はてなキーワード: 信頼度とは
ここ数日例のCMを取り巻く出来事に悶々とする日々が続いていたので、自分の考えを整理したいと思う。
これによって何か大きな動きを作りたいという意図は全くないし本意ではないが、「そんな考えもあるのか」程度に捉えてもらえたら幸いだなと思い、ネットに放流することにした。
まず、私があのCMを初めて見たのはネットで変に話題になる前にテレビ放送されていたものだった。(このCMのオフィシャル情報を追っていないのでよくわからないが、web版のみであると言及している人を結構見かけた。しかし私はテレビCMで目撃している…)
その時の率直な印象は「なんか気持ち悪いCMだな…」というものだったけど、だから放送を取り止めろだなんて思わないし、様々な理由から個人的に好きになれないものなんてたくさんある(個人的に異常に好きなものがあることと同じだと思っている)ので気にもしていなかった。
その数日後、X上でこのCMに対しての批判的意見を見かけ、特にアクションを起こしたいわけでもない私は(同じ意見の人そこそこいるんだ〜)と軽い気持ちでそれを眺めていたが、その後それに同調する人とそれに反発する人が続々と現れ、Xは大騒ぎになってしまった。
これは何度でも言うが、私はこのCMが好きではないにせよ取り止めて欲しいとは全く思っていない。
しかしこのCMが好きではない人が数字で見れば無視できない程度にいるにも関わらず、大挙して「このCMを受け入れられないのはおかしい」という指摘が相次いだことに居心地の悪さを感じてしまった。
ただただ個人的に、(私のこの気持ちはそんなにおかしな感覚なのか?)と暗澹たる思いが湧いてしまった。
そこでなぜ私はこのCMに気持ち悪さを感じたのか、改めて考えてみようと思った。
X上では概ね、表現が性的に捉えられた結果批判されているということになっているが、私個人の感覚として何が不愉快だったのか向き合ってみることにした。
まず第一に私は何かを性的に描くこと自体に特に反発心はない。ただ、エッチなものを見るときは「エッチなものを見る」という気持ちを作っておきたい派。無条件で視界に入ることにはゲンナリしてしまう。
じゃああのCMがエッチに描かれていたかというと個人的には微妙なラインだが、少なくとも主人公の女の子をとてもかわいいものとして描こうという気概が溢れていたように思う。
これはこれまでの人生経験による感覚だが、人間に向けられた「かわいい」という言葉が性的関心とリンクしないと考えることは私にとっては難しい。
なので私は人間をかわいく描くことは性的に魅力的に描くことと近く捉えてしまう。
それ自体を否定する気持ちは全くないし、私もそうやって生み出されたものを見て魅力を感じたことが何度もある。
それは「かわいく描こうとするあまり行動に整合性が取れていなかったから」では、と思った。
涙目の姿がかわいい、漏れ出る声がかわいい、こんな仕草がかわいい、それを描くことに注力したがために「なぜそれをする状態になったのか」の説得力があまりにもなかったように思う。
テレビを見て感動し、それによって泣いている。
そしてうどんを食べるが、うどんに対して別の大きな感情を抱いているのかと思うほど「美味しい」のセリフが意味深。
「んしょ」と言っているが、その音が漏れるような動作をしているように見えない…。
つまり、「描きたいもの」を描くための理由付けが甘いように思えたのだ。
ここまで杜撰な作劇を見せられると、最早主題とはあまり関係のない部分、散々言われている背景の作りだとか、なぜテレビを見ているのにテーブルにある眼鏡をかけないのかだとか、なぜ自宅でひとりまったりムードなのにベルトをしているのかだとか、なぜ泣きながら見ていたテレビのチャンネルを変えるのかだとか、細かな作りの雑さが気になり作品自体への信頼度が落ちてしまう。
何もかもに意味を持たせてほしいとは言わないが、あまりにも意味のない、いい加減な表現が多すぎる。
当然初見時にここまでのことを感じたわけではなかったが、徹底的な作りの雑さによって全てがバラバラになった結果、女の子の存在が浮いてしまい、ただかわいく見せるための装置に成り果てて見えてしまったのではないかと考えた。
フィクションに涙を流し、それはそれとしてうどんの美味しさに感動しているという、あまり繋がりを感じない流れではなく、実際に悲しい出来事があって、うどんの美味しさに感動しほっとするという流れとかではだめだったのか。
本来作り手の意図が多分に込められているであろう本筋にいちゃもんを付けるなんてことはしたくないのに、細かな部分のいい加減さも相まってそこにすら疑問が湧いてきてしまう。
今回制作会社がクリエイターを守る声明を出していたが、多くの人手が加わっているであろうこの企画において強い決裁権を持っていたのは制作会社だと思うから、なんて頼もしい会社だろうと心から思った。
しかしプロの仕事としてこの作品を世に出した感覚はちょっとわからない。
作品を受け取る側の意見は「そんなこと気にしないよ」と思う人も多いと思うが、クリエイターのプライドとしてこんなにいい加減で問題はないのか、と思ってしまう。
「自分はかわいい女の子を描くことにしか関心がない!」という考えだったとしても、ひとりで作っているわけではないんだから、どうすればかわいい女の子をもっと素敵に描けるのか、周囲の人間は考えられることがあったのではないだろうか。
大作アニメ映画にも作り手の性癖はしばしば込められているが、その周囲の作りがとても丁寧だから敏感な人以外はそれに気づかない。今回のCMはそれらに比べると不快感を感じる人が多かったように思う。
今回のことをきっかけにX上で「斜めがけのカバンをかけているだけでいやらしいと言われる」だとか、「棒状のものを食べているだけでいやらしいと言われる」などの経験談が語られていた。
このふたつに関しては私も経験があり、当然不愉快な思いをしたため、そのあたりがエロいものへの過剰な忌避感に繋がっているのだろうかと思い、このCMを不愉快に感じた部分を真剣に考えてみたが、結果として単純に作品の仕上がりがあまり良くなかったから歪に見えたというだけの話では、と思った。
今は技術的にも環境的にも個人で大きな作品を扱える世の中だけど、どうか改めて多くの人が関わって何かを作ることの意味を考えて欲しい。
そして作品を受け取る側は、いろんな意見の人間がいることを受け入れて欲しい。
今の世の中はインターネットの存在により、世界中の価値観を一色に染めようとする方向に動いているように感じるが、私はどこまで受け入れどこまで拒否するかは各々のものさしで良いと思っている。
世界を自分の理想で染め上げたいならそういった活動をすればいいし、私のように自分に影響が及ぶ範囲が不愉快でなければ良いと思うならインターネットの意見に感情を揺さぶられる必要はないのだ。
自分が攻撃されていると感じたとしても、所詮ちらしの裏の落書きで、本来大した意味を持たないものなんだ。だから気にせず自分自身の生活と現実の環境を大切にしたい。今回インターネットの意見を見て多少なりとも気落ちしてしまった自分自身への戒めも込めて。
仮にもコンテンツ制作を行う広告会社の人間が、「最近の映画のスタッフロールは長すぎるから1社あたり3人までとか制限を設けて欲しい」と記事で発言しているのを見て戸惑ってしまった
老人の戯言なので聞き流してくれみたいな予防線を張ってるから、これに対して俺がムッとしても「コイツなんかキレてて無粋な奴だなあ」という扱いを受けるだけというのが余計腹立たしいし…
スタッフロールへのクレジットは会社にとっても個人にとってもある程度の信用の担保になる訳で、もちろん個人の意向でノンクレジットにしたり、個人でなく会社単位のみでクレジットされる場合もあるが、決して「関わった映画に名前が載った!やったー!!」というだけの物でなくちゃんと様々な実益があって作られている物だと思うんですよ
仮にもアニメや漫画などのコンテンツが好きですと発信している人が、記事の流れだとしてもそういう認識を持っていると雑に表明されちゃうと一気にメディアそのものへの信頼度が下がるというか…
昔の下品とナンセンス混じりでやっていた頃のサイトだったら全く流している発言だったと思うんだけど、今の小奇麗な芳香剤置いてるおトイレみたいなスタイルでこれをやられると違和感が凄いんですよね
この記事とは全然関係ないけど、もう脱臭されきってるのに「オレらなんでもアリのお下劣集団でさぁ!」みたいなノリをたまに出すことがあってそれもちょっと見てられないというか、別に上品になること自体は全然良いと思うんで都合の良い時だけ日陰者ぶらないで欲しいです
まあ人気者の要件にはそういう軽薄なポップさも多分に含まれてると思うので、そんなことをわざわざ言ってる人間は文字通り無粋な奴なんでしょうね
【追記】
「スタッフロールなっげーから見ないで帰ります」こういう発言する分には全然いいんですよ(実際クソ長えし)
Xの男女論界隈の人たちがはてな匿名ダイアリーの記事をソースにあれやこれや議論するのはなんなの
X民はどう考えてもはてな匿名ダイアリーとTogetterへの信頼度が高すぎるだろ
5chと大して変わらない書き捨てサイトなんだが
警察とか公正に捜査することがある程度約束されてる公的機関が疑って逮捕したなら分かるんだよ。
立花孝志が情報を流した…だと極端だが、信頼度は多少マシ程度のフジテレビへの疑惑で一斉キャンセルで損害与えてるのが異常なの。
「ここまでの騒動になってる」って…
情報技術の発展により、2025年現在、人類はかつてない規模の情報洪水に直面している。この状況において、正確な情報と虚偽情報が混在し、後者が時に圧倒的な「数の力」で社会的影響をもたらす。この問題は、単なる教育や規制で解決するには複雑すぎる。本稿では、正確な情報を定量的に判別するための数理モデルの設計について考察する。特に、「信頼性スコアリング問題」を数学的フレームワークのもとに体系化し、その潜在的応用可能性を論じる。
情報の信頼性を評価するため、各情報 I_i に対して、信頼性スコア R(I_i) を割り当てる。このスコアは次の複数の要素に基づく。
情報の発信者または起源の信頼性を評価する。これを、事前確率分布 P(S_s) に基づきベイズ的に更新する。具体的には、以下のようにモデル化される:
P(S_s | D) = (P(D | S_s)P(S_s)) / P(D)
I_i が既存の情報集合 K にどの程度一致しているかを測定する。これには、内容の意味的類似性を評価するための測度 f(I_i, K) を導入する。たとえば、意味論的埋め込み(semantic embeddings) φ(I_i) を用いる場合:
C_c(I_i) = (1 / |K|) Σ(K ∈ K) sim(φ(I_i), φ(K))
情報がネットワーク内でどのように拡散したかを表す。これは、拡散過程を動的グラフ G(t) 上の確率モデルとして記述し、拡散速度や分布を評価する:
P_d(I_i) = E_{G(t)}[Σ(v ∈ G) (deg(v) / Σ(w ∈ G) deg(w))]
これらの要素を統合し、信頼性スコア R(I_i) は次のように定義される:
R(I_i) = α S_s(I_i) + β C_c(I_i) + γ P_d(I_i)
ここで α, β, γ は正規化された重みパラメータであり、適切な方法(例:期待最大化法)により学習される。
このモデルは次のような具体的な応用を想定できる。
情報信頼性スコアをブロックチェーン技術に基づき分散管理し、虚偽情報の拡散をネットワーク全体で抑制する。
政策立案において、モデルが生成する信頼性スコアを用いて、情報の影響度や信頼性を確率的に評価し、意思決定を最適化する。
学習者に対し、情報の信頼性を定量的に判別するプロセスを体験させることで、直感的でない情報評価方法を実践的に習得させる。
特に拡散ダイナミクス P_d の評価において、グラフ構造が高次元化するため計算効率が低下する。これを解決するため、グラフ埋め込み技術や近似アルゴリズムのさらなる開発が求められる。
モデルによるスコアリングが「情報の検閲」や「意見の制限」と解釈されるリスクがある。したがって、スコアリングの基準を透明化し、利用者がアルゴリズムの出力に対して説明可能性を持つ必要がある。
未来の社会において、数理モデルは単なる技術的ツールを超え、社会の基盤を再構築する力を持つ存在となる。特に、情報の信頼性を数学的に評価する枠組みは、真理の探索を加速し、知的生産性を向上させる重要な役割を果たすだろう。
https://x.com/lightning_lei/status/1874726369550295323?s=46
【事例相次ぐ】アメリカで発生する日本人の"入国拒否"、F1ドライバー角田裕毅もトラブル
news.livedoor.com/article/detail…
日本人女性が売春目的での渡航を疑われる事例のほか、F1ドライバーの角田は「一時は帰国させられかけた」といい、「パジャマのような格好をしていたからかも」と語っていた。
ツイカスは売春婦にしか言及できない鶏頭なので指摘としては片手落ち、買春による弊害も考えなければならない
それを客と瞬間的に恋愛して肉体関係を持っているというカスのような建前で逃れてきた
真に悪影響を受けるのは買春売春に関わったことのない一般人なのだ
一度でも性産業に関わるような犯罪者は自業自得としても、そろそろ日本は性風俗を規制するべき時にきている
「1日どれくらい歩くと“うつ病”になりにくいのか。1000歩増でも効果あり?9万人以上対象に調査【研究紹介】」
https://levtech.jp/media/article/column/detail_582/
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/levtech.jp/media/article/column/detail_582/
記事は過去の研究から一日の歩数とうつ症状の関係をメタ分析している研究の紹介な。そこにこういうコメントがついている。(idは書かないでおく)
バカじゃねえの。「鬱でないから歩く」を排除できてないじゃねえか。/十分にコントロールされてない、相関でしかないと原文にも書いてある。文系はバカなんだから何か意見持ったダメだよ。
これ、有意差はあるのかもしれないが擬似相関の可能性は捨てられないことを隠してるよね。歩くことがうつ病に効果があるのか検証するなら任意に抽出した一定数被験者にランダムに歩数を指定した生活させないと。
俺は恥ずかしいと思ったね。はてブの民の統計リテラシーの低さに。こんなに強い言葉で無知を晒せるものなのかね。
確かにさ、統計関係は因果関係を含意しないってのを理解してる人が増えてきたのはいいことだと思う。そこはわかってて偉いよ。いかがでしたかブログなんかで相関関係だけから「だから歩くことはうつ病の予防に効果があります」とか言ってたら、ちゃんとこれからもツッコミしていこうな。
でも、お前らにはここからもう一歩踏み込んで、因果推論ってのがどういうもんかを知ってもらいたいわけ。相関と因果の違いを指摘するだけなら今や誰でもできるが、「じゃあどうやって因果を推定するんだ?」という話になると、ちゃんとした研究デザインとか統計の考え方を知ってないと理解できなくなる。だからこの機会に因果推論研究の基本をかいつまんで話してやろうと思う。
因果関係をはっきりさせたけりゃ、介入実験をするのが基本なんだわ。そういうのをランダム化比較試験(Randomized Controlled Trial: RCT)って呼ぶんだけど、要するに被験者を無作為に2つ以上のグループに割り振って、一方にはある介入を行い、もう一方には行わない。そうすることで、余計な条件(交絡因子)を平均化して「この介入があるかないかでアウトカムがどう変わるか」を調べられるってわけだな。医薬品の臨床試験でよくやるやつだ。
RCTは因果推論の王道とされてる。被験者の割り振りをランダムにすることで、たとえば年齢とか、生活習慣とか、知られてない要因まで含めて、できるだけ統一感をもたせるんだ。だから「結果に影響を与える別の要因」が両グループ間で偏らない可能性が高くなるわけ。もちろん完全に不可能ってことはないんだが、それでも観察研究と比べればはるかに因果関係を推定しやすい。だからみんな「RCT最強」とか言うんだろうな。
でも、お前らも想像つくと思うけど、RCTってのはいつでも簡単にできるわけじゃない。特に今回の「歩数を増やすと本当にうつが減るのか?」って話でRCTを組もうとしたら、「はい、あなたは毎日7,000歩以上歩いてください」「あなたは1日5,000歩未満にしてください」なんて割り振らなきゃいけない。しかし実生活でそこまで厳密に歩数をコントロールさせるのは難しいし、長期的に続けるのも金がかかるし道義的な問題も出てくる。それをクリアしても、大規模研究やモニタリングには莫大なコストがかかる。医薬品のRCTみたいに販売で元が取れる見通しがあれば企業が金出すかもしれんが、歩数の研究でそこまでのメリットがあるかっていうと怪しいよな。
だからといって介入ができなければ相関関係以上のことは何もわからないわけじゃなくて、多くの場合は観察研究を使うのさ。今回の論文も、横断研究や前向きコホート研究だって記事に書いてあったろ?観察研究ってのは、研究者が「歩数を多くしてくれ」とか介入を指示するわけじゃなくて、観察されたデータを集めるものだ。だからこそ、横断研究だと「うつだから歩かないのでは?」って方向の因果関係があり得るし、コホート研究だってそれを完全に排除できるかは微妙。もちろん、データ収集時の工夫や統計手法でそれをなるべく除去しようとはするんだけど、RCTほどにははっきりしないわけだ。
前向きコホート研究は一応、時間の前後関係をコントロールする形になる。「はじめに健康状態や生活習慣を測定→一定期間後にうつ病が発症したかどうかを追う」みたいな流れを作れば、「うつ病になったから歩かない」という逆向き因果の可能性をある程度は小さくできる。それに基づいて「毎日7000歩以上歩く人はうつ発症リスクが31%低い」とか「1000歩増えるごとにリスクが9%下がる」とか、そんな結論を導くわけだ。だだし、これは因果関係を表現した言葉遣いではないことに注意な。そこから「歩数が増えればうつを予防できる」という結論は導けない。観察研究だからな。未知の要因が絡んでるかもしれないし、統計モデルで調整したって全部はカバーできないのが現実だ。
でも、それは別に「研究者がバカだからわかってない」とか「都合の悪い情報を隠してる」って話じゃないんだよ。研究者サイドからすれば、観察研究で分かることと分からないことの限界なんて、常識のようにわかってるんだ。元の論文を実は読んでいないが、きっと留意事項はいろいろ書いてあるはずだ。メタ分析だしな。
結局のところ、RCTですら完全に「因果関係を証明」っていう言い方はしないもんだ。試験のデザインに欠陥があったり、サンプル数が少なかったり、無作為化がちゃんと機能しなかったり、いくらでもケチをつけようと思えばつけられる。あくまで「因果関係の可能性が非常に高い」とか「かなり信頼度が高い」ぐらいに言うのが科学的な態度。だから観察研究で「うつになりにくそう」という結果が出たとしても、研究者は「まあ妥当そうだけどコントロールに仕方に問題があり、さらなる前向き研究が必要」と言うし、これまた自然な話なんだ。
ここで、「横断研究なんて相関関係しかわからないから無価値だろ」みたいな意見があるかもしれないが、それも単純すぎる見方だ。横断研究で「歩数が多い人ほど抑うつが少ない」という相関関係が確認できたら、それだけでも儲けもんだ。仮説として「歩くことが抑うつの予防に何らかの効果があるかもしれない」という種ができるんだよ。さらに前向きコホートやRCTで検証していこうって流れになるわけだから、無駄にはならない。それが科学の積み上げってやつだろ?
で、今回の記事を読んで「歩数1,000歩増えるごとにリスク9%低下か、じゃあ試しにちょっと歩いてみようかな」と思うかどうかは、お前ら自身の意思決定次第なんだよな。統計データってのは、意思決定のための判断材料であって、「絶対的に証明された結論」ってわけじゃない。いいか、統計は証明の道具じゃなくて、不確実性の中でどう行動するかを助けてくれる実用的な道具なんだ。そこを勘違いすると「いや、完全には証明されてないから意味ない」とか言い出して何も始まらないことになる。
現に、医療現場でも「絶対に副作用がない」とは良心のあるやつなら誰も断言しないし、「この薬は100%効きます」なんて宣言するわけでもない。常に効果とリスクを天秤にかけつつ、「確からしさ」に賭けて使ってるわけさ。歩くことに関していえば、仮に「実は因果関係がそこまで強くないかもしれない」って可能性があったとしても、デメリットはそんなにないし、健康上のメリットはいろいろ言われてる。だったら「やってみたら?」ってレベルの話だろう。自分自身の健康に責任を持つための選択肢としては悪くない。
まあまとめるとだな、「相関=因果ではない」ってお前らが得意げに言うのはとても偉いと思うけど、因果推論はすべて可能性の程度の問題でグラデーションがあるってことと、観察研究でも一定程度の因果の可能性を確認できるってことも知っておいてくれ。以上、お前らにオレ様からの有難い講釈でした。ちょっとは歩いてこいよ。
生成AI(※)嫌いが多い
たまたまSNSで見知らぬ人とちょっと絡みが発生しそうになって、プロフ見に行ったらAI嫌いの人だった
配信とかもやってる人みたいで、ちょっとアーカイブ再生してみたら、おばさんとしか思えない声、喋り方だった
いや、おばさんが悪いんじゃないけど、自分の中のおばさん(とかおばさん入口の女子)って、一番、自然でないものを拒むイメージがある
ほとんどがうちの母と母に影響受けまくった姉の印象だけど
母は早逝したので姉のそれは別口かもしれないが
寂しかったのもでかいとおもうが、変な宗教っぽやつ、プラッチックの密封容器、洗剤とか色々ハマりつつ
旨味調味料を嫌い(そのくせ昆布もかつお節もケチるので旨味が無い料理を作る。塩も控える)、無農薬に惹かれ(売ってなかったり高かったら普通に野菜買う)、肉より魚を選びがち(そのくせ生協の合鴨とかは買う。魚に関しては今自分も魚好きなので子供時代の自分との相性)。自然っぽさがあればそれでよく、夏場はそうめんばっかりで(好きだからいいけど)、めんつゆは普通に売ってるやつ。(こだわりのやつとか売ってなかったか見つけれなかったか)
馬鹿でしかないとは思うが、自分も何か否定的な情報が流れてくると、自然ぽさが少ないものは他と比べて避けようと思ってしまうし(コーヒーは避けないが、甘味料とかはだめかなと思ってしまう)、
自然信仰みたいなのはあるのだろうなと思う。ポッと出のものよりも何千年と人類が使って来たもののほうが信頼度が高い気がする。(実際気がするだけで、検証すらしてないもののほうが多かったりするのだろうが)
自分はたまたま仕事がコンピュータに関連深い業種で、学部は化学とか(触りだけ)つまんでて、避けようと思った時に、ちょっと考えることが出来るので、変なこだわりは少ないほうだとは思うけど、
わかった上で気休めでも根拠がないけど安心っぽいとか、逆に根拠はないが体にいいっぽいに倒れることは多いし、よほどのことでないかぎりは、そういう気休めとかもあったほうが生きていきやすいんだろうなと思うし、話のネタが他にあんまりなかったりするのもでかいのかもなぁ
※ 生成AIって言い方もよくないのかもしれない
AIなんてそもそも何かは作るもので、コンピュータもそんな感じだ。出力がないと意味がないんだし、動いたら何かは出るんだし。
賢そう、怖そうみたいなイメージついちゃってんのかも。はちみつとか(作ってるわけじゃないけど)ハチの巣とか(作ってるけど何に使えるか知らない)みたいにもっと人間に使役してるとか、人が強奪してるみたいなニュアンスだったら嫌悪感減るのかも?
他言語ではどうなんだろう
信頼度は俺>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>その他だ