうよ。商業を目指そうよ。

そんなことを思う今日この頃です。ま、商業出版特に活字文芸批評かいオワコン産業(どころか別に始まってた時期もないキッズリターン産業)を目指せってのも無責任ポジショントークなんだけどね。

ろくでなしメンヘラの間

君は、いつから病んでいた?

思い起こす限り死にたいと思ったのは、明確には小学四年生だった。でもそれは、ほんのちょっとした好奇心だったような気がする。

高校で、環境が変化すると今、どのような立ち位置にいて、どんな人間なのかが分かってくる。そうして文学作品に触れるようになった。暗い人間ではなかったものの、物語ではやたらと人が自殺する。まさか、そんな幼稚で一種悪趣味のような理由で死にたがってるとは思えん。

君は、このさき何回も自殺企図して失敗する。

高校から少しは知っていたが、キモチヨクなれる薬がドラッグストアに売っているらしい。メンヘラというのがいるらしい。

セックスに明け暮れながら、大学生活の片手間に薬をバカ飲み。皮膚もキモチヨク擦れて、内側からも「泉が溢れるように」キモチイイ。

そうしてあんたは、キモチヨクなった。キモチヨクなりたいだけ一心

いろいろ気にしなきゃいけないセックスと、待つだけの快楽なら、あんたはより楽なものを選ぶ。

「薬目的かと思った」

精神科に通い出したころ、当時の彼女に言われた。「眠れないんだよ」と言った。嘘だった。

ドラッグストアで買える系はあらかた試して、個人輸入もあらかた試したから、いざケミカルの海へと向かった。

違法はさ、捕まっちゃうから

おまえは、いつから病んだ? 分からない、分からないが、このときは病んでいなかった。キモチヨクなりたいだけだった、のかもしれない。

おまえは、詩や小説を書くのに力をいれるようになった。誰かに読んでほしいとか、応募するつもりもなく、この内側から「泉が溢れるように」来る、なにかについて記したかった。

一瞬、これがいわば真理てきなモノかと、思ったはいいけど、しかし腹がへる。一日一食。体重がへる、へる。

書く。とりあえずネットに上げる。書く。

私は、それを読むのが、大好きだった。まるで「自分のものとは思えない」が「自分のものしか思えない」ものが出来ていることについて、興奮していた。

死とか、自殺とか、そういうものがよく書かれていたが、そこに絶望はなかった。

微塵も

幸福な「ここではないどこか」について書いているわけでもないのに。SFでも、シュールレアリスムでもないのに。

内側から溢れる、生ぬるい懐かしさ。

あんたはそれから五年間、前進せずにひたすら、懐かしさと死に惹かれる生活を送る。

うーん、すこしは前進はしたかも?

投稿するようにも、なっていた。

あらいつの間にか大学やめちゃった。

あら、あんたはニートか?

毎日が懐かしかった。みんなのことが大好きになった。

眠れない自分を除いて。

ほとんど惰性で通っていた精神科。薬について「飽き」ても、チョコボールのくちばしにエンゼルいるかもしれない、軽い感覚で成分や効果を調べる。

いろんな薬を飲んだ。じつに、いろんな薬を。

バカ、なのか正直者、なのか、症状が出るにつれ治療には熱心になっていった。ADHDではないし、双極っぽいと。

さっきの彼女あんたには黙ってたけど精神科ハシゴして薬もらってたみたいね

腕、イカ焼きだったな。

炭酸リチウムフルニトラゼパム。これで死ぬ

死ねないんですがね。

トー横界隈、というのが騒がれるようになった。それより前にはストゼロ地雷系とかあったけど、薬と密接な象徴ではなかった。それは意外なことにDXM。へえ〜、コンタックかブロン液Lかな〜。

いやいや、メジコン

え? メジコン

メジコン

みんな個人輸入してるの?

いや、ドラッグストアで売ってる。

え?

発売した。

絶句

おまえはメジコンが合わなかった。いや、個人輸入の品がハズレだったのかもしれない。と、いうかDXMなんて何がキモチイイの……

あっ。

みんなで盛り上がれるからか。

酒、セックスドラッグ

おまえは、ずっと独りで薬のんでるもんな。わからんわな。

メジコントリップ。そんなこと出来ない。

でもわかる。

酒やセックスのような、スッキリ感がある。

バツグンに爽快な到達点が、ある。

みんな、それを共有したいのか。

あんたと違って。

文芸創作が疎かになっても、他の創作を続けた。

なぜなら薬がやめられないから!

私は、ながらく人間の内側にはどうしようもないパッションがあると考えていた。実際ある。あるのだが、私たちはその「あるということ」しかからない。が、考えをウムムムムムムムーーーーーと巡らせると、それに近づいたり色が付いているように感じたりする。「あるということ」よりも明確な姿をとらえられるようになる。これは半分比喩で、半分比喩じゃない。ましてや真理でもない。イデア論でも物自体でもないし、現象学でも自我論でもドゥルーズでもガタリでもない。

あんたが分かると思った時に生まれる「その分かるもの以外」。この対立が、思考が止められない。

あるいは真理が、あると思っていたのかもしれない。それが分かったとたん、世界段ボールとしてバタリと倒れて、みんな手をつないでお辞儀して終了なのかもしれない。

みんなって、誰?

おまえは独りでキモチヨクなってたくせに。

あーあ、これだからこの脳みそは。

大好きなアーティストDJライブ。ごりごりの踊れるフロアで、チープなリズムマシンの音で、えげつなくダンスデヴィッド・バーンではない、ジェームス・ブラウンのような踊り。

ダンス

怪しげな人間複数名。

ああ、違法薬物やってるな。

いまにも吐いて倒れそうにピクついてる。

私は思った。

好奇心から薬に手を出して、その姿だけを確かめることのできた「あなた」は、この目の前にいる中毒者に並ぶほど尊いものだったか

さて、まだわからない。そんなのわかりたくないからな。

2024-11-17

部活の延長の女性活動って独身男性向けではなくてファミリー向けか女性向けなんですよ

女子スポーツ演劇オーケストラなどの音楽芸術文芸などすべてそうですので独身男性積極的距離を置きましょう

独身男性は一人で盆栽を育てたらよいですね

花は独身男性向きではありません

2024-11-09

anond:20241109124152

年齢て公開してるもんなの?ピクシブも非公開できてるし大多数そうしてるはずだが。

まあ自分からタイトルや垢名で50歳無職文芸志望!て自分語りが前にでてる人の作品は3000字も間がもたないことが多いのは同意

2024-11-08

教養とはRGBである

世界を知るための 理術(自然科学とその応用、調理含む)

外へ訴え関与、感知するための 芸術美術や化粧のみならず文芸含む)

心身社会性を鍛える 武術個人技、チームワーク、人体の知識をも含む)

これらを総合的に伸ばすことが教育である

2024-11-02

今日をもって増田引退するのでこれまでに書いた増田を振り返る

先月頭にはてな匿名ダイアリー(以下増田)のアカウントを作って投稿を始めた

約1か月経過し、当初の目的を達成したので引退する

目的は、文章アテンションを得る練習をすることだ

他の文章投稿サービス比較したとき増田サービス上の特徴としては以下のようなものが挙げられる

投稿アカウントに紐づかない完全匿名であること

②下世話、差別的、くだらない内容であっても比較的許容される

③年齢層が高くネット慣れした人間が多いコミュニティで、青臭くシャバい内容が嫌われる傾向にある

④長文でも読まれやす

Xや2chnoteやその他ブログサービスでは上記の条件のいずれかが満たされなかった

さらはてなブックマークというサービスによりすぐにアテンションの数が数値化されるということもあり、増田ブクマ数を集めることが、自分目的達成に最適だと考えた

結果としては、増田アカウントを作ってから1か月で3つのエントリで3桁ブクマを達成した

週刊少年ジャンプ史上最も重要マンガ20

https://anond.hatelabo.jp/20241012181121

彼氏おもんな増田から考える男女間の「面白さ」の違い(追記あり)

https://anond.hatelabo.jp/20241002190451

文芸でも実用でもない本のジャンルってなんて言うの?

https://anond.hatelabo.jp/20241030165700

※後で証拠のために上記エントリそれぞれでこのエントリトラバする

あと他にも何本か書いたが全然伸びなかった、例えばこれとか

FIREしようとする人ってマジでバカなんじゃないの?

https://anond.hatelabo.jp/20241027152456

その程度のブコメ数で偉そうにwwwとか馬鹿にされそうだがこれまで碌に文章も書いてなかった人間がこれだけ人に反応を貰えたというだけでやってよかったと思うよ

自分なりに考える、増田で注目される文章を書く最大のコツは「適度にツッコミどころを用意する」ということである

特にジャンプ20増田が顕著な例で、これはブクマカ各々が「これが入ってないだろ!!!」と一言物申したくなるという意味で最適の題材、形式を選べたと思う

未だに模倣増田が後を絶たない辺り、なかなか完成度の高いフォーマット増田界に投下できたという手応えがある

これからも各ジャンルにおける重要ものネット上の集合知として広めていってほしい

最後になるが、ブクマトラバをくれた諸氏には感謝してもしきれない

みんなの反応のおかげで文章を書くのがちょっと楽しいと思えた

約1か月の短い付き合いだったがありがとう またネットの海のどこかで逢えたらいいな

じゃあな

2024-10-31

anond:20241031120247

からその「誰かに分かりやす説明したい」という需要のためにも文芸」みたいな分類があってもいいんじゃないと主張してるんじゃないの?知らんけど

2024-10-30

文芸でも実用でもない本のジャンルってなんて言うの?

anond:20241102083243

読書趣味なんだけど、他人にそれを伝えると大抵「どんな作家が好きなんですか?」と返ってくる あんま本読まない人にとって読書イメージ文芸本を読むことっぽい

でもおれは大体学者専門家が書いた本を読むことが多い、今読んでんのはアセモグルのこれ↓

国家はなぜ衰退するのか 権力繁栄貧困起源(上)

https://amzn.asia/d/hg8ADCt

こういう、一般人向けに専門家が書いた特定ジャンルについての知見をちょっとエンタメっぽくした本を端的に表現する言葉ってなくない?上記のアセモグルの本はAmazonだと「世界史」のジャンルなのだが、それをもって「世界史の本読んでます!」というのも憚られるし

ちょっと前に売れてたFACTFULLNESSも似たようなジャンルな気がするけど、これもAmazonでは「確率統計」ってジャンルに入ってて、でもあの本を読む人の意識として「確率統計について知りたい!」っていうモチベーションではないと思うんだよな、もっとざっくりと「あんまコア過ぎない知識を楽しく得たい」っていう感じで読まれる本というか

「専門書」だとなんか固すぎるよな、それこそ専門家学生大学の授業で使うような、予備知識のない一般人では読めない本って感じ 「教養書」もなんか違う、ちょっと観念的すぎというかカーネギーみたいな自己啓発本想像される感じ

これが例えば岩波新書だったら「新書をよく読みます」といえば結構ニュアンスが伝わる感じがするけど、これはしょせん本のサイズによる分類を表したものしかないんでね

なんかいい語彙はないもの

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俺の中でこのジャンルの最たるものが「銃・病原菌・鉄」だな

なんかブコメトラバ眺めてみても結構割れてて、イメージは共有できててもスパッと表現できるようなコンセンサス取れてるワードはなさそうに感じる

書店、版元、読者、本読まない人がそれぞれ考える本の分類のちょうど狭間にあるエアポケットって感じがするんだよなあ

でも素朴でライト知識欲を満たすために本を探したら自然とこういうのに行き着くよね、ていう本は沢山あって、書店でも目立つ場所平積みされてる印象があるのに端的に表すワードがないのは不便だなと思う

ゴールディンの賃金格差に関する本とノアハラリの人類史に関する本って全然テーマ違うけど多分読者層は被ってるよね

———————————

一般書」→いくら何でも抽象的すぎ、初対面の人にそういったとしてこの人会話進める気あんのかって思われそう 雑誌読む人がどんなジャンルが好きって聞かれて一般誌とか言わんやろ

啓蒙書」→人口膾炙した言葉じゃなさすぎ、初対面の人に「啓蒙書好きです」って言ったら99%「ケーモーショ???なに???」ってなると思う

学術書」→ニュアンスの一致具合と言葉の使いやすさとしては一番バランス良さそう ただ自分の考える定義だともう少しライトな本も入るのよね 例えば 「なぜ働いてると本が読めなくなるのか」みたいなライト新書を含むにはちょっと大仰かも

「人文、科学」→これもニュアンス近いな、ただ理系文系の垣根をちょっと感じる もっと包括的ジャンルとして捉えたい

哲学」→めっちゃ広義に考えればそうかもしれんが絶対ニーチェとか?」ってなるやろ

雑学本」→まあ超ざっくり分けるならそうなのだろうけど、ノーベル賞取るような学者が書いてることを一般に「雑学」といえるか?という疑問はある もっとトリビア的なことを指さない?

ノンフィクション」→ドキュメンタリーと思われそう

リベラルアーツ」→この言葉自体が一種サブジャンルなのでは?教養目的とした知識が書かれた本というか もっと上のレイヤーを想定してる

新書」→やっぱこれが一番無難なのかなーでも言葉の厳密性に欠けること言うのがほんと嫌 冬用タイヤ全般スタッドレスって呼称するような居心地の悪さを感じる

教養書」→俺が考えているより広範なイメージっぽいな、でもまだ高尚すぎるというか、知識についてのニュートラル感覚に欠けるというか、教養という言葉自体が「値打ちこいてんな」って感じする

anond:20231111164233

理系からみると文系かい文芸本、だいたいそれ。筆頭が村上春樹ゴムなしエッチした女は全員後腐れ無く死んでしま小説

ちょっといいすぎた。最近のは死なない。

ただ金も将来背負う覚悟もなく

女や知識だけあっても高等遊民だよなぁって。

2024-10-25

anond:20241025024316

今では文芸枠に入ってそうな古典少女漫画があの「性コミ」に連載されてたというのは意外な感じあるよね

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