はてなキーワード: 桂川とは
志村留置施設は、桂川が主体であり、鯨井はめったに出てこない、担当台に座っているのは一般的には眼鏡をかけている別の者であったり、俺の一部であったりするが、
同留置施設内には、俺はいない。土曜日になると、甘いものが食べられるよ、という人は別の刑務所の看守長(4級)の山本卓矢だから俺ではない。仕事場における
法律的地位、法的性格 商号等 管理者例 開始 廃止 概要 住所
自動車運転過失致死傷被告事件 被告人 ヤン コンバイン シュレインバイク オドノ
公衆に著しく迷惑をかける暴力行為等 被告人 ※本晃裕 裁判員裁判対象事件
器物損壊被告事件(少年審判) 被告人 田辺勝月、新部雄大、外2名
生活保護に関する開始廃止などにつき 久保田知恵子 板橋区 昭和42年 福祉課 蓮根2丁目
受けた所長
個人 飲食業 一休ラーメン 令和元年11月30日 延岡市大貫
有限会社 県北ランセンター 前田勇吉 昭和54年 平成19年
消費生活協同組合法による 東京大学第2購買部 平成29年8月
延岡拘置支所
東京高等裁判所総務課
実際にあった言動
留置施設自体が呪われているんだよなあ 2室にどうしても電波系を一人必要としている
9月6日 ラルクアンシエル10発
9月9日 虻川真也が逮捕なしで、取り調べをする 9月10日 単独護送
9月12日 三摩哲也が逮捕指揮 佐藤正英が令状発布 9月13日 13;30分 逮捕 14:00分、 勾留不必要で釈放
9月15日 木下舞子の取り調べ ※ 逆送は、20時20分 9月16日 矢野直邦 神谷佳奈(書記官)の勾留質問
9月17日 李明と、3番を、少年房から、1室に移動 9月19日 李明が移送 9月27日 李明 釈放
10月4日 三摩哲也 窃盗の方は起訴するからなあ? 午後3時ごろ
10月17日 岩のような数学者の寝ているときは寝てるけど命令が入ると光線が出る男が入ってくる。 12:20分、 西田としゆき、死去
大学を卒業して社会人○年目。大阪で働いている。職種は……まぁ専門職だと思う。若い方だと信じたい笑
サービス現場の仕事で、給料は安いけどやりがいだけはある。我ながら搾取されている。
年末に向けて部屋の中を掃除していたところ、学生時代の思い出の箱を見つけた。その中には、京都の祇園にあるクラブで働いてた頃のグッズがまとめてある。ドレスとか、メイク道具とか、指名を沢山とった時の記念品とか、最初にお店を選んだ時の求人誌とか。当時、いわゆるキャストと呼ばれる仕事をしていた。
これから話すのは思い出を振り返ってるだけなので、散漫なことが多いです。ご了承ください。
祇園のクラブでのお仕事とか、年上の男性との関係とか、様々な感情が入り混じった、心の奥底からくるようなお話に胸が締め付けられるような思いがする……ということはないです笑
夜のお店の種類、クラブとか、ラウンジとか、キャバクラとか、そのあたりの区別は今でもわかってない。4回生からの1年+半年(聞かないでほしい…)しか働いてなかったこともある。
短大から大学に編入した関係で、単位を取るのに忙しかった。親ともケンカしてたから、大学の学費は自分で工面するしかなかった。奨学金ばかりというのも危ない気がしたので、面白いアルバイトないかな~と探していると、祇園のクラブが見つかった。
リベンジのつもりもあった。
短大生の頃はYouTuberをしていた。顔はメイクを濃いめにして、男性向けに恋愛のことをおしゃべりする動画だった。始めは自分で動画を編集してたけど、そのうちやってくれる人が見つかって、女子が男性に向けて恋愛のノウハウをおしゃべりする~というスタイルを確立した。もう引退してるかもだけど、Baiand(バイアンド)さんの動画にスタイルが近い。
それがあまり人気が出なくて、再生数は最後の方は1万もいかなかった。才能がないのかなと思って、そうしたら、チャンネル更新をしなくなって数か月経った頃に、コメント機能を通して隠れたファンが何人もいたことがわかった。みんな熱烈だった。
正直、後悔した。たった4~5人でもいいから、私の動画配信を好きな人がいてくれるなら、投稿を続けていればよかったと後悔した。
そんな気持ちがあったから、次のクラブのアルバイトでは、誠心誠意、自分を贔屓してくれる人に尽くそうと思った。仕事なんだから、尽くすのは当たり前なんだけど……
最初の方はうまくいった。飲食店のアルバイトはしたことがあった。何をどうすればいいかは最低限わかる。お話をする相手も、コミュニケーションが通じない人はほぼいなかった。みんな常識のある人だった。
1セットにつき、最低でも2万円はかかるお店だった。つまらないサービスはしたくないと思った。けど……働き始めてひと月も経つと、ほかの従業員との関係とか、ノルマのことで考えることが多くなった。
明らかに変なお客さんもいたけど、それは我慢した。いや、我慢するんじゃなくて、その人と向き合って、一生懸命コミュニケーションをするのが正しい姿だ。それができないなら、キャストとして続かないことを学んだ日々。
ほかに働いてるキャストの人は、私に比べると、その……生活がカツカツな人が多かった。間違いないと思う。
学生は少なくて、いわゆるプロの人が多かった。それでも20代が多かったけど。
私たちのような学生バイトは存在が軽かった。ヘルプで付いた時だと、ドリンクを欲しそうな態度を示すとウザがられる。とあるお客さんがシャンパンやニューボトルを入れた日だって、その人がトイレに行ってる間を縫って、「ほら、今のうちにもっと飲んで。早くボトル減らして」と無理やり飲まされることもあった。
インスタグラムで、系列店同士で売上競争をするイベントがあった時も、私たち学生はどうせ勝てないからと、先輩たちのヘルプとしてお店を勝たせるポジションだった。
苦しいこともあったけど、お店には感謝している。いい経験ができた。あそこで働いてなかったら、大学卒業時の借金額は片手で数えきれない本数になってた笑
祇園や木屋町みたいな激戦区だと、求人面接時にノルマの説明がある。インターネットの求人案内にもノルマの有無が書いてある。ノルマじゃなくて、「目標」「売上によって時給が変動」「時給・出勤日数保証期間○か月」みたいな書き方だ。
大阪なんばや道頓堀、ダイナミックコードの『たこ焼き激戦区』ほどお店が密集してるわけじゃないけど、明らかに店舗間の競争がある。
・週3日以上出勤を基本とします
遅刻 :日給の最大50%
当日欠勤:10,000円
私がノルマを達成できた月は……1年半のうち、半分もなかった。
最初の半年は、初心者ということでお店が多めに見てくれるけど、しだいに厳しくなって……どうしても達成できないキャストの子で、黒服からも人気がなかった子は普通に辞めさせられた。もしくはシフトを干される。
この業界が厳しいかと言ったら、そんなことはないと思う。私のような当時素人にも日給で2万円以上を出してくれた。ほとんど役に立たなかったのに。
先輩方は、あまり仕事のことを教えてくれなかったけど、背中で教えるタイプの先輩も確かにいた。「もし今日ヘルプに付いたら、うちのこと見とき~♪」と言って、売上を捨てて教科書通りの対応をしてくれる神先輩だった。
自分がまさか、お客さんと恋愛するとは思ってなかった。本当に。可能性はないと思ってた。
うちに来店するお客さんは、ある程度お金を持った人が多い。いい会社勤めの人や、経営者や公職に就いてる人や、お坊さんの人が多かった。
その中で、あるお客さん(増田なのでMさんにする。当時43歳くらい?)と最初に会った時は、なんだか面白い人だなとしか思ってなかった。ええと、私が最初に付いた時が、その日の二人目のキャストだったはず。
会話を始めると、優しそうな印象があった。もう彼と会うことはないと思うので、書いてもいいかな。名刺には「土地家屋調査士」とあった。京都市の北の方で営業していた。ちょっと話をして、何分か経った時に「よかったら……オレンジジュース飲む!?」って聞いてきた。
それを聞いて大笑いした。なにが面白いのかわからなかったけど、とにかく笑った。普通はカクテルとかワインとか、ビールとか……そういうのを注文する。
お客さんも、カクテルだとリキュールを一滴しか入れないとわかってるからか、ワインの注文をする人が多かった(※ワインもビールも、黒服の人が限界まで薄めてくれる。ほぼ水だった笑)。
あー、あの時は本当に楽しかった。まだ入って数か月だったのもあるけど、今でも楽しく思い出せる。
その日、お店を出る時に「ダメ元だけど、よかったら同伴する?」と言ってくれた。嬉しかった。最初の接客でいきなり同伴っていうのは、珍しいことだと私でもわかってた。
最初の同伴のお店は……河原町通りの途中にある古いレストランだった。お手頃でおいしいところだった。壁に美大の人が書いたような風景画が何枚も飾ってあった。「俺が学生時代、たまにここに来てて。20年ぶり」とMさんは言っていた。
それからも、Mさんは月に1~2回のペースでお店に来てくれた。私を指名することもあったし、しないこともあった。同伴出勤は、月に一度あれば多い方だった。
あの人は多分、お金をたくさん持ってたと思う。でも、倹約……いや、ケチなのかな?? あまりお金を使おうとはしなかった。私の誕生日が近い時、黒服さん(店長)が私とMさんがいる席に来て、今度の誕生日イベントの説明をしてくれた。
条件付きの特別サービスをMさんに提案したんだけど……普通にシャンパン注文を断ってた笑 店長さんは粘っていた。営業トークも。実際、Mさんに特別なサービスをするのは本当だった。
でも結局、Mさんは……
だって。はっきり言ってた。
ほかのお客さんとの比較だと、大体みんな店長の考えたサービスを受けることが多い。実際にシャンパンの注文料金は相当お得だし、キャストだって本気でサービスをする。そういう「装い」だってする。身体の接触だって、いつもより積極的のはず。本当に常連さん向けの特別だった。
でも、あの人はキッパリ断った。お店では、いつもハウスボトルだった。ほかのお客さんは、見せびらかすみたいにマイボトルに名前入りのタグを何個もぶら下げている。けど、Mさんは本当にいつもハウスボトルだった。私には、私が希望するだけドリンクをくれたけど。
それにしても「不要です」だって……今でも思い出して笑うことがある。いまの私も冗談で、Mさんの口調を真似することがある。
あれは、夏から秋になる頃の同伴で、少し高めのレストランに入った時だった。ウェイターの人がトリュフ?(もう忘れちゃった…食後のケーキだったかも)を薦めに私たちのテーブルに来た。その時も「私たちには不要です」とはっきり断った。
その後、祇園にあるお店まで行く時に、小さい橋を渡ることがあった。その時に、Mさんから笑えるアプローチがあった。
「ねえ、橋を渡るまでの間、手を繋いでいい?」
と言ってきた。
私は笑いを堪えた後、彼氏の顔が頭に浮かんだ。前に、ほかの男子学生が私にそういう目的で声をかけた時、彼氏が怒ってその学生を威嚇すると、そそくさと逃げていったことがあった。
その時、Mさんの顔を見上げると、何かが違った。大学生とは何か違う……見た目の若さもあったけど、とにかく自信にあふれていた。彼氏も自信過剰タイプだったけど、それとは明らかに違う余裕だった。
「えー。じゃ、はい……どうぞ」
と手を出すと、Mさんが優しく握って、お店がある富永通りまでゆっくり歩いて行った。
その日は人がすごく多かった。道を歩いている時、私の手を優しく引いて、道の端の安全地帯に誘導してくれた。
いい人だ。とは思ったかな? その日もお店に行くと、私を指名してドリンクを2杯注文して、それからいつもどおりすぐに帰った。料金は2万円少々だった。
紅葉の頃に、「今度お昼に同伴しない?」と言われることがあった。夜じゃなくて、お昼に同伴すれば一緒に買い物ができる(≒プレゼント)ということだった。
正直、魅力はあった。ほかのお客さんだと、ただ昼とか夜にデートしようって言ってくるだけ。本当にそれだけ。論外だった。禁止事項だし。ただ、Mさんとなら。外を一緒に歩いても不自然に見えない。そういう見た目の人だった。
けど、断ることにした。同伴の場合、必ずお店の黒服が私を送迎して、お客さんのところに行く。車で待ち合わせ場所の近くに下ろすのだ。内引き防止のためと思われる。あとは防犯対策。
でも結局、どうしようかと迷って、違う系列店のキャストに聞いてみたり、中学時代からお世話になっているYahoo!知恵袋で聞いてみたけど、直接の答えはなかった。Yahoo!知恵袋の中の人は、「あなたも大人なんだから、善悪を秤にかけて自分で考えなさい」という回答をくれた。500知恵コインを渡した。
結局、同伴はナシで、私が勝手にお昼デートすることにした。Mさんには内引きの箝口令をお願いして、夜になると普通にお店に来てもらうことにした。
え?何を買ってもらったか?? 四条通りにある高島屋か大丸で、雑貨のお店があって、そこで……ワンちゃんのためのペットフードを買ってもらった。小さいサイズの。ピアスや指輪とか装飾品に興味はあったけど、別にいいかと思った。
後はレストランでご飯を食べて、近隣店舗をグルグル周って、一緒にアイスクリームを食べて……あとはもう、覚えてない。
この日の写真はスマホに保存してある。手も繋いだ。私が帰りにバス停まで行く時、四条通りを歩いている時だった。この日も人がすごかった。当時まだ、コロナウイルスは流行ってない。
市バスに乗った後、車中でも、桂川のあたりを歩いている時も、Mさんのことを思い出した。
別に好きだったとか、そこまでの感情じゃなくて。彼氏と同じ場所(高島屋の付近)をデートした時のことを思い出して、やっぱり大人の社会人の人って、無駄がなくて、そつがなくて、しっかりしてて……と振り返っていた。
少なくとも、彼氏みたいに店員さんに怒ったり、私や仲間に何かを自慢したり、立場の弱い人に大きく出たりすることはなかった。私の肩をいきなり抱いたりしなくて、体を触るときは優しくしてくれる。
同じ高島屋にある時計店で、彼氏が店員さんに渋い対応を取られて悔しがっていた。けど、Mさんに対しては、私でも引きそうになるくらい、店員さんがウヤウヤしい対応だった。学生目線だと『神扱い』に見えた。
秋が過ぎて、冬になって……Mさんとお昼のデートは三回目だった。その日は夕方が近かった。烏丸通りのあたりの観光名所を見ていて、遅くなって、終わった後もなんとなく一緒にいた。
今日は一旦解散するんじゃなくて、一緒に居てからお店に行こうという話をしていた。ホテルオークラの前まで来た時、Mさんが「今日はここに泊まってる。仕事の都合で」とホテルを指さした。
当時の私は、オークラのことを知らなかった。大きいホテルとしか認識してなかった。今では、リーズナブルなお値段の『一般向けの優良ホテル』だと思っている。京都市内には、一泊10万円以上のホテルがたくさんあるけど、実際に利用してみて……サービス÷宿泊料という観点では、元京都市民の視点では№1だ。
一緒にオークラの1階にあるカフェでご飯を食べて、バーに行こうとしたけど、まだ営業してなかった。2階にある展示物を一緒に並んで見てると、彼の手が私に触れて、ぐいっと引っ張られて、私の顔がMさんの肩の近くにあった。
「一緒にいられる?」と言われた。考えるより前に頷くと、私の肩をぎゅうっと抱いて、手を繋いで、エレベーターでカードをかざして、高い階に上がって、彼の部屋に入って……
暗い部屋に入った直後に、ゆっくりキスをされた。両手の位置がわからなくて、Mさんの両肩を触っていた。キスが終わると、一緒にベッドに座った。
部屋の中で夜の京都市内を見ながら、ベッドでくつろいだ。そしたら、Mさんが「一緒にシャワー浴びよう」って……恥ずかしかったので断って、それから間が空いて、「メイクだけ落としたよ」と報告すると、すぐに押し倒されて、キスがあって、始まった。
普通のセックスだったと思う。お互いに体をくっつけたり、舐めたあったり。優しいキスだったり、激しいキスだったりした。唾液を飲ませるとか、変なことはしなかった。
私を抱きしめてくれた。優しい感じだった。私が彼氏にするみたいに、乳首とか舐めたりすると、彼はくすぐったいと笑っていた。その時の私は、すごく甘えていた。
入れる時も、髪が痛くならないようにギュッと抱いてくれた。暖房のせいもあるけど、蒸し暑かった。汗が出ていて、体同士が液体で滑る感触が気持ちよかった。Mさんの体はがっしりしてたけど、若々しくはなかったし、お腹もちょっと出てた。
でも、体なんてどうでもよかった。頭を撫でられると気持ちよくなって、Mさんの何でも愛しくなった。
Mさんは胸が好きみたいだった。バストを使って、特別な機会だと思っていろいろしてみた。彼はすごく照れていた。遠慮がちに行為をしてた。「もっと強くしていい」って言ったら、本当にすごく強くしてきて、胸のあたりが痛かった。でも、続けているうちに気持ちよくなって。
私は笑いながら、Mさんと身体をくっつけていた。マグロじゃないよ、ちゃんと私も動いてたから笑
まっすぐの体位の時も、そうじゃない体位の時も、私のことを見てくれて、よそ見することはなかった。だから下半身が痛くても耐えられたし、痛くてもいいって思えた。入れてる最中、私はそんなに動かなかったかな?
正常位で、Mさんの胸板が顔の上にあって、熱くて、息ができなかった。窒息しそうだった。我慢してると、ようやく顔を抜くことができて、するとMさんが真上から口を塞いでキスをしてきた。また息ができない。
いろんな行為の中には痛いものがあった。けど、全部ちゃんと受け止めた。
最後に出し終わって、Mさんが正面から私を抱きかかえると、「あの……好きだよ」って恥ずかしそうに言った。私が笑うと、改まって「愛してます」だって。さらに笑った。ごまかす時に、私は笑いがちになる。
「これからも付き合ってくれる?」
目を閉じて、「はい」って答えると涙が出てきた。顔を上げて、Mさんにキスをした。
それから何分も、ずっと口づけをしてたら……唾液が漏れるのがひどいことになって、また私が笑って吹き出して、それでセックスは終わった。
その日はお店を欠勤した。罰金1万円は痛かったけど、それはもういい。大事なもの、大事な人を手に入れた。ならもう、それでよかった。シングルの部屋だった。夜には出ないといけない。
深夜だったけど、寒空の下でMさんは、私の手を引いてタクシー乗り場まで連れて行ってくれた。別れる時、タクシーに乗った瞬間に涙が零れた。
今は何をしてるんだろう。優しい人だから、今もずっと人の役に立つ仕事をしてるのかな。
社会人になった今では思うけど、仕事付き合いだけでも人間関係って大変だ。
でも、Mさんから学んだことは、教えてもらったことはたくさんあって。それが今でも仕事に活きてる。
あれから時間は経ったけど、今でもMさんとの思い出を記憶の水槽に仕舞っている。いつでも取り出せるつもりだ。
また、いつか会えたらいいと思う。ありがとうございました。
そのついでに、豊後高田市まで足を運んで昭和の町を観光して来ました。
①昭和の町
昭和30年代をテーマにした懐かしさが溢れる商店街です。各店舗では、代々伝わるお宝の展示や一品の販売が行われ、観光客や地元の買い物客で賑わっています。昭和32年式のボンネットバスによる昭和の町商店街や、桂川沿いを行く15分程度のミニ周遊は、大変な人気となっています。週末を中心に運行しており、ガイドさんの楽しい案内も話題となり、多くのリピーターが訪れています。
②長崎鼻
海に突き出た岬に位置し、キャンプ場・美術館・海水浴場・アート・海蝕洞穴・花畑(約14ヘクタール)などがあります。海を望む自然豊かな敷地内にある花畑は、春の2000万本の菜の花、夏の140万本のひまわりの時期に絶景が広がり、海水浴場では、キャンピングトレーラーをはじめ、BBQサイト、SUP、カヤック、サウナなども楽しめます。
③恋叶ロード
豊後高田市の海岸線を走る国道213号沿いには「縁結びの神様・粟嶋社」や、「夕陽の絶景スポット・真玉海岸」、「花とアートの岬・長崎鼻」など、ロマンティックなスポットがたくさん。このスポットを結ぶ、約20キロメートルのルートが“恋がかなう道”「恋叶(こいかな)ロード」です。
潮風に誘われて、海岸沿いをドライブ。恋叶ロードで過ごす時間が、素敵なご縁を引き寄せてくれますように―。
①②③全て観光した結果、私が一番印象に残ったのは、やっぱり昭和の町です。
町全体がノスタルジックで、タイムスリップして子供のころの昭和に戻った感覚になりました。
昔のままのお肉屋さんのコロッケ、喫茶店のナポリタン、全て懐かしい食べ物ばかりで感動しました。
昭和の町は、20年前から復活したそうですが、お店を維持する後継者不足で大変だそうです。
本当に楽しい思い出になりました。
細川徳生
「息子のイヤイヤ期が来ない(3歳8ヶ月)」
その後も根気よくあの手この手でイヤイヤ期に誘導しているのだが成果が出ない。
子育てマニュアルによるとイヤイヤ期は乳幼児において自己確立に必須ターンと示されており、
故に我が子にも正常なイヤイヤ期を経て欲しいと願っている。
てかもう乳幼児ですらねぇし。
未熟児ギリの体重で産まれたから発育が遅いのは覚悟していたが、これほどとは。
最近「僕が一番」に拘るようになり、都合よく乱用したのを反省している。
「お風呂に入るよ」
「嫌だ」
「じゃぁお父ちゃんが一番に入るね」
「やだー僕が一番」
ちょろい
ついつい楽な手を使ってしまう。
ここで彼の意思をないがしろにし無理やり風呂に連れていけばイヤイヤするのかもしれない。
と思って何度かやってみた。
捕まえて無理やり服をひっぱがした。
新しい遊びと勘違いしケラケラ笑いながらフルチンで逃げ回ってるだけで効果無かった。
寝かしつけもいつまでもぐちゃぐちゃ話が終わらない。
「かくれんぼしよう、毛布をかけろ」
だの
「ずるっこじゃんけんをしよう」
最後は「じゃぁパパと僕で2人で勝つやつね」とアイコの手をだしてくれるのが日課、しかし絶対に勝たせてはくれない。
だの
「木曜日だ」
アホみたいな会話が延々と続く
ママが「いい加減に寝なさい」と怒る。
仕方がないので
「やだ、僕が一番がいい」
「じゃぁ目をつぶっておしゃべりやめなさい」
寝る、ちょろい、ちょろすぎる
はやくイヤイヤしてくれと焦る俺。
在宅勤務二年、幼稚園から帰宅し1,2時間絶叫してたのがここ一ヶ月パタリと止まった。
三時に上司に検温メールしなければならず時報代わりに使っていたのに、困る。
もしやウザくなって消したのではなかろうかと案じていたら笑い声が聞こえるようになった。
反抗期が終わったのだろう。
いいなぁ
ともかく、ウチは反抗期どころかイヤイヤ期もまだだからこの先どうなるのか。
しかし著名な心理学者によると障害を抱えているからといって他の子供と比べてはいけませんと書いてあるので比べないようにしている。
一歳半検診には連れて行ったがあまりにアホらしい内容で唖然としていたら翌日ノロゲロ。
間違いなく検診会場で食らった。
まぁノロはいずれ感染して免疫獲得しなきゃしょうがないからさっさとかかってくれるのは良いのだが。
検診内容がチープすぎる、子供のあやし方とか、どーでもいいわ。17,8のママじゃあるまいし。
誰がこんな可愛い我が子を虐待できましょうか。ありえないので結構です。
ともかく自閉症スペクトラムのチェックもほぼすべてひっかかる我が子でありこれは運命だから仕方がない。
ひらがなを教えているが飲み込みが早いのでウチの子天才だと思っていたら
ひらがなを読めているのではないのだ。
電車図鑑のページのひらがなは読める(ように見える)のに、単独ひらがなだけ見せてもまったく読めない。
絵本を音読していたのでひらがな読んでるのかと思ったら何度も読み聞かせしてるから音で覚えているだけだった。
試しに「なんでも好きなひらがなを書いてみ」と紙とペンを渡したら
ドヤ顔で「い」を書いた
次に「へ」を書いて「カシオペアのか!」
面白いのでもう一つ書かせたら、「し」
うん、あってる、わかってないだろうけど。
先日地下鉄に乗った時にヤバと思いつつもバカだから気がつくまいと思っていたらパンタグラフが無いと騒ぎ出した。
どこみてんだよ。
「地下鉄はトンネル断面を小さく、掘削コストを下げるため架線ではなく第三軌条と呼ばれる導体から受電するのです、だからパンタグラフはありません」
パンタグラフが無いと騒いでいる。実に鬱陶しい。
さらには「先日阪急で恵美須町に行った時は地下鉄なのにパンタグラフあったではないか」と。
そんなどうでもいいことは覚えんでよろしい。
「あれは相互乗り入れでパンタグラフの阪急が走れるように仕方なく架線もあるのだ、
たぶん掘削コストは余分に40億円くらいかかってるんじゃないかな、しらんけど」と説明しておいた。
京都鉄道博物館にボタンでパンタグラフを上下させるアクティビティがあるのだが30分やってる。
それが正常な子供だろう。あのコ達は正常な時期にイヤイヤ期もあったに違いない。うらやましい。
パンタグラフを上下させるためだけにJR新快速(大好き)で京都まで連れて行かされる。
誰だよこんなもん教えたの、俺だ。
息子の入館料は年パスでタダだが俺の分は980円取られる。俺電車になんの興味もないのに。
パンタグラフ上下作業に満足したらバス(バスもちょい好き)で四条大宮まで移動し嵐電に乗り(路面電車にも目がない)
車折神社で降り(嵐山まで乗らないのが通)散歩しつつ、渡月橋を渡り、
なんやかや4000円はかかってる、近所の公園で遊べばタダなのに、実に浪費。
鉄道模型のレンタルレイアウトに連れていくと阪急電車(Nゲージ、12800円)のパンタグラフを指で上げ下げしている。
いや、走らせようよ、それ家でもできるじゃん。
触りすぎて4つあるパンタグラフの3つが無くなった。
残り一つになり、己の愚行で3つ無くなったのを自覚しているようで慎重に触るようになった。
いや、触るなよ。アホなのか。
最後の一つが無くなったらどんな反応になるか楽しみ。
残り2つになったとき、息子と日本橋専門店まで交換パーツを探しに行った。
Amazonでも良いのだが物を壊したり無くした結果のOJT。
販売スタッフに聞いたところ互換性のあるパーツは無い、メーカー在庫も無いのだそうだ。
しかしどうせ最後の一つも壊すの目に見えており、ギャーギャー騒ぐであろうから
既に似たようなパンタグラフは購入済みで取り付ける算段もついている。
最後の一つが壊れ、泣き崩れていると、颯爽と修理するパパ、
流石父上、お父様、羨望を浴びる。くくく
はよ壊せ。
で、唯一イヤイヤし泣き叫ぶのがこのレンタルレイアウトから連れて帰る時だけ。
時間だから帰ると指示すると笑顔一転ブチギレモードで泣き叫ぶ。
毎度毎度「時間なのに帰るのイヤイヤしてゴメンナサイ」と反省を述べるが
翌週にはまたブチ切れる。
店にご迷惑であり、出禁食らわないように各地をローテしているが。
これだけは半年改善せず、イヤイヤの素質が無いわけではないのだ。
これではイヤイヤ期ではなくただ鉄道がチョー好きな子供ではないか。
これを食べなきゃ眠れないよねー、みたいな。
俺は小学校3年で田舎から大都会大阪に転校し方言で虐められたおかげでひねくれた人間に育ったので息子にも同じ思いをして欲しい。他意はない。
「ポップルコーンってなんだよ、だせぇな、ポップコーンだろ、バーカ」
みたいなシーンを想像すると笑える。
そして
「なんで俺はアホなお父ちゃんに育てられてしまったのだろう、ウチは世界一不幸な男の子や」
みたいな。笑える。
この程度の楽しみは子育てのオプションとして享受してよかろう。
ともかくポップルコーンを作らされる。
一人は恥ずかしいとモジモジしている、一緒に踊ってやる、意味がわからん。
ポップコーンは百均で豆を買ってくれば山盛り作っても原価10円ほどであり
業スー最高級オリーブオイルを使うが、20円もかかってないだろう。
こんなもんで満足してくれるのだから安上がりでちょろすぎる。
俺の山盛りの皿を見て「パパの方が多い」とクレーム。
「当たり前でしょ?体の大きさが違うでしょ。でも愛してるから三個分けてあげるから1個頂戴」
1個くれる。かわいいなぁ
もう一つ頂戴と頼んだら「イヤー」と断られた。
どのみち自分の分を食い終わったら俺の皿を襲撃するのだから同じだろうに。
さすがにいつもキュウリでは可哀想だ、もうすぐ4歳になるのだからイクラを食わせてもよかろう。
試しに3粒ほど食わせてみた。
なんじゃこりゃ、みたいな満面の笑顔になり
「口中へ赤玉投入せよ」みたいな顔で口をぽかーんと開けている
金魚みたいで可愛いと思った、全部食われて軍艦だけ残った、俺が食わされた。
ともかくちっともイヤイヤ期してくれない、どーすんの。
とうちゃん挫けそう