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2025-02-06

ボリュゾ未満帯の中受沼親に送るエール

タイトル意味が分かる人、良ければ雑文に付き合っていただきたい。

 

~~~~~

中学受験が終わった。

うちの娘は1年前に私立見学をはじめ、娘が行きたいと言った2校に絞って受けた。

グレーの画面、不合格スタートだったものの、最終的にはどちらから合格をもらえ、

親としても第一志望校にルンルンで入学手続きを行った。

 

娘の中受偏差値は40台、いわゆるボリュームゾーンにも届かないボリュゾ未満帯だ。

それでも中学受験を目指したのには明確な理由があるのだが、それは割愛する。

ここでは2026年以降にボリュゾ未満帯を目指す沼親さん達へ、

私の親としての経験対策が参考になればと記しておこうと思う。

 

なお、「どこでもいいか私立にいきたい」という方にはこの記事は一切刺さらない内容である

うちは足を運んで見学し、親子で納得した学校ピックアップして受験校を選んだ。

基本は子ども気持ち尊重したが、この学校のここ無理かも…みたいなところは、

娘に微妙情報を出してちょっとだけ子ども気持ちコントロールし、受験校を決めた。

熱望校があるボリュゾ未満帯の沼親さんだけ、

「へー、こんな例もあったんだ」くらいの参考程度に、以下読み進めてほしい。

 

~~~~~

【その1】見学説明会イベントはできるだけ行く

まずは、受験意思がある個人情報提供するところから親の仕事が始まる。

その提供ができるのは、見学説明会などのイベントだ。

学校行事文化祭体育祭)の参加は学校雰囲気をつかむのにはいいが、受験対策にはならないと感じた。

あくま受験対象イベントに行き、その学校受験する意思があることを先方に見せよう。

早い人だと小4から積極的に参加している人もいたようで、

最後説明会で「2年にわたってご参加いただいた方もいました、ありがとうございます」と学校が話していたのを覚えている。

 

【その2】受験する学校をできるだけ絞る

オススメは3校以内。ボリュゾ未満帯の場合は、チャレンジ校枠はないほうがいい。

絞るメリットは、とにかく対策を練りやすいというところだ。

そもそも偏差値で「ボリュゾ未満」とされているんだから、器用にいくつも対応することはできない。

(うちは過去問題集は1校しかわず、もう1校は説明会でもらった問題集ネット情報プリントで済ませた)

絞ることで過去問の傾向もつかみやすく、勉強やすくなったと感じる。

 

【その3】進学塾先生との連携

進学塾私立先生とつながっている。

このため、第一志望を決めたら進学塾にも早めに伝えておくといい。

うちは進学塾からも「第一志望の子がいる」と情報を伝えてもらい、

説明会の回数と塾から情報学校側に自分の子が本気で第一志望である

答え合わせをするような感じだ。

 

【その4】個別相談活用

その1に加え、個別相談はできるだけ行き、第一志望であることをさら学校側にアピールした。

特に12月1月に設定された入試直前の説明会入試体験のチャンスはフルで活用

n回目の情報もうなずいて聞き、10冊目かもしれないパンフレット笑顔で受け取り、

個別相談ではとりあえず第一志望であることを伝えたうえで、適当質問をする。

うちは第一志望に50%以上の判定がでていなかったので、

ボーダーラインギリギリの点数なのだけどどうやって加点を狙えばいいか、など

受験する意志があること、合格のためにしたほうがいいことなどを聞いた。

 

【その5】過去問過去問過去問、そして目標点の設定

あとは娘ががんばって過去問をずっと解いた。答えを覚えるくらい解いた。

同じ問題は出ないけれど傾向はつかめから数字が入れ替わるだけの問題なんかも出る。

とにかく第一志望の過去問、これは最重要と考えて取り組んだ。

そしてうちの娘には、特待点は狙わずに、とにかくボーダー+10点程度を目指せと話し、

具体的にどの教科で〇点以上、みたいな目標を立てた。

算数では大問題ごとに分類して、計算はいくつ正解、文章題はいくつ正解のような感じの目標にした。

※これは過去問と同じ傾向で出す学校に限るので、入試説明会等で聞いて対策は変更する必要があるかも※

 

【その6】試験日程の組み方

試験日程だが、うちはまず第一志望を日程の軸にした。

まずは第一志望のn回をすべて埋め、そのあとで第二志望の入れるところを入れていった。

娘は第一志望のチャンスがn回ある、と先を見ることができたし、

全日程の出願で、学校にもまた「この子は本気で第一志望なんだ」と伝えることもできたかと思う。

試験回数で受験料金が変わる学校要検討でもいいかもしれないが、少なくとも私が見た範囲都内ボリュゾ未満帯校は

 だいたい一度試験料を払うと全日程出願可だったので、第一志望はフルで登録した※

~~~~~

 

と、長々と書いたのだが、うちはいかにその学校第一志望かを伝えること、態度で示すことに

割と注力したことは読んでお分かりいただけただろう。

ボリュゾ未満帯は学校側としても確保したい生徒の取り合いかなと思ったので、

の子合格を出したら入学するということを言葉と行動で示すことは大事かなと動いた次第である

 

実際、初日には不合格だったのだが、翌日の試験会場で先生から声をかけてもらい、

「昨日の点数はあと少しだったから、最後まであきらめずに受け続けてほしい」という言葉をいただいた。

たくさんの受験者(数十人はいた、100人近かったかもしれない)がいるのに、ピンポイントでうちの娘に個別エールいただき

これで娘は心が折れることな試験を受け続けたので、この第一志望ですアピールはかなり効いたと思われる。

実際、合格の出た試験では、娘が「目標点は絶対超えたと思う」と自信満々に戻ってきたとき

この対策で間違ってなかったと心から思った。

 

また、これは推測なのだが、基本的受験は点数で切られるシビア世界だが、

定員が割れときの繰り上げ合格などのラインは開示されていないので

この第一志望か否かは加点要素になるかもしれないと考えた。

合格ボーダーよりはるかに低ければ箸にも棒にも掛からないだろうが、

ボーダーあと少しの点ならば、もしかしたら繰り上げ連絡のときに引き上げてもらえるかも…なんて。

 

と長くなったが、以上がボリュゾ未満帯の親として行った伴走の記録である

第一志望がいわゆる人気校すぎではなかったこからできたことかもしれないのだが、

伴走としてできることの記録の一つとして、ボリュゾ未満帯の沼親さん達の励みになれば幸いだ。

受験組の皆さんに🌸がたくさん咲くことを願う。

2025-02-02

理系だけど日本古典文学を割と読んだから語る②

【前】 anond:20250202173933

4~6:源氏物語 角田光代 訳[新訳]

かつて所属していた文学サークルで、先輩が角田光代「菊葉荘の幽霊たち」って作品テーマ読書会を開いた。何事にも投げやりな女性が主役なこの作品が全く好きになれず、その後角田光代という名前を見ても全く手が伸びなかった。今にして思えば、全体的に生きる気力がないというか、適当にその辺の相手何となく交際してしまう感じの、怠惰女性が出てくるのに嫌悪感があったのだろう。理想的な美を探し求めていた大学生の僕には、うまく理解できないキャラクターだった。あるいは、当時女性理想化しすぎていたからかもしれない。理想恋人が、僕と同じように美や最高のクォリティ(なんじゃそりゃ?)を求める存在であると望んでいたのだろう。なんというか、十代の考えそうなことであるしかし、それは後述するように、すべて自己愛だ。それはさておき、「源氏物語」も僕は講談社学術文庫で読んだ。確か、今泉忠義である。再読のときは、角田光代訳でもいいのかも。書き続けられている作家ということは、力があるってことだし。

光源氏恋愛遍歴や、彼を取り巻く女性たちについての思いは昔書いたので省く。僕がこの小説が好きなのは、恋の物語けが理由ではない。もちろん、欲望まみれだった僕は、例えば朧月夜との密通で須磨に流されるというプロット面白く読んだのは事実だ。

けれども、もっと魅力を感じたのは、恋する貴公子光源氏が、だんだん権力を持った嫌なオッサンになっていくのが生々しく表現されていたからだ。己の愛人である女三宮と密通した柏木を睨みつけ、彼を絶望から再起不能に陥れるあたりがリアリティがあって嫌だ(褒めてる)。ふっふっふ、ハーレムを作るイケメンの末路はこんなものよ。

僕が真っ直ぐな目をした青年の目が濁っていく文学を見るのが好きな理由はいくつかあるのだが、彼女浮気されて一時期軽薄なナンパ野郎になり3Pまで経験した旧友や、好きな作品を貶されたせいか強烈なアンチフェミになってしまった友人、それから寝取られ経験からイチャラブ漫画が読めなくなって寝取られ暴力的な物ばかりに手を出している畏友のことが頭にあるからかもしれない。だから田山花袋田舎教師」や、風俗に行って嬢のおっぱいをもんで「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶ志賀直哉暗夜行路」が好きなのである。「暗夜行路」はその後の展開が大事だとは言え。

ところで、繁田信一が「殴り合う貴族たち」の中で、著者は菅原孝標女が「源氏物語」にハマった理由を推測している。それは源氏女性に直接暴力を振るわないからだという(部下たちは「車争い」のシーンで乱闘を演じているとはいえ)。その程度で理想貴公子になれる、当時の倫理はこんなものだったのである

古典には今からすれば受け入れられない行動をとる人々が出てくる。それでも、心動かされるのは、貪・瞋・癡の煩悩から逃げられない人間本質が変わらないからだろう。法律コンプラで縛ってはいても、やりたいことも欲望本質も変わらない。古典現代的な価値観批判するのは大事だが、上から目線で裁きたくはない。聖書によれば人間自分が裁いてきたように裁かれるのである(こんな風に、聖書には結構な頻度でクールセリフが出てくる)。

それに、過去のものが全部ダメだというのなら、例えば殺人者カラヴァッジョ絵画は展示すべきではないし、最終的にはルーブル美術館を爆破しなければならないだろうし、植民地からの富で栄えた都市ICBMでふっ飛ばさねばならない。しかし、他人の作ったもの破壊するのは、「指輪物語」のオークの所業である。悪とは何かを創造できず、捻じ曲げて模倣したり壊したりしかできない連中のことなである。具体的な顔や団体が浮かんでくると思う。

そういえば、去年の大河ドラマは「光る君へ」で、王朝を扱った文学を知っていると典拠がわかってニヤリとするシーンが多々あったが、きちんとは見ていない。理由はいくつかあるが、一つには作家主人公なので作家になりそこなった僕は見ていてつらい。それに、大河ドラマは夜八時の公共放送からしょうがないとはいえ、例えば人を斬って領土を切り取ってナンボの戦国武将平和を唱える違和感があってもともと好きではない(これが現代オタクの言うところの「解釈違い」というやつか)。たぶんこのシリーズを読んでくれている人はもうわかっていると思うけれど、僕は基本的に非常に面倒くさいのである。それに、元々ドラマは五十時間もつきあうほど好きなジャンルではない。逆に、それだけ付き合うことができれば、ドはまりするのだろうと予想はしている。「好き」を測る尺度の一つは、それに対してどれくらいの時間を費やしたかだ。ただし、みんな正座してドラマを見ていないのかもしれない。きっと何となく見ている。作品を素直に楽しむことから自分を遠ざけているのは、完璧主義なのかもしれない。

それこそ紫式部日記に出てきた女官衣装再現は良いと思ったけれどね。元々僕はブラウスという言葉の正確な定義も怪しいほどファッションほとんど興味がないので、該当箇所は読み飛ばししまっていた。

7:枕草子 酒井順子 訳[新訳] 方丈記 高橋源一郎 訳[新訳] 徒然草 内田樹 訳[新訳]

面白エッセイを書くには性格が悪くないといけない。ここでいう「性格が悪い」というのは、もちろん褒め言葉だ。他人が見落としてしまうことにいちいち言いがかりをつけているとか、筆で他者おちょくるのが上手いとか、そんなことを指す。枕草子はこの定義にぴったり当てはまる。言語化できていなかったけれど、「実はみんなそう思ってた」みたいなのも結構ある。

こういうタイプの人は友人に一人欲しい。「香炉峰の雪」(第二百九十九段)は日常漫画台詞をぴったりのタイミング引用したときみたいにめっちゃ盛り上がったと思う。これは全くの推測だが、清少納言って物事をはっきり言うけれど、言い方がカラッとしていて毒のある事を言っても周りの人が思わず笑ってしまう人だったんじゃないだろうか。楽しい思い出話というか、ちょっとドヤ顔しているエピソードもあって楽しい

もちろん第三百十四段の身分の低い人間火災にあったところを笑っているところは弁護できないが、これは時代の制約だろう。それに、「除目に司得ぬ人の家~」(第二十五段)のくだりは当時の公務員の辛さが描かれているので、読んで怒りを覚えた人もいるかもしれない。だから晩年没落したという伝承が生まれたのかも。笑っちゃうのは第三十段説教講師は、顔よき」、つまりイケメンレクチャーすると内容がありがたく聞こえるってこと。あっはっは。チクショー。これは旺文社翻訳で読んだ。ネットで拾ったので番号は間違っているかもしれない。

方丈記政治の乱れと絶え間ない災害で混乱する時代の空気をよく伝えてくれる。ところが、父の高校時代教師は「世間から目を背けた負け組愚痴に過ぎない」とバッサリやっていたそうだ。ひどすぎない? 確かに鴨長明政争に負けたけれど、僕は好きだ。混乱する世の中からある程度距離を取りたいって気持ちはよくわかる。ただ、読んでみると隠遁生活は楽しそうなんだが、どこか悟り切れていないオーラがある。市古貞次校注。

徒然草は前にも書いたが面倒くさいおじさんのエッセイなんだけれど、子どもがいたずらした狛犬を有難がったとか(第二百三十六段)、入口ばかり拝んできて本殿を見ずに帰ってきちゃったとか(第五十二段)、間抜けな人々の話が説教臭い普通に面白い。

それに、「ふざけてバカの真似をしている時点でバカだが、逆に立派な人の行いを真似るのは十分に立派だ」(第八十五段)とか「修行中寝てしまう人は、寝ていないときだけでも頑張ればいい」(第三十九段)とか、励まされる話も多い。近くにいたら面倒くさそうなおじさんだが、その言葉には勇気が出る。これも旺文社翻訳読了

もちろん時代の制約はある。たとえば、珍しい姿の盆栽を育てていた人の話がある。第百五十四段である。ある時に雨宿りで見かけた大勢身体障害者の曲がった身体を見て嫌悪を覚え、帰宅した途端に「俺のコレクションはこういう連中を集めてるようなもんだったんだな」と考えて、植木をすべて捨ててしまう。これなんかはなかなかに弁護できない。個人的には、コレクターが飽きる瞬間の描写として面白いし、当時の病に対する態度がよく分かって興味深いけれど、すべての人がここまでくみ取ってくれるかどうかは疑わしい。

これは全くの余談であるのだが、高校時代模擬試験を受けたとき、ある古典問題文が主張している内容が差別的だということで、問題差し替えてそこだけ再試験になったことがある。確か「私は身体障害があるからこうして人の喜捨で生きていける。かえって幸せだ」と述べる箇所があった。出典は忘れた。

個人的には、例えば中世障害者はどういう扱いを受けていたか解説をしたり議論したりしたら、すごくいい授業になったと思う。周囲では「事なかれ主義」だという批判も聞いた。おそらく、「先述したレベル議論をするのは高校から先の大学以降でやりましょう」ってことなのだろう。もっとも、米国大学ではナボコフロリータ」の精読を基礎教養から外したと聞いたので、大学レベルなのかもしれない。どうも米国はよくわからない。合理主義に見える一方で、いろいろな表現規制の根っこには、建国以来のピューリタニズムの遺風があるのではないか邪推している。

INTERMISSION②

今まで読んできた日本文学についてまとめるのは、一つには我が身を振り返って余計な過去をバッサリと切り捨てたいかである小説家になりたいという妄念を過去のものにしてしまいたいのである。ここで自分が抱えている妄念を文章にしてしまうことで、意図的小説の素材として使う機会を潰したい。書きたいという狂気を鎮めるのである人生で辛かったさまざまな出来事ことでさえ、世間的にはいたってよくあることなのだ。これらについては長くなるし、恥ずかしいので書かない。

小説家として戦うには、いつまでも過去について考え、それを発酵させ、そのうえで自分から離れた普遍性あるものにしないといけない。さらに、時には他人苦痛咀嚼して想像しなければならない。自分妄想は、他人に売りつけるに値するものだろうか?

小説家になる夢はあったが、こんな形でわざわざ嫌なことを思い出して、毎日を過ごすのは絶対に嫌だ。だからここに書き散らして、退路を断ってしまうのである絶対に忘れてやる。連中の名前グーグル検索しないと誓って数年が過ぎた。試みは成功している。あいつらのほうが「オス」として優秀に思えても、無視するに限る。しかし、こうして書くこともまた「創作」であろう。文章を読まれたいという欲望は尽きない。だが、万が一創作活動に舞い戻っても、絶対絶対にぜーったいに自分トラウマには触れないぞ!

このエントリ群を書きながら内面の暗いところまで沈んで行ったら相当にうんざりしてきたので、こういう創作は二度とやるまい。ちなみに、ブログでなく増田で書いているのは、創作活動をやっている/やっていたと公開しているはてなブログでは、こんなひがみや政治意識丸出しの発言をするわけにはいかないかである。また、初稿では倍ぐらい個人的過去出来事愚痴を描いたのだが、本筋から離れるので削った。

そう、忘れてはいけないのだが、このエントリを書いた一番の動機は、古典の名作を紹介したいからだ。これだけの古典現代にまで生き延びて読み継がれている国は稀有だろう。日本という国は、まったく非常に多くの問題を抱えているのだが、先人たちの積み重ねには頭が下がる。自分雑文ちょっとでも興味を持つ人が増えてくれたらとても嬉しい。作者の名前タイトルを授業で覚えるだけよりも、中身を知ってる方が絶対楽しいからね。

ちなみに、これはタイ王国をディスっているわけではないのだが、プラープダー・ユンパンダ」の解説で、タイでは(純文学系の?)小説初版部数は一千から二千冊程度で(タイ人口は七千万弱)、娯楽小説ばかりが売れているそうである。娯楽小説に罪はないし、むしろ好きなのだが、人間の心の基礎研究とでもいうべき純文学はある程度の人数に読み継がれていってほしい。

あとは、自分の好きなことについて語るのが単純に楽しいからだ。何が好きで何が嫌いかを明確にしていくことで、次にどこに向かって進めがばいいのかがわかってくる。次に何を読めばいいのか、自分本音では何を求めているのか、だんだんと明らかになってくる。

2024-12-14

anond:20241214163551

絵や小説音楽ゲーム等々の創作活動は好まれてるっぽい

増田への雑文投下はクリエイティブではないと見做されているのでは

2024-11-18

民主主義を虚無に捧げないために――印象批評の試み

 これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。

 

 むしろ市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである

 それでも、虚言や流言罵詈雑言猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である

 

 以下に続く文章は、主語デカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。

 もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである

 この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である

 つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプ当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。

 しかし、メディアネットパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。

 

 尤も、自分最初認識そもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。

 このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。

 選挙結果が出てから兵庫県知事選立花某にハックされたということや、あるいはネット真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNS選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。

 もちろん、我々はアメリカ大統領選ロシアイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジアナティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。

 しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストラシーを実現するのか、リベラル思考をもった等質的市民たちによる思想ゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。

 

 各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通民主主義国家における市民と同じくらいの能力感覚を持ち、それなりに各候補者比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。

 ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道気持ちいから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。

 何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。

 少し前に国民民主党の玉木代表不倫問題が報じられた。不倫責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。

 その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。

 筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちから願い下げである議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。

 どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党政治資金収支報告書記載問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えからまれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベル不見識なのではないか。)。

 

 とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫家族当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取り台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見大勢を占めているのではないか

 そしてこれは、斎藤公益通報制度度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティ相通ずるものがあるのではないか

 もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉問題別にあるということにほかならない。

 このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証であるそもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義要諦なのかもしれない。

 この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。

 だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。

 

  「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」

 大人になってからのび太結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有人間であったと痛感せざるを得ない。

 立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。

 斎藤投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義レジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。

 日々の生活に汲々として自分人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。

 

 この文は、「あの時できなかった」筆者が「次こそは」という気持ちを奮い立たせるために書いたものである

2024-10-21

ギリ社会人、そろそろ限界again

https://anond.hatelabo.jp/20220110111939


25歳男独身サラリーマン

上の記事のその後の顛末と、そこから2年以上過ぎた現状を自分備忘録程度にまとめる。

(注意:雑文、長文)

上の日記を書いたあと、なんとか気持ちを落ち着かせて、担当教員に泣きつきながら、卒論提出にこぎつけた。

ほぼ先輩のコピペだったけど、先生としても最低限の親身な対応はしてくれて、なんとか卒業最低ライン卒論に仕上げられるよう、親身に指導をしてくれた。

2回目の院試だけど、卒論で精一杯だったのと、やっぱり全然勉強に集中できなくて、結局ほぼ1夜漬けで受けて、また落ちた。

受ける2,3日前に、初めて両親に現状について説明した。お金をかけて学校に通わせている子どもがそんな事になっているということで、それなりにショックだったようだけど、

怒られたり、理解できない!と拒絶されたりすることはなく、「大学院行きたいなら応援はするけど、別にいかなくてもいいんじゃない」というスタンスだった。

この対応には、正直すごく救われたし、自分環境に恵まれているんだな、と感謝したのを覚えている。

院試に落ちたのが4年の2月中旬だったが、先生には来年以降就活浪人のような形でやっていこうと思うと相談して、大学就職担当を紹介してもらった。

本当に運が良く、たまたまその年の4月から希望するような国内ニッチ産業大手メーカーに勤務することができた。

今は、そこで働いて3年目。もともと興味があった業界で、やりがいはある仕事なのだが、

・人不足と業務負荷がすごく、家帰るのが23時が当たり前

電波の届かないような場所への出張が年5~6回以上ある

時間拘束の長い業務が多い(24時間寝れない試験などがザラ)

ということで、拾ってもらった御恩はあるものの、また先月ぐらいから鬱再発症してメンタルクリニックでお薬をもらいつつ、過食症気味になりながらも欠勤と遅刻しながらの勤務中である。(テヘペロ

なかなか人生うまくいかないダメダメな感じだが、幸い健康と引き換えに300万弱ぐらい貯金することができたので、

私にはキャパオーバー仕事だったということで休職でもしながら、転職を考えているところである

こういった病気っぽい気質は、一生付き合っていかないといけず、今後もまた苦しむんだろうね。

とはいえ、もう腹をくくるしかないので、死なない程度に人生楽しめればいいなぁ・・・

2024-09-08

ごんぎつね児童侮辱した石井光太。恥じるべきはお前だ。恥を知れ!バカ

「『ごんぎつね』の読めない小学生たち、恐喝認識できない女子生徒……石井光太が語る〈いま学校で起こっている〉国語崩壊惨状」などという雑文がある。石井光太というバカが書いた文章だ。

石井光太は「大きななべのなかで、なにかがぐずぐずにえていました」という一文に対し児童が死んだ母さんを煮ていると珍回答をしたことについて口を極めて罵っている。たしか母親を煮るのはおかしいだろう。それに違和感を覚えた石井は正しいよ。

でもよ。

おまえ、鍋の中で何を煮ているか、わかってんのか。おまえもわかってないだろ。わかってないならお前もお前がバカにした児童と同レベルなんだよ。なにかの煮物を作ってる?そんなわけないだろ。バカかよ。バーカバーカ。

鍋の中でグズグズ煮ているのはあぶらげ(油揚げ)だ。

油揚げを煮ていなり寿司を作ろうとしてるんだ。兵十と兵十のご近所さんいなり寿司を作ろうとしてるの。

いなり寿司とは限らないだ。なにか煮物を作ろうとしてるんじゃないの?」という意見があろうがこれは誤り。

兵十はかあちゃんが死んだら一人暮らし。参列者がそんな家に上がり込んで煮物を食べますか。食べないでしょ。キモいでしょ。兵十。独身中年だぞ。キモすぎてキモすぎるでしょ。独身中年だぞ。

兵十が出すのはいなり寿司以外はありえません。石井児童侮辱し、中年独身男性侮辱してる。最低だ。

ごんぎつねゴンと兵十の重なるようで重ならない想いを描写した児童文学であるが、同時に独身中年男性の悲哀を書いた文学でもあるんだよ。それがわからない石井には文学教育を語る資格はない。

 

お前なんかに人生児童文学を語る資格はない。恥をしれ!

2024-09-03

30代男性、妻から感謝されない生活に疲れてきた

30代男性結婚して10年弱。子供二人(上が小学生、下が幼稚園年中くらい)。

年収X000万円くらい。手取りで言うと月90万円前後ボーナス月は別)。


家計一馬力でやってきた。新居、車、旅行、あらゆる金銭負担自分負担している。全て妻が望むような条件のものを買っている。

女性にとって出産は大変なのでそのくらいは当然のことだろうと思う。


以前から家族カードを渡しており、お互い好きにお金を使えるようにしている。

自分の出費を見せないように邪な考えをもち、お互いの明細が見えない家族カードにしたところ、妻が毎月X0万円前後使うので、ローン等々で自分貯金が増えることはあまりない。

しろ想定外の浪費っぷりに、下手すると毎月赤字になることもある。ここ2年くらいようやく妻がバイトを始めて、おこずかいなどもあげなくなったが、カードの消費は変わらなかった。


普段の買い物は自分が行く、子供の送り迎えも自分だ。毎日ご飯洗濯も、仕事をやりながら、全部自分がやっている。

妻はバイトから帰ってきたら疲れてソファーで横に寝ている。週2-3のバイトで、バイト休みでもご飯が準備されていたことはほぼない。

休みの日もソファーゴロゴロしながら携帯をいじり、お腹がすいた、アレ食べたいこれ食べたいと言われたら、自分子供の迎えのついでにスーパー食材を買って、料理する。

そして、料理をしながら洗濯をしたり、風呂を洗ったり、食器を洗ったりする。

こないだは、自分調理している横で、妻がお腹が減ったといいながら出来上がった料理とハシを自分自身の分だけ準備して食べ始めていた。子供の分も当然用意をしない。


妻は月に数回平日・週末問わず遊びにいく。自分も行くが会社飲み会くらいでそれよりも頻度は低い。妻がいない方がいろんな手間が減ってありがたい。

自分飲み会の日は、さすがに妻が子供のお迎えやご飯をやってくれるので、そこは感謝している。ただ、自分が帰ってきた時に、あらゆる食器が出しっぱなしで、洗濯なども行われていないので、夜中に後始末をしないといけないのがわかっているので、飲み会から帰る気力がでない。それ以外にも、出かけるときや夜寝る前などに出したコップなどは妻はそのままで片付けることもあまりない。


妻は、低血圧で寝起きが悪く、朝子供が騒いでいたり、妻のものをいじったりすると、普通にキレる。

数ヶ月前に、子供昼ごはんを食べさせている途中で、妻が起きてきて切れたので、さすがにそれはいかがなものかと怒り返したら、臍を曲げる。

それからは会話はするが、性行為どころか身体接触すらなくなった。


まあつらつら文句かいたが、そんな細かいことはどうでもいいことだ。そういう相手結婚したのだからそんなものなのだろう。


ただ虚しいのは、ご飯を作って出しても、妻からありがとうと言われないことだ

仕事毎日して、家計100%支えて、(ブランド物とかを好きにかえるわけではないが、)ある程度自由お金を使えて、子供家事を9割くらいやって(もちろん全部完璧ではないが)、

なかなかこんな男は少ないと思っている。

しかし、いつも仕事頑張ってくれてありがとう、とか一度もない。ご飯おいしいありがとう、と言われることもない。

妻が飲んで帰ってくるときお腹ちょっと空いているわーと言われたら、夜食も準備してお風呂も沸かしているが、それに対してありがとうといわれたことすらない。

そして、邪魔からあっちに行ってといわれる。


そして自分はこんな雑文を書いている。ただひとこと、ありがとうと妻から言われたいだけなのに。

2024-08-05

ポジティブ意味で「上澄み」を使うのは誤用なのか

「上澄み」とはもともと、液体中の不純物が下層に沈んだあとの、上層に近い綺麗な部分のことを言う。そこから比喩的に「全体における良い部分」のことを指すようになった。

ところが、そうした用法は近年広まった誤用である、という主張がある。「上澄み」はネガティブ意味で使われるべきだ、というのである


しかし、たとえば酒造や製油などにおいて「上澄みをすくう」のは、多くは底に沈む不純物を除くためであって、不純物を得るほうが目的だということは少ないだろう。その語源を考えれば、「上澄み」をポジティブ意味で捉えるほうが自然だと思うのだが。

実際にどういう使われ方をしてきたのか気になったので、比喩的意味で「上澄み」を使っている古い用例を探してみた。

明治26年 饗庭篁村霜柱

古人の名作 皆な下習いが有る 紫式部源氏物語も 家筋だけに一体能文のうえ 日記も作り 歌の詞書もし 其外文や雑文に筆を練り 学は元より日本記の局と呼るる程までなり 其の上澄が彼の大作となッたのだ

調べたかぎりでは最も古い用例。上澄みが「良い部分」を指している用法だが、文章全体では上澄みを生むための「下習い」の重要性を説く。

明治32年『團團珍聞

アア世間は泥なるかな泥なるかな、吾独り澄めりと云う者も、矢張り泥の中の上澄を吸うの人なるのみ

上澄み自体は「良い部分」を指すが、文意としては「綺麗な上澄みも所詮は泥の一部にすぎない」といったところ。

明治39年 虚心窟主人『酔醒禅』

偽善は泥水の上澄の如し酌むべからず、移すべからず、忽ち濁ればなり。

同じく泥と上澄みに喩えた用法

明治39年 エレンケイ二十世紀児童世界

然るに学期を分ち、試験を行い、小刀細工に類する形式的堀割を通して、之を流し込もうとすれば、肝腎な熱流の熱が失せ、有益なる含有物は途中に沈殿してしまって、児童の頭に這入るものは、ただ水のような上澄ばかりとなる。

翻訳書。上澄みよりも沈殿物のほうが有益だというので、明確に上澄みを「悪い部分」としている用法である

明治39年『新仏教

常時百余名という寄宿制も、実は変らぬところは六七十人の堕落書生で、濁った水の上澄を酌むように、余の三四十人は、毎日新陳代謝、だまされて入社し、裸になって退社する者等を総称して見た話して、頭数は百でも二百でも其中に書籍を読む者は、只の一人もないので、只稼いで喰って寝て居るのと、只喰うや喰わずに寝起して居るのと、人の物を盗って喰って居るのと、夫等が下方の沈殿物で、入社即退社が上水の澄んだ所なのだ

沈殿物が酷すぎるが、上澄みが優れているという書き方でもない。どちらかというと「上層は流動的・下層は停滞的」というイメージか。

明治41年 田岡嶺雲『有声無声』

快楽上澄をのみ飽まで飲んで、渣滓の苦きには吸い至らず、花婿の其当夜に死んだ彼は永久に花婿である、彼を人生の最も幸福な者というも、強ち不当でない。

「美味しいところだけ味わって死んだ」という話で、やや皮肉めいた書きぶりだが、上澄みを「良い部分」とした用法ではある。

大正2年 小泉要智『叟骨集』

前者の唯理想にも附かず、後者の唯現実にもなづまず、底までかきまぜずに措いて、上澄みの処で一致を立てん

極端な理想主義と極端な現実主義の上澄みを取る、という話で、ちょっと独特の用法な感じがする。「良い部分」ではあるか。

大正5年 中条百合子『貧しき人々の群』

苗字もなく、生きて居るのさえうんざりした者達の集って居る、暗い罪悪にまみれて居る世界では、そのような事は何でもない。三面記事にさえ、載せきれない「彼らのいがみ合い」の一つとして、世の中の上澄みは、相変らず、手綺麗に上品に、僅かの動揺さえも感じずに、総てが、しっくり落付いて居たのである

上層は綺麗で上品で落ち着いているが、それは下層の濁りが上層まで伝わらないからだ、という用法

大正7年 有島武郎『生れ出る悩み』

心の上澄みは妙におどおどとあわてている割合に、心の底は不思議に気味悪く落ち着いていた。

単なる表層・深層の言い換えだが、「上層は流動的・下層は停滞的」のイメージが入っているかも。

とりあえずこのあたりで。

以上から考えるに、「上澄み」の用法さらに4つに分類できる。

1. 上澄みは全体のなかの「良い部分」である

1-a. 上澄みは「悪い全体」のなかの「良い部分」である

2. 上澄みは全体のなかの「悪い部分」である

3. 上澄みは全体のなかの「流動的な部分」である

「上澄み」という語のイメージは「良い部分と悪い部分が上下に分離している」といったものであり、単純には1の用法なのだが、1-aの用法だと「実は悪い部分が底に隠れている」「実は沈んだ部分のほうが本質である」という逆張り的な文意になることが多いため、次第に「上澄み」自体に「うわべだけで本質的でない」ような印象がついていった、ということだろう。それが極まったのが2の用法。3の用法だけは独自な感じ。

最初の話に戻ると、

強さの評価で上澄み、と言われると表層に位置する浅い存在、すなわち弱い存在のように感じた

液体の上澄みは、底に沈澱したものがあり、それを本質と捉えて「上澄み=表層的な浅い理解」と喩えた慣用表現だったはず

というのは2の用法であるが、これが「本来用法」「正しい用法であるとは言い難いと思われる。少なくとも、さらに古くから「上澄み=良い部分」とした用法存在してきたわけで、今となってはどちらの用法も定着していると考えるべきだろう。

というわけで、ポジティブ意味の「上澄み」も気軽に使っていこうな。

2024-04-26

anond:20240426152252

その増田じゃないけど、ワイも日記雑文書いてる。けど、記名では書けない内容書いてるよ

いくら実名じゃない・身バレする情報は含めてないとは言え、あんま頭悪い作文はちょっと

 

ID付きの場合は、最悪実名でも出せることだけにするスタンスです

2024-04-09

小説を書くには、文体なんかよりも社会人間関係に対する知識の方がずっと重要だったのだろう

幼い頃から小説をいつか書きたいと強く願っていて、文章読本小説講座的な本などを多数読み込んできたけれど、それらが小説に変わることはなかった。

好みの文体ストーリーパターンはわかってきたのだけれど、それらを何らかの社会、何らかの人間関係に落とし込んで書くことができなかったからだ。

まり社会の仕組みやわだかまりをどう描いていいかからなかった、会話や気持ちの移り変わりをどう描いていいかからなかったのだ。

文章読本などで、文章というガワの部分を学んだとしても、そこに盛り込むものがわからなかった。

ストーリーとして導きたい方向に、社会人間関係を配置する方法がわからなかったのだ。

増田ではわりと、ブックマークをいただけたりする自分ではあるが、書く文章は常に一人称で、自分の思ったことをエッセイ的にまとめることしかできない。

これを、背景装置としての社会人間と絡めて、ストーリーとしての段階を踏んで、人々を驚かせる素晴らしい結末につなげる小説として昇華させることができない。

それなりの人気を持つ雑文に仕上げるためのアイデアはたくさんあるのだ。それを、小説として具象化できないだけ。

いや、なんだろう、プログラム的に組み立てることができないといった気分。

そもそも理系なので、プログラムもそれなりに組んだことがあるのだが、小説としての文章の組み方がわからない。

結末に向かう伏線社会のどの部分に絡めて描写し、物語の展開をどのキャラクターの変容に仮託するか、みたいなものがよくわからない。

文体レトリックのような基本文法はわかるのだが、社会人間相手にした「組み込み関数」みたいなものが何なのかが見えず、途方にくれてしまう感じだ。

というか、そもそもだが、こんなにダラダラ文章を書く私ではあるのだが、小説は一行たりとも書けたことがない。

だって結論に至るアイデアが思いつけても、そこに向かう「これは書けるぞ!」というビジョンが見えないので。

この小説ならプログラム的に書けそう、ああなってこうなって結論に至りそう、みたいなものが、私の場合小説に対して浮かんでこない。

うそう、プログラムでもそうなんだが、もっと言うなら、数学入試問題のように、とりあえず三角比を求めるとかベクトル計算するとか、

この「とりあえず○○を書いてみる。そのうち、ストーリーがつながってくる」みたいなのを知りたい。

とりあえず手を動かして、作り出す小説を何らかの方向に進める方法を、まずは身につけていけたらいい。

この文章だって思ったことをズラズラ書いているだけなのだビジョンで書いてない。

まり小説でとりあえず書くべきことが何なのかを知りたい。

って、あっ、それが小説を書く前のキャラクターシート、世界観作成シートみたいなものなのか。

あれも苦手なんだよな。好ましい感情を抱けるキャラクターを造形できないというか。

いや、自分以外のキャラクターが描けない。世界観も、今自分が感じるもの以外組み立てられないし。

結局のところ、私は自分のことしか書けない。自分ことならそれなりに書いて、それなりに注目される文章が書ける。

でも、それじゃダメなんだ。いつか、物語を描きたいんだ。

自分の考え方を、ある社会やある人間関係に落とし込んで、世の中にその素晴らしさを理解してほしいんだ。

「私の気持ち」じゃ他人に届かないんだ。客観性というか、作者でない「キャラクター気持ち」として描写しないと、私ではない誰かに届くことは無いんだ。

から、ここに書くような、一人称雑文じゃダメなんだ。物語に仮託しなくちゃダメなんだ。

そういった点では、私は「物語」というものに、論文のようなものを感じているのかもしれない。

まり物語人間関係世界観という客観性のもとに、自分アイデアに向かって組み立てた文章を、誰かに対して発露し、評価を得たいのだ。

いや、誰かに届けばいい。個人的アイデアなり感情なりが、誰かに届けば、無意識的にでも届けば、それで十分なんだと思う。

…などと長々と書いてきて、結局は今回の文章小説にはなりえなかったわけだけど、まあなんだか、そんな気持ちなのだ

薄い鬱気分で休んでしまった気晴らしにしては、またも長々と書いてしまった。

風雨ゆえ外に出られず、何もすることがないから、まあいいのか。

2024-03-06

anond:20240305073032

この記事ネタとして楽しめない人が大勢いることが視覚化されていて、興味深いですね。

よく言われることですが、日本語は読めるけど、文章理解できない人が沢山いる。

その結果としてのクソリプ応酬

雑誌文化が縮小して、雑文エッセイへのリテラシーが急速に失われている感じもしますね。

2023-12-28

anond:20231228160340

ワイの影響力デカくて草

増田の読解力に不安があるので個人日記(雑文)の文章書き直す気がしない。ガチで読めない子おるからなぁ

ちな、これは読んで理解できるか?出来るなら書き直すが

 

オーバークオリフィケーション(overqualification)という概念
日本オーバークオリフィケーションの割合31%、OECD加盟国の中でオーバークオリフィケーションの割合もっとも高い国

https://anond.hatelabo.jp/20231112111528#

 

 

まぁ、この増田(https://anond.hatelabo.jp/20231227092138#)には能力主義共通善の面から返信はしますけどね

2023-11-23

もはや追記とかではないけど、ギャンブル周りの話をいろいろ

https://anond.hatelabo.jp/20231121183241

カネがないからクソみたいな記事書いて時間潰すしかない。なので誰が読むかもわからない雑文をかく

オンラインカジノ公営ギャンブル

そもそもギャンブルやってる理由快楽現実逃避と金がほしい欲の3つなので、社会貢献がどうとかどうでもいいし法がどうとかは無視する。

それ以外で言うのであれば、多分世の中9割8割の人にとっては、公営ギャンブルよりオンラインカジノのほうが楽しいと思う。

というのも公営ギャンブルは走ってるカス気持ちとか考えとか知能指数とか八百長具合とかそういうのを予想する遊びで実力とか二の次から

「出走表だけみると強そうだが、コイツ雑魚相手にセコく勝ってるだけ」

「こいつはこの類のレースではやる気がない。やらず」

「こいつはレース勝敗とか気にせずクソみたいな自己満走りをする」

とかそういうのを予想するのが醍醐味というか、そういうのがわからない人は相当な資金覚悟計算力で1日中張り付いてオッズ買いとかしないとまず負ける。

尚わかったところで

カスと思ってが周りが論外過ぎて突っ込んできた」

「やる気あるだろと予想したがやる気0着に絡む気なし」

「勝ちを譲る気まんまん」

かいゴミムシ共の思いつきのお陰でクソみたいな内容で負ける。

競輪モーニングなんかいいぞ。代謝(クビ)寸前、それこそそこら辺の体育会系大学生チャリンコの乗り方教えたほうが

強いんじゃないかみたいなプロ選手たちが走ってる魔境だからな。

予想もクソもねぇ

なので1年365日朝から晩まで公営ギャンブルに張り付く類のギャン中じゃなければ、公営ギャンブルは当たらないロトくじと大差ないし、だったらはじめからほぼ二分1、知識なくてもまだなんとかなるオンラインカジノ方が楽しいと思う

あと普通に公営ギャンブルよりよく当たる。(勝てるとは言ってない)

競艇単勝だって6分の1なんだからそりゃルーレットの赤黒のほうが当たる確率は高いのは当然。

控除率もオンカジのほうが低いしね

実際俺は公営ギャンブルではクソ負けしたがオンカジはちょいちょい勝ってるんだよ。だからやめられないってのもあるが。。。

 

イカサマ問題

客側として大金突っ込んだ側の意見だけど、ギャンブルの胴元はイカサマをする必要はない。

なんでって、そんなことしなくても勝てるから

客がやればやればやるほど胴元が儲かる仕組みなんだから基本的にはリスクを犯してまで客から小銭巻き上げる必要はない。

しろ公正公平安心安全アピール登録するだけで○○円ブレゼント入金キャッシュバックなんかをやり「もっと遊んで!」と客を呼ぶことに力を注ぐ。

これは公営もオンカジも変わらない。

競輪を中心に借金こしらえたカスから比較対象競輪民間サイトになるけど、オンカジでやってるようなリベートキャッシュバック競輪でも普通にやってる

控除率の都合かは知らないがオンカジのほうが大金ばらまく傾向にあるとは思う)

ただ、公営ギャンブル場合、胴元とは別に選手関係者の思惑が入る。

選手ヤラズ(わざと負ける行為)をやって事前に打ち合わせをした身内や仲間がそいつだけ外して投票をしたらいい

このイカサマ選手にとって大きなメリットがある

もしくは内部情報をもとに馬券を買うとか。

そういうことがないように胴元は公正公平なレースを、と言ってるが競艇競馬でも八百長沙汰があったし、根絶は無理ちゃう

というかむしろ相手格下人気背負ってそのカスみたいな走りすんのかてめぇ八百長のほうが疑われないように走る分まだマシやぞと思うことが結構ある

(オンカジでもライセンスがない胡散臭いところとか、即撤退小銭稼ぎ狙ってるような所は怪しい可能性あると思うけど、そういうの含めて自己責任世界だしな。そもそも違法もの

・株やれ株

ギャンブル中毒話題で定期的に出てくるけど、FXや株も依存症カテゴリに入るんだよなぁ。。というのは知られてないのかしらん

2023-11-22

ギャンブル依存症云々の話の追記雑文

https://anond.hatelabo.jp/20231121183241

コメントをもらったので追記しようかと思ったが話がそれにそれたので別で分ける

ギャンブル依存症の会について

しかに「こういう団体があるので」「こういう方法しかないです」と勧められた

勧められたんだがこれが遠い。2つか3つくらい隣の街にある。

治療費すら親に集ってるカスがそんなのに金出せるわけがない。

というかそんな金出してくれるなら金くれ。

から出てくわ。ギャンブル依存症治すには正直それしかないと思うが出てく金もねぇんだ

関係ないがあの手の会は体験談

1まともな人生送ってた俺

2ギャンブルで転げ落ちる

3やばくなって精神科自助グループ

4いまは(も)頑張ってます

という健康食品かなんかの胡散臭いコマーシャルみたいなパターンしかなく、

「はじめからカス人間ギャンブルにはしりもっとカスになる」

という俺のようなパターンは想定してないのか期待されてないんだろうなぁ。

となり、ギャンブルはいいよな、カスでも受け入れてくれるもん。。

となる

ギャンブル中の発達障害より発達障害のほうがマシ

両親的には根本的な原因から目を背け、俺の主張を聞かないまま

「眼の前のこいつがクズ理由

がほしいだけなのでそういう問題じゃない。

厄介な俺を家から追い出す事もせず、かと言って借金建て替えてくれるわけでもなく、現状のまま

キチガイから仕方ないキチガイから仕方ないキチガイから仕方ないキチガイから仕方ない」

と唱えて精神の安定がほしいだけなわけで、発達障害とか正直どうでもいいのだ。

多分発達障害じゃなきゃ次は霊障守護霊あたりに頼るだろう

なぜこういう事をいうかといえば高校生の頃いじめられて不登校になったとき、なぜか精神科に連れて行かれ

学内でのいじめ精神科でどうにかできることではありませんから学校相談してください」

と追い返された前科があるからだ。

なおその後なにか手段を講じたかと言えば(当時はフリースクールなんてハイカラものはなかったしヨウツベで自宅学習もなかったとはいえ)とくに対策も行われずなぜか接骨にいかされた。

話では霊媒師的ななにかに見てもらったら姿勢がどうこう言われたらしい。それならどっか遠くの学校に転校させてくれよ。。と思ったが、金がかかるだろうからと言えなかった思い出

Twitterネットをみてる精神科だのメンタルクリニックだの発達障害だのが流行ってるが、そのうち何割かはこういう

自分他人クズ理由がほしい。精神病なら世間体が成り立つ。精神科に行く(送り込む)以上の対策を打つ気はない」

需要なんだろうなぁ。とぼんやりと思ったりする

根本的な原因を治すために仕事生活を変えるには金も労力も時間もいる

それに比べて精神科送り込んで聞くかわからない薬飲みながら

キチガイからキチガイからキチガイから

と唱えて暮らすほうが安く早く世間体もいいもんな。

2023-07-22

anond:20230722101541

新聞社過去記事有料データベースならだいたい読めるだろう

身元の知れない個人の書いたネット有料雑文やそれを元に行う議論のどの辺に「知」があるかは知らんが

2023-07-02

anond:20230702163147

うんこ日記雑文書いたり、匿名掲示板(チャット)として使ってるよ

そんな牧歌的な使い方してる増田、滅多に見かけないが

anond:20230702162130

増田:少なくとも増田民はTwitter民を見下せるような立場にない

 ↓

ワイ:きぐるい座敷牢の指摘なら受け入れるが、流石にツイッターランドに常駐している人の知能と比べられるのはちょっと・・・

 ↓

増田増田で主張するのこそ向いてない

 ↓

ワイ:してないが?匿名うんこ日記雑文書いたり、匿名チャット利用してるだけだよ

 ↓

増田:お前がしているかどうかじゃないんだよ

 

そういうとこやぞ感

2023-06-05

anond:20230604152244

いまとなったら上岡龍太郎さんの怒りがよくわかるよ。

松尾さんは個々の作品にぜんぜん敬意がないんだよね。「サブカル理解がある自分すごい」というのが見え見えで。

しかも、自分番組に呼びつけて叱ろうとするとか、失礼だよな。

当時はそういう軽薄文化人が許容されてたけど、消えたね。左翼系の言説を掲げると雑誌雑文を書かしてもらえるけど、あれはみっともないよね。

2023-05-14

anond:20230514090443

やっぱりその人かね。ちなみに自分元増田ではないけど、増田に書いた雑文ときどき誉めてもらったり、逆にめっちゃ批判されたりした。

増田をよく読んでるブックマーカーだったなあ。

ちょっとみてみると、1月下旬からピタッとブクマが止まってるね。

2023-04-05

まず初めに

この雑文を書いてるのは、完全外野人間です。

そんな人間に言われたくないんじゃ! という方、いっぱいいらっしゃると思います。当然です。

スルーしていただいて大丈夫です。本当に、ただ思ったことを書き散らしているだけなので。

なんでわざわざこんな文章を公開したのかというと、私も数年前にいきなり推しの今後を揺るがすニュースが公開され、その後その人たちは解体されてしまったのを目の当たりにした経験があって、「頼むから後世には、二度とこんなことが起こりませんように…」と強く願ったことがあったからです。

オタからしたら、公開処刑、刑の執行に等しかった。まさか二次元でもこんなことが起きるなんて思わないじゃない…。

思ったことと、伝えたいこと

いま、とても辛い状況で、これから不透明で、追い詰められてる人がいっぱいいると思います

だってそりゃそうだよ。製作者がファンに悪い甘え方したり、現場の人たちを盾にしたりしてるわけで。

提携してる企業に一報入れないとか、ままあることなんすかね? 私の推しGもやられました。

製作側として、商業作品として世に出してるのに、あまりにもお粗末すぎんか? という憤り。わかるつもりです。つもりなだけかもしれないけど。

でも、だからこそ、製作側にひどい扱いをされている彼らを愛している人たちは、闇堕ちして推しの今後に暗雲をもたらさないように、すごくすごく気をつけてほしい。

もうね。こんな打算的なこと言うのも良くないのはわかるんだけど。

揚げ足取られないように深呼吸しないといけないよ。炎上しましたえーんとか、そういうことしてプリンセスプロデューサーの面々には弱みを掴まれてほしくない。だってひどい仕打ちしてるの、製作側とか製作会社だから

いや、パッと検索しただけで、めちゃくちゃひどい誹謗中傷をしてる人は見受けられないけど、もしかしたら探し方が悪いとか、ツイッターでそっと見えづらいようにしてるのかもしれないけど。

でも、誹謗中傷はだめだよ。取り返しがつかなくなったら、外野が引いてみたときに『加害者』にしかならないし、推したちが嘲笑の的になってしまうから

もうね、推しを奪われる絶望って本当にえぐいんだ。

この状況が続いて、改善もされなければ、それでひどいことになってしまう人がいっぱい出てくる。

いや元々私の推し界隈の民度があれだったのかもだが。オタ同士での分裂とか目も当てられない有様になってしまうし、他のファンの方から推しまで煙たがられてしまう。私はそれが一番つらかった。

からね。揚げ足というか、落ち度とか弱みとか、握らせちゃだめ。

闇堕ちしちゃだめだよ。すごくすごく難しいことを言ってるけども。推したちのこれからを思うと、どうしようもなく憤り、悲しみを覚えるし、その憤り、悲しみを発散もうまくできないのも想像出来てしまうし、こんなの外野に言われたって、心に響かないかもしれないけど。

貴方たちの愛するやり方で、華麗なる逆襲を成し遂げてほしい。どこまでも綺麗事ではあるけど…。

過去推しを踏みにじられて、その顛末を見せつけられた、匿名オタク祈りです。

2023-02-08

anond:20230208192129

文章情報として事後再生される力(寿命)が画像よりも強いので好きだ

素晴らしい画像はその素晴らしさゆえに現物なしではあとから思い出しにくく、つまりあ意味では心に残りにくいともいえる

まあ増田の言うようにインパクトだけで生きてる現代では長文読ませるのめんどくさいんだけどな

読んでもらえないなら寿命もなんもねーよな

いいんだよ着色して公開しない自分の楽しみ(救い)のためのラフらくがき絵と同じような、自分の楽しみ(救い)のためのラフ雑文章ってのがこの世にはあるんだよ

2023-01-31

そろそろオタクは「その他」って区分理解しよう

例えば、「アニメ女の子ばかりでていて男主体の物は少ない」という雑文があったとしよう

それに対してオタクが「いやいや、こういう男ばかりのアニメもあるぞ」と色々と出してくる現象がある

でもそれって円グラフで言うならば「その他」の中に含まれ雑種ばかりでしょ?

売上げや知名度等の数値でみても枝葉末節ものを沢山並べて「ほらこんなにいっぱい例外がある」みたいなドヤリングしているのを見ると、ちょっと悲しくなる

その他ってのは見る必要があまりないものを言うんだよ

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