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2025-02-18

anond:20250218204822

メルカリで買うとか近所の卒業生のおさがりとかないの

彫刻刀はもちろん、裁縫セットだって一生もんとか書いてるけど本当に一生使うかと思うんだが

なあ

子ども裁縫道具、彫刻刀を買う時期が来たんだけど合計7000〜8000円して心折れそうだよ。

裁縫道具は一生使えるからいいけど、彫刻刀は自分のがあるから使ってほしいんだけど。

なんで毎年生徒ごとに買わせるんだよ、一単元終わったら9割使わなくなる人間ばっかですぐ無駄になるだろ。

SDGsちゃうかいあほかよ

2025-02-09

anond:20250209093531

父の日大工無骨ツールキットに憧れがあったから、学校で買える裁縫セットはどれもこれも子供向けのプリント付きだと知ってがっかりした

蓋が傷だらけになったドラゴン裁縫箱は今でも勉強机の中にある筈だが

2025-02-07

優しくてすてきな男性結婚し、娘を産み、娘がどんなビジュアルでもたとえ私そっくりでも夫のビジュアルが整っていなくて父親似であっても、かわいいかわいいって溺愛して育てるという夢はどうやらかなわないことが年齢的に現実となった。私は料理もできるし、裁縫も得意で、おそろいの洋服も作れるなって思ってたけど。それもできないや。

子供のおかげでボタンの付け替えができるようになった

子供とき家庭科裁縫の授業が苦手で

家庭科室のミシンは壊れまくるし

家庭科教科書の内容は理解できないし

裁縫全般何もかもできなさすぎて

玉止め玉結びすらもできなかった

20代ときも、不器用過ぎて裁縫できなさ過ぎて、いつだったか自分の服のボタンが取れたときものすごーく苦労して何とかボタン自分でつけた思い出がある。つけ終わった後も達成感等なくて、ものすごく嫌なことをやらされたと言うか、とにかく嫌な気持ちだった

30代になると子供ができて、不器用だった自分も脳が成熟したのか、おっかなびっくりミシンを触るようになった(園グッズが必要なので)

なんとか裁縫ができるようになった

子供幼稚園でお友達制服の白ポロシャツボタンカラフルに付け替えしてあるのを見て

「そういうアレンジの仕方もあるのか〜!」と思った。子供幼稚園は白ポロシャツショートパンツカラー帽子にワッペンつけたりビーズつけたりして、アレンジしてる園児も多い。(ひらがな読めない子もいるので、一目で子供自分のものだとわかるように、他の子のものと間違えないように)

あんなに苦手だったボタンけができるようになり、綺麗なボタンアマゾンで買い、嬉々として何個もボタンを付け替えるようになった

昔はわざわざ服のボタン自分で付け替えて楽しむ人の気持ち理解できず、そういう人を変わり者だと思っていたが、今はものすごくわかる。ボタン世界って奥深くて面白いよね。貝ボタンプラスチックボタンに、色んな形、色のものがあって面白い。今度手芸店に貝ボタンを見に行こうと思っている。白蝶貝の綺麗なボタンが欲しい。

昔の自分と今の自分裁縫に対するスタンスがあまりにも違って自分もびっくりするが、こうなったのは我が子のおかげである

2025-01-06

パンチラにあこがれて…♡(前編)

私は女子高生制服が大好きなおっさんだ。

女子制服を触りたい、着てみたい、それでパンチラしてみたいという3大欲求が爆発して本物の制服を手に入れてしまった。

めちゃくちゃ気持ち悪いとは思うが聞いてくれ。

今日は、その経緯を話そうと思う。

プロローグ

まずは、私がこういう性癖を獲得するに至った経緯を話す。

事細かに話すと記事1個分を優に超えるので、端折って話そうと思う。


物心ついた年中のころから女物の服を着てみたかった。といっても幼稚園制服ではなくお遊戯会衣装

女子用の衣装は男のと違ってすごく魅力的だ。まず色合いがかわいい。そんでひらひらしたものがいっぱいついているし、サテン生地で手触りもよさそう。

教室の壁にかかっている衣装を触れないか、あわよくば取れないか試行錯誤したことはあると思う。

あとは、一緒に遊んだ女友達が持っていたおジャ魔女どれみ衣装もこっそり触ってた気がする。

しか出来心で部屋から持ち出して玄関でその上にうつぶせになってオナニーしていたから両方の親にバレていたはず。もう忘れているだろうが。

今思えばここが女装願望の始まりだったと思う。


小学校でも同じクラスの子の服を着てみたいと思うようになったが、入手する手段がない。

両親は昭和生まれでそんなことは認めない。父親世間体に敏感でそんなことをしたら激高し、母親女装の人を見ただけで野次馬して噂にしようとするくらいだ。

女の子とすれ違う時に、彼女らの服を触るようになっていった。また床に寝転がったり体育座りしているときスカートの中をのぞいたりオナニーも何度もした。

前者はそのうち女子が何か言うようになったからバレていたと思う。後者は直接指摘される形で完全にバレたが、床のものを取っていただけと一点張りで押し切った。運よく教師や親には伝わっていなかった。とりあえず時効


中学校から制服がある。中学校にも慣れてきたある日、帰ろうと昇降口に出たところだ。

強い風が吹いたらしく、目の前の女子生徒2名の冬服スカートが膨らんでひるがえった。彼女らは「面白~い」とか言っていた。

それと同時に、「なんで俺は女子制服が着れないんだ。女子スカート履けてうらやましい」という悲しみに襲われた。

この欲望をどう解消するのか。悩んだ末、未熟な解決策として「女子制服オナニーする」という結論に達した。

そこで、体育や移動教室時間行事練習や本番でトイレに行くと嘘をついて教室に戻った。で、机に置いてある女子制服を頬擦りしたり匂いを嗅いだりした。またスカートを床に置き、その上にうつぶせになって床オナした。

たまに教員カウンセラーが通ったとき言い訳するのが面倒だったけど。高校への申し送り資料に書かれたりしてないかな…?

それでも満足しなかったので、同じ学校女の子に頼んで女子制服を着させてもらい、それでオナニーしたり扇風機スカートを膨らませたりした。

ゴワゴワした制服全体の生地スカートベルトの固い手触りが最高だった。

おそらくここがパンチラ願望の始まりか。

このころから2次元3次元わず風でスカートがふわっとしたり、それでパンチラする動画検索しては見ていたと思う。中には俺と似た趣味の人もいて、色々なデザイン制服扇風機パンチラをやった人の動画もあった。

まぁ一番抜けたのは女子高生が通風孔に乗ってパンチラするやつ。そこを通ってスカートが勢いよくひっくり返るのもよし、初めは風が出ていないが電車が通るときスカートゆっくりと浮かぶのもよし。

というか、女子中高生制服スカートってわざとめくれやすいように作ってあるよね。そのための衣服だったりして。

今思い返してみれば、昔はパンチラやそうなりそうなシチュエーションに寛容だったと思う。リセッシュとかウィルコム(佐々木希)とかドラえもんのチンカラホイとかネオソフト(橋本環奈)とかアロマリッチとか。

あと忘れないのは修学旅行だ。地下駅の階段を上っていた時、通過列車の風圧で同じ班の女子の夏服スカートが膨らんでたこと。

それを抑えるしぐさも、女子が「マリリンモンローみたい」などと言ったことは記憶に焼き付いている。

他にも風の強い日にすれ違った女子スカートがめくれたこと数回、女の子が回った時や着替えるときスカートを回したときスカートがふわっとなったこと、どれも忘れない。


それでも女物の服を着れるのはごく一時だけ。そこでいつでも思った時に着てみたいと思い、親に内緒で女物の服を買うことにした。

流行った「涼宮ハルヒの憂鬱」の女子制服ね。レンタルショップでそのアニメDVDを借りたときこれを着て見ていた。もちろん普段は中が見えないよう細工した引き出しの中に隠しておいた。

まぁ、自室のベッドに置きっぱなしにしていたスカート母親に見られたし、スカートはいたまま寝ぼけて部屋から出たり、家に誰もいないと勘違いしてこのまま自室から出歩いたところを父親に見つかって「なんだその恰好は」と言われたりもしたが。

裁縫練習に使う」だとか言ったり黙り通したりで何とか乗り切ったけど。多分バレているが俺の尊厳を気にして黙ってくれているんだろうとは思う。


高校では大学受験で忙しいこともあり、あまり女子制服を触る機会はなかった。

中学校と同じく制服オナニーしようと思ったが、教室場所の都合上ほとんどできなかった。

また、勉強を教える以外で女子との接点はなく誰かに頼んで女子制服を着させてもらうこともできなかった。

とりあえず記憶に強く焼き付いているのは

①風が強い日、外で女子が「○○の汚いピンクパンツ見せろよ」「じゃあパンチラしますか」と制服をめくって下着を見せ合っていたところ。

チア部の衣装と回ってスカートがめくれてアンスコが見えたやつ

③他校の女子生徒が自転車に乗ってパンモロしたところ

くらい。特に③のキャメル色のブレザーと黒いショーツは忘れない。いつか同じものを着て同じことをしてみたいと思った。


そのころは、「ポケットモンスター ダイヤモンド・パール」のヒロインヒカリ」に憧れてコスプレ衣装一式を買って着てみたくらいか

アニメの第1話で逃げ出したポケモンを追いかけた先で伝説のポケモンを目撃するのだが、このとき彼女が風にあおられている様子が最高のオカズになった。

衣装中国での受注生産のため届くのには少し時間がかかったが、届いたらすぐ袖を通してみた。そして扇風機を使いそのシーンを再現してみた。

これを着て、先ほどの映像や、Pixivで「ヒカリ パンチラ」と検索して出てきた二次創作イラストで抜いた。

どこかにあった「ヒカリコスプレした女の子パンチラしてた」というエピソード想像しながら同じ状況を再現してそれでも抜いた。


大学大学院では、理系で通学中を授業の予習に充てていたため、忙しくあまりこういうことを考える機会はなかった。

とはいえ私服の子も魅力的だった。地雷系・量産型ファッションっていうのかな、めくれるスカートだけでなく、トップスの首元のリボン・肩や襟のフリルと袖が風にあおられている様子も非常に可憐だった。

また、ある寒い日、いつものように通風孔を眺めていたら、そこを通った女の子の暖かそうなロングコートスカートと一緒にふわぁとなっているのが目に留まり、こんなコーデも着てみたいな、と思った。

あとは、現実世界よりも二次元でよく見られたが、真っ白なワンピース。風で膨らんでるところを抑えるそのしぐさは男心をくすぐる。

からの風でなびくブラウスコートに髪、スカートを押さえて恥じらうしぐさ、全てが至高であった。


当時は学校指定制服を手に入れようとは思っておらず、ぞのかわり本物の生地でできた「なんちゃって制服」を着てみたいと思い、通販サイトを見たが異常に高く買えなかった。しかしある日ふと通販サイトを見ると、いつか着てみたかったキャメル色のブレザーが半額になっていた。魔が差して、これと女子用の白いワイシャツベージュ地に赤黒チェック柄のスカートも一緒に購入。ついでに赤チェック柄のリボンに黒いハイソックスヒール付きのローファースクールバッグ・黒ショーツフリルが付いた白いブラに加え、リボンと同じ柄のシュシュピンク色のマフラーをまとめ買いした。

どれも本物の制服と同じ生地でできている。同じく下着・靴・カバンシュシュマフラー女の子制服と一緒に着けているやつだと思う。

初めて本物の制服セットと年頃の女の子を包む下着で全身を着飾り、あの子と同じ恰好になると興奮のあまり腰が抜けそうだった。制服スカートスクールショーツに包まれたアソコをなでると異常に気持ちいい。


その後「女装サロン」なる、プロメイクウィッグ女の子に近い見た目にしてくれるところを利用した。

女子高生ナチュラルメイクに加え、髪は茶髪ロングを手持ちのシュシュハーフアップにし、前髪に星型のチャームが付いたヘアピンをつけてもらった。

もちろん衣装はこの前と同じ制服、その下はスクールショーツにブラ。ついでにマフラーをつけてローファーを履き、スクールバッグ肩にかけた。

それで通風孔に立ってスカートをなびかせたり、ぼふっと音を立てて膨らませてみたり、勢いよくめくってパンチラ(モロ?)してみたりした。

せっかくだから女の子らしく手やカバンスカートを押さえてみたり、しゃがんでみたりした。スカートと一緒に風になびくマフラーウィッグに顔を撫でられドキドキした。

制服ウィッグマフラー女子高生匂いのする香水をつけておいたらそれらがなびいたときにいい匂いがしてもっと興奮したと思う。

オナニー用にそのとき動画も撮っていたが、後で見返すとポニテ女子高生になった俺が風にあおられパンチラするのを通りすがりおっさんがガン見していたのがわかって少しうれしかった。


同じくどこかにあった「わざと通風孔に乗ってパンチラしてみたエピソード」、例えば生暖かい風のせいで濡れたり、あまりの風にオヘソ丸見えだったりといったことを女装ながら見て抜いた。

ちなみに、小学生だとスカートが膨らむのが面白いのか、通風孔に乗りたがる子がいるんだよね。中学校以降でもまれにいるらしいが…。こういう性癖の子、嫌いじゃないぞ。


結果、制服だけじゃなく量産型地雷系の私服アニメキャラクターコスプレ子供ドレスなどあらゆるジャンルに手を出すようになった。

その制服との出会い

転機が訪れたのは数年前。


いつものようにパンチラ画像ネットサーフィンで漁っていた時のことだ。

ある学校女子生徒が、なんと大勢学校の正面玄関前の大きな通風孔でスカートをなびかせ、パンモロしてそれを見せ合う遊びをしていたのだ。電車の中ですれ違ったそこの制服記憶も相まって魅力が一気に増した。

どうやらその通風孔は残っているようなので、俺はそれを自分の目で見たくて実際にその学校の前まで足を運んでみたものの、期待外れだった。

通風孔は下を通過する列車の風圧により1-2分間だけ風が出るものと、換気設備により常に風が出続けているものの2タイプに分かれる。

おそらく後者タイプだと思うが、生徒かその保護者が「スカートがめくれて恥ずかしい思いをした」「性犯罪リスクがある」、あるいはご近所さん通りすがりの人が「そこの生徒がたむろしていて迷惑」などとクレームをつけたんだろう、通風孔は残っていても風が出なくなっていた。


だが、すぐ近くに風が出続けるタイプの通風孔があることがわかった。なんと風が出る時間が生徒の下校時間絶妙合致していた。

時間になると大きな音を立てて風が出始め、落ち葉が舞い上がる。余談だが、このせいで室外機の起動音を聞くたびに勃起するようになってしまった。

意図せず恥ずかしい思いをさせないための匠の粋な計らいか国内では通風孔は道端に位置し、さらに隣に植え込みがあるのが常だ。つまりわざと乗りたがる酔狂女の子以外がそこを通ることはない。

しかしそこは障害物がなくまっすぐ女の子が通れるようになっている。しか制服を着た女子生徒が。あの写真ほどではないが制服姿の女の子の膨らんでなびくスカートパンチラにお目にかかれるではないか

私は胸をときめかせながらその時を待った。


認識が甘かったようで、そこでも女子生徒のスカートがめくれる様子をお目にかかれることはほとんどなかった。

その学校の生徒は多く近くに別の学校もあり、比較的大きな道路に面しているため女の子もたくさん通るはずなのだが、多くは別の方向へ行ってしまい、ここを通る女子生徒はほとんどいなかった。風が出ている時間帯で15人も来れば多い方。

また、実際は下校時間と風が出ている時間とがすこしずれていた。

それに、風が出ている間は通風孔から大きな音がしてその上の木が揺れているので、そこを通ったらマズいことに気付いて(あるいは知っていて)よけて通ることも多く、まったくお目にかかれないこともあった。

通風孔に乗ったと思いきや、ギリギリ通風孔から外れた位置を歩いており、スカートが少しふわっとしたところしか見られない時もあった。

おまけにそこを通る娘は日に日に減っていった。足しげく通っていたことがバレて、女子生徒の中で「風が出てるとこに変な人いてさ、なんかガン見してきたんだよね」「多分スカートの中狙ってる」「そこ通るのやめよ」などと噂になっていたのかと不安になった。

マリリンモンローごっこをしようとした女の子たちはいたが、1人が嫌がった結果全員立ち去ってしまい、膨らむスカートパンチラも見れずじまいだった。


しかし、ある日女子生徒が気づかずに通ってしまい、スカートが勢いよく膨らむ様子を見た時、達成感とともに俺のアソコも膨らんだ。ばれないようにするのに苦労した。その時の「わっ、スカートが」というかわいい声も忘れない。

巷で可愛いと評判の制服のなかでも魅力的な夏服スカートが膨らむのを見たとき、生きていてこれ以上幸福なことはなかったと思う。

冬服コーデ(セーター・コート着用)のパンチラ数回、別の学校女子生徒が無邪気な笑顔マリリンモンローごっこをしていたのに対しても、お前らGJと言いたい。

願わくばそのスカートに顔をうずめて触ったり、風が出ている間近くに小型カメラを設置・撮影し後でじっくり鑑賞したかったが、犯罪なので断念した。


例によってそれを脳裏に焼き付けオナニーするのだが、既視感のある悲しみに襲われた。そう、「女の子スカートの動きと恥じらいのしぐさだけは見れても、あの子たちと同じことをやってみたいのにできない」と。

そこで、この学校制服をどうすれば合法的に手に入れられるかと考え始めた。

おっと文字数制限

初めは全文を書いたのだが、どうやらはてな匿名ダイアリー文字数制限があるらしく、途中で切れていた。

仕方ないので、本物の制服を手に入れた話は後編に譲るとする。

パンチラにあこがれて…♡(後編)

2025-01-01

anond:20250101224947

子育てお疲れさまです

子どもミソジニー対策弱者男性予防)は以下の3つが挙げられます

女性を同じ人間だと教えること

少年週刊〜 のような性別で不当にカテゴライズするメディアに触れさせないこと

あるいは十分に間違いだと注意喚起した上で摂取させる必要があります

ママゴトや裁縫メイクのような女性文化を毛嫌いさせないこと

2024-12-21

実家ありがちなもの

・木彫の熊

・藤のカゴ🧺

・予定が書いてある壁掛けカレンダー

広告付きマグネット

・薬箱

・座いす

ブルボンお菓子

・掛け軸

ビーズのすだれ

裁縫セット(クッキー缶に入ってる)

・法螺貝

・模様入りのガラス

振り子時計

結婚式でもらった置き時計🕰️

マッサージチェア

石油ストーブ

貯金箱

仏壇

・孫の命名の札

のど飴

温泉でもらったタオル

・チラシで作られたオブジェ

たわしみたいな玄関マット

・クソデカ金魚

トイレタンクの上に造花

おかんが作ったオリジナルアート

・障子

・砂壁

そばかすのある人形

幸福の木

2024-12-07

大金持ちになったら大きな机を家に置きたい

その大きな机が何個も置けるほどの大きな部屋にその大きな机をひとつだけポツンと置く。

そして、その大きな机の上ではいろんな作業をする。

PCでの作業アイロンがけ、絵を描くこと、文章を書くこと、模型を作ること、裁縫をすること、ゲームをすること、読書をすること、漫画を読むこと、難解なパズル、なんでもかんでも色んなことをその机の上でする。

そして作業が終わっても片付けない。

デスクトップはとても広大で何でも置けるから片付ける必要がないんだ。

その大きな机にはたくさんの「好き」が置いていて、気が向いたときに気が向いた「好き」の前に行って、腰掛け、じっくりと「好き」と向かい合う。

そういう生活をするんだ。

2024-12-04

anond:20241204082345

女にプラモ作りはどんなに好きなものでもハードル高いよ。



自分も女で、絵とか裁縫とかの創作は嫌いじゃない方だけどプラモ作りにハマれなかったことを思い出してなんでだろうと思った。

ドラゴンボールエントリーキットみたいな超簡単プラモが出たことがあって、好きだったから買ってニッパーとかも揃えてやってみたんだけど、いまいちハマれず他に発売されたもうちょっと難易度高そうなのはいまだに全部積みプラモと化している。

2024-11-27

圧倒的な画力

ロイヤルテーラー ―王宮裁縫師―

野分なか実

 

無能なくせに戦を好む「人間」という種族は、他全ての種族に嫌われていた…。そんな世界で、誰かのために洋服を作りたいと望む人間ハナ。彼女の前にあらわれた「王子様」の正体は…?気鋭の新人野分なか実が贈る華やかなお仕事ファンタジー!圧倒的な画力で描かれる様々な種族、そして彼らに似合う美しい装いをぜひお楽しみ下さい。

https://pocket.shonenmagazine.com/episode/316190246961478001

2024-10-13

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その4

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く

おしん物語根底を流れているのが、「恩」であり「仁義であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語ハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。

今回は、物語類型としての「おしん」をみてみたい。

流浪するおしん股旅物としての評価

おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしん1901年昭和天皇と同年に生まれた設定である

そしておしんが生きた少女時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治回想シーン時代を一気に2世代くらい遡るときタイムトリップ感が半端ない

1983年おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的大手スーパーへの並木土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店隠居の大旦那並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである

それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。

おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである

おしんと人の縁

おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどいしかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語類型ひとつで、一宿一飯の義理人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人やくざなどが主人公である股旅物の元祖長谷川伸は、その後の日本小説戯曲、そして映画テレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である明治が遠く過ぎさり、大衆大正デモクラシー自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である

おしん回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことな股旅であるしかし、おしん物語面白いところは、浪花節陳腐化し、古臭いものになってしまった現代1980年代)と交差している点である

キーワード加賀屋への恩】

並木浩太とおしん最初出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋加賀屋奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売イロハから茶道裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしん人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命うんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動活動家・浩太と出会った。酒田訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初出会いであるおしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシー時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動先進的だと中身もわからず憧れていたのである農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動ロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしん小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋奉公へ行く決心をしたのであるいかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである

ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心最初からおしんが好きだったのである

おしんは加代の家出理由加賀屋に伝えることが忍びなく、おしん加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしん女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さら実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。

一方、加代は、浩太の心がおしんしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。

キーワード日本髪結いのおたかへの恩】

こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしん東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結い師匠たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。

しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである

大衆身分から解放され、より自由髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかおしん独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚挨拶たかを訪れたとき言葉である。その時、5人いたたか弟子はついにたった一人だけになっていた。

田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代おしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である

一方、田倉商店開店休業状態に陥るほど経営悪化していたが、おしん髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たか相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店再生が進んで、おしん洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災おしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである工場火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀ゆっくり休みたかおしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄佐賀編がスタートすることになった。

さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしん佐賀地獄から脱出を心ひそかに誓い、東京師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのであるたかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしん絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。

こうしておしん流転の人生が始まる。屋台出店からまり故郷山形酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである

キーワード:浩太の恩】

浩太の実家貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢実家網元のひさの家であった。浩太は、流浪人生を送るおしんを見かねて、伊勢網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄酒田の飯屋をやってきたおしんめし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。

伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしん魚屋をやる決意をしてくれ、おしん人生好転し始めていた。

一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代苗字も変えなかった。

一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。

田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望兄弟のように母おしん魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。

屈折10年、陶芸師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。

股旅物を取り込んだ現代劇~義理人情は古臭い観念かという現代人への問いか

さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ1983年の場面)に戻りたい。

仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。

ここには、自ら築き上げてきたスーパー廃業も辞さなおしんの思いは、長谷川伸の「夜もすがら検校」で大切な琵琶を燃やしてまで恩に報いたい思いと通じるものがある。

ドラマ構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしん戦後現代にいたる高度経済成長おしん自身義理人情を忘れてしまたことに気が付く、というメタで重層的な構成であるおしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパー事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしん問題17号店開店当日、失踪する。この世話物時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である

2024-10-02

自分が作りたいものが作れない

裁縫がやりたくてやりたくて

初めて甥っ子にハーフパンツプレゼントしたくて、布買いに行かなきゃな

ハーフパンツ作ったことないか勉強しなきゃ

あ、この布いいな~とか思ってたら

わが娘が「私がこの前に言ったこと覚えてる?とってもとっても大切なこと……フェルトおもちゃ、早く作ってよ」と言ったので、甥っ子のプレゼントも娘が欲しているフェルトおもちゃになりました~!!

だって甥っ子にあうまで時間がないから。

娘に頼まれているのは私が作ったこともない作品で、新しいことを次々とする余裕、ハーフパンツの作り方まで調べてる余裕はないか

フェルトおもちゃ、上手に作れるといいな~!!

2024-09-28

好きな惣菜発表ドラゴンのつまらないパロが多すぎてドラゴンが嫌いになってきた

いやマジで竜ってウザくないですか?

アイツラって結局はただの爬虫類ですよね?

つうか竜って飛べるってイメージありますけど、アレって西洋ではコウモリ東洋では雲がベースなんですけど、冷静に考えるとダサキモですよね?

コウモリとか雑菌をそこら中にばら撒く夜行性の飛行物質で、大きさ以外はほぼゴキブリと同じ枠組みじゃないですか?

雲に至ってはもう完全に子どもの発想ですよね?あの雲ソフトクリームみたいで美味しそ~~~のレベルですよ脳みそ幼稚園児ですかね?

そもそも龍のデザインって雑に色んなパーツ合わせただけのキメラしかなくて想像力とか皆無ですよね?

九似だなんだと言っても子供玩具ロボットを組み替えてオリジナルロボット作った気になってるのと同じレベルのお遊びといいますか。

虎のような眼光に、鹿のような角に、コウモリの羽、トカゲの胴体、蛇の尻尾、なんなんですかこれは魔法薬のレシピですか?

ほんまにしょーもない。

こんなのが最強キャラ扱いされているってことが人類の恥っていうか、小学生メンタル種族って感じじゃないですか?

あーなんか、マジで龍ってしょーもないな。

龍とかありがたがっていいのは小学生エプロン裁縫箱買うときぐらいだよなー

2024-09-15

貧困男性裁縫を必修にすべきでは?

安いズボンのほつれとかボタン取れたとか

簡単に縫って直すこともできないか

4年以上着れる服を1年でダメにする

そういう無駄無視できるほど稼いでないのに

どんどん金を失っていく

 

他人にやってもらっても

それでいくら浮くのか考えもしないか

感謝もしない

 

簡単な服の修理は必修にすべきだよ

いくら損失があるのか

いくら節約できるのかも含めて

2024-09-06

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く

6月から見始めたおしん。ついに最終回に到達した。全297話を一気見して感慨深い。おしん明治に生まれ大正昭和と激動の時代をたくましく生き抜いた女の一代記である

これまでも2019年頃に再放送された際に断片的にはみていたのだが、フルバージョンで通してみたのは今回が初。全篇を通してみて、いろいろと誤解していたことも多いことに気が付いた。

おしん」に対する誤解、それはおしんは辛抱する女であり、苦難に耐えて自らの努力と才覚で成功する立身出世物語であるという誤解である

全く違った。もちろん困難に負けないといった不屈の精神みたいなテーマもあるし、海外ではむしろそこが受けたのだろう。しかし、おしん本質はそこだけではないというのが全話みた感想である。豊かになるにつれ老害化してゆくおしんの姿は、立身出世物語ありがちな主人公聖人化とはむしろ逆行していた。

辛抱する女であるという誤解。

いや、もちろん少女時代奉公先での過酷な試練は、おしんイメージともなっているし、全編通して苦労が絶えなかったのは確かである。それに耐えようとする根性もみせた。しかし、おしん最初奉公である材木問屋からは逃亡しているし、佐賀豪農の嫁となってからは、姑の嫁いびりに耐えきれずに幼い一人息子を奪うようにして家出している。7歳のおしんが座木問屋で受けた仕打ちにしても、24歳のおしん佐賀の田倉家で受けたイジメにしても、視聴者から見るに堪えないとのクレームがあったほどのもので、おしんが耐えきれないのも無理はないものである特に壮絶だったのは、妊娠したおしんに対する佐賀の姑の仕打ち。まかり間違えば自分が命を落としかねない危険死産経験したおしんはついに、佐賀の家を離れ東京行きを決意する。朝ドラとしては、佐賀時代は1ヵ月以上もあり、視聴者にとってもきつかっただろう。なにせ毎日いびられ、佐賀時代おしん笑顔を見せることはなかったのだから。朝から気持ちを明るくさせるという朝ドラの使命を真っ向から放棄した凄まじく理不尽な展開だった。

後年、佐賀の姑・清を演じた高森和子は、こんなことを言っている。

佐賀編で、田中裕子さん演じるおしんをいびる田倉家の姑・清を演じた高森和子さんも「私はさほど厳しいと思っていなかった。きついといえばきついけど清から見たらおしんのことを我慢できない部分も当然あっただろうし。だからまれ役のつもりはなかった」という。ところが、まず舞台地の佐賀からどっと清に対する反発の声が上がった。「役者冥利に尽きるとも言えるけど、そんなに怒られると思わなかったので、最初は少し落ち込みましたね(笑)」。とはいえ高森さんもおしん役の田中裕子さんの熱のこもった演技に、いびる立場でありながら「あまりにかわいそうで」思わずしたこともあったようだ。(NHKアーカイブより)

さほど厳しいと思っていなかったという回想は、放送から40年後に、おしんを視聴した私にとってはむしろ衝撃である。なるほど、あの姑・清の行動にリアリティがあるのはそのためか。清の役柄を完璧理解してこその発言であるプロしかいいようがない。おしんの娘が死産した際、ほぼ同時に出産した娘・篤子には乳が出なかった。困った清はおしんの乳をもらえないかと頼む。清は授乳するおしんの姿に慈母観音をみる思いだと感動し、死産した娘に愛と名付けていたことを知った清は、自分の孫に愛という名前をもらうことにした。もとはと言えば、おしん死産は田倉家での嫁としての過酷な日々により体力が奪われていた結果である自分の孫に愛と名付ける姑の無神経さもさることながら、こんなところにいたら殺されてしまうという思いがおしん東京行きを決意させた。その際、一粒種の息子・雄を清の手から盗み取って、自立しようと家出するおしんを手助けしてくれたのは、田倉家長男の嫁・恒子。恐らく当時の日本全国の農家の嫁たち(視聴者)は恒子の行動に大きな共感をもっただろう。誰しもおしんのように行動はできない。つらくても長男の嫁として根を張って生きてゆくしかない。真の意味で辛抱する女は恒子である

おしんに対する二つ目の誤解は、自らの努力と才覚で事業家になった、というもの

これは半分は正しいが、半分間違っている。確かにおしんは、9歳から16歳にかけての酒田の米問屋加賀屋奉公した際、大奥から見込まれお茶料理裁縫などありとあらゆる花嫁修業のみならず帳簿の分析の仕方など商いのイロハを徹底的に仕込まれた。これは加賀屋を継ぐことになる孫娘加代が商売に何ら関心がなく、将来とても加賀屋を任せられない不安から、加代をバックアップしてくれる存在としておしんに期待していたかである

しかし、全編通してみると、おしんの才覚はむしろ夫の事業や息子の事業サポートするために発揮されていることがわかる。10代の頃に加賀屋奉公時代に培った経験は、のちに田倉商会の旦那結婚し、田倉商店を支えようとするときに力を発揮する。帳簿をみて夫の田倉竜三の経営能力の弱さを見抜いたおしんは、そのを不安を源じいと相談する場面がある。源じいは佐賀本家から三男・竜三のお目付け役として東京で同居していた使用である。夢ばかり膨らみがちな竜三の経営には源じいもハラハラしており、おしんの商才を見抜いていた源じいは、おしんが竜三坊ちゃんを支えてくれるもの安心していた。しかし竜三は甘く世間知らずだった。田倉商店詐欺あい、あっけなく倒産してしまう。

田倉の再起をかけておしんは自ら稼ぐことを考えた。おしんは手先も器用だった。17上京した当時、日本髪に弟子入りした経験から、出前の洋髪を始めるとたちまち客がついた。一方、竜三は堕落した。会社員の月給の何倍も稼ぐようになったおしんしり目に、竜三はカフェを飲み歩く日々。完全に髪結いの亭主化してしまう。日本髪のお師匠さんに相談すると離婚してしまえと助言を受けるが、ここでおしんのとった行動がすごい。夫を再起させるために、自ら稼ぐことをやめてしまうのであるおしんが働くのをやめ、ついに貯金がつき、明日の米を買うお金も無くなった。お金が尽きたとお師匠さんに報告した際にいったタカ言葉ダメは男はどこまでいってもダメなんだよ」は自分の胸に突き刺さっていたい。どん底理解した竜三はプライドを捨て勤め人として働きだす。それからおしんは、再び商売を始める竜三に対して、どんなに商売センスがなくても温かい目で見守ることにした。先行きに不安でも、それを表には出さずヨイショを欠かさなかった。夫と一緒ならどんな苦労でもすると明るく振舞う。黙って俺についてくればいいんだと竜三に言わせることで、おしんは夫の背中を押していた。やがて子供服需要に目をつけ、竜三は工場建設に乗り出すも、関東大震災で多額の投資をした工場は瓦解、田倉商店の夢も泡と消えた。失意の竜三は佐賀に帰ろうと言い出す。そもそも三男坊である竜三は実家資金東京事業を始め、失敗し、夢破れて、太い実家をあてにして舞い戻ってしまうような根性なしだった。前述のおしん佐賀地獄はここから始まる。

それから数年、佐賀地獄から幼い息子を連れて脱出したおしんは、東京山形転々とし、最終的に伊勢に落ち着き、魚屋として地道に商売をする日々が続いた。いずれ夫と家族ともに暮らせる日を夢見て。最初の3年は一人で魚屋を切り盛りしていたおしんっだったが、夫の竜三から手紙を出せどなしのつぶて。そんな折、有明海干拓の夢破れた竜三が、満州で一旗揚げると別れの挨拶にひょっこり伊勢に現れた。渾身のタックルで、逃げようとする竜三をつかまえるおしんの演技は、天才女優田中裕子のすごさがわかるシーンである。竜三は自分には甲斐性がないことを承知していた。おしん行商した金で店を開くのに亭主面して乗り込めるかと、あくま干拓に拘っていたのであるしかおしんには会いたい。干拓の夢破れた自分を恥じて、おしんに顔を向けられない。おしんに見つかった途端に逃げ出してしまう竜三。そんな旦那にしがみついて、プライドを捨てて魚屋から一緒にやり直そうと説得するおしんの行動には、ある意味、全篇通して変わらないおしん本質がある。田中裕子の猛烈なタックルをみるだけでも「おしん」を見る価値がある。マイベストシーンといってもいい。

やがて伊勢根付いて20年が経ち、この伊勢の小さな魚屋軍部お抱え業者としての水産加工工場にまで事業拡大させたのは竜三の手腕である

しかしそれも敗戦でなにもかもを失い、夫は自殺する。

竜三と長男・雄を戦争で失い、おしんはもう一度魚屋として再出発する。魚屋を手伝い始めたおしんの息子たちはやがて魚屋アメリカ式レジを導入したセルフサービスの店に転換しようと奮闘する。それがのちのたのくらスーパーの出発点となった。今日ではどんな店でも当たり前のレジによる精算が当時は画期的な仕組みだったというのも興味深い。それまでは品物の中央に座りザルをぶら下げて、商品の受け渡しと代金の受け取りをするのが一般的だったのである

魚屋として地域に根差し、身の丈に合った商売をしたかったおしんは当初は反対していたくらいであり、事業原動力となったのは次男の仁であるおしんは夢ふくらむ仁の行動に不安を覚えつつも、その後の事業拡大を支えていたのは間違いなくおしんであった。しかし、情熱をもって会社リードしていたのはおしんというより次男の仁であったというのは間違いない。

こうしてみてくると、おしん実業家として全く野望を持っておらず、本心は堅実に地域根付いた商売をしたかっただけである

おしんに対する三つ目の誤解は、おしん立身出世成功物語であるという誤解である

極貧の小作の娘から、女一代でスーパー16店舗をかまえる地域実業家になった、というのは筋としては間違ってはいない。しかし、大正戦前戦後とその時代時代おしんがしてきたことは、成功しようと夢見みて危険なかけにでる夫や息子の行動を冷静に分析し、正しく軌道修正しようとすることであった。事業拡大をしようと竜三や仁がいうときおしんはいつも反対してきた。これまで大切にしてくださったお客様など義理人情を捨ててまで商売をしようという考えはおしんには全くない、ある意味とても保守的人間であり、実業家によくある野心家では全くなかった。野心家は夫の竜三であり、その血を引いた次男の仁のほうだった。

もちろん、おしんにはおしん商売に対する信念があった。それは人のつながりを大切にすることであり、恩を大切にすることであるおしんは昔から自分を育ててくれたり支援してくれた人たちへの恩を忘れず、いつでも義理人情に生きようとする人なのである

大正時代に縫製工場を拡大したときも、従業員をこき使おうとする竜三に、社員健康福利厚生の大切さを説いていたおしん。ここにはかつて製糸工場結核になったおしんの姉・はるが使い捨て同然に実家に戻され亡くなった経験がにじみ出ている。伊勢魚屋店舗を構えることになったときおしんはお世話になったお客様を忘れず、なかなか行商をやめようとはしなかった。

またおしんをめぐる当時の関係人物にはそれぞれやはり、一宿一飯の恩義という観念がつよく働いていた。それを象徴するのが、息子・雄の戦友である川村である。雄は南方戦線で亡くなってしまうが川村は戦友に報いるために自分が取得した駅前土地を田倉家に譲渡するという行動に出る。そしてなんといってもおしん人生最大の恩人は16歳のとき初恋相手・浩太である。浩太にとってもおしんは恩人であり、かつ激動の時代を共にしてきた戦友のような存在だった。

おしん物語は、事業家としての成功の一代記というより、ひとの縁と恩を大切にする人生観がより胸に迫ってくる物語である。いってしまえば浪花節である。いやそもそも成功などせず、ほぼ失敗して物語は終盤に向かう。その失敗についても、その救済についてもいろいろと誤解していたことがわかった。

https://anond.hatelabo.jp/20240908082812(その2)へ続く

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911(その3)へ続く

2024-09-04

女性が言う「かわいい下着」があんまり分かってないか

自分に置き換えて「かっこいい下着」を考えてみたわけよ

裁縫セットみたいなドラゴンが描かれてるパンツ

そりゃ欲しいわ

2024-08-27

anond:20240827170730

安いとかよりも男が稼いで女が家を守るっていいシステムだと思うんだけどな

ワイがそういう過程で育ったからそう思うだけかもしれんが

ワイのおかん銀行員だったが結婚して専業主婦になったが

の子といろいろとしてくれてよい記憶のほうが多い

お菓子パン市販品も購入するけど家でも焼いてくれる

服やいろいろな小物もリメイクを含めてミシン編み物で作ってくれた

専業主婦仕事って手を抜けばどこまでも抜けるかもしれないけど

拘るととことん突き詰められるようで終わりがないようだった

そのお陰かワイは料理裁縫DIYも得意になった

唯一の誤算はワイが結婚しなかったことぐらいだろうな

2024-08-19

🥭とアルフォート兄弟だったとは意外だった。まあ、でもいつもお母さんとお父さんが仲良しなのもそういうところなのかも知れない。母親が家を出てから誰とも喋ってないわけではなく、むしろ常に喋っていましたが...母親が家を出て2年ほどで母の病が治ると、今度は母親の代わりに私とお父さんとお兄さんが家の中を荒らすようになった。お母さんは内職(裁縫料理)して、子供たちを幼稚園に預けてるそうな

Anond AI作成

2024-08-08

anond:20240711122352

男子校の息子の家庭科裁縫課題、家に持ち帰るの厳禁らしいです。理由母親がやってしまうから→「母親裁縫できるとは限らない…」

firststar_hateno 子供の成長を縫い止める、それも親の役目とはねぇ、とっても繊細な問題ですわね。

2024-08-07

子供宿題を「やってあげる」親

増田母は裁縫DIYで物を作ったり絵を描いたりするのが好きな人間だった。

増田自身(娘)は裁縫DIY的な作業は苦手だったけど絵を描くのは好きな子供だった。

小学生の時は夏休みになるとポスターを描く課題が出されたり、家庭科の授業で縫い物の課題(エプロンとかナップサックとか作るやつ)が出されたりした。

普段増田母は親のチェックサインがいる宿題音読シートなんかは「読んだら自分でチェックして」と言い放ち、学校に出す親の署名捺印がいる書類も期限ギリギリまでなかなか対処してくれない放任主義というか面倒くさがりなところがあったのだが、ポスターや縫い物の課題になると全く別の態度になった。

先に書いておくと小学生増田自分から増田母に「自分の代わりに課題をやってほしい」「手伝ってほしい」と言ったことはない。

ポスター課題になると「こんな絵にしたらどう?」「ここはこの色にしたらどう?」とあれこれと口を出す。一見提案のように見えるがこれらを拒否すると「もういい!勝手しろ!」とキレて持っていたペンなどを叩きつけたりして怖かったので小学生増田は言う通りにしていた。

縫い物の場合増田母は一旦は増田に縫わせるのだが、縫い方にダメ出しをしたりバカにして笑われたりする。この時点で割としんどい。一通りそういうことをしてから増田から取り上げた課題を縫い上げると「綺麗にできたからこれを持っていきなさい」とさもいいことをしたように言われるのである

ポスターしろ縫い物にしろ、そんな風に作られた提出物を持っていく時は心苦しかった。自分で作ったとは言えないもの自作のものとして出すのはとても悪いことをしている気分だった。ポスターが佳作だか入選だかになった時や縫い物の出来をクラスメイトに褒められた時は賞状褒め言葉笑顔で受け取りながら胸にズシッとした重みを感じていた。

夏休みの季節になって宿題の話を見聞きするとなんとなく思い出す。別に大事ではないけど古傷が痛むってこんな感じなんだろうか。

2024-07-13

anond:20240711150420

1947年、新学制で小学校5・6学年に新教科「家庭」が設置され男女共修、

中学校では「職業」が設置され、農業商業水産工業・家庭から1科目または

数科目を選んで履修することとなり、男子も「家庭」を選択履修できるとされ、

男性家庭科領域を学ぶようになったが、

それ以前の旧学制では「裁縫」「家事」「家政」などなどを女子のみに教育していた。

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