はてなキーワード: 911とは
新光三越の爆発、結局ガス漏れはなかったのにフジサンケイや文春のように当初「ガス漏れか」と報じるという誘導屋のような報道社がある
一体誰得?
訪問先候補は、笹川記念財団の場所、金融軍の本拠地、虎ノ門が一つ(左翼テロ虎ノ門事件の地)
倉庫は埼玉県所沢、三越伊勢丹ビジネス・サポート(旧陸軍所沢飛行場)
協和物産が併設(旧三井物産、厚生官僚系 ※)、参加団体の東京経営者協会(旧関東経営者協会、旧日本経営者団体連盟)は2009年経団連ビルに移転
いったん化学兵器が作られれば、後には公的権力組織から莫大な廃棄処分予算が割り当てられ、100年は安泰だ
東京文理科大学は1922年に発足し、外務省は今でも遺棄兵器処分予算を計上(自衛隊予算ではない)
※戦災復興院 終戦連絡事務局 特別調達庁・厚生省・都庁・その他の諸官公庁の購買物資の取得、保管、包装、配給等の業務を担当していた、復興資材課長 兼厚生物資課長 萩原篤志を中心に有志職員参加の下、昭和23年12月に創立
https://www.afpbb.com/articles/-/3004571
米地方紙シアトル・タイムズ(Seattle Times)によると、カラン・ジョンソン(Caran Johnson)さん(47)は警察無線を傍受してはツイッターのアカウント「@ScanCouver」に投稿しており、4日午後も発生したばかりの交通事故の状況を伝え始めた。
「ひどい事故があったみたい」とまずツイートしたジョンソンさんは、やがて状況が分かってくると「何てこと、これは本当に大変な事故だわ!」と書き込み、そのまま米北西部ワシントン(Washington)州を走る州間高速道路205号線で起きた事故について投稿を続けた。だが、そのうちに夫と連絡が取れないことで不安に駆られ始めた。
「パニックにならないようがんばっているけれど、夫は今日、仕事を早く切り上げていて、いつも205号線を使って帰宅するの。さっきから電話に出ないのよ」
シアトル・タイムズ紙が掲載したツイートの内容や、隣接するオレゴン(Oregon)州のウェブサイト「kgw.com」に掲載されたツイート画像からは、さらに取り乱していくジョンソンさんの様子が分かる。
「まだ帰ってこない」
「職場に電話したら、夫は退社した時、ふらふらしていたって。#パニック」
「どうしよう?夫は気を失いそうになって車を路肩に寄せたかもしれない。あるいは発作を起こしたのかも。夫はてんかん持ちなの」
「たった今911(緊急通報用電話番号)に電話して、夫の運転免許証番号を伝えたら、転送された後に、折り返しますと言われた。どういうこと?」
物心がついた時に見た世界情勢のニュースと言うと、IRAがどうの PLOがどうしたの…コソボが、セルビアが、チェチェンが、AIDSが…悲惨なことはあったけど、まあまあ日本人の子供が世界に絶望するほどの怖さはなかった。(本来は絶望スべきだったのかもしれないけど)
だから911が起きて、その後アフガニスタン戦争、イラク戦争が起きた時(というかアメリカが起こして)、激しい怒りを覚えた。まだ世界に絶望していなかったから、世界のルールを壊す奴が憎かった。同時に何とか世界中の心ある人たちが連帯して抗えば暴挙を止められるんじゃないかと薄っすらと希望を持てた。戦争しか頭にないジジイどもが引退して、戦争を知らない自分たちみたいな世代が社会の中心になれば世界はもう少し良くなるのではないかと思った。世界は漸次的にいい場所になるとしんじていた。ナイーブかい?そうだよ。でも今も多少希望を捨てられないでいる。
でもウクライナ侵攻やガザやミャンマーとかをリアルに見てきて育つ子たちは一体世界をどのように見てるんだろうか?
国際的なルールは、破れて骨だけになった傘みたいに転がってる。世界は窓ガラスが全部割れたスラムになった。自分は子供がいないけど、彼らはどう思ってるんだろう、てふと思った。他者への信頼とか未来への希望とか、こころの中に育てられるだろうか?
郵便物汚染を疑った根拠は症状だけで、自分が過剰なアレルギー体質なのかも?
汚染疑惑の郵便物をそれとなく混んだカフェに持ち込み、パソコン席へ行きます
私はその席の風上の隣に座り、疑わしい汚染物をテーブル下の台に置き、男性の方へ寄せてみます
隣の男性は次第に静かになり咳やくしゃみをし始め、少しぼーっとしたようでもあり、しばらくして去りました
大丈夫、何かの有毒物質であっても直ちに死ぬことはないと思います
このような結果となったため、念のため郵便物はコンビニでデジタル化し、本体は分厚いビニールに密閉
ただビニールの化合物吸着性がありそうなので本来は革手袋や密閉容器を使うべきでしょう
警察はどうせ信じようとしないでしょう
https://x.com/LifeTips2477/status/1879726675837288745
@LifeTips2477
消されちゃう前に保存して正解だった。
これ、本当に使わなきゃ損するレベル↓
このツイートの内容は借金を減額できるという内容のウェブサイトに飛ぶ
運営者は
Domain Information:
[Registrant] Tosiyuki Sugiura
[Name Server] ns-1474.awsdns-56.org
[Name Server] ns-270.awsdns-33.com
[Name Server] ns-911.awsdns-49.net
[Name Server] ns-1592.awsdns-07.co.uk
[Signing Key]
[Created on] 2021/03/05
[Status] Active
[Last Updated] 2024/04/01 01:05:04 (JST)
[Email] email@muumuu-domain.com
[Web Page] http://muumuu-domain.com/?mode=whois-policy
[Postal code] 810-0001
[Postal Address] Tenjin Prime 8F, 2-7-21, Tenjin
Chuo-ku, Fukuoka-City, Fukuoka
8100001,Japan
[Phone] 092-713-7999
[Fax] 092-713-7944
クリックすると、以下のページに飛ぶ
https://saimu-gengakushindan.com/page/rt/office.php
事務所名
長 裕康
第二東京弁護士会 第39874号
住所
〒104-0061
なお、画像の配布は
で行っており、スクリプトの配布は
みたいな形で行っている。
ググると、
https://www.wantedly.com/companies/siva-s/about
■デジタル広告の業務プラットフォーム「Squad beyond」を開発しています。
デジタル業務に欠かせないクリエィティブやランディングページのビルド機能をセンターピンに、周辺に続く「レポート」「分析・解析」「改善」「最適化」など必要な全ての機能を有し、全てが連動して自動的に設定や改善が動き出すことで効率化を実現するプラットフォームです。
現ユーザー全体で、数百社・数千人のユーザーがSquad beyondの利用を通し
・100万ページ分のABテスト、最適化、PDCA、レポーティング
・100万件超のコンバージョン
を行っています。
Squad beyondが世に出るまで、これらにかかる作業や、作業同士をつなぐ設定の多くは人力で処理されていました。
我々は、「業務プラットフォーム」を再発明することで可能な限りルーチンを減らし本当に必要な仕事にフォーカスする時間をユーザーに提供します。
その結果、「良い広告コンテンツが増え、消費者に良い製品との出会いを提供する」を通し、ユーザーのビジネスが健全に発展する姿を目指しています。
(中略)
■社風・環境
- 人について
【創業者】
代表の杉浦は過去3度の上場を経験しており(東証マザーズ(旧):2回/東証1部(旧):1回)、マーケティングとスタートアップにおいて豊富な知見を有しています。
経歴
No.2の明石(杉浦よりも7歳年上)は、小売業界で商品統括トップとして全国展開・上場を経験した経験があります。大組織のマネジメントと管理に長けています。
経歴
【開発】
エンジニアトップの高橋は、大手Fintech企業出身。それまでに映像系、決済系、広告系の企業で経験を積んでいます。代表の杉浦とは2013年(当時大学生)に当時のインターン先を通じて知り合い、2017年に杉浦が声を掛けたことで再会。その後2018年にSquad(旧:SIVA)に参画。弊社のすべての開発を知る。
経歴
株式会社Speee
が出てくる。
先日話題?になった以下の記事と、寄せられたブコメなどが気になり、書き残しておこうと思った。
https://news.yahoo.co.jp/articles/779550171e286442f542b2937b88678835a5c901
一旦、上記の記事は置いておき、まず日本には「少子化問題」というのがある事を前提に書き始めたい。
では、少子化問題はどこまで解決出来る可能性があるのかを探ってみたい。
まず今回は47都道府県で最も人口の多い東京都に焦点を当てて考えてみよう。
男性:約32歳
女性:約30歳
というデータが出てくる。
東京都の人口13,911,902人のうち、30歳〜出産可能年齢とされている42歳までの女性の人口を調べてみよう。
※42歳以上の女性でも出産された経験がある方はいらっしゃると思いますが、ここでは不妊治療の保険適用年齢制限である42歳を指標とすることにする。
しかし残念ながら増田の検索力では、東京都在住の女性の人口について、30歳〜45歳までの累計しか調べる事は出来なかった。
したがって、前述した30歳〜42歳の女性の人口について正確に突き止める事が出来なかった為、
東京都の30歳〜45歳までの女性の人口である1,486,000人を対象に話を展開させていただく。
2025年現時点での正確な婚姻率を見つける事は出来なかったが、東京都の婚姻率は約6%前後、という事が判った。
となると、1,486,000人うち6%が婚姻していると単純計算すると、89,160人の女性が婚姻状態にある。
ただし、今回の調査対象は”30歳〜45歳までの女性”を対象としているため、東京都の30歳〜45歳までの人口の割合を加味する必要がある。
令和6年の住民基本台帳を調べると、東京都内の30歳〜44歳の人口は2,874,500人であり、東京都の人口13,911,902人のうち約20%が該当する。
※ここでもまた対象年齢が30歳〜44歳となってしまい、30歳〜45歳と定義した値から外れてしまっている事を承知の上で読んで頂きたい。申し訳ない。
となると、89,160人の女性のうち20%である17,832人を東京都内における出産可能女性の人数として考えて行きたい。
東京都の合計特殊出生率は0.99と出てくるが、ここは単純計算のため1.0として扱う事にしたい。
つまり、17,832人がそれぞれ1人出産する、というように単純化してみたい。
東京都の合計特殊出生率の目標は約2.0という事を考えると、現在の2倍、母親一人当たり2人の子供を産む事ができれば目標は達成できる。
簡単に結論が出てしまったが、では、子供を2人産む為に何が必要かを考えて行こう。
子供1人が生まれてから大学を卒業するまでにかかる費用の総額は2900万円〜4800万円が必要、という記事があった。
これはばらつきも多く、正確な金額は各家庭によって異なる事を考慮し、ここでは「1人あたり3900万円」という金額で設定してみようと思う。
2人育てるのであれば、7800万円が必要となる。
年間にするとストレートで大学を卒業した場合22年で割ると年間354万円必要となる。
仮に30歳で1人目を出産し、2人目を33歳で出産した場合、30歳から55歳の間に基本的な生活費とは別途、年間354万円を確保する必要がある。
月額で割ると、29.5万円だ。
大和総研の調べでは、東京都の30代の世帯年収の中央値は約1,000万円と出てくる。
DINKSの平均支出額は家賃を除くと月額約23万円くらいらしい。こちらについては正確な情報を調べきれなかったため検索結果から導き出した額となる。
ここに、両親+子供2人が住める家賃を足して行きたいが、食卓、夫婦の寝室、子供用に2部屋確保したい場合、最低3DK必要となる。
東京都の3DKの平均家賃は12.3万円と計算すると、月額支出は23万円+12.3万円で35.3万円となる。
これに上記2人の子供を育てる月額費用29.5万円を足すと、64.8万円となる。これが子供2人を育てるのに必要な月額支出としてみたい。
手取り64.8万円の場合、額面は月額約82万円となり、年間では×12で984万円となる。
つまり、東京都の30代の世帯年収の中央値とかけ離れてはいない。
世帯年収1,000万円あれば、東京都で2人の子供を大学卒業まで育てる事は可能なのである。
※30代の世帯年収1,000万から年齢と共に年収が上がる場合を考慮したいとも考えたが、リストラ、倒産、昇給なし、育休取得による収入減などを考慮し、今回は25年間の平均世帯年収を1,000万円の据え置きで計算している。
さて、ここまで来ると、東京都で30代の夫婦が子供を2人育てる事は単純計算の上では可能と言う事が出来るだろう。
では、本題の「女は一体何人出産すべきか」に戻ってみたいと思う。
2025年現在30歳の妻がいる家庭を考えると、子供が働いて社会保障費や税金等を納められるまでの22年後、2047年の人口分布を調べてみたい。
国立社会保障・人口問題研究所の予想によると、2047年の時点で65歳以上の人口予想は38,225,000人と書かれている。
現在現役世代1人〜2人で1人の高齢者を支える構造になっているらしいが、仮に4人が1人の高齢者を支える構造に持って行きたいと仮定してみると、
仮に東京都の出産可能女性17,832人が2人出産した場合、35,664人となる。
さらに47都道府県で見てみると、30〜34歳の女性4,321,000人が2人出産すると2047年には8,642,000人が実質労働人口となる。
先ほど計算した152,900,000人には全く足らない。一人あたり追加であと18人出産する必要がある。
仮に30歳から年子で18人を出産しようとした場合、出産可能年齢を追い越してしまう為生物学的に完全に不可能な値となってしまった。
したがって、4人で1人の高齢者を支える構造を作り出すのは完全に不可能だ。
では、現在と同様に1人〜2人で1人の高齢者を支える構造を目標に落としてみよう。計算のために、1.5人で1人の高齢者を支えるために必要な労働人口を出してみよう。
38,225,000人×1.5人=57,337,500人、一人当たりあと約7人産む事が必要となる。
30歳からこちらも年子で合計9人出産した場合、なんとか出産可能年齢圏内である。
さて、ここまでの結論としてはまず本題の「女は一体何人出産すべきか?」の答えは「9人」という結論を出すに留めたいと思う。
これは一番最初に取り上げたYahooの記事の「8人目を妊娠中」の女性と大きく外れてはいない。
数字だけを単純に考えると、子供を8人産む事は未来の日本社会を成立させる為に全く間違った選択ではなく、まだ1人足りないのである。
そしてここから先が問題だが、果たして1人の女性が9人の子供を育てる為にはどういう施策が必要なのかについては、単に収入増の話だけでは説明が足りないと思う為、
ここから先については何方か有識者の皆様方に託したいと思っている。
素人の単純計算かつ正確なデータを用いて出した答えではなので、できれば専門家の研究結果を知りたい所である。
また、解決策については現時点では何を書いても理想論にしかならないと判断したわたしはここでこの日記を終わらせようと思う。
ただ一つ最後に書き残しておきたい事がある。
少子化対策を公約に掲げる主に政治に関わる方々は、このようにデータや計算を元にどのような政策を立てて居るのかを国民にわかりやすく提示すべきではないか、と思っている。
日本は警察も1つしかないし地方行政もせいぜい県と市しかないから、多重組織に慣れてないよね
基本的に各国には災害対策の国家機関がある。まずここが総司令部GHQ(準備部隊)を立ち上げる。
地方行政は所定の計画に基づき避難所開設や被害の調査を実施し、自力で遂行不可能なタスクをGHQに上奏する。
GHQは地方行政の探索結果に応じて重機や輸送部隊を派遣し、所定の計画が完遂できるように努める。
(ちなみに軍とは別に輸送機や実働部隊を配備している国が大半)
この輸送・配給は民間にアウトソーシングされている場合が多く、ここで提携している大規模ボランティア組織や州兵が派遣される。
大規模ボランティア団体の中核団体は後方でボランティアHQを開設し、個人ボランティアの編成を行う。
112/911の消防HQは火災の抑止、水道の開通、車両の除去等の啓開を優先して動く。人命救助はトリアージを優先し、収容はほかの部隊に任せる
消防/救急は道路状況を逐一GHQに報告し、GHQは軍、州兵、機動ボランティア、消防に開通タスクを割り振る。
どこで何が起きているかの調査が遅れたためにタスクの生産ができなかった。
県としては防衛省に航空偵察、内閣衛星情報センターに衛星偵察を依頼しデータを欲しがったが、日本には直接データを渡す法制度が十分に整備されておらず内閣を経由するしかなかった。
自衛隊はF-35の改修(偵察仕様)が大きく遅れていたために即応できる偵察機がなく、低速のドローンと哨戒ヘリを飛ばして対応したが、偵察機の8倍以上の時間を費やすことになる。
御存知の通り、中学生がターゲットになった無差別殺傷事件が起きた。
発生現場からは距離も離れているが、自分も本当に子どもを休ませようと思った。
こんなに痛ましい事件だというのに、それをきっかけに更に社会を混乱させようとする輩なんかに日常を奪われてたまるかという気持ちになったからだ。
メールを送ったのが殺傷事件の犯人であるかどうかはわからない。
仮に本人だろうが別人だろうが、このメールの目的ははっきりしている。
人々の平穏な日常を奪うことであって、それはまさにテロ行為にほかならない。
この事件やそのメールをきっかけに、日常を萎縮してしまうようなことがあれば、それはまさにテロに屈したことになる。
それを相手が実感してしまえば、それはすなわちテロの成功を意味してしまう。
いつもより少しはいろいろなことに敏感になったり注意を払ったりはする。
でも、学校を休むだとか、習い事を控えるだとか、そこまでのことをするべきではない。
なのに。
なのにだよ。
わざわざ現場まで出向いて、夜道で照明を消してまで恐怖を助長するようなシーンをお茶の間に流し続ける?
それ自体がテロリストの満たすべき目的を後押ししてしまっていることになぜ気が付かない。
センセーショナルな事件だから報道が加熱してしまう理由はわからなくはないが、市民の日常を萎縮させるような結果につながる報道は、すべてテロ行為の後押しにしかならないことをもっと自覚してほしい。
( NHK選挙報道より https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241117/k10014640801000.html )
どちらが勝ってもきっとそうなるだろうなと思ったので、強く強く強調しておきたいのだが、兵庫県民がパワハラを良しとしたわけではないし、県民が県庁職員の命を軽んじているわけではない。
逆に言えば、もしも稲村和美が選ばれていたとしても、パワハラが許されない県民性だ、と言うこともできなかった。
これは右派左派問わず、まず念頭において欲しい。ブコメをする際にも一瞬だけ書き込む手を止めて考えて欲しい。
97万人もの人間、投票したうちの39.6%の人間の意思を無視した発言になってないか。
いわゆる、従来の選挙として、前半は以下のような感じだった。
自民党の大敗が記憶に新しいが、小選挙区で自民党の内紛が起きていたところが概ね負けていたことを思い出すと、清水貴之立候補表明あたりで少し不穏さを感じていたと思う。
ただ、良くも悪くもテレビや新聞のマスメディアでは、齋藤が再出馬するとは、という論調であった。
そもそもで言えば、県議会が(維新も含めて)全会一致で県知事の不信任決議をする、というのが異例だった。
民意と言えば聞こえは良いが、マスメディアの報道を受けて支持母体からの圧力が日々増しており、かかる火の粉を振り払った結果、というところだろう。
事ここに至って、齋藤元彦が県知事失職以前に取っていた言動が、功を奏していた。
齋藤元彦は、「公益通報に該当するとは思っていない」や「瑕疵はない」と述べており、発言に一貫性があった。(端的に言えば過ちを認めて謝罪していない)
告発文書が7つの項目からなっているのであれば、本来マスメディアは、それぞれについて裏を取り、特に知事選挙や政治資金パーティーでの違法行為を追求すべきであった。
失職に至る経緯である、告発文書の報道が、主に理解しやすく視聴率を稼ぎやすいパワハラとおねだりに集中していた点が、事態を悪化させていた。
ハッキリとここで書いてしまえば、齋藤元彦の選挙戦略は至極全うである。
街頭演説では、おおむね、前知事の井戸敏三県政の無駄遣いの批判、自身の県政でのお金の使い方(高校への投資、企業との連携)の話、未来ある子供たちへの投資の重視などが語られている。
そもそもの前回の知事選挙でも、トップダウン式の井戸県政を嫌ったと評されるが、基本的には自民党の分裂選挙であり、自民党の内紛と勢いのある維新への合流が生んだ結果と言うこともできる。
つまり、現職なのでそもそもの地盤はしっかりとあり、井戸敏三県政から路線変更を行って財政再建を行っていて、元々市町村とは折り合いが悪い、という点までは織り込み済みの状況である。
マスメディア側に誤算があったとすれば、「パワハラぐらいみんなやってるだろ」とか「あの程度のおねだりは役得じゃないの」という市民の声がカメラの前で拾えるはずがない、という至極当然の目線を忘れていたからだと言える。
トップダウンの井戸県政を嫌ったはずの齋藤県政で、強引とも言える市町への予算縮減などをもっとフォーカスして解説すべきだったと思う。
逆に言えば、稲村と清水との分裂選挙と言える状況で、稲村和美陣営には手抜かりがあったと言われても仕方がない。
一本化を図ろうとした市町の連帯を示す文書は、明らかに遅かったし、清水貴之への根回しも済んでいるようには見えなかった。
マスメディアによる齋藤元彦おろしは成功している。通常こうした場合、再出馬や再選はあまり現実感が無い。
そのため、マスメディア側のいわゆる醜聞を集める準備期間がほぼなかった点がある。
また、全国的にも良く知られているが、関西圏は維新に対しては通常親和的な報道が行われる。
齋藤元彦は、前回の兵庫県知事時代に、自民党と日本維新の会と共闘して県政を行っていた。
マスメディアとして、及び腰になっていたのではないかという点は、指摘できると思う。
また、醜聞、いわゆるゴシップとして視聴率を稼ぎやすいネタが、齋藤元彦を利するものであった点も報道が少ない理由の一つと言える。
(もしも前知事時代に女性関係の醜聞があれば、こぞって報道されていたであろうことは想像に難くない)
しかし、コメント欄などを見ると、メディアに騙されていた、齋藤元彦を応援しますという声は少なからずあり、影響が無かったとは言えない。
また、街頭演説に限って観てみるとわかるが、明らかにトレーニングを受けた演説慣れした者と、あまり演説しなれていない者とハッキリわかれる。是非聞き比べて欲しい。
出直し選挙で民意を問うでべきであるという逃げを打った県議会やマスメディアは、再出馬されてしまった場合に、取りうる手段が無い。
現に、今回民意を反映して(少なくとも当選する程度の民意は得ている)知事に返り咲いた為、県議会は筋論としては協力せざるを得ない。
また、あまり話題になっていないが、辞任と失職では県知事の任期に差があり、失職後に出直し選挙で当選しているので、任期はリセットされており、ここから4年の任期となる。
恐らく、齋藤元彦兵庫県知事の元、今後も市町とは揉めながら県政を行っていくと思われる。
文書問題調査特別委員会(通称、百条委員会)については、粛々と聞き取りと調査が進めらると思うが、おそらく公益通報には該当しない、パワーハラスメントに該当する行為はあった、給与の自主返納あたりで手打ちになると思う。
これはあくまでも一般論だが、刺すべきタイミングで的確に刺せないと、政治ではうまくことが運ぶことは無い。
兵庫県警が公益通報として受け取らざるを得ない内容、厚生労働省が調査せざるを得ない内容、法務省が調査せざるを得ない内容として、それぞれピンポイントに匿名で通報し、マスメディアにも流した場合、結果は違ったように思う。
五百籏頭氏が傑物であったことに異論は無く、執務中の急性大動脈解離については痛ましいとしか言いようがなく、それがストレスを起因としたものであったかもしれないが、それを知事の問題とするには飛躍が過ぎる。
繰り返しになるが、稲村和美へと票を投じた97万人がいたことを忘れてはいけない。ほぼ、齋藤元彦では無い人物というワンイシューで集まった票がこれほどの規模だったことを忘れずに話をして欲しいと思う。
立花孝志の選挙戦略が当たったのではないかという話があったが、そもそもで言うと県議会が推す候補が一本化できていない(稲村と清水に分かれていた)点に問題があった。
単純な算数だが、対立候補が稲村和美(と共産党)だけだった場合、当選していたのは稲村和美であった。
県知事の任期は4年であり、第53代兵庫県知事の齋藤元彦は、2021年8月1日付に県知事になったので、ほうっておいても2025年7月末には任期を迎えた。
文書問題調査特別委員会が設置されたのであれば、この調査結果を待ってから辞職を迫るのが筋であった。
マスメディアの大変良くない点だと常々思っているが、加熱した報道で辞職を迫るのはいい加減どうにかならないか。それは報道では無く扇動である。また辞職は罪を償う手段ではない。
齋藤元彦が、井戸敏三県政を嫌っていることは外部からもうかがい知ることが出来るし、法律上はどうあれいわゆるパワハラを日常的に行っていたであろうことも百条委のアンケート結果からは伺い知ることが出来る。
ただ、それを告発する為にとった手法が公益通報に該当するのか、内容が真実だったとして法律上の罪に問われるものなのかは、また別の問題である。
そういう、法律上はどうあれ報道され一部でも事実があり実害が出たのであれば責任を取って辞めるべきだという、マスコミを利用した政治手法が、うまくいかなくなった結果だと考えている。
(贔屓目に見ても怪文書としか言いようのないあの告発文書でここまでの騒動になるのだから、実情はさらに酷いのだろうと思うが、それは司法を飛ばして私刑を行って良い理由にはならない)
風向きで辞任を迫ったり、風向きでついたり離れたりしていると、触れるメディアからの情報で同様に風向きが変わるのは当たり前だろう。
返す返すも、百条委の結果を待って、結論が出てから辞任を迫っていれば違っていたように思う。
パワハラの認定がなされたあとの再選と、パワハラ疑いの再選は大きな隔たりがある。
パワーハラスメントは、録音録画を行えば証明できるような単純なものでは無い。うっかりパワハラではないとされた時に、職も信用も失う危険な行為なのだ。
そして、パワハラを行う人間は、誰がやったかわからないような不特定多数がいるような場所でパワハラをしない。通常、パワハラは録音データが漏れてしまえば即特定されるのだ。
そして、日本のマスメディアには信用が無い。暴露は得意だが保護は不得意だ。
そうすると、パワハラは日常的に行われるのに、職を失いたくないから何の証拠も出てこないという状況が容易に起こりうる。
従来のマスコミのゴシップと同様の効果を、ほぼ単独で行えた点にこそ、大きな価値が出てしまった。
ただ、逆に言えば、事実に基づき、政策で判断してほしいというような選挙戦略には、付け入る隙は無い。
やはり、そろそろマスメディアが私刑として機能し、首長を叩き辞任させようとする傾向は慎むべきなのだと思う。
辞任以外の落としどころを作らない限り、また同様のメディアスクラムが起きた時に、立花孝志はおそらく違う手法で望んだ結果を得るだろうと思う。
実際の所、流れた情報の何が本当で、何がデマなのかは誰にも判断できず、なにが正しいのか理解できている人はほぼいないと思われます。
とにもかくにも、立花氏の戦略が、今の時代を的確に捉えており、柔軟に対応できたことが大きいと思われます。
従来の選挙戦略では到底太刀打ちができない、新しい選挙のやり方が生まれてきたなという感想です。
10~20代は7割が斎藤氏を支持 兵庫知事選、投票者ネット調査
https://mainichi.jp/articles/20241117/k00/00m/010/222000c
「こうした斎藤を支持するガイジを引き入れないと負け続ける!」「どうすればこうしたガイジを取り込めるか考えるべき!」
とかいう途方もなくアホな意見をほざいているゴミが湧いてて呆れた
今回の選挙で陰謀論と工作活動に騙されて斎藤に投票してしまった脳足りんのガイジは1,113,911匹居て
確かにこいつらが一番多かったので民主主義のルール上では斎藤が勝利したわけだが
2位の稲村に投票した健常者は976,637人居るわけで圧倒的な差が開いているわけじゃないし
寧ろ3位の清水に投票した健常者の258,388人を含めれば斎藤に投票したガイジの数を上回るわけで
これは少なくとも斎藤やその工作活動に騙されず斎藤のやり方にNOを突きつけた健常者の数はガイジの数よりも多い事を示している
民主主義は数だけで勝敗を決めるからガイジでも数が増えれば勝てる事もあるってだけ
だからガイジを取り込む為に今回斎藤がやった様なモラルの欠片もない工作活動を、目には目をの精神で健常者もやれみたいな意見は
そうした多数の健常者達を無視する事になるわけでそれじゃ本末転倒
大前提として健常者は陰謀論やデマを信じ込む様なガイジに配慮する必要はないし、譲歩もしてはいけない
政治に限らず物事ってのはデマを信じず正しい情報を持つ健常者によって行われるからこそ正しい結果が得られる
重力を否定するガイジが自分は飛べるとほざいて崖からダイブしても地面に叩きつけられるだけ
どれだけガイジが事実を否定しようが、そしてデマを信じるガイジがどれだけ増えようが”それでも地球は回っている”って事
だから間違っていない健常者が反省する事など何もないし変わる必要もない
健常者は目先の結果に焦らずそのまま正しくあり続ける事こそが一番大事
何故なら地面に叩きつけられたガイジ共が
「私が愚かで間違っていました!誰か助けてください!」と痛みと苦痛で泣き喚いてる時
ガイジに合わせて健常者までガイジになって全員崖から落ちたら、もうそこには絶望しか残らない
ガイジは間違っているが故に必ず失敗するのだから、健常者は変わらず健常者のままで居続けて然るべき時に対処すれば良いだけ
ナチスの時も大日本帝国の時も健常者達は過去何度もガイジ共に対してそうしてきた
今各地で暴れているのもその同類
ガイジがポピュリズムでガイジに支持され権力を持ち、当然大惨事が起き、健常者が後始末をする
また繰り返すだけ
河野太郎が、「年末調整を廃止して全納税者が確定申告する税制にする」とXで宣言して炎上や賛同やらされている問題。これはずっと以前から理想的な税制として語られてきたもので、別に太郎が急に閃いた事ではない。
https://x.com/konotarogomame/status/1830737429361504665/photo/1
https://nordot.app/1203999108206085074
元々はGHQが戦前の日本の旧弊で反民主的な税制を是正せんとした税制改造(シャウプ勧告)に端を発する。つまりは民主的税制案である。
戦前の日本では納税単位がイエ単位であったり、戦時増税として物品税が多く設定されている為に市場じゃなくて個人売買した方がお得とか、税務署自体もやたら威張っているなどの問題があった。イエ単位の納税は個人がイエに縛られている事を前提とするので反自由、反民主的であり、会社員世帯が税額の面で不利になる。戦前は資本主義が未発達で会社員は限られたエリート的な身分だったが、これが大衆化して給与も下がったら不公平は看過しえないものになる。また地方自治体の税収源が少なすぎる為にを国家中央が握る地方交付金に依存しすぎているのがファシズムの浸透の原因にもなった。
こういう判断でアメリカ型の税制の更に理想的な形を日本で施行して、根幹から民主的資本主義国家の骨格を持たせようとした。
それで導入されたのが、法人税、青色申告と複式簿記、固定資産税などだ。戦前では土地の税金は地租、家屋の税金は家屋税で、共に国税であった。これを廃止して地方税の固定資産税として納税先は自治体となった。
で、問題の源泉徴収、年末調整だが、これも廃止して個人の確定申告にする事がシャウプ勧告に入っていた。だが困難という事で見送りされてしまったのである。
それはまず取りっぱぐれの問題。税務署も会社を押さえておけば効率的に所得税は見逃しなく徴税出来るが、社員個人の確定申告のみとしたらバックれる奴が出てくるに決まってるし確認作業も大変だ。
もう一つは社員が確定申告に来るのが大変だという問題。確定申告の為には一日休まなきゃならない。そして税務署で延々並んで…というのをやらないといけない。当時産業が殆ど吹っ飛んでしまって生きるのも大変な時期に金を払う為に一日休めるか、会社も社員がごっそり来ないという状態を是認できるか。
こういう反対意見に押し切られて天引きの源泉徴収と年末調整のままになってしまった。
シャウプ勧告には有ったのに見送られてしまった総確定申告制だが、その後も理想的税制として導入を訴える声はあった。
それはまず、太郎も言っているが税の仕組みが判るようになり、使われ方にも分解能が上がるだろうという事。
ブクマページなどでは「この機会に簡素化して控除も無くそう」みたいな事言ってる人がいるが、逆だよ逆。どういう行動の支出に控除があるのか、自分はどの控除が掛かっているのかという事を知る事が出来る。「控除も無くそう」というのは天引き以外の納税を知らない意見だ。「所得税」の欄の数字が所得額から単純に出てると思ってる。だがこの数字は会社が控除額を計算して算出しているのだ。
控除がどこに掛かるかを知れば、現在の国が不公平を是正する為に会社員のどこの負担を認めて差っ引いているかが判るようになる。
もう一つは利害の誘導。国がどのような行動をして欲しいか、というのが控除に現れる。マイホームを買ってローンを組んで欲しいか(見かけ上通貨流通量の増加→インフレ)、子供を産み育てて欲しいかなどだ。これは法人税や青色申告だともっと鮮明に意図が見える。
今までは確定申告の為に一日休んで税務署に行くというのが負担だった。年度内で転職したのに確定申告に行かない(行けば取り過ぎ分還付されるのに)人も多かった。
でも電子納税なら夜でも出来るし時間も掛からない。税務署で並ぶ必要もない。負担にならないのだ。テック万歳である。
という事は増田は太郎の意見に賛同していると思うじゃん?残念だが反対なのだ。
としている。だが「所得情報を迅速に把握」と「ピンポイントでプッシュ型支援」は繋がるのだろうか?
この二つは別の問題じゃないのか?
更に現在でも源泉徴収の為に社員のマイナンバーは必須となっている。総確定申告化で何か変化があるのか?何もない。
因みに自治体によっては低所得者向けに交通チケットや給付金、買い物券などの支援をやっている。現在でも納税額を見てプッシュ型でそれら申込書を送ったりしている。「ピンポイントでプッシュ型支援」されているのだ。
但し地方自治体が所得額を把握するには、国税が所得税確定→それを基に自治体が住民税確定と段階を踏むので、時期は6月辺りになる。太郎はそれを前提に「所得情報を迅速に把握」としたのだろうが、白色申告時期の3月から3か月程度でしかない。この文章を読んで「たった3か月じゃん」と思えないのはダメである。
だが問題は何故こういう力点と作用点が違う事象を言っているのに通ってしまうかという事である。
日本でのネオリベ流行には特徴があり、支持者に経済音痴が大変多い。商取引での慣行や法制度、更には経済事件は非破廉恥罪で社会の善悪感情と異なるという常識すらない者が多い。
また「メンバーシップ型会社から自由な」個人を謳っているくせに経済事象を給与所得者の延長で考える事が多い。多いというか専らだ。つまりはB層の問題だ。
賛同する政策というのは何かを壊す(入力)というものが多く、その結果は任意の好ましいものになる(出力)という根拠がないものだ。
例えば郵便局を株式会社化して上場させるという入力に、サービス向上という出力が発生すると素朴に考える。だが普通に考えれば配当が欲しい株主が離島や過疎地でのユニバーサルサービス継続に賛成する筈がないよなぁ。
また、賃貸の家賃を安くする(出力)為に土地建物の相続を廃止(入力)して不動産会社が取得すべきという意見も見られた。これは既得権益者の地主などにも諭されていたが、物件取得費を家賃で回収する必要があるから安い物件なんて無くなるわなぁ。
太郎が今言ってる解雇自由化(入力)で雇用流動性という出力が得られる論も同じで、入力と出力が結びついていない。それを結びつけるのにはどうするか?という設問が出ない言論空間をアテにしているのだな。
こういうややこしい社会制度を解体したら望ましく自分が得する結果になる筈!というのは90年代まではリベラルがやっていた。自分が抑圧されているのは社会のせいだ、と。また海外出羽守も同じことを言っていた。
2000年以後になるとリベラルは退潮し、代わりにネオリベが流行した。これは市場を喰われたって事である。
だが実際に導入されてみるとこんな考えだったB層達は解放されず、勝者はノウハウを集積出来る法人であった。
また単に市場をシュリンクさせ余剰を無くして全体の賃金を縮小させデフレを進行させただけだった。日本からはGAFAMは現れず、Ankerも現れず、3Dプリンタなどの新しい技術を売る会社に日本企業の名はない。成長してLGサムソンになる会社もいなかった。
これらが出来なくなる基盤だけを提供したのである。日本のネオリベと米韓のそれは性質が違うのだ。
ところがそんな入力と出力の間を繋げる努力も無しに任意の入力すれば任意の出力が得られると言って憚らない連中は残存している。彼らが持つ社会へのルサンチマンが入力と出力の必然性を彼等の中で担保しているのである。
今回の太郎の表明に「複雑な税制が無くなって控除が廃止される事」を望んでいる意見が寄せられているのがその証拠である。天引きサラリーマンから見たら控除の必要性なんて判らない。それでそれを敷延して判り易い世界が来る事を期待してしまうのだ。もうこういう支持のされ方をする政治家は落とした方がいいだろう。
太郎はかなり面白い来歴の人物だ。Wikipediaにもあるがアメリカの大学で政治学を学んでいるしその途中でポーランドに留学している。その間に後に初代ポーランド大統領になったワレサ「連帯」議長を訪ねている。当時はまだゴルバチョフのペレストロイアの前で、連帯は反体制運動と見做されていて太郎も公安警察にしょっ引かれている。
連帯は自由主義寄りだったユーゴスラビアの自主労組のような組織で、共産党独裁が前提のソ連勢力圏では「修正主義」と見なされて弾圧されていた。だが後の東欧の自由化の先陣を切った運動であった。
その連帯のワレサ議長に、ゴルバチョフ以前に会いに行くというのはすごい行動力だ。筋金入りのリベラルといっていい。
だがこういうリベラルが保守側に転向した際に最悪となるエピソードというのは多い。一番判り易いのがアメリカのネオコンサバティブで、その中心人物はスターリンに左翼偏向と詰られたトロツキストだった。
『国益』誌でソ連崩壊をアメリカ的民主体制の勝利(歴史の終わり)とする一派を押しのけて軍拡競争の為と総括した連中が911の衝撃に乗じて共和党内の穏健派を追い出し、宗教右派と手を組んで共和党ジャックしてしまった。その結果イラク戦争を起こし、イラク国内を平定出来ずにISISの活動を許し、中東を戦乱の渦に巻き込んでしまった。責任を問われて失脚し、穏健派をパージしていたので今の共和党は宗教右派と陰謀論のトランピアンに乗っ取られた、アメリカの覇権の内なる脅威みたいなもんになっている。
太郎の場合も実効性や結果のフィードバックを取り込んで行動していない。設計→実行→修正の行政組織の行動葎を取り込まずに、設計しっぱなしなのだ。イージス・アショア配備で断念する旨の報道が出たのに「自分は知らないから誤報」と言って後で泣き言言っていたのを覚えているだろうか?防衛省内の報連相サイクルからパージされていたという事だ。
ワクチン担当でも残数ショートで産業医接種を突然停止させ、その余波で通常の大規模接種も長く停止してしまったのに、それは外部の問題だと言って憚らなかった。自分の行動が及ぼす影響を考えず、自分の設計は正しいと言うだけだった。
Xのブロック問題も初めは「変なネトウヨ」(本人談)をブロックしていただけだった。紅の傭兵の息子だから中国のスパイだろお前は、的なものを相手にする必要はない。だが入閣後は自分の行為を評価している人全てブロックになって、マスコミの質問もブロック、となるとただ設計があるだけで、それが適切な出力となって社会に作用するか?という事を問われる環境に居た事が無い。
そうすると源泉徴収年末調整廃止と総確定申告化が如何にシャウプ勧告に基づき、ずっと議論されてきた理がある方策だとしても反対するしかない。
しかもこれが「ピンポイントのプッシュ型支援に繋がる」と、入力とまるで関係がない出力が得られる、と言っていれば猶更だ。これは20年遅れのB層に設計しっぱなしの政治家が語っているというだけの下らん話である。それは騙しがデフォルトのコミュニケーションをしているだけに過ぎないのである。
ネット違法数とは、インターネットミームやネットスラングなどによって悪い意味が込められてしまった、本来は意味のない数列や数値。
ネットのない頃からスラング的に13や69、86などのような悪い意味も含まれた数列・数値のことであり、特にインターネットではこの意味しかないという数列・数値が非常に多いことからつけられた単語である。
違法素数を由来とした単語ではあるが、ネット違法数をそのままの値で投稿してもコンピュータシステムに直ちに影響はないのだが、パスワードなどで使用しても簡単に破られるという意味では違法数の一種としても正しいとも言える。
ただし素数以外のものも扱うという観点から違法素数では扱えないのと、主にインターネットで使われやすいということで、ネット違法数となったという。
数字は無限に広がるため、ここでは特に扱われやすいものだけを厳選しておく。 以降は増田が勝手に言及してくれるので、そちらも参照。
思いのほか多くの方に読んで頂けたことに当惑しつつ、大変感謝しています。
そんなに人の興味のあることではないとは思うのですが、せっかくの機会なので、自分の考える(自分の出会ってきた)アラビア語とイスラームのことを、ちょっと書かせて頂きます。
大前提ですが、自分は基本、道楽で勉強してきた人間で、職業的な研究者ではありません。大学の専門も西南アジア史とかではないです。あくまで個人の体験を元にした個人の感想で、学問的裏付けのあやふやな大雑把なお話だとご理解下さい。
(いきなり余談ですが、わたしが出会ってきた「アラビア語の達者な日本人」は必ずしも研究者ではなく、一番多いのはマリッジムスリム、つまりムスリムと結婚した日本人です。彼女たちはエジプト社会に溶け込んで普通に暮らしているので、普通は言葉が達者です……十年いても全然ダメでかつ謎の力で意思疎通できる不思議な人もいましたが(笑)。
シリア人と結婚しシリア在住の女性とは、帰りの飛行機で隣り合わせて、息継ぐ間もなく喋り続けて良い思い出です。彼女から聞いた当時のシリア事情は外から見た「残虐なバッシャールvs自由シリア軍」みたいな構図とは全然違って、目を開かされました。
また日本在住のマリッジムスリムでも、家族親族との交流やクルアーンのために熱心に勉強し、大変流暢な方がおられます。
ほとんどの場合、ムスリム男性と日本人女性で、これはイスラーム圏において異教徒の嫁を貰って改宗してもらうのは敷居が低い一方、女性をよその男性にさらすのは極めてハードルが高いせいでしょう。逆のパターンを1組だけ知っていますが、これは女性側の家が相当裕福なインテリ層で、留学経験などもあるためでした)
先述の通り、わたしがアラビア語に関心をもったのはイスラームへの興味からでした。
イラン人についての書かれた元増田の方が、「クルアーンのアラビア語はお経みたいなもの、イラン人にはわからん」といったことを記されていましたが、本当にクルアーンはお経的だと思います。
お経的というのは、意味内容以前に「音をそのまま」読誦することが重視されている、という点においてです。
日本の仏教徒で熱心にお経を読まれている方も、楽譜みたいな感じで音そのものを覚えつつ、意味も勉強すると思います。非アラビア語話者のムスリムにとって、クルアーンはちょうどそんな感じです。
何ならアラブ人にとっても、クルアーンのアラビア語は非常に古い言葉ですので、普通に読んだら意味のわからないところは沢山あります。ただ幼少期から声に出して読誦し丸暗記しているし、その意味も大抵は教えられているので、特に疑問に思わないだけです。
(お世話になっていたエジプト人の先生とクルアーンについて話していた時、「アン=ナージアートとかぶっちゃけ全然わからん!」と言っていたのを覚えています。これはクルアーンの後半の方にある非常に韻文的で語彙的に難しい章で、短いので多くのムスリムが丸暗記していますが、初見のアラビア語として見たら大学出のエジプト人でも「全然わからん」ものです)
一点留保をつけると、「古いからわからない」という意味では日本人にとっての平安時代の言葉に似てはいるのですが、前のエントリでも書いた通りアラブ世界ではフスハーという形で古いアラビア語が割と保存されているため、日本人における古語ほどは難しく感じないと思います。
ついでに言えば、少なくとも大多数のエジプト人は、アラビア語と言えばこのフスハーのことだと信じていて、学校の「国語」にあたる時間ではフスハーを勉強します。普段使っているアーンミーヤ、エジプト方言はその「崩れたもの」くらいの認識で、「勉強するに値しない」「文法なんかない」と本気で思っています。大学出の語学教師さえ、「この仕事につくまで、アーンミーヤをわざわざ勉強するなんて考えたこともなかった」「文法なんかなくて、自然にできると思っていた」とか言い出すほどです。
外国人視点で見れば、フスハーとアーンミーヤはラテン語とフランス語くらい離れていて、勉強すれば連続性がわかり、「ここがこう変化して今こうなのか!」と感動するのですが、最初に耳で聞くとまったく別言語に聞こえます。勉強しないで自然にできるわけがありません。
話がズレましたが、クルアーンは(お経のように)そのままのアラビア語を声に出して読み丸暗記するのが基本です。
キリスト教の聖書は色んな言語に訳されていて、普通は各自の言語で読むものだと思うので、その点がかなり異なります。ただ、周知の通り聖書の大衆口語への翻訳が本格的に行われるようになったのは宗教改革以降で、元来はキリスト教でも「音そのまま」が基本だったのではないかと思います。おそらく大抵の聖典とか、宗教的行為というのは、意味以前に音や身体操作をそのまま発して覚える、反復することが大切だったのではないでしょうか。
何が言いたいかと言うと、現代日本に生きるわたしたちは、宗教というと信念体系とか戒律とか、知的に理解できるものを第一に考えてしまいがちですが、元々はもっと音楽的で、意味や論理性よりも「ノリ」みたいなものを重視していたはず、ということです。
現代で言えば、ヒップホップみたいな感じでしょうか。ヒップホップに全然詳しくないので的外れだったら申し訳ありませんが、フロウとかライムとかは、意味的整合性が全然どうでもいいとは言いませんが、音ノリと意味があいまって全体の美しさが練られると思います。歌詞を紙に書き出して意味を深堀りする、みたいな作業は、批評的・研究的には意味があると思いますが、そこに第一義があるわけではありません。
英語のヒップホップの歌詞を全部翻訳して、その意味内容だけをじっと見つめていても、多分その曲の本質にはあまり近づけません。同様に、イスラームについて「戒律が厳しい」とか「豚肉はダメ」とかそんなところだけ見ても、実際にムスリムたちが行っている、あるいは身体化している「それ」からすると、的を外してしまっている可能性が大いにあります。そしてイスラームに限らず、(現代的にはただの迷妄のように片付けられがちな)宗教行為、信仰というものは、容易に翻訳可能で知的に了解しやすい部分だけ追っても、なかなか「肝」のところが見えてこないのではないでしょうか。
特に聖典のような古い言語は韻文的性質が強いです。アラビア語とヘブライ語のような近い言語ならともかく、日本語のような遠い言語に翻訳すると、どうしても元々の「ノリ」が失われてしまいます。やはり対象言語を基本だけでも学び、翻訳と原典の両方を活用しないと、うまく「詠む」ことはできません。
クルアーン、特にマッカ期と呼ばれる初期に啓示された後半部分は、大変韻文的性質が強いです(クルアーンは概ね時系列と逆に章が並んでいます)。日本では「戒律の厳しい宗教のルールブック」みたいなイメージが強いかもしれませんが、そういう約束事みたいなことを書いている部分は、まったくないとは言いませんが極めて少なく、では何が書かれているかというと、概ね「神様スゴイ」ということを手を変え品を変え表現しているだけです。本当に同じことを言い方を変えて反復しています。あとは「現世は戯れ」「不信仰者を待つのは火獄の責め苦」「楽園には川が流れている」みたいな抽象的イメージが多いですね。
音楽的ノリが強いので「サビ」みたいな部分もあって、ごにょごにょとエピソード的な話が続くと、とてもわかりやすい言葉で「まことアッラーは慈悲深い」みたいなお決まりのフレーズがビシッと入ります。ごにょごにょのところが言語的にちょっと難しくても、サビだけは聞き取れるので外国人にやさしいです。
またヘブライ語聖書(旧約聖書)のエピソードが知識として前提されている雰囲気があり、ちょっと二次創作っぽいというか、ユースフ(ヨセフ)とかイブラーヒーム(アブラハム)とかヌーフ(ノア)とか、旧約キャラの話が脈絡なくフラッシュバックのようにパッパッと入ります。旧約エピソードがアラビア語的にカッコイイ韻文で表現されているのは、こんなことを言うと怒られそうですがファンアートっぽいというか、音楽的に昇華されている感じです。
こうしたエピソードっぽいフレーズは時系列で並んでいるわけでは全然なく、「そういえばアイツもこうだった」みたいに話題ごとに何度も引っ張り出されます。
この文体は翻訳で読むと非常に冗長で退屈極まりないのですが、音で聞くと大変心地良く、カッコイイのです。情報として全然新規性がなくても、「出ました! ムーサー(モーセ)の話!」みたいに盛り上がります。
わたしは今でも、車を運転する時は「今日はアル=アアラーフでいくか」みたいに、正に音楽をかけるノリでクルアーンの読誦を流しています。心が落ち着いて安全運転です。
良く言えばノリが良く、悪く言うと深く考えてない感じです。
余談に次ぐ余談ですが、「クルアーン」というカタカナ表記は学問的な界隈では結構前からポピュラーだと思いますが、昔から一般的なのは「コーラン」ですよね。
カタカナで正確に書けるわけがないのだからどっちでもいいんじゃない?とは思いますが、ちょっと疑問に思っていることがあります。
「クルアーン」というのは表記に忠実な感じの書き方で、あまり良い例ではないかもしれませんが、「stand up」を(ステァンダッではなく)「スタンドアップ」と書くみたいな方針だと思います。
では「コーラン」の方が音に忠実かというと、そうではなく、これは多分、英語表記からカタカナに起こしたものです。ラテン文字表記でquranとかkoranとか書かれていたのを、カタカナにする時に「コーラン」にしたのでしょう。
英語圏の人たちが一般にこれをどう発音しているのかよく知らないのですが、もしアラビア語の音に似せるなら、後半にアクセントがあるはずです。
ところが、理由はわかりませんが、カタカナにする時になぜか前半アクセントのイメージで「コ」の後に伸ばし棒をつけて、擬似的に強弱アクセントを表現したようです。
実際に耳で聞けば後半にアクセントがあるのは歴然としていて、日本人の感覚で簡単なカタカナ表記を考えるなら「コラーン」あたりが音的には一番近いと思います。これを普通にカタカナ読みしても多分通じますが、「クルアーン」「コーラン」はまずわからないでしょう。
別にどっちでもいいのですが、アラビア語には日本語のように長母音的な概念があるので、素直に似せていけばいいものを、わざわざ第三言語のラテン文字表記に引っ張られているのがちょっと悔しいです。
同様にラテン文字表記(英語圏での表記)に引っ張られているらしいものとして、「メッカ」はどう考えても「マッカ」で、これはカタカナ読みでも通じます。「カタール」は普通に聞いたら「カタル」が断然近いです。
あと不思議なのは「アッバース朝」とPLOの「アッバス議長」は同じ名前なのですが、なぜか文脈で表記が違いますよね。「アッバース」の方がアクセント的に近いです。これも多分、議長の方がラテン文字表記に引っ張られたのでしょうね。
これは完全に自分語りですが、わたしは割とキリスト教の影響のある環境に育ちました(信者ではありません)。子供時代はどちらかというと反発し、宗教とはなんてアホで小うるさいものなんだ、くらいの幼稚な考えを抱いていたのですが、肯定否定はともかく、信仰なるものについて考える機会は日本人としては多い方だったと思います。
その中でイスラームは、911やその後の騒動もあって印象が強烈でした。行為そのものは単なる殺戮で肯定できるものではありませんが、何年もかけて潜伏し飛行機の操縦を学び、自分の命を投げ捨てて突っ込むというのは尋常ではありません。一方で、世界に16億いるというムスリムが皆こんなぶっ飛んだ感覚の殺戮者であるのは、常識的に考えてありえないと思いました。
では実際のところ、平々凡々たる市井のムスリムたちはどうなのか? 彼らが信じている、その中で生まれ育ち生きているイスラームとはどんなものなのか? というのが、今思うと出発点だったと思います。
色々本を読むとそれなりにイスラームについての一般常識はつくのですが、それらはあくまで、頭の良い人が外から観察してまとめたものです。しかしわたしが知りたかったのは、もっとレベルの低い大衆的な肌感覚みたいなもので、それを知るには内的に追体験するというか、彼ら自身の立ち位置になるべく入ってみて、そこから世界を眺めてみないといけない思いました。
キリスト教でも仏教でも熱心な信徒もいればなんちゃってクリスチャンみたいのもいるわけですから、ムスリムだって色々なはずで、「さほど熱心ではないけどやっぱり信じてる」みたいな人もいるはずです。どちらかというとヘボいムスリムの感覚に同化してみたかったです。わたしはヘボい日本人ですから。
この低水準の信仰感覚というのは、あくまでわたし個人の感じてきたところでは、幼い頃から聞いている歌がつい口をついて出てしまうみたいなものかと思います。
大人ですから知的に敷衍して約束事のように語る部分もありますが、多分そこは本質ではなく(彼ら自身は見栄っ張りなので、よそ行きにもっともらしいことを語るものなのですが)、もっと身体的で音楽的なものこそが大元なのだと、自分は感じています。
そしてこの感覚は、サピア・ウォーフの仮説ではないですが、言語と密接に繋がっています。言語、文化、宗教は連続体で、どれか一個だけ取り出して眺めようとしてもなかなかうまくいきません。
まぁ、そんな風に見てみると、意味のわからない人々についてもちょっとは親しく感じられるんじゃないかなぁ、と思います。
そんなこと興味ない、親しみたくなんかない、という人が大勢でしょうが、違う場所から違う視点でものを見てみるのは、何でもすごく面白いものだとわたしは思いますよ。
人生、旅じゃないですか。
日本のために命かけるならできると思ってたが、ウクライナやパレスチナの戦争を見ているうちに「いや、これは政権与党のために殺し合ってるだけだな」と気づく。
ロシア兵が死んでいるのは100%中100%プーチンのためなわけで、俺たちがもし戦争になったら岸田や鳩山のために殺し合えるかということが問われる。
アフガン戦争の頃、自民党のメンツのために最前線に行けるかが問われていたし、そこでブラックホーク・ダウンの片棒を担げるかが問われていたのを見て、俺はそれを「日本の国際社会における立場のために出来るか」が問われていると思っていた。
違うんよな、政権与党のためになんよな。
911とか見ちゃった影響で守るための戦争を信じていたが、プーチンやユダヤのおかげで目が覚めたよ。
政権与党のために殺し合えるかって話を考えないといかんのやね。
俺はやっぱ無理だなあ。
まあ、氷河期を生き残るために自衛隊に逃げてきた俺が悪いんやろなあ。
戦争始まっても頑張れないわ。
自民党の偉いおっさん差し出して「コイツらが生こいてただけなんです!国民は騙されただけだから許してください!」みたいにしたくて仕方ないだろうな。
でも俺チキンだから表向きは粛々と戦争して、いざ人を撃ち殺してから「あーあ岸田のために人殺しちゃった」と後悔すんかなあ。
「あーあ岸田のために殺されちゃった」で死ぬのかなあ。
はあ、軍隊に入るんじゃなかったなあ。
夏が苦手なので現実逃避したい。ジャンルは問わず、小説でも漫画でも写真集でもゲームでも。
今までに触れたものは
・さよ(ゲーム)
・北欧貴族と猛禽嫁の雪国狩り暮らし(漫画で読んだ。完結してしまい寂しい)
・氷(小説)
とか。
【追記と返信】
予想以上の量で来年の夏も越せる気がしてきました。
いただいた返信を読んでいるうちに「寒いシーンというより、寒い環境下にある生物の話」を求めていることに気づきました。また、映像作品は普段まったく触れないので宝の山でした。ありがとうございます。
読み始めました。
検索したところ、オマケで「氷点下で生きるということ」というドキュメンタリーも釣れました。ありがとうございます。
積んでしまいそうで躊躇していましたが買いました! やるぞ!
最高だ〜!!! Steamセール中だったので買いました。嬉しい。
はい!