「狂気」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 狂気とは

2025-02-16

anond:20250215204922

趣味に逃げることによって一時的に緩和できます

40過ぎて物理的に見込みがなくなってくると段々と狂気を帯び始めて最終的にインターネット怪物になります

2025-02-15

anond:20250214212724

40歳超えると自然妊娠難しいのに

婚活市場には40超えで子供ほしいという狂気女性

溢れかえっている始末

anond:20200309224106

性のダークツーリズムが照らす、善意という名の排泄路。

普通』を演じる社会嘔吐した狂気を、風俗は清掃人として黙々と処理している。

結露の部屋』も『尿嗜好』も、実は秩序が生んだ正統な末裔だ。

聖域を守るためのルールが、逆説的に背徳デザイン精巧化させる。

清潔を強要する社会ほど、その影で汚物生殖する。

風俗嬢とは、民主主義が密かに飼う掃除機であり、

客の奇形は、我々全員が共有する『普通という病』の病理報告書だ。

2025-02-13

ロジックや納得だけではない

感覚感情に訴えかけ、存在を許してしまもの

そういうゆるふわ狂気をこの世に生み出したい

anond:20170624175508

資本主義神殿奉仕する聖女たち」

低賃金高リスク労働信仰昇華させるピンサロ嬢の狂気こそ、現代労働倫理の極点だ。顧客の性欲ではなく資本搾取構造献身する姿は、マルクスが予見し得なかった「被虐快楽」の完成形である彼女たちが「好きだから」と呟く時、我々はネオリベラリズム労働者を完全に飼い慣らした瞬間を目撃している。倒錯美徳で自らの鎖を美化する奴隷こそ、支配者にとって最高の資産なのだ

anond:20140103224112

防犯マニュアルを書く犯罪者。その矛盾社会の喉笛を締める。自己防衛幻想は彼らの最高の餌箱だ。ルールを守る善良が生む隙間を、狂気は静かに舐め続ける。

2025-02-12

1ST KISSを見たが、やっぱり坂元裕二×松たか子は男女逆にするとキツイ

『1ST KISS』見た。「また女さんのための夢物語か」と思った。

坂元裕二×松たか子作品複数あるが、俺が見たのは「カルテット」「大豆田とわ子と三人の元夫」そして「1ST KISS」。

「1ST KISS」は大絶賛だったが…待て待て。男女逆だったらキツくないか

40代になり、険悪ムードの妻と自分タイムスリップして20代の妻と出会い、再び妻からの猛アタックで恋に落ちる…!

ライバルは若くてイケメン目黒蓮だけど(実際は吉岡里帆)、40代の俺の方がなんかイイらしくてさ〜。困っちゃうよね〜。

って話。

ちなみに「カルテット」は、偶然であって軽井沢で男女2人ずつで過ごすことになったんだけどさ、なんか年下ギャルがさ、俺のコト好きになっちゃって?いや俺は全然興味ないんだけどさ。

しろ、もう一人若くてイケメンがいて、そいつは年下ギャルのこと好きだからそことくっつけばいいのに〜と思ってんだけどね。ちなみにイケメンと俺も仲いいよ。

って話だし、

大豆田とわ子と三人の元夫」は、3回結婚してたんだけどね。いまだに全員俺のことが好きでさ(笑)っていう話です。

松たか子から違和感がないのか?坂元裕二の素晴らしいセリフが聞ければ設定とかどうでもいいのか?

ちなみに、吉岡里帆が毎回、狂気をまとった人間味のない巨乳美女なところも、あんまり好きではない。

今回に至っては、お前、何しに来たんだよ。ちょうどいいタイミングすぎるだろ。

あれ、これってもしかして、女版村上春樹なのかな?

anond:20171207223625

底辺で生きる覚悟を決めた男が、妄想真実か定かでない物語に引き込まれていく。これは現代アリス絵本だと思う。ただし、ここでの「不思議の国」は、ストロングゼロという魔法の水を媒介に展開される、絶望狂気ディストピア

この物語は、社会の周縁に追いやられた者たちの「救済」の在り方を、実に皮肉な形で描き出してる。救いを求める彼らに差し出されるのは、現実逃避という甘美な毒薬しかない。しかし、それすらもが偽物かもしれないという重層的な欺瞞こそが、この物語深い闇象徴してる。

2025-02-10

35歳で、45歳で狂う?

上等だよ

社会は俺を受け入れなかったり、蔑んだ

なら狂った所で最早何も変わらんだろう

発狂を楽しむよ俺は、極彩色の服着て意味不明なことを言うようになろう

別に事件を起こすわけじゃないよ、ただ狂うだけ、ギャグ漫画住民になるんだよ

後が無く、先も無い、でも死にたくもない、なら狂ったままで生きてやるよ

罪を犯さず、それでも狂気を抱いて好きに生きる

生きてることが罪と言うならまぁ、俺は生まれながらの犯罪者ってことで…生存罪って罪でも作って俺を裁けばいいんじゃない

anond:20250210091515

アメリカって日本人資産凍結とかも平気でやるようなお国柄なのにオルカンやS&Pのアメリカ比率の高さは狂気の沙汰だと思うんだよなあ

2025-02-09

定型発達は推し活の夢を見るか?

オタク文化一般人に広がったことで、かつてオタクと呼ばれた層は陰キャだのチー牛だのと言われより本質的差別されているとはよく言われる。

かにかつてのオタク文化というのは社会に馴染めない人間のものであり、正直かなり狂気的と言うか、発達障害的な傾向があった。

異常な収集癖であったり、独特の言語感覚であったり、そういった特性発達障害のそれと多くの部分が符合する。

改めて強調しておくと、発達障害は知能の程度とは関係がないので、むしろ常人より部分的に、あるいは全てにおいて高い知能を持つ発達障害も多い。

そしてかつてのオタク層はそういった人物が多かったように思う。

オタク文化一般的になったのは、もしかしたらそんな"英雄的"オタク像への憧れもあるのかもしれない。

ネットの普及で国境年代をまたぎ様々な異文化が飛び交い、普通がなにかわからない世の中で、多くの人々が発達障害者と同様の戸惑いを覚える場面は多い。

そんな世界において脇目も振らず一点特化型の生き方をしていたかつてのオタクは、精神サバイブのための一つのロールモデルとなっているフシがある。

しか定型発達者はひたすら自分の思うように振る舞う彼らと違って、社会的に共通認識化した型にハマらないと不安を覚える。

そのために生まれたのが「推し活」という枠ではないだろうか。

推し活は対象こそ千差万別だが、その手法はおおむね現場ライブなど)に行く、グッズを買う、SNS感想を言うというパターンである

推しに一点特化しつつも、みんなと同じという安心感を覚えられる場が整えられているのだ。

そうやって健全ものになったオタク文化から浮いているのが陰キャやチー牛なわけだが、

しかすると更に未来では陰キャチー牛文化なるものに憧れがもたれる時代も来るのかもしれない。

アメリカフェミニストの間で男児堕胎することを目的妊娠するのがブームになっている

アメリカフェミニストの間で、男児堕胎することを目的妊娠するというムーブメントが広がっているらしい。少なくとも、そういう話を耳にする機会が増えた。

俺は在米歴十年になる日本人で、仕事関係西海岸に住んでいる。こっちのフェミニスト界隈の動向にはそれなりに明るいつもりだが、最初にその話を聞いたときはさすがに冗談だと思った。しかし、調べてみると、どうも単なるネット上のネタでは済まされないようだった。

発端は昨年の春頃、フェミニズム系のフォーラムSNSで「リプロダクティブ・ジャスティス生殖正義)」を強調する投稿が増え始めたことだった。女性自由子供を産み、育てる権利を持つのは当然として、「産まない権利」も同等に尊重されるべきだ、という議論過熱し、その一環として「男児妊娠を避ける」という主張が出てきた。もともとフェミニズムの潮流の一部には、父権制に苦しめられてきた歴史を踏まえ、女性中心の社会を目指すべきだという考え方があったが、それが極端に先鋭化した結果、「男児を産まないことが女性解放に繋がる」という論調が生まれたらしい。

初めは「男児妊娠したら中絶するのは個人自由だ」という話だったが、やがて「積極的妊娠し、男児だった場合堕胎することで、社会に対してメッセージを発信する」という考え方が一部の活動家の間で支持され始めた。特にカリフォルニアニューヨークの急進的なフェミニストグループの中で、このムーブメントは静かに広がりを見せた。

彼女たちは「ボディ・オートノミー身体自己決定権)」を根拠に、「女性には子供を産む・産まないを選ぶ権利があるのだから男児を産まない選択も正当だ」と主張する。その論理帰結として、一部の過激活動家が「フェミニストとしての意思表示」として妊娠をし、男児だった場合にの堕胎することを行動に移し始めたらしい。

とあるオンラインフォーラムでは、実際にそれを実行した女性たちの体験談投稿されている。「私は今までに二回妊娠し、どちらも男児だったので堕胎した」「社会を変えるためにできることをやっている」「これは復讐ではなく、正義のため」そんな言葉が並ぶ。

もちろん、これに対する反発も大きい。中絶反対派の保守系メディアはこれを「狂気の沙汰」として取り上げ、SNS上でも激しい議論が巻き起こっている。しかし、驚くべきことに、一部のリベラルメディアは「個人選択自由」として擁護する立場を示している。

医学的には、妊娠初期の段階で胎児性別を確定することは難しい。だが、12週以降になれば超音波検査遺伝子検査判別可能になる。彼女たちはその時点で性別確認し、男児だった場合のみ中絶決断するらしい。このため、実際に何人の女性がこの行動を取っているのかは正確には分からない。しかし、「実践した」と公言する者が複数存在する以上、完全なデマとも言い切れないのが現状だ。

このムーブメントが今後どのように展開するのかは分からない。もしかすると、一過性のものとして消えていくのかもしれないし、あるいは、さらに先鋭化した形で続いていくのかもしれない。だが、確かなのは現代フェミニズムがこれほどまでに過激な形で進化しつつあるという事実だ。

自身は、どんな思想であれ個人自由尊重するべきだと考えている。だが、「男児堕胎することで社会を変える」という発想が、果たして本当に女性のためになるのか。それを考えたとき、どうしても違和感を拭いきれない。

いずれにせよ、アメリカという国は、時に想像斜め上を行く社会運動が生まれ場所だ。この話もまた、そんな奇妙な時代の一断面なのかもしれない。

2025-02-08

anond:20250207222929

トランスアライ達から女性への「子宮がある人」呼びに反発しただけで、差別主義者のレッテル貼られた、JKローリングさんのツイート貼っておく。

https://x.com/jk_rowling/status/1887472120541679690?t=r2ebMc3yqS5QW_ZcktU7Tw&s=19

ジェンダーイデオロギーは、言論の自由科学真実同性愛者の権利女性少女安全プライバシー尊厳を損なってきた。また、弱い立場にある子どもたちに回復不能身体ダメージを与えてきた。

誰も賛成票を投じておらず、大多数の人が反対しているにもかかわらず、政治家医療機関、学界、メディアの一部、有名人さらには警察によって、上から下まで強制されている。活動家たちは、敢えて反対する者に対して脅迫暴力を振るってきた。疑問を呈した人々は名誉を傷つけられ、差別されてきた。仕事が失われ、人生台無しになった。すべては、セックス現実であり、重要であると知った罪のためだ。

煙が晴れれば、一部の非常に弱い立場の人々が被害を受けたという事実にもかかわらず、これはいわゆる弱い立場の少数派に関することではなかったことが明白になるだろう。私たち社会根底にある力関係は、解体されたのではなく、強化されたのだ。この大失態全体を通じて最も大きな声を上げてきたのは、富や地位によって結果から隔離された人々だ。

彼らは、自分名前をドロレスと名乗ることにした身長6フィート4インチ強姦犯と同じ独房に閉じ込められることはなさそうだ。彼らは、国が資金提供する強姦被害者支援センター必要としていないし、繁華街更衣室に頻繁に行くこともない。彼らは、女子シャワー室でペニスが揺れることを嫌がる、意地悪な極右偏見を持つ人々について、トークショーソファでニヤニヤしながら、自分たちのプライベートプールがこれまで通り安全場所であることに安心している。

ジェンダー アイデンティティイデオロギーから最も恩恵を受けているのは、トランスジェンダーかどうかにかかわらず男性です。

中には、女装趣味があることで、これまで女性専用だったすべての場所へのアクセスを与えられた人もいます。また、新たな被害者という魅力的な立場を、女性脅迫暴行嫌がらせする口実に利用した人もいますトランスジェンダーではない左翼男性たちは、女性少女ニーズ嘲笑し、冷笑することで、自分たちの非の打ちどころのない進歩的資質を誇示する素晴らしいプラットフォームを見つけ、自分たちにはない権利放棄したと自画自賛しています

この混乱の実際の被害者は、女性子供特に最も弱い立場の人々、運動抵抗して恐ろしい代償を払った同性愛者、そして代名詞を一つ間違えただけで中傷されたり建設的に解雇されたりする環境で働く一般の人々です。これはごく少数派の話だなどと言わないでください。この運動社会悲惨な影響を与えており、もしあなたに少しでも分別があるなら、活動家マントラ、人身攻撃、誤った同等性、循環論法痕跡をすべてXフィードからかに削除するでしょう。なぜなら、あなたは常にこの狂気を見抜いていたし、一瞬たりとも信じたことはなかったと偽りたくなる日が急速に近づいているからです。

anond:20250207112927

はへー 読んでみたけど全然作者の意図作品表現したいものが読みとれなくて困惑したんだが

抽象化したストーリー

「かたちのない不安

希死念慮に関する「抽象的なほの暗さ」とか)

表現してるのか

普通一般人が持ってるうっすらした狂気(凶気)(厨二風)

(私ナイフ持ってるんだよ?

(うるせえな犯すぞマンコ)

突発的に事故って死ぬ儚さ?とか?

そう言うのしか読み取れんかったわい

タイトルが悪くねえかい

不安のシード」とか「死念」にしてくれたら

多分読み取れたと思うんだよね

「どこが可食部なのかわからない料理」を出された感じに近い

2025-02-06

anond:20150129020834

荒らしの生態観察記が皮肉にもネット社会教科書昇華無視を説きつつ自らは炎上イラーの薪割り人夫となる矛盾こそ人間賛歌。自治厨善意暴走列車に轢かれぬよう、天然狂気アートに倣い虚無と踊れ。エンガチョした指先で描く現代黙示録

2025-02-04

anond:20250204215925

主張が強烈な人だし、年齢が年齢だからマッカーシズムみたいな時代狂気扱いで終わる可能性もあるよねー

いい加減昭和昭和いうのやめない?

昭和生まれおっさんから思うのだろうけど、最近昭和擦りいい加減にやめられんかね…

そうだなあと思う部分もありつつ、雑な論理展開だなと思うことも半々くらい感じる

 

昭和」の悪習~…というけど、平成期の風習と誤解されてることが多い

昭和時代人間が作った悪習だから平成期にも受け継がれてるっていうのはそうなんだけど、昭和期の悪習として紹介されるものの中に平成期の話が混入してることが多い。

特に経済事案系だけど、(たまたまとはいえ昭和の終盤は基本的好景気で終わったので、不景気に伴う悪習はほとんど平成のもの

 

昭和」という時代の長さは、ひとくくりに語れない

語るまでもないと思うけど、一応念のため…。今語られる昭和性って、昭和最後15年くらいで平和時代固定化された世相のみを切り取ってるような気がする

昭和1年~:1926年 普通選挙になったり、治安維持法思想統制されていたころ…。この数年前までは一定納税が無いと選挙権すらなかった

昭和20年~:1945年 言わずと知れた敗戦写真で見るような焼野原。裁判官闇市場コメ拒否して餓死したり。

昭和30年~:1955年 「もはや戦後ではない」あの戦争から10年で立ち上がる…失われた30年とか言ってる今のスピード感と違う

昭和45年~:1970年 安保闘争学生運動を経て左派が威勢良かった時代最後あたり。この後京浜安保闘争とかあさま山荘過激路線につながる。

昭和60年~:1985年 プラザ合意経て地価高騰、バブル景気の始まり。「24時間戦えますか?」ってTVCMで問いかけられたり。昭和天皇の崩去に近いころは、天気予報のように毎日昭和帝の脈拍とかがニュースで流れてた

  

その問題は「昭和」という時代性なのか、日本人性なのか

昭和」…というけど、権威への盲従性とか同調圧力って昭和時代性というより、日本人性のような気がする

そこらへんって江戸時代あたりから続いてるような(石門心学とか?)。時代問題として片づけると、本質から目を逸らされることもあると思う

 

  

とはいえ日本人日本全体としては凄く良くなったと思うよ

あの時代に戻りたいか…?と言われたら、あんな野蛮な時代に戻りたいとは思わない

から見たら原始時代みたいな野蛮性や狂気を許してた時代だったと確かに思う

  

anond:20211109021302

「高速代>診療費」の経済的狂気こそ最高の信頼証明ペット医療の闇を逆走するヒーロー乾杯!「救えなかった命」など存在しない、飼い主の人生まで修復したドクターの軌跡に、統計学的謙虚さな不要ですよ。

2025-02-02

理系だけど日本古典文学を割と読んだから語る②

【前】 anond:20250202173933

4~6:源氏物語 角田光代 訳[新訳]

かつて所属していた文学サークルで、先輩が角田光代「菊葉荘の幽霊たち」って作品テーマ読書会を開いた。何事にも投げやりな女性が主役なこの作品が全く好きになれず、その後角田光代という名前を見ても全く手が伸びなかった。今にして思えば、全体的に生きる気力がないというか、適当にその辺の相手何となく交際してしまう感じの、怠惰女性が出てくるのに嫌悪感があったのだろう。理想的な美を探し求めていた大学生の僕には、うまく理解できないキャラクターだった。あるいは、当時女性理想化しすぎていたからかもしれない。理想恋人が、僕と同じように美や最高のクォリティ(なんじゃそりゃ?)を求める存在であると望んでいたのだろう。なんというか、十代の考えそうなことであるしかし、それは後述するように、すべて自己愛だ。それはさておき、「源氏物語」も僕は講談社学術文庫で読んだ。確か、今泉忠義である。再読のときは、角田光代訳でもいいのかも。書き続けられている作家ということは、力があるってことだし。

光源氏恋愛遍歴や、彼を取り巻く女性たちについての思いは昔書いたので省く。僕がこの小説が好きなのは、恋の物語けが理由ではない。もちろん、欲望まみれだった僕は、例えば朧月夜との密通で須磨に流されるというプロット面白く読んだのは事実だ。

けれども、もっと魅力を感じたのは、恋する貴公子光源氏が、だんだん権力を持った嫌なオッサンになっていくのが生々しく表現されていたからだ。己の愛人である女三宮と密通した柏木を睨みつけ、彼を絶望から再起不能に陥れるあたりがリアリティがあって嫌だ(褒めてる)。ふっふっふ、ハーレムを作るイケメンの末路はこんなものよ。

僕が真っ直ぐな目をした青年の目が濁っていく文学を見るのが好きな理由はいくつかあるのだが、彼女浮気されて一時期軽薄なナンパ野郎になり3Pまで経験した旧友や、好きな作品を貶されたせいか強烈なアンチフェミになってしまった友人、それから寝取られ経験からイチャラブ漫画が読めなくなって寝取られ暴力的な物ばかりに手を出している畏友のことが頭にあるからかもしれない。だから田山花袋田舎教師」や、風俗に行って嬢のおっぱいをもんで「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶ志賀直哉暗夜行路」が好きなのである。「暗夜行路」はその後の展開が大事だとは言え。

ところで、繁田信一が「殴り合う貴族たち」の中で、著者は菅原孝標女が「源氏物語」にハマった理由を推測している。それは源氏女性に直接暴力を振るわないからだという(部下たちは「車争い」のシーンで乱闘を演じているとはいえ)。その程度で理想貴公子になれる、当時の倫理はこんなものだったのである

古典には今からすれば受け入れられない行動をとる人々が出てくる。それでも、心動かされるのは、貪・瞋・癡の煩悩から逃げられない人間本質が変わらないからだろう。法律コンプラで縛ってはいても、やりたいことも欲望本質も変わらない。古典現代的な価値観批判するのは大事だが、上から目線で裁きたくはない。聖書によれば人間自分が裁いてきたように裁かれるのである(こんな風に、聖書には結構な頻度でクールセリフが出てくる)。

それに、過去のものが全部ダメだというのなら、例えば殺人者カラヴァッジョ絵画は展示すべきではないし、最終的にはルーブル美術館を爆破しなければならないだろうし、植民地からの富で栄えた都市ICBMでふっ飛ばさねばならない。しかし、他人の作ったもの破壊するのは、「指輪物語」のオークの所業である。悪とは何かを創造できず、捻じ曲げて模倣したり壊したりしかできない連中のことなである。具体的な顔や団体が浮かんでくると思う。

そういえば、去年の大河ドラマは「光る君へ」で、王朝を扱った文学を知っていると典拠がわかってニヤリとするシーンが多々あったが、きちんとは見ていない。理由はいくつかあるが、一つには作家主人公なので作家になりそこなった僕は見ていてつらい。それに、大河ドラマは夜八時の公共放送からしょうがないとはいえ、例えば人を斬って領土を切り取ってナンボの戦国武将平和を唱える違和感があってもともと好きではない(これが現代オタクの言うところの「解釈違い」というやつか)。たぶんこのシリーズを読んでくれている人はもうわかっていると思うけれど、僕は基本的に非常に面倒くさいのである。それに、元々ドラマは五十時間もつきあうほど好きなジャンルではない。逆に、それだけ付き合うことができれば、ドはまりするのだろうと予想はしている。「好き」を測る尺度の一つは、それに対してどれくらいの時間を費やしたかだ。ただし、みんな正座してドラマを見ていないのかもしれない。きっと何となく見ている。作品を素直に楽しむことから自分を遠ざけているのは、完璧主義なのかもしれない。

それこそ紫式部日記に出てきた女官衣装再現は良いと思ったけれどね。元々僕はブラウスという言葉の正確な定義も怪しいほどファッションほとんど興味がないので、該当箇所は読み飛ばししまっていた。

7:枕草子 酒井順子 訳[新訳] 方丈記 高橋源一郎 訳[新訳] 徒然草 内田樹 訳[新訳]

面白エッセイを書くには性格が悪くないといけない。ここでいう「性格が悪い」というのは、もちろん褒め言葉だ。他人が見落としてしまうことにいちいち言いがかりをつけているとか、筆で他者おちょくるのが上手いとか、そんなことを指す。枕草子はこの定義にぴったり当てはまる。言語化できていなかったけれど、「実はみんなそう思ってた」みたいなのも結構ある。

こういうタイプの人は友人に一人欲しい。「香炉峰の雪」(第二百九十九段)は日常漫画台詞をぴったりのタイミング引用したときみたいにめっちゃ盛り上がったと思う。これは全くの推測だが、清少納言って物事をはっきり言うけれど、言い方がカラッとしていて毒のある事を言っても周りの人が思わず笑ってしまう人だったんじゃないだろうか。楽しい思い出話というか、ちょっとドヤ顔しているエピソードもあって楽しい

もちろん第三百十四段の身分の低い人間火災にあったところを笑っているところは弁護できないが、これは時代の制約だろう。それに、「除目に司得ぬ人の家~」(第二十五段)のくだりは当時の公務員の辛さが描かれているので、読んで怒りを覚えた人もいるかもしれない。だから晩年没落したという伝承が生まれたのかも。笑っちゃうのは第三十段説教講師は、顔よき」、つまりイケメンレクチャーすると内容がありがたく聞こえるってこと。あっはっは。チクショー。これは旺文社翻訳で読んだ。ネットで拾ったので番号は間違っているかもしれない。

方丈記政治の乱れと絶え間ない災害で混乱する時代の空気をよく伝えてくれる。ところが、父の高校時代教師は「世間から目を背けた負け組愚痴に過ぎない」とバッサリやっていたそうだ。ひどすぎない? 確かに鴨長明政争に負けたけれど、僕は好きだ。混乱する世の中からある程度距離を取りたいって気持ちはよくわかる。ただ、読んでみると隠遁生活は楽しそうなんだが、どこか悟り切れていないオーラがある。市古貞次校注。

徒然草は前にも書いたが面倒くさいおじさんのエッセイなんだけれど、子どもがいたずらした狛犬を有難がったとか(第二百三十六段)、入口ばかり拝んできて本殿を見ずに帰ってきちゃったとか(第五十二段)、間抜けな人々の話が説教臭い普通に面白い。

それに、「ふざけてバカの真似をしている時点でバカだが、逆に立派な人の行いを真似るのは十分に立派だ」(第八十五段)とか「修行中寝てしまう人は、寝ていないときだけでも頑張ればいい」(第三十九段)とか、励まされる話も多い。近くにいたら面倒くさそうなおじさんだが、その言葉には勇気が出る。これも旺文社翻訳読了

もちろん時代の制約はある。たとえば、珍しい姿の盆栽を育てていた人の話がある。第百五十四段である。ある時に雨宿りで見かけた大勢身体障害者の曲がった身体を見て嫌悪を覚え、帰宅した途端に「俺のコレクションはこういう連中を集めてるようなもんだったんだな」と考えて、植木をすべて捨ててしまう。これなんかはなかなかに弁護できない。個人的には、コレクターが飽きる瞬間の描写として面白いし、当時の病に対する態度がよく分かって興味深いけれど、すべての人がここまでくみ取ってくれるかどうかは疑わしい。

これは全くの余談であるのだが、高校時代模擬試験を受けたとき、ある古典問題文が主張している内容が差別的だということで、問題差し替えてそこだけ再試験になったことがある。確か「私は身体障害があるからこうして人の喜捨で生きていける。かえって幸せだ」と述べる箇所があった。出典は忘れた。

個人的には、例えば中世障害者はどういう扱いを受けていたか解説をしたり議論したりしたら、すごくいい授業になったと思う。周囲では「事なかれ主義」だという批判も聞いた。おそらく、「先述したレベル議論をするのは高校から先の大学以降でやりましょう」ってことなのだろう。もっとも、米国大学ではナボコフロリータ」の精読を基礎教養から外したと聞いたので、大学レベルなのかもしれない。どうも米国はよくわからない。合理主義に見える一方で、いろいろな表現規制の根っこには、建国以来のピューリタニズムの遺風があるのではないか邪推している。

INTERMISSION②

今まで読んできた日本文学についてまとめるのは、一つには我が身を振り返って余計な過去をバッサリと切り捨てたいかである小説家になりたいという妄念を過去のものにしてしまいたいのである。ここで自分が抱えている妄念を文章にしてしまうことで、意図的小説の素材として使う機会を潰したい。書きたいという狂気を鎮めるのである人生で辛かったさまざまな出来事ことでさえ、世間的にはいたってよくあることなのだ。これらについては長くなるし、恥ずかしいので書かない。

小説家として戦うには、いつまでも過去について考え、それを発酵させ、そのうえで自分から離れた普遍性あるものにしないといけない。さらに、時には他人苦痛咀嚼して想像しなければならない。自分妄想は、他人に売りつけるに値するものだろうか?

小説家になる夢はあったが、こんな形でわざわざ嫌なことを思い出して、毎日を過ごすのは絶対に嫌だ。だからここに書き散らして、退路を断ってしまうのである絶対に忘れてやる。連中の名前グーグル検索しないと誓って数年が過ぎた。試みは成功している。あいつらのほうが「オス」として優秀に思えても、無視するに限る。しかし、こうして書くこともまた「創作」であろう。文章を読まれたいという欲望は尽きない。だが、万が一創作活動に舞い戻っても、絶対絶対にぜーったいに自分トラウマには触れないぞ!

このエントリ群を書きながら内面の暗いところまで沈んで行ったら相当にうんざりしてきたので、こういう創作は二度とやるまい。ちなみに、ブログでなく増田で書いているのは、創作活動をやっている/やっていたと公開しているはてなブログでは、こんなひがみや政治意識丸出しの発言をするわけにはいかないかである。また、初稿では倍ぐらい個人的過去出来事愚痴を描いたのだが、本筋から離れるので削った。

そう、忘れてはいけないのだが、このエントリを書いた一番の動機は、古典の名作を紹介したいからだ。これだけの古典現代にまで生き延びて読み継がれている国は稀有だろう。日本という国は、まったく非常に多くの問題を抱えているのだが、先人たちの積み重ねには頭が下がる。自分雑文ちょっとでも興味を持つ人が増えてくれたらとても嬉しい。作者の名前タイトルを授業で覚えるだけよりも、中身を知ってる方が絶対楽しいからね。

ちなみに、これはタイ王国をディスっているわけではないのだが、プラープダー・ユンパンダ」の解説で、タイでは(純文学系の?)小説初版部数は一千から二千冊程度で(タイ人口は七千万弱)、娯楽小説ばかりが売れているそうである。娯楽小説に罪はないし、むしろ好きなのだが、人間の心の基礎研究とでもいうべき純文学はある程度の人数に読み継がれていってほしい。

あとは、自分の好きなことについて語るのが単純に楽しいからだ。何が好きで何が嫌いかを明確にしていくことで、次にどこに向かって進めがばいいのかがわかってくる。次に何を読めばいいのか、自分本音では何を求めているのか、だんだんと明らかになってくる。

2025-02-01

正気を保ちながら政治に関心を持つのが難しくなってきている

最近は左も右も政治世界がどんどん狂気に満ちてきていて

心の安寧を保つのに「SNS絶ち」ならぬ「政治絶ち」が必要になってきている気がする

少し前までならネット遮断すればまだ正気を保てたが

最近ネットの外にまで狂気侵食してきて

もう政治に関する情報意図的無視するしか正気を保つ方法がなくなってきてる

とはいえ有権者として選挙に行かないわけにはいかないので情報集めはしなければならないが

それを利用して狂気世界に引きずり込もうとする輩が跋扈するようになってしまった

どうすりゃいいんだろうね

2025-01-30

Netflix】イン・ザ・トール・グラス -狂気迷路-

ホラー映画見慣れてる人からしたら「なんかこのカス作品!」ってなるのかもしれんがホラー映画普段見ない己的には「平日の夜に流すにはいいんじゃないでしょうか」ってなった

・先が見えず同じような草原が続くってこええよな!今求職活動中だからか己の「先が未確定な不安・心細さ」を投影してそこそこ楽しめた

まさかループものだと思えず「ええやん!」ってなった延々と続くってことはエブリシングエブリウェアオールアットワンスなんすよな…そりゃループも起こり得るよな…

男性性へのdisも大きなテーマの一つなんだろうけどインセストニキはどういうテーマ意味を担わせたかったのか解らん…

・終盤、草が根っこ土から出して普通に足みたく使ってて草

・夏空の下での教会〜道〜草の壁の画、なんかジョジョ感あってよかった

作品を完成させるのがすごい!

・この映画、作られてたのが最近だったら一部AI使った?ってなったろう

2025-01-29

充電中毒言い訳大会Apple Watch信者の苦しい自己正当化が止まらない

https://anond.hatelabo.jp/20250128154514

Apple Watchをありがたがっている奴らは、一体何を考えているのか。60,000円も払って、毎日充電しなければ動かない「欠陥品」を有難がるとか、もはやカルトの域に達している。時計の本分は「いつでも時間確認できること」だ。それが、充電を忘れたらただの金属の塊になるような代物を、なぜそんなに持ち上げるのか?

カシオ腕時計なら1,500円で5~7年バッテリー交換不要時間を知りたければ腕を上げるだけで済む。それに対してApple Watchは、「バッテリーの持ちが…」「健康管理が…」「iPhone連携が…」と苦しい言い訳を並べ立てるしかない。だが、それらの言い訳はことごとく破綻している。

バッテリーは18時間しか持たない」は嘘!→いや、それ以前の問題

信者たちは「18時間というのは理論値で、実際にはもっと持つ!」と必死擁護するが、根本的に論点がズレている。カシオ腕時計をつけている人間は、バッテリー残量なんて考えもしない。なぜなら、そんなことを気にする必要がないからだ。

「思ったよりバッテリーが持つ」などと誤魔化しても、Apple Watch毎日充電しなければならない時点で論外。うっかり充電を忘れたら、翌日には腕にゴミを巻いていることになる。時計としての最低限の機能すら満たしていないものに60,000円払うのは、もはや狂気の沙汰である

「入浴中やデスクワーク中に充電すればいい」→充電が必要な時点でゴミ

毎日の充電なんて大した手間じゃない」「入浴中に充電すれば問題ない」と信者たちは言う。だが、そもそも充電を意識しなければならない時点で、時計として終わっている。

カシオ時計をつけている人間は、朝起きて腕を見れば時間がわかる。Apple Watchユーザーは、まず「昨日ちゃんと充電したか?」を確認しなければならない。この時点で、Apple Watchは「時計」ではなく「毎日世話をしないといけない電子ペット」になっている。そんな手間のかかる時計をありがたがるとか、もはや時計概念破壊する行為しかない。

健康管理に役立つ!」→そんなの求めてねえよ

Apple Watch健康管理機能があるから、単なる時計ではない!」とドヤ顔で語る者がいるが、時計にそんな機能を求めている人間がどれだけいるのか?

本気で健康管理したいなら、Apple Watchよりも精度の高い専用の医療機器を使うべきだろう。心拍数を測りたい? 数千円で買えるフィットネスラッカーのほうがコスパがいい。転倒検知が必要? そんなに転ぶなら病院行け。

結局、健康機能をありがたがっているのは「機能があるから何となく便利そう」という薄っぺら思考人間だけだ。大半のApple Watchユーザーは、「今日は○○歩歩きました!」とSNS投稿するくらいで、結局のところ自己満足オモチャしかなっていない。

iPhone連携が便利!」→それ、スマホ見れば済む話じゃね?

Apple WatchiPhone連携して、通知を手首で確認できる!」とかいう謎の利点を挙げる者がいるが、そもそもスマホポケットカバンに入っているなら、それを取り出せば済む話では?

ポケットに手を突っ込む動作を省くために60,000円払うとか、冷静に考えればバカバカしすぎる。しかも、その通知機能も結局はiPhoneがないと成り立たないわけで、つまりApple Watch単体では何もできない。カシオ腕時計は単体で100%の性能を発揮するが、Apple WatchiPhoneがなければ半分の価値もない。

60,000円の時計が「スマホアクセサリー」としてしか機能しない時点で、完全に負けている。

デザインが良くて高級感がある!」→数年後にはゴミ確定

Apple Watchデザインが洗練されていて高級感がある!」と誇らしげに語る奴もいるが、その「高級品」も数年で型落ちになり、買い替えを迫られる。

機械時計なら何十年も使えるし、ブランド時計なら資産価値もある。でも、Apple Watchは毎年のように新型が出て、古いモデルはあっという間に「過去遺物」と化す。数年で買い替えが必要ものを「高級品」と呼ぶのは、さすがに無理があるだろう。

しかバッテリー劣化したら交換も容易ではなく、新モデルを買う羽目になる。つまりApple Watchは「短期間で買い替えが必要消耗品」に過ぎない。そんなものに60,000円払うのは、ただの浪費でしかない。



結局のところ、Apple Watch信者言い訳は、すべて「不便を受け入れるための自己暗示」に過ぎない。

本当に価値がある時計とは、充電を気にせず、腕を上げるだけで時間がわかるものだ。その点で、Apple Watchは圧倒的に劣っている。充電を怠ればただの文鎮と化す時点で、時計としての最低限の条件すら満たしていない。

一方、カシオ腕時計は1,500円で5年以上持ち、時間を見るという本来役割完璧に果たす。Apple Watch信者は、毎日充電の手間を増やしながら「自分最先端ライフスタイルを送っている」と勘違いしているが、実態は「金を払って不便を買っている」だけの哀れな存在だ。

60,000円でApple Watchを買う奴は、「最も無駄な金の使い方をしている愚か者である

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
pFad - Phonifier reborn

Pfad - The Proxy pFad of © 2024 Garber Painting. All rights reserved.

Note: This service is not intended for secure transactions such as banking, social media, email, or purchasing. Use at your own risk. We assume no liability whatsoever for broken pages.


Alternative Proxies:

Alternative Proxy

pFad Proxy

pFad v3 Proxy

pFad v4 Proxy