はてなキーワード: 虎ノ門とは
宮下は斎藤慶子と付き合っているとメールしてきたが、その9ヶ月後に、ステージ4の胃癌が発見されたのだし、手順よく国立癌センターに収容されたりしていた
宮下は毎週ゴロゴロと死体が出る場所に耐えられず、自宅療養に戻った
そのあと、斎藤から、宮下が死にそうだと携帯に伝言があったことがあった
長年の友人が死ぬところをどうしても見せつけてトラウマにしたかったらしい
お前が彼女だっただろ? 宮下が会いたくないっても大方テメエが言わせたんだろうが
どうせもう死んでんだろ?
斎藤は、その後半年ぐらいして米軍兵と結婚し報酬の米国籍とグリーンカードを得た
その後、パソコンからは宮下が齋藤と付き合っていると伝えてきたメールが消滅している
私はデータを消すことがほぼないにも関わらずだ
警察庁や米軍が合鍵泥棒を使っていることは知っているし、なんならPC遠隔操作も入ってるが
虎ノ門の金融弁護士団体も裁判所も絡んでいるから、司法動かざること難破船のごとしで腐った水死体が異臭を放っている
まるで八潮市の道路で沈没した大型トラックの運転手が陥った状況のように、忽然とデータが消えるわけだ
おおかたUSAIDもまたそういう団体で、あるいはグリーンカードで釣ってる団体そのものだっただろうよ
新光三越の爆発、結局ガス漏れはなかったのにフジサンケイや文春のように当初「ガス漏れか」と報じるという誘導屋のような報道社がある
一体誰得?
訪問先候補は、笹川記念財団の場所、金融軍の本拠地、虎ノ門が一つ(左翼テロ虎ノ門事件の地)
倉庫は埼玉県所沢、三越伊勢丹ビジネス・サポート(旧陸軍所沢飛行場)
協和物産が併設(旧三井物産、厚生官僚系 ※)、参加団体の東京経営者協会(旧関東経営者協会、旧日本経営者団体連盟)は2009年経団連ビルに移転
いったん化学兵器が作られれば、後には公的権力組織から莫大な廃棄処分予算が割り当てられ、100年は安泰だ
東京文理科大学は1922年に発足し、外務省は今でも遺棄兵器処分予算を計上(自衛隊予算ではない)
※戦災復興院 終戦連絡事務局 特別調達庁・厚生省・都庁・その他の諸官公庁の購買物資の取得、保管、包装、配給等の業務を担当していた、復興資材課長 兼厚生物資課長 萩原篤志を中心に有志職員参加の下、昭和23年12月に創立
なんとなくこの業界に関わってきたので、どうして日本でこんなにiPhoneが支持されるようになったのか、ちょっと書いてみたいと思う。ちなみに俺は今は亡きS社(今は完全に消滅して、かつての本社は市役所になっている)でPHS(みんな覚えてる?)の開発に携わったのが最初。その後は出向で三浦半島の先の方で怒りのデスロードみたいな経験をしたり転職して某関西のメーカーでAndroidやったり。当時一緒にやってた人たちの一部は京セラに行ったけど、大体はどこに行ったか知らない。とにかく日本の一大産業であった携帯電話や基地局の生産や開発に一通り関わってきて、その衰退とともに生きてきました。
で、よく知られているように日本の携帯電話は1999年のiモードの導入から劇的に進歩し、ネットが見れるだけでなく、カメラも付きラジオも聞け非接触決済もできて音楽を聞いてテレビまで見れて、もちろん防水でアプリまで動かすことができた。カッチリ作られた二つ折りやスライド機構は触ってるだけで楽しかったし、こんな携帯は日本メーカー以外どこも作れなかった。
まあそれがガラパゴスと言われて後々の衰退につながるんだけど、実際はドコモはガラパゴスを良しとしてなくて、iモードを普及させようとして海外の携帯キャリアにガンガン出資していたし(その大半が失敗して莫大な損失が生じた)、ドコモの進出と同時に日本メーカーは高機能な携帯を世界に売り込もうとした。でも結局どれもうまく行かなかった。なんとか海外に地盤を築いていたのはソニー・エリクソンと三洋くらいで、三洋はアメリカのスプリントにCDMA携帯を輸出してそこそこのシェアを取っていた。ライヴァルであるモトローラとかサムスンの携帯を買って研究していたのが懐かしい。
後にAndroidやiPhoneがすごい勢いでエコシステムを世界に広げていくのを見ると、どうしてiモードにはそれができなかったのかなと思ったりする。まあでも日本メーカーの小さな筐体にぎっちりと機能の詰まった携帯は、個人的にはサイバーでありジョリーグッドで今でも好きなのだが、海外ではいまいち受けなかったし、ドコモにおんぶにだっこで儲けていたNECやらパナやら富士通は、お付き合い程度にしか海外進出をする気もなかったようだ。
当時すでにスマートフォンは海外ではそこそこ普及しており、SymbianとかPocketPCとかBlackBerryなんかの端末は結構海外のビジネスマンは使っていた。しかし日本ではいわゆる「ガラケー」のデキが良すぎてほとんど普及せず。シャープがWindowsCEを積んだW-ZERO3を出してたくらい(持ってた)。
で、2010年(追記:2008年の間違いだった、申し訳ない)ついにiPhoneが日本で発売。もちろん俺は買った。当時ソフトバンクの独占発売だった。よく知られているように、当時の論調は「iPhoneより日本のガラケーの方がずっと高機能」で、こんなものは驚異にはならないという話だった。確かにiPhoneはすぐに電池が切れるし、FeliCaも防水もワンセグもなし。文章のコピペもできないダメケータイだった。実のところ俺自身も使ってみて、こんなダサいものが日本の携帯に勝てるもんかと思った。しかしソフトバンクがiPhoneの未来イメージとシンプルで安い料金プランでガンガン攻めてきて、auやdocomoは対応せざるを得なかった。
まもなくシャープや富士通東芝、ソニー、NECなどが次々とAndroidスマホ発売。このあたりの大混乱の思い出はブコメでもよく見るけど、未だにどうしてこうなったんだと思わざるを得ない体たらくだった。iPhoneに対抗するためにキャリアがワンセグやFeliCaの搭載を求めたために、開発は難航。第一Androidの開発をしたことがある人なんていなかったし、そもそもスマホなんて作ったことなかったのだった。納期に間に合わせるためにやっつけて作ったソフトは不具合連発。一体何であんなもんを作ったのか未だにわからない、メガネケヱスと言われて1円でばらまかれたシャープの端末、まともに動いた時間のほうが少ないと言われたレグザフォン、ホッカイロスマホと言われ東京湾に在庫が沈められたと噂されたアローズ。この頃俺は端末の開発からは遠ざかっていたけど、何人が死んでるんだろうと思うくらい現場は悲惨だったようだ。
それでも各社はなんとしてでもiPhoneに抗おうと必死だったようだ。AndroidとiOSはほぼ同時期に出てきているんだけど、端末開発では若干iOSが先んじたが、実際のところ世界ではスマホのシェアはあっという間にAndroidがiPhoneを抜き去っている。しかし日本のAndroid勢はソニーエリクソンを除けば総崩れで、iPhoneを扱うソフトバンクへの流出が止まらない。まずauがiPhone4を扱うことに。docomoは当初ツートップ戦略というサムスンとソニーのスマホで推す作戦に出たが、それによってパナやNECといった古くから携帯を作ってきたメーカーが脱落。その後2013年にAppleに屈した。その契約は屈辱的な内容だったらしく、日経は「不平等条約」と書いた。専用の売り場を設けたりといったよく知られている事に加えて、一説によると販売する端末の3~4割がiPhoneでなければならないとか、iPhoneのために莫大な広告宣伝費を負担するなどである。未だに日本ではiPhoneが発売されるとauやdocomoがiPhoneのCMを流すが、あれにはAppleは1銭も出していない。全部キャリアの持ち出しである。彼らの強欲なやり方を告発した、「アップル帝国の正体」という本が出たのもこの頃だ。
結局の所キャリア各社はこの契約を履行するために、iPhone用のお得な料金プランや分割購入プランを作り、窓口でも積極的に売り込んだ。初期のAndroidスマホのできの悪さを見聞きしてきた人たちは一斉に乗り換えていった。キャリアはいままで苦楽をともにしてきた日本メーカーをあっさりと見捨ててAppleを推しまくった。この頃はAndroidの開発もこなれてきて割とマシなスマホを日本メーカーも作れるようになってきたが、もうキャリアも消費者も見向きもしなかったのだ。実際iPhoneは使いやすかったし、膨大なCMと提灯記事とキャリアショップのど真ん中で扱われたことで、もうスマホを買うことはiPhoneを買うことと同じくなっていく。
もうこうなるとiPhoneなしでは全くキャリア戦略は成り立たない。今に至るまでAppleと契約した屈辱的な関係を捨てることはできず、結局の所3キャリアはAppleの言いなりになって莫大な国富を貢ぎ続けた。まあ彼らのやり方がうまかったといえばそうなんだが、こんな事になってしまった国は日本くらいで、いまやアメリカをもしのぎ世界で最もiOSのシェアの高い国である。他の国ではiPhoneは一部の富裕層の持ち物であり、安くて高性能なAndroidスマホがとっくに主流になっている。iPhoneはそのCPUを除けばもうすでにイノベーションからは周回遅れであり、中国メーカーの作るAndroidがいまや先端を突っ走っているが、日本ではなぜか多くの人がiPhoneを最先端で最高性能と信じ続けた。
結果として、この給料のまるで上がらない国で、値段が上がり続けるiPhoneは売れ続け、日経が「最新のiPhoneは日本人平均給与の6割」という記事を書くまでになった。まあ別に何を買おうと勝手なのだけど、貧困女子といったタイトルがつく報道でカップラーメンをすすっている人が持っているスマホが、10万円近いiPhoneだったりするどこか歪んだ社会になってしまった。最近も同僚から「家族みんなでiPhoneを買い換えるので40万かかる」との嘆きを聴いた。OPPOあたりにしとけば全員分買っても10万で済みそうなのだが、その選択肢は彼らにはない。
とにかく日本のキャリアは総務省の顔色を伺いながらiPhoneを売るだけのAppleのポチになってしまった。auもdocomoも傲慢な連中だったが(もっと言えばNECもパナもry)、Appleはそれに輪をかけて傲慢でクズな会社である。彼らが電気電子産業が壊滅した焼け野原の日本から、ケツの毛一本までも利益をむしり取っていく現状は悲劇としか言いようがない。一社が支配的な力を持つ市場はろくなことにならないという証左であろうが、もっともそのクソに完膚なきまでに負けたのも我々である。ほんとすみません。
俺は岐阜のS社の研究所と虎ノ門のDDIポケットの本社を往復してた時代から、百花繚乱のごとく日本の携帯が咲き乱れた黄金期を生きて、それらが全部Appleになぎ倒されていく歴史の中に身を置き、どうしてこうなってしまったのか、どこでどうしたら良かったのかと今も思う。しばらくはiPhoneに使われる部品も日本製が多かったが、今や台湾や韓国にも負けてしまった。スマホのCPUを作れたのはルネサスだけでそれも一世代で消滅。メモリも液晶もだめになって、今やNANDとMLCCくらいか。最終製品を失った日本にもう一度半導体をと言っても虚しく響く。
なんとなくこの業界に関わってきたので、どうして日本でこんなにiPhoneが支持されるようになったのか、ちょっと書いてみたいと思う。ちなみに俺は今は亡きS社(今は完全に消滅して、かつての本社は市役所になっている)でPHS(みんな覚えてる?)の開発に携わったのが最初。その後は出向で三浦半島の先の方で怒りのデスロードみたいな経験をしたり転職して某関西のメーカーでAndroidやったり。当時一緒にやってた人たちの一部は京セラに行ったけど、大体はどこに行ったか知らない。とにかく日本の一大産業であった携帯電話や基地局の生産や開発に一通り関わってきて、その衰退とともに生きてきました。
で、よく知られているように日本の携帯電話は1999年のiモードの導入から劇的に進歩し、ネットが見れるだけでなく、カメラも付きラジオも聞け非接触決済もできて音楽を聞いてテレビまで見れて、もちろん防水でアプリまで動かすことができた。カッチリ作られた二つ折りやスライド機構は触ってるだけで楽しかったし、こんな携帯は日本メーカー以外どこも作れなかった。
まあそれがガラパゴスと言われて後々の衰退につながるんだけど、実際はドコモはガラパゴスを良しとしてなくて、iモードを普及させようとして海外の携帯キャリアにガンガン出資していたし(その大半が失敗して莫大な損失が生じた)、ドコモの進出と同時に日本メーカーは高機能な携帯を世界に売り込もうとした。でも結局どれもうまく行かなかった。なんとか海外に地盤を築いていたのはソニー・エリクソンと三洋くらいで、三洋はアメリカのスプリントにCDMA携帯を輸出してそこそこのシェアを取っていた。ライヴァルであるモトローラとかサムスンの携帯を買って研究していたのが懐かしい。
後にAndroidやiPhoneがすごい勢いでエコシステムを世界に広げていくのを見ると、どうしてiモードにはそれができなかったのかなと思ったりする。まあでも日本メーカーの小さな筐体にぎっちりと機能の詰まった携帯は、個人的にはサイバーでありジョリーグッドで今でも好きなのだが、海外ではいまいち受けなかったし、ドコモにおんぶにだっこで儲けていたNECやらパナやら富士通は、お付き合い程度にしか海外進出をする気もなかったようだ。
当時すでにスマートフォンは海外ではそこそこ普及しており、SymbianとかPocketPCとかBlackBerryなんかの端末は結構海外のビジネスマンは使っていた。しかし日本ではいわゆる「ガラケー」のデキが良すぎてほとんど普及せず。シャープがWindowsCEを積んだW-ZERO3を出してたくらい(持ってた)。
で、2010年(追記:2008年の間違いだった、申し訳ない)ついにiPhoneが日本で発売。もちろん俺は買った。当時ソフトバンクの独占発売だった。よく知られているように、当時の論調は「iPhoneより日本のガラケーの方がずっと高機能」で、こんなものは驚異にはならないという話だった。確かにiPhoneはすぐに電池が切れるし、FeliCaも防水もワンセグもなし。文章のコピペもできないダメケータイだった。実のところ俺自身も使ってみて、こんなダサいものが日本の携帯に勝てるもんかと思った。しかしソフトバンクがiPhoneの未来イメージとシンプルで安い料金プランでガンガン攻めてきて、auやdocomoは対応せざるを得なかった。
まもなくシャープや富士通東芝、ソニー、NECなどが次々とAndroidスマホ発売。このあたりの大混乱の思い出はブコメでもよく見るけど、未だにどうしてこうなったんだと思わざるを得ない体たらくだった。iPhoneに対抗するためにキャリアがワンセグやFeliCaの搭載を求めたために、開発は難航。第一Androidの開発をしたことがある人なんていなかったし、そもそもスマホなんて作ったことなかったのだった。納期に間に合わせるためにやっつけて作ったソフトは不具合連発。一体何であんなもんを作ったのか未だにわからない、メガネケヱスと言われて1円でばらまかれたシャープの端末、まともに動いた時間のほうが少ないと言われたレグザフォン、ホッカイロスマホと言われ東京湾に在庫が沈められたと噂されたアローズ。この頃俺は端末の開発からは遠ざかっていたけど、何人が死んでるんだろうと思うくらい現場は悲惨だったようだ。
それでも各社はなんとしてでもiPhoneに抗おうと必死だったようだ。AndroidとiOSはほぼ同時期に出てきているんだけど、端末開発では若干iOSが先んじたが、実際のところ世界ではスマホのシェアはあっという間にAndroidがiPhoneを抜き去っている。しかし日本のAndroid勢はソニーエリクソンを除けば総崩れで、iPhoneを扱うソフトバンクへの流出が止まらない。まずauがiPhone4を扱うことに。docomoは当初ツートップ戦略というサムスンとソニーのスマホで推す作戦に出たが、それによってパナやNECといった古くから携帯を作ってきたメーカーが脱落。その後2013年にAppleに屈した。その契約は屈辱的な内容だったらしく、日経は「不平等条約」と書いた。専用の売り場を設けたりといったよく知られている事に加えて、一説によると販売する端末の3~4割がiPhoneでなければならないとか、iPhoneのために莫大な広告宣伝費を負担するなどである。未だに日本ではiPhoneが発売されるとauやdocomoがiPhoneのCMを流すが、あれにはAppleは1銭も出していない。全部キャリアの持ち出しである。彼らの強欲なやり方を告発した、「アップル帝国の正体」という本が出たのもこの頃だ。
結局の所キャリア各社はこの契約を履行するために、iPhone用のお得な料金プランや分割購入プランを作り、窓口でも積極的に売り込んだ。初期のAndroidスマホのできの悪さを見聞きしてきた人たちは一斉に乗り換えていった。キャリアはいままで苦楽をともにしてきた日本メーカーをあっさりと見捨ててAppleを推しまくった。この頃はAndroidの開発もこなれてきて割とマシなスマホを日本メーカーも作れるようになってきたが、もうキャリアも消費者も見向きもしなかったのだ。実際iPhoneは使いやすかったし、膨大なCMと提灯記事とキャリアショップのど真ん中で扱われたことで、もうスマホを買うことはiPhoneを買うことと同じくなっていく。
もうこうなるとiPhoneなしでは全くキャリア戦略は成り立たない。今に至るまでAppleと契約した屈辱的な関係を捨てることはできず、結局の所3キャリアはAppleの言いなりになって莫大な国富を貢ぎ続けた。まあ彼らのやり方がうまかったといえばそうなんだが、こんな事になってしまった国は日本くらいで、いまやアメリカをもしのぎ世界で最もiOSのシェアの高い国である。他の国ではiPhoneは一部の富裕層の持ち物であり、安くて高性能なAndroidスマホがとっくに主流になっている。iPhoneはそのCPUを除けばもうすでにイノベーションからは周回遅れであり、中国メーカーの作るAndroidがいまや先端を突っ走っているが、日本ではなぜか多くの人がiPhoneを最先端で最高性能と信じ続けた。
結果として、この給料のまるで上がらない国で、値段が上がり続けるiPhoneは売れ続け、日経が「最新のiPhoneは日本人平均給与の6割」という記事を書くまでになった。まあ別に何を買おうと勝手なのだけど、貧困女子といったタイトルがつく報道でカップラーメンをすすっている人が持っているスマホが、10万円近いiPhoneだったりするどこか歪んだ社会になってしまった。最近も同僚から「家族みんなでiPhoneを買い換えるので40万かかる」との嘆きを聴いた。OPPOあたりにしとけば全員分買っても10万で済みそうなのだが、その選択肢は彼らにはない。
とにかく日本のキャリアは総務省の顔色を伺いながらiPhoneを売るだけのAppleのポチになってしまった。auもdocomoも傲慢な連中だったが(もっと言えばNECもパナもry)、Appleはそれに輪をかけて傲慢でクズな会社である。彼らが電気電子産業が壊滅した焼け野原の日本から、ケツの毛一本までも利益をむしり取っていく現状は悲劇としか言いようがない。一社が支配的な力を持つ市場はろくなことにならないという証左であろうが、もっともそのクソに完膚なきまでに負けたのも我々である。ほんとすみません。
俺は岐阜のS社の研究所と虎ノ門のDDIポケットの本社を往復してた時代から、百花繚乱のごとく日本の携帯が咲き乱れた黄金期を生きて、それらが全部Appleになぎ倒されていく歴史の中に身を置き、どうしてこうなってしまったのか、どこでどうしたら良かったのかと今も思う。しばらくはiPhoneに使われる部品も日本製が多かったが、今や台湾や韓国にも負けてしまった。スマホのCPUを作れたのはルネサスだけでそれも一世代で消滅。メモリも液晶もだめになって、今やNANDとMLCCくらいか。最終製品を失った日本にもう一度半導体をと言っても虚しく響く。
https://twitter.com/junni_800/status/1726388054796206208
ほんと酷いよ。今回の件は、某丸の内の財閥系大手船社だったわけだけどさ、こいつらの船はほとんど日本に税金払ってないわけよ、パナマとか、リベリアとか、遠く離れた田舎に船保有するだけのペーパーカンパニー作って、そっちに(安い)税金を納めてる。そんでもってなんか起きたら、俺たちは日本の会社だ、助けろって顔をして、国に泣きつくわけ。
ちょっと前にモーリシャスで事故った貨物船あったろ、あれだってそうだ。パナマ籍で日本に一円たりとも税金納めてない。でも、政治動かしてさ、途上国援助とかいって日本政府が払ったお金が200億。あれも、運航は虎ノ門の財閥系大手船社だったけど、それより船主がひどかった。
外航のオーナー船主って、船の専門家じゃないんだ。ただの投資家。銀行から何十億、何百億って金を借りて、船作って、船社に貸してる。そんで関心あるのは利回りとファイナンスだけ。要は、地主大家の類なんだよ。だから社会性のない、妙な仕上がり方をしたやつも結構いる。顔にすぐ不機嫌出るやつとか、そんでもって、いったんいざこざが起こると意外に打たれ弱い。
コロナの時なんかもひどかった。自分の船でコロナが出ると、ヘリ飛ばせって海保に鬼電するわけ。日本人じゃないよ、全員フィリピン人とか、韓国人とか中国人。船も当然あやしい外国籍のペーパーカンパニーだ。そんで日本の港に帰ってきて、いうんだ、「ヘリ飛ばせ、港の病床あけとけ」ってな。洋上で救援ヘリ飛ばしたら、一回何千万だよ。海保の隊員も強風ホバリングで、コロナ患者抱き上げて、ほんと命がけ。でもオーナーは一円も払わない。
もうこんなのやめた方がいい。血税と隊員の命がかかってるんだ。それ相応の出動を要請するなら、当然日本に税金を払うべきじゃないか。国際競争しょうがないとか、知らないけど、もう日本の船以外救わなくていいよ。
・比例代表 党派別得票・獲得議席 https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/sangiin/00/hsm12.html
右派と左派の力関係は7:3となり、その勢力差は当然ネットの各所に表れる。
右派の妄言が正論に仕立て上げられる一方、左派の正論が妄言に仕立て上げられてしまう事例が続出する。
在日朝鮮人を差別するコメントがネットの日常の風景となり、それに感化されたヘイト犯罪が繰り返し起きようが、
山田宏議員が「朝日(ちょうにち)新聞」とツイートしようが、杉田水脈氏がLGBTを生産的でないと言おうが、
伊藤詩織さんに対して「〇営業」という右派の誹謗中傷があふれようが、百田尚樹氏が梨泰院事故を何度も嘲笑おうが、
虎ノ門界隈が小室夫妻に罵詈雑言を浴びせ続けて眞子さんをPTSDに追い込もうが、右派論客が元総理を銃撃する事件が起きようが、
埼玉公園の水着撮影会問題で著名人を含む右派・反左翼の人々が共産党の女性議員3人の容姿を揶揄するツイートをしようが、
東浩紀氏が「左翼は口が悪いから、攻撃的だから支持されない」と言い続け、それに多数の共感者が出てきてしまうのが良い例だろう。
テロを許さないことと、それと同時に背景にある社会問題に対して解決する意思があること。これを政府から強くアピールする必要があったはずだ。
二つのミッションを両立させることが今回の事件が日本に対して突きつけた問題だ。これをはっきりさせられる立場に最も近かったのは日本政府だが、会見を見る限りその意思を感じることはできなかった。
とてつもない難問ではあるが、それでもこれらは同時に成し遂げられなければならない。
------
すでに日本は、銃がないから甘く見られているだけで実際はテロ天国みたいなものなのかもしれない。サリン、ガソリン、ダブリン、シベリア、密造銃と工夫ばかりしやがって。だがそれでも、テロリズムで問題を解決させる、テロに成功体験をもたらすというのは社会的にはマイナスの要素が大きい。リベラル界隈(自分の観測範囲は主にはてな内だけど)はすでに取り込まれていて、犯人を持ち上げるようなコメントが珍しくない。面白半分なのかもしれないがそれは面白半分で済む問題ではないのだ。
一方の保守界隈は見たくないものを見ない権利を最大限に行使していて、試しに虎ノ門なんとかを見てみても統一教会の欠片も出てこなかった。彼らの日本にはカルトによる被害など無いのだろう。やったね。
現実にそこにあるカルトを否認するのもまたカルトに与することだ。もちろんもっと様々な反応はあるが、全体像に正しく対処できてるとは思えない。
一番苦しんでいるのはこれまでカルト問題に地道に取り組んできた(主に弁護士やジャーナリストの)先達たちだろう。
何十年も地道に一歩一歩活動してきたものが、いきなり吹き飛ばされそうな猛烈な追い風が吹き、かつ、追い風に乗って下手にオーバーランすればテロリズムの成功例としてカルマを積むことになる。
本来、周りの環境が激変したところで彼らの歩みは何一つ文句を言われる筋合いはないはずなので、ペースを崩さずに歩み続けてくれることを祈るしかない。
------
テロに成功体験を与えないことと、カルト問題を解決することが、今回の事件でまるで対立事項のように見えてしまっている人が多いと思う。
いや実際対立しちゃってるので全く余計なことしやがってという気分であるのだが、現実問題としてどちらかを選んで他方を捨てるというのは受け入れるわけにはいかない。
色々考えたが、結局必要なのはアナウンスなのだろう。暴力には屈しないが問題は解決する。浮かび上がった問題は解決するが、それでも暴力は許さない。そういったことを地道に叫び続けるしかない。
そのようなときに重要なのは政府からのメッセージだ。政府には危機事態に対してメッセージを発する義務がある。
なんとなく自分が思い描く理想の反応というのは、以下のようなものだ。よく覚えてないけどインデペンデンスデイのようなイメージで書いてる。
「民主主義の営みに対する直接的な攻撃によって人命が失われた。背景にどのような社会問題があったとしても、これを日本政府は絶対に許容しない。
社会問題、あるいは個人的な苦境であれ、それは暴力ではなく社会福祉によって救済されなくてはならないし、日本政府にはその意思がある。
(オプション)国では適切な窓口を用意している。連絡してくれれば、あなたの問題を国がサポートすることを約束する。ぜひ利用してほしい。
(理想的なオプション)完全に匿名で相談できる窓口も用意されています。個人で抱えきれない問題に対して、法的に安全に相談できる環境なので、一度でいいから連絡してほしい。
とにかく苦しいときは連絡してほしい。政府は皆さんをサポートすることで暴力や自殺やテロリズムを防ぐ強い意思を持っています。
あなたがどのような問題を抱えていたとしても、それを暴力で解決しようと決断しないでほしい。お願いします。」
自分で書いててもピンとこないけど、多分そういうメッセージをひたすら政府が発信することがいま求められていることだと思う。テロの再生産をしないという目的と社会問題を解決するという目的を同時に達成するために。
------
(心の声)
政府がメッセージを発するという機能も、この10年なんとなく失われ、総理大臣が会見をする風景がとても珍しくなった。
完全匿名の相談窓口を政府が開いたとアナウンスしたとして、その匿名性を、政府のフェアネスを信じる下地もなんとなく失われたように思える。
正直言って詰んでる気がしないでもない。
それでも、綺麗事を政府が叫び続けることは民主主義国家にとって必要なことだと、今はまだ思っている。
------
テロを許さないことと、それと同時に背景にある社会問題に対して解決する意思があること。これを政府から強くアピールする必要があったはずだ。
二つのミッションを両立させることが今回の事件が日本に対して突きつけた問題だ。これをはっきりさせる立場に最も近かったのは日本政府だが、会見を見る限りその意思を感じることはできなかった。
とてつもない難問ではあるが、それでもこれらは同時に成し遂げられなければならない。
<h3>o- *****</h3>
すでに日本は、銃がないから甘く見られているだけで実際はテロ天国みたいなものなのかもしれない。サリン、ガソリン、密造銃と工夫ばかりしやがって。だがそれでも、テロリズムで問題を解決させる、テロに成功体験をもたらすというのは社会的にはマイナスの要素が大きい。リベラル界隈(自分の観測範囲は主にはてな内だけど)はすでに取り込まれていて、犯人を持ち上げるようなコメントが珍しくない。面白半分なのかもしれないがそれは面白半分で済む問題ではないのだ。
一方の保守界隈は見たくないものを見ない権利を最大限に行使していて、試しに虎ノ門なんとかを見てみても統一教会の欠片も出てこなかった。彼らの日本にはカルトによる被害など無いのだろう。やったね。
現実にそこにあるカルトを否認するのもまたカルトに与することだ。もちろんもっと様々な反応はあるが、全体像に正しく対処できてるとは思えない。
一番苦しんでいるのはこれまでカルト問題に取り組んできた(主に弁護士やジャーナリストの)先達たちだろう。
何十年も地道に一歩一歩活動してきたものが、いきなり吹き飛ばされそうな猛烈な追い風が吹き、かつ、追い風に乗って下手にオーバーランすればテロリズムの成功例としてカルマを積むことになる。
本来、周りの環境が激変したところで彼らの歩みは何一つ文句を言われる筋合いはないはずなので、ペースを崩さずに歩み続けてくれることを祈るしかない。
<h3>o- *****</h3>
テロに成功体験を与えないことと、カルト問題を解決することが、今回の事件でまるで対立事項のように見えてしまっている人が多いと思う。
いや実際対立しちゃってるので全く余計なことしやがってという気分であるのだが、現実問題としてどちらかを選んで他方を捨てるというのは受け入れるわけにはいかない。
そのようなときに重要なのはメッセージであるはずだ。政府にはメッセージを発する義務がある。
なんとなく自分が思い描く理想の反応というのは、以下のようなものだ。よく覚えてないけどインデペンデンスデイのようなイメージで書いてる。
「民主主義の営みに対する直接的な攻撃によって人命が失われた。背景にどのような社会問題があったとしても、これを日本政府は絶対に許容しない。
社会問題、あるいは個人的な苦境であれ、それは暴力ではなく社会福祉によって救済されなくてはならないし、日本政府にはその意思がある。
(オプション)国では適切な窓口を用意している。連絡してくれれば、あなたの問題を国がサポートすることを約束する。ぜひ利用してほしい。
(理想的なオプション)完全に匿名で相談できる窓口も用意されています。個人で抱えきれない問題に対して、法的に安全に相談できる環境なので、一度でいいから連絡してほしい。
とにかく苦しいときは連絡してほしい。政府は皆さんをサポートすることで暴力や自殺やテロリズムを防ぐ強い意思を持っています。」
自分で書いててもピンとこないけど、多分そういうメッセージをひたすら政府が発信することがいま求められていることだと思う。テロの再生産をしないという目的と社会問題を解決するという目的を同時に達成するために。
<h3>o- *****</h3>
(心の声)
政府がメッセージを発するという機能も、この10年なんとなく失われ、総理大臣が会見をする風景がとても珍しくなった。
完全匿名の相談窓口を政府が開いたとアナウンスしたとして、その匿名性を、政府のフェアネスを信じる下地もなんとなく失われたように思える。
正直言って詰んでる気がしないでもない。
それでも、綺麗事を政府が叫び続けることは民主主義国家にとって必要なことだと、今はまだ思っている。
<h3>o- *****</h3>