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はてなキーワード: アドバンテージとは

2025-02-20

トランプのやり方もすごくよくわかる

アメリカが豊かなのって、脱工業化して製造業を他の国にぶん投げて、ITとか金融とかの仕事シフトしたせいだと思う。

それって世界中で分業制をするっていうわけで、平和を維持しないとできねぇと思うんだよね。

で、世界平和であるために、警察をしようと思うと超金がかかる。

このままアメリカが圧倒的にGDP1位で居続ければいいんだけど、21世紀中に中国に抜かれるわけじゃん。

どこのシンクタンクもそういってる。

アメリカ経済成長次第だけど、移民移民が産んだ子のおかげで経済成長してるわけで、それもどうなのって話。

アドバンテージが残ってるうちに、国内製造業を戻すのは撤退戦としてありだと思うよ。

資源だって労働力だって購買力だってあるんだもん。

優位性を保ったまま世界世界覇権を手放したほうがいいわ。

第二のアメリカの座を中国インドあたりで争ってくれて互いに消耗してくれれば、時間をだいぶ稼げるかもしれないし。

政府効率化省、いいんじゃね?

あの国、ろくに仕事の引継ぎもしないじゃん。

2か月後に解雇すっからよろしくデータ抜かれっと困るから明日から自宅待機な。

みたいな感じで人きるじゃん。

そんな国で100年ものシステムなんかツギハギでヤバいにきまってるじゃん。

日本みたいに終戦グレートリセットしたわけじゃないし。

毎年政府債務上限の引き上げの法案通すってくらいアホなんだぜ。

2025-02-18

anond:20250212023405

進学で東京に出た組、就職東京に出た組の目からみると、やっぱり東京に生まれたってだけで恵まれてるなって思う。

俺は、地方進学校だったから、国立大学信仰があった。

私立大学よりも学費が安く、親孝行だって信じてた。

東京に出て、もともと東京まれ東京育ちや、東京近郊の埼玉県神奈川県民と話すとそんなの聞いたことないっていうのな。

「そりゃそうかもしれないけど、国立大学なんて難しくて」

「いやいや、マーチレベルなら地方国立も十分入れるよ」

「いや、一人暮らしなんかしたら、学費の差なんか吹っ飛ぶよ」

そうなのだ

通学できるってだけで、もうそれだけで毎年100万くらいアドバンテージがあるのだ。

4年間で400万は得してる計算になる。

それよりなにより、東京に家を持ってるということは、資産を持ってるということだよな。

集団就職世代上京した人たちの、築40年を過ぎた小さなだって、地面の値段だけで2000万くらいの財産を親の世代が持ってるということになる。

上物を壊すのだってお金がかかるからというが、そんなの田舎だって同じだ。

「いやいや、家は神奈川で。小さい頃は団地で、家を買ったのは最近で」

みたいな話をする人がいたが、よくきけば借り上げ社宅だったというオチ

その間どんだけ貯めこんだんだよ。

65歳以上の金融資産中央値が1600万くらい。

土地で、2000万、金融資産で1600万、合わせて3600万、遊んで暮らせる金額じゃあないけれど、老後くらいは約束されてるじゃないか

ふざけんなよ。

2025-02-13

メンタルが安定してるって女に許されたアドバンテージだぞ

全女がしょーもないことで機嫌悪くすると言っても過言ではないのに

女性はそれをするだけで他女性から頭一つ抜け出せるイージーモード

anond:20250213202432

2025-02-12

若さ」は絶対的アドバンテージなんだけど、若い時にはそれに気付きづらいんだよな

歳を取るごとにあらゆる点で不利になる

若い時の積み上げは、よほどのことが無いと埋まらないし、若い時にチャレンジしたことはきっと何かに活かせる

それに気付くためには、(まともな)年上のメンター必要なんだろう

2025-02-11

anond:20250210161023

病名はディスアドバンテージド・マスキュリニティ症候群

直訳すると「男らしさ欠乏(劣等)症候群」か

酷い病名だな

筋トレでもすれば治るだろ

そこらへん走ってこい

2025-02-10

海外では弱者男性治療が進んでいるって知ってた?

特にアメリカでは近年、弱者男性正式な疾病であると認められつつある。周囲に危害を齎しかねないというのもあるけど、第一は本人の精神平和のために、治療が進んでいる。

病名はディスアドバンテージド・マスキュリニティ症候群 (英: Disadvantaged Masculinity Syndrome)で、特に以下のような症例が見られると、その疑いが強いとされている。

この症例を見て、ハッと思った男性陣も多いんじゃないだろうか。Xや増田で女叩きしている男性は、だいたいディスアドバンテージド・マスキュリニティ症候群に該当している。

弱者男性は、まず自分たち精神的な疾病を抱えているか、それに近い状態だということを自覚するべきだと思う。中には、彼女がいてセックスすれば解決すると強固に思い込んでいる人もいるが、そうではない。弱者男性必要なのは、女体でも、女叩きでもなくて、適切なカウンセリング治療ということを理解してほしい。

2025-02-06

13歳の息子へのメッセージ

本稿は、13歳になった君にこれから人生を生きる上での考え方の土台や心の支えとなる思考的枠組みを網羅的に記したものである

観念的でメタな内容が多く具体的なことについてはあまり書いていないが、それは君の人生選択肢を狭めないためである

具体的なことについてはその時々に応じて人に教わったり、自分で文献に当たったりしながら方策模索して欲しい。

もちろんお父さんも協力は惜しまない。

目標の話

人生を過ごすとは「何か」を成し遂げることである。まずは「目標」を持つこと。目標があれば「何をすべきか」=「手段道筋」は自然と定まる。

歴史上、偉人と呼ばれる人々は皆、高い理想と大きな目標を抱き、それを目指して全力で努力をした。目標は、その時点で可能な限り高く大きく設定すること。最初は、例えば「貧困をなくす」「世界平和を実現する」「地球温暖化を防ぐ」「子どもたちを笑顔にする」などの抽象的なもの漠然としたもの、夢のような目標で良い。後から変わっても構わない。というより、人生において目標はどんどん上書きされるものからである

ポイントは、まず「自分想像する理想未来目標ビジョン」を思い描き、そこからそのための「手段ミッション」を考えることである。(これを上から下への思考法という)

ビジョン」は感覚的、直感的、創造的なものなので右脳で捉えるものと言える。一方で「ミッション」は、抽象的でぼんやりとしたビジョンを具現化するための方法を、左脳を使って計算分析論理的思考精緻に組み立てていくものである

多くの人は与えられた「手段から始めてしまう。とりあえず言われたから「勉強」する。とにかく「お金」が必要から働く。なんとなく環境に悪そうだからビニール袋」を使うのをやめてみる。などである勉強も、お金も、ビニール袋をやめることもすべて「手段」であり、それ自体が「目標」ではない。

電気自動車があれば地球環境が良くなるかも?」ではなく、「地球温暖化を止める、そのためには何をすべきか?」という問い(イシューから入る習慣を身につけること。これはすべての課題解決のための基本的姿勢である

そのためには、視野を広く大きく持たなければならない。物質(モノ)、出来事(コト)、人間(ヒト)などはすべて、「多面的」、「俯瞰的(ふかんてき)」、「時間的」にとらえるクセを付けること。その裏側や側面はどうなっているのか、他のモノやヒトとの関係は? 昔はどうだったのか、10年後にはどうなっているだろうか? 世の中の多くの物事は複雑で、いろんなものと影響し合っており、時間とともに変化する。一義的一面的一時的見方で正しい評価はできないと常に肝に銘じること。

受験就職、大きな買い物、仕事恋愛結婚など人生重要決断をする時は、一歩引いて、客観的に、様々な立場や状況からモノ・コト・ヒトをとらえ、十分に考えること。

その際、ひとつ注意すべきなのは人間物理感覚時間的感覚記憶はとにかくあいまいでいい加減なものだということである。『10cm』は自分が思ったより短かく、『10分間』は長い。その逆もある。人の『過去記憶』は都合よく修正される。正しい判断のためには科学的、客観的な「根拠」に立脚することが求められる。日記をつける、ちょっとしたメモを残す、時間度量衡(どりょうこう)は道具を使って正確に測る、何かを分析する際は統計データに当たるなど、簡単なクセをつけるだけで結果は大きく変わる。

先に述べたように、目標は変化してもいい。というよりも変化すべきである。13歳の時にしか見えない、感じられないことがある一方、20歳になれば見えてくることも、40歳、60歳でしかできないこともたくさんある。重要なのはいつも目標を設定し前進し続ける、上を目指すという「姿勢である

人生は長い。5〜6歳で天才的な才能を発揮する子どもも、20代、30代で活躍するスポーツ選手も、70歳で功績が認められる科学者もいる。良いことだけではない。人生のどこでどんな不幸やトラブルに見舞われるかは予測できない。人生には浮き沈み、山も谷もある。どんな天才にも挫折はある。災害戦争など自分では回避制御できないことも起きる。

『良いことばかりは続かない』という覚悟必要だ。しかし『悪いことばかり起こるわけでもない』。現状を悲観してばかりではダメだし、現状が順調であってもそれに安穏(あんのん)としていてはならない。常にトラブルに備えつつ、そして決して希望は捨てないこと。

おそらく、君の人生はお父さんやお母さんが生きてきたそれより厳しい時代を生きることになる。しかし、目標を一段高いところに置けば、現状に迷い悩んだ時にもぶれることはない。未来を信じて、希望を持って進むことができる。

人間関係の話

成功」への最大の近道は「人間関係(人脈)」だと断言できる。「実力」でも「運」でも「お金」でもなく「人脈」である。いい学校に行く、いい会社に勤めるのもすべていい人に出会うためであると言って良い。

成功の最大の秘訣は「人脈=人の縁」であり、人と人が出会って起きる化学反応「奇跡」を起こす。

重要なのは奇跡自分で起こすことはできないが、奇跡が起きる「確率」を上げることはできるということである。単純な話、「機会」が増えれば「確率」は上がる。サイコロで六の目を出すのに一回振るのと六回振るのとではどちらの可能性が高いかは考えるまでもない。

人との良いつながりを広げるための小さな可能性を積み上げることがチャンスを引き寄せる。良い人には出向いてでも会いに行くこと。無駄かもしれないと思うような「小さな機会」を大切にすること。

『人は環境によって作られる』これは絶対的な真理である。高尚で、得るものが多く、社会的に正しい環境や居場所に自らを置くよう意識して行動しなさい。善良な人間と付き合えば善良になるし、朱に交われば赤くなる学校には「校風」、会社には「社風」がある。

自身意図しないこと、コントロールできないことで大きく運命が変わることもある。それを完璧に防ぐことは難しいが、「確率を下げることはできる」。

気をつけなければならないのは、「人としての善悪」は頭の良さや肩書金持ちかどうかとは関係がないという点である会社社長にも教師にも医者にも政治家にも科学者にも宗教家にも、悪人変人はいる。それを見抜く眼力は、多くの人間を実際に見ることで養われる。つまり「機会」が重要だ。おそらく君が想像する以上に人間は「多様」である。良い方にも悪い方にも突き抜けたとんでもない人間存在するという現実認識しておいた方が良い。

出会人間を自ら選ぶことは難しいが、付き合う「距離感」は自分コントロールできる。付き合う人や、身を置く場所環境自分で決められる。できるだけ「良い環境」で時間を過ごし、おかし場所コミュニティには近づかないこと。

たった一滴の赤いインクが落ちてピンク色に染まった水を元に戻すことはできない。大切なのは自分のコップにインクを落とさないように気をつけることだ。

エントロピー増大の法則熱力学の第二法則)」というものがある。エントロピーとは「無秩序さの度合い」を示す尺度である。放っておくとエントロピーはどんどん増大し元に戻らなくなる。これは物理空間森羅万象すべてに当てはまる普遍法則とされる。水に拡散したインク自然に水とインクに分離されることは絶対にない。トランプシャッフルするのは容易だが、偶然きれいカードが揃うなどということはまず起こり得ない。机の上や部屋はどんどん散らかるが、自動的に整理されることはない。社会的な混乱の広がりもエントロピーの増大であるエントロピーの増大を制御し「秩序」を保つためには人の意志と行動と力が必要である

人と人との関係も同様で、意識して制御する必要がある。良い人と出会うことが良い環境への扉を開く鍵であり、良い環境に身を置くことがより良い人に出会う条件である。この好循環を自ら意識して作り出すこと。

井の中の蛙は池を知らず、池の小ブナ大海を知らない。大海原や大空に出て様々な出会いを経験することは君を大きく成長させる。

もう一度言う。『人は環境によって作られる』

お金仕事の話

お金がある事は必ずしも人を幸せにしないが、お金がない事は確実に人を不幸にする。そういう意味お金重要である

その日その日の生活がやっとという状態では先のことが考えられなくなり目標を見失なう。そうするとどんどん人生選択肢が狭まっていく悪循環に陥る。

金はどん欲に稼ぐ必要がある。ただし「正しい心」は忘れずに。

お金を稼ぐときには、ギャンブル宝くじのような一攫千金は「まず起こり得ない」と肝に銘じること。0%ではないがあまりにも期待値確率が低く、選択肢に含めて物事を考えるには無理がある。確率論に基づいて冷静に考えれば理解できることである。一攫千金を前提に物事計画を立ててはいけない。

怪しげな儲け話も同様である。誰かからうまい話」を持ちかけられた時は、それは「あなたのことを思って」の話ではなく、相手が「自分のために考えた」話だと受け止めること。うまい話の裏には必ず別の悪い話、ヤバい話、落とし穴がある。

かに成功し、大金を手にした」という人は世の中に多数存在する。だがそれはほとんどの場合「塵(チリ)が積もって山になった『結果』」である。着実に金を稼ぐには「塵のような稼ぎをどん欲にかき集める」ことが必要だ。1円、10円のような「塵のような稼ぎ」を生み出すことはそれほど難しくはない。ただしそれを「どん欲にかき集める」ためには知恵と努力必要になる。

100万円の商品を1個売る』より、『100円の商品を1万個売る』方がビジネスとしては堅実である100万円の商品が1個売れなかったらそこで終わりだが、100円の商品が9,999個しか売れなくてもあまり影響はない。『100円の商品を1万個売る』より『100万円を一発で当てる』ことの方が何倍も難しいが、多くの人はそれを逆に考えてしまう。『一発当てる』ためには運が必要で不確実性が極めて高い。しかし「塵をかき集める」ことは自分努力でなんとかなるということを理解すること。

近い将来、君は世の中に無数にある仕事事業の中から何かを選んで生活の糧を得ることになる。何をすべきか迷ったら「人から感謝」を対価として得る仕事を選ぶと良い。

野菜が欲しいと思っている人に野菜を作ってあげることは素晴らしいことである。困っている人を助けてあげれば感謝されるだろう。スポーツ芸術で人々に感動を与えることも意義のある仕事だ。それが「世の中の役に立つということ」である。『いい世の中』はそうやってできている。

しかし、投資ギャンブルで稼いでも誰から感謝されることはない。つまりそれらは「仕事」にはならない。ギャンブルは論外としても、投資は今の時代には資産形成のために必要(そういう仕組みが前提の社会になってしまっている)なので否定はしないが、少なくとも「生業(なりわい)」にすべき仕事ではないことは知っておいて欲しい。

お金を「貯める」ことも同様に大切である

人間欲求には際限がない。1万円あれば1万円使うし、1億円あれば1億円使いたくなるのが人間である。これは抑えることが難しいし、無理に抑えこむと精神的にも疲弊QOL(Quality of Life生活の質)が低下する。

この課題に対する古来より解決策はただひとつ収入から天引き」することである給料であれ何らかの収益であれ、収入があったらその10~25%くらいをすぐに使えないような形で貯蓄に回しておく。

天引き」が蓄財のための最も効果的な方法であることは、ユダヤ人イスラムメソポタミア文明華僑日本本多静六という人物明治造園家であり東大教授)も提唱している「お金を貯めるための基本中の基本」である。(逆説的だが、租税公課組織必要費用の類はだいたい給料から天引きされる。その理由をよく考えるべきである

人間は9000円しかなければ9000円しか使わないし、1万円あれば1万円使ってしまう。その理由消費社会の仕組みがそうなっているからだ。時計には1000円から1000万円以上するものである自動車も同じ。毎日飲むお茶毎日使う紙にもいくつもの価格が設定されているように、世の中のありとあらゆるものには価格の上中下(日本では松竹梅)が存在する。お金があるからといってその分高いものを買っていると際限がなくなる。この欲求お金がある限り続く。それが人間本質なので努力気合いで抑制するのは難しいし、何より楽しくない。だから欲求」を抑え込むのではなく、「お金」の方を制限しなければならない。

そのために最も有効方法が「天引きである人間は9000円しかなければその内でやりくりをするのである。それで困ることはほとんどない。資本主義とはよくできたもので、モノ・コトの価格には上には上があるように下には下もあるからである

天引き」のための具体的な方法は色々ある。最も簡単方法は「定期預金」や「財形貯蓄」を銀行に申し込んでおくことである。今の時代なら「(安定した)投資信託」も選択肢に入るだろう。初任給をもらうと同時に始めることを勧める。

次に、天引きした後のお金で「やりくり」をするための基本的な「生活の知恵」を記しておく。

高額のものを買う時は、その価格に「本質的な価値」があるかどうかを見極めること。

高級車も普通車も、飛行機エコノミークラスビジネスクラスも、「移動する」ための時間は変わらない。どんな時計も「時刻を知る」という性能はほとんど同じである。どんなカバンでも「物を運ぶ」という役割は変わらない。もちろん機能以外に別の価値デザインなど)を認めることは人間文化的な営みを行うために必要なことだが、消費社会においては高価な価格価値の大部分は「欲望」=「欲しいと思う気持ち」を揺さぶるために人為的に生み出されたものだ。

その価格差は、機能や性能によって生じているものなのか? 人間心理的欲望を巧みに刺激するために付けられたものなのか。物を買うときは「本来機能目的」を基準にして価値判断するとぶれない。

基本的日常生活品を買うときは「今ある物を使い切ってから買う」こと。流通が高度に発展した現代日本においては(災害などの例外的事象別にして)無くなってから買っても不自由することはない。

経営学における重要概念として、「在庫」と「廃棄」には「維持」と「損失」という大きなコストがかかっているという考え方がある。物は「置いておくだけ」でお金がかかっているという感覚を徹底して身につけることが重要である

特売だからとか念のためにとかい理由安易に「在庫」を増やしてはいけない。「無くなってから買う」が原則である。1日程度のブランク(空白)が生じたとしても、ほとんどの場合なんとかなる。文房具も、食料品も、日用品も、服も、本も、ゲームも、前のものを使い切り、無くなってからのものを買う。これで無駄遣いは随分と減るはずだ。(繰り返すが非常時への備えは別である

それからこれは私の経験則だが、衝動的に「欲しい!」と思ったけど買うかどうか迷ったものは、1週間〜一か月程度我慢してみる。ほとんどのものは熱が冷めたように関心がなくなる。ただし「売る側」もしたたかで、「期間限定」や「数量限定」といった手法こちらに考える隙を与えない。冷静な判断のためには、やはり「それをいつ、どこで、どのくらい使うか」という「在庫管理」を常に正確に行うことが肝要だ。

あらゆる在庫管理するためには「整理整頓」が重要である身の回りのもの整理整頓に努め、いつでも数量や状態を把握できるようにしておくこと。

整理整頓には各分野に体系化された「技法」がある(代表的ものとして図書館の本の分類法である日本十進分類法(NDC)や日本工業規格(JIS)、ISO公文書管理規則生物の分類と同定法、見える化など)。早いうちに機会を作り、習得しておくことを勧める。

ちなみに、このような「一生使える知識技能」は習得が早ければ早いほど人生において得られる利益が大きくなる。大人になってから「こんな便利なもの方法知識があるとは知らなかった」と後悔することは多い。

金銭出納帳を付けることも重要である。帳簿をつけない企業組織など存在しないことを考えれば、出納管理必須Permalink | 記事への反応(0) | 21:00

2025-02-05

ドクターXという医療ドラマを親と見ていた。

いつも手術台に立っている主人公女医が何かの理由でいない回で、主要人物の麻酔科医がその主人公のようなきつい言動をとるシーンだった。

城之内(麻酔科医)が豹変した」

大門(主人公)が憑依した」

と周りの助手たちが言っているシーンだ。

そこで私の親は「話しているのは城之内なのに、なぜ台詞大門になっているのか。テレビはそのミスに気付かず放送しているのか」などと言っていた。

どうやら憑依の意味理解していないらしい。説明してあげた。

そうしたらすごく賢いように言われた。親の欲目ではないか

憑依の意味は人並みに読書していたら大抵理解する機会があると思うのだが、そうでもないのだろうか?

私はTSFも嗜んでいて、そこでは当たり前のように目にする言葉だが、そういうのもアドバンテージとしては大きいのだろうか?

私自身そういうことを趣味としていなかったら知らなくてもおかしくない文化資本の家庭だったのだろうか。

dorawiiより

2025-02-04

弱者男性」は子供を作るな。子供がかわいそうだから

https://anond.hatelabo.jp/20250203103838

こういうアドバイスをして、「弱者男性」を恋愛成功者に導こうとするのをやめてほしい。

当人はそれでいいかもしれないけれど、子供が生まれたら?

ならいいけれど女なら地獄だぞ。

父親容姿を受け継いで不細工に生まれてくる娘の身にもなってみろ。

藤井隆佐々木希とかもそうだけど、世の美女は男の容姿に対して無頓着過ぎる。自分自然と男に優しくしてもらえたからといって、それが容姿によるアドバンテージではなくて女なら誰でも得られる通常待遇だと思い込んでるんだろうけれどそんな訳がない。

父親に似て生まれてくる娘は、地獄だよ。

から女は「弱者男性」を選ぶべきではないし、そいつらが間違った恋愛行動をして勝手自爆してくれるならばその方が世のため人のためだと思うべきだ。

ブスほどイケメンが好きってのは何も嘲笑うような事ではなくて、自分自身が容姿で苦労したか子供には同じ思いをさせたくないという利他的な思いやりだよ。

anond:20250204001423

中学受験で失敗した君へ【anond:20250131121246】を書いた人だな。

教師塾講師が書くにしては青臭い文章だと思っていたけど、22歳なら納得だ。

それはそうと、「中学受験で頑張った分、他の人たちとアドバンテージがあります。(中略)このアドバンテージを利用して未来に目を向けて欲しいです。」と書いた人の文章がこんななのか。

22歳というまさしく未来に目を向ける必要がある時期に、過去を振り返るばかりの文章を書くなんてな。

中学受験私立中学に意義がないことを自ら体現しているけど、その矛盾に気づいていなくて哀れだな。

10年前中学受験に失敗した身として中学受験に失敗してしまった方(特に保護者の方)へ言いたいこと

まずは中学受験お疲れ様でした。恐らくこの文章を読んでいるということは中学受験の結果は振るわずということかもしれません。

僕は今22歳で10年前中学受験に失敗しました。6校受けて受かったのは1校のみでした。そんな僕だからこそ保護者の方に3つほど、勝手ながらどうしてもお伝えしたいことがあります

1つ目はどうか、お子様の中学受験を労ってあげて頂けないでしょうか?

中学受験に挑んでいるのは高々12の子供です。12歳というのは恐らく保護者の方が思っているよりも子供です。この中学受験は「親の喜ぶ顔がみたい」というのが原動力であることが多いと思います

親に悲しい顔をさせてしまたこと、お子様はすごく悲しんでいると思います。だからこそ「頑張ったね」って労って欲しいです。

2つ目は「○○中学に落ちた」というレッテルを貼らないであげて欲しいです。

どれだけそれを言ってもお子様の成績は上がりません。ただ傷をえぐり、自己肯定感を下げるだけです。このような言い方は角があるかもしれませんが、もう過去ことなのです。前を向いて中学校でいかに楽しむかを一緒に考えて欲しいです。

3つ目は人間の善し悪しは行った中学校では決まらないということを、改めて確認していただきたいです。

中学受験に受かったからといって人生成功者とはなりません。逆に中学受験で失敗したからといってその後の人生が失敗になる訳では無いです。

しろ中学受験で頑張った分、他の人たちとアドバンテージがあります。これは公立中に行くとなっても私立中に行くとなっても同じことだと思います。このアドバンテージを利用して未来に目を向けて欲しいです。色々なものに触れてみて、自分が将来何になりたいかを考える時間になればと思っています

勿論保護者様の「これだけの大金をつぎ込んで結果がこれか」という気持ちも十分に分かります。少し厳しい言葉を使いますが、その気持ちをお子様に伝えてもお子様が志望校に返り咲くことはありません。むしろ親子の関係に亀裂が入り、子供の心に一生のトラウマを生みます。私がそうだからです。10年経っても中学受験の失敗で親に言われたことがトラウマになっています。私みたいになって欲しくないのです。

中学受験は親子の戦争と言いますが、最前線で戦ったのはやはりお子様です。どうか、お子様の努力を労ってあげてください。それが私からの願いです。

2025-01-25

神奈川県ってスラムダンク踏切中華街以外、何もねぇな

3月地方から神奈川行くからついでに観光でもするかと調べるも、これしかねぇ

東京の隣ってだけがアドバンテージのショボショボ県だな

中居ファンは2カ月で30年持っていたアドバンテージを失った

内心はファンであることを勝ち誇っていただろう

森の様にすぐに抜けず、キムタクのように結婚せず、ほか三人に追従テレビから消えるわけでもなく

ジャニーズが消えてもジャニーズの顔としていて、司会でも引っ張りだこでテレビに常にいる

嵐やKAT-TUNのように追い上げてきた後輩が消えても君臨していた中居ファンである自分達は特別存在だと思っていただろう

そりゃあ死亡説とか唱えたくなるよね

2025-01-19

マスゴミのウェイ系DQNコンテンツルフィ盗賊団や睡眠薬レイプリサーを生む

 結局のところ、あの手のDQNパリピ集団暴力礼賛コンテンツは、独裁体制の礼賛か犯罪組織プロパガンダしかならない。

 皮肉なことに、そういったコンテンツからまれゲロ以下の集団の餌食になるのは、そうしたイケメンコンテンツを持ち上げてる女や、そういったコンテンツに金を出してるアホ投資家どもなのだ

 まあ自業自得極まる話しである

 マスゴミがギャーギャー喚いて、こういった連中に被害者ヅラさせるのも、要するに今後もバカみたいに金を落とせというわけだ。

 こうしたコンテンツ最初押し付けるための最も悪質な洗脳コンテンツが、あの戦隊ものだ。

 ああいコンテンツの悪影響で、日本の糞ガキは子供のころから、そうしたパリピコンテンツを当然のものとして受け入れさせられる。

 日本のクソガキは、所詮は大したこともできないビビりばかりだから、やれることと言えば精々が陰湿イジメくらいだが、これがアメリカみたいな蛮族の国に輸入されると、破壊的な影響力を発揮する。

 今のアメリカ産業の何割かは、戦隊ヒーローなんて輸入したツケともいえる。

 いつまでもバットマンだのスパイダーマンだのだけ持ち上げていれば、あそこまでの惨状にはならなかったろう。

 まあスパイダーマンは、晴れてパリピコンテンツの一部に吸収されたわけだし、バットマン金持ち男礼賛映画で、要するに、自分たち権力者のクソガキだけ、ああいう悪影響のないコンテンツ誘導しているわけだ。

 日本チキン国民から、大した悪影響が表面に出ないと騙されて、アメリカみたいな国に輸入すると、ああいうことになるわけである

 実際には、日本人の精神環境は、最悪の状態にあるのだが、怖くて自殺もできないのが日本人だ。

 それでも相当死にまくってるわけだが。

 大体、イジメられて一番惨めな状態になるのも、そういうコンテンツが好きで洗脳され切ってるガキだ。

 集団正義洗脳され切ってるから、その集団にどんな理不尽やダーティワークを押し付けられても従順に従うしかない。

 そういう子供が、親から金を盗んでもカツアゲされたり、自分彼女DQN差し出してレイプさせたりするのである

 そういえば、サッカー選手学生イジメられた挙句自分彼女レイプさせた事件マスゴミいじめられっ子ディスのために拡散していたが、どうせイナズマイレブンだのベイブレードだのをありがたがってたガキに違いない。

 そんな自分たちが作り出したクソガキを利用して、他のイジメ正当化し、イジメられた側に問題がーとやるのが連中の手口だ。

 当然イジメターゲットは、むしろ大人しくて気がやさしい連中から選ばれるか、連中が工作で無理やり生み出すのである

 孤独ヒーローが好きなロンリーボーイは、イジメられても一円だってさないのである

 まあ、それでもアメリカのそれが日本のそれよりもマシな点は、アメリカのウェイ系映画は、本気で仲間割れするところである

 それぞれの登場人物の信念の違い、欠点や闇も描かれる。

 日本戦隊ものジャンプ漫画にはそんなものない。

 あの手のプロパガンダでは、主人公たちは絶対的正義で、みんな同じようなことを考えて同じような理想を持っていて当然、それを共有できない奴はみんな悪だとされる。

 ジャンプ漫画とか、和気あいあいと仲間で慣れ合いをしていても、なんだか空気が張り詰めていて悪いのはそのせいだ。

 あいつら、お互いの思想理想や信念の違いとか一切認めず、普通に遊んでいてさえお互いの思想監視しあう。

 それでしょっちゅう疑念みたいなのを抱いては、誤解だったり、より思想性が強いことに感激して友情()を確かめ合う。

 ああいマンガに毒されてる奴らが、戦争かになると、異常な思想警察になって、真っ当な批判封殺し、滅亡に向かってひた走るのである

 そういう連中に限って、思想性という批判が好きだから、わざと使ったわけだが、大体、思想思想性言ってる奴の方が、やたら不寛容で、価値観の違いを認めない。

 というのも、自分とは違う思想相手全否定するための言葉になりやすく、この言葉自体が、アカ工作員のプロパガンダ言語レベルの代物になりやすい。

 こういう言葉連呼する輩の考えは、思想性が強いと思われたくなければ、世間マスゴミ)が、その時その時の都合で持ち上げる思想以外の思想を語るな、ということである

 こういう風潮の結果が、実際は内心どうでもいい、むしろ不快にさえ思っている思想を、表向き支持して、称賛を得て、自分の都合で他人をけしかけようとする小独裁者が乱立し、小集団がたくさん生まれて、その行く末が、アメリカのような少数分裂の結果の、無政府寸前の治安状態だ。

 アメリカ人は行動的だから、そうやって表向きに噴出しているわけだが、日本ではもうとっくの昔からマスゴミのためにマスというもの消滅し、嗜好性の先鋭と多様化が起こっている。

 集団というものを強くすると、全体においては、むしろ、一つの強力な組織なんてもの消滅し、無数の独裁者と小集団に別れるのである

 マスゴミのような、薄く広い情報媒体からの影響力が強いのは、むしろ集団に属さないロンリーウルフなのだが、マスゴミというもの自体が、無数の小集団により利権の奪い合いであり、こうした連中が好き勝手に物を作ると、こうしたロンリーウルフ侮蔑し、排除することになる。

 そうした独裁集団リアルにおいては、そうしたロンリーウルフこそ邪魔だし、結局のところ、ロンリーウルフは、他人の影響を受け難くて、盲目的には従わないからロンリーウルフなのであり、リアルにおいて他者から情報が少ないために、マスゴミ情報依存する傾向があっても、その情報批判的に扱われやすく、洗脳され切らないからだ。

 結果的に、マスゴミは、自分たちに金を落とす存在喪失する。

 現実に小集団所属する者は、あらゆるメディアから情報より、現実に属している集団情報命令を優先する。

 ネット陰謀論バカにされてるからって、自分の属しているグループ内での陰謀論の内容を否定する奴は、その集団からお仕置き”の対象になるだけだ。

 仲間とか集団という存在を大きくすればするほど、そのお仕置きへの恐怖は増大する。

 当然、マスゴミはより巧妙にプロパガンダする。

 身近な人間や身内でさえ信じるな、テレビだけ信じろ、という風に。

 マザコンとか家族に従う子供というのは最悪の存在として描かれるし、マスゴミ報道する犯罪は、いつも家族のせいでおかしくなった犯罪者ばかりだが、現実犯罪ほとんどは、むしろ家族暴力などを振るって追い出され、ヤクザ以外に行くところがなくなった奴によって行われる。

 片親や虐待など、家族側に問題があるパターンもあるが、たいていの場合は、マスゴミプロパガンダに悪影響を受けまくって、家族蔑ろにすることを覚えた不良である

 虐待についてもやたら報道され描かれる。

 自分たちで叩きまくらせておいて、世間で叩かれるようになると見るや、途端に虐待してる母親も~みたいなドラマを作り出す。

 母親虐待するダメ存在という印象は、同情するように見せかけて植え付けまくってるわけだが。

 現実虐待する家族なんてのは、マスゴミ周辺には五万といても、他には殆どいないにも関わらずだ。

 だが結局のところ、マスゴミも、人間の顔をして洗脳する以上、ある種の人間マスゴミによく出る人種については美化しないとならない。

 その結果、マスゴミがどんなに自分たち以外を信じるなと洗脳したところで、マスゴミによく出るような人間が、そいつの側にいると、途端に小集団形成され、マスゴミ情報シャットアウトされる。

 結果、タレント的な人間は、タレント的な人間同士で徒党を組み、周囲の衆愚扇動し、マスゴミ洗脳から独立し、独裁集団形成する。

 学校ヒエラルキーが、露骨ルックスによって形成されやすいのは、そのせいだ。

 今では、芸人みたいな奴が中心になりやすい。

 というのも、工作によって、わざと面白くなくさせることがある程度可能からだ。

 だから、連中の工作によって、連中以外に芸人みたいな奴らが生まれにくくなっているのである

 まあ生まれ場合は、連中にとっては最悪の事態だろうが。

 見てくれが良いだけの奴は、中身なんてない場合が多いため、大したことは出来ないわけだが、この工作を振り払って芸人みたいになれる奴というのは、相当頭が良いだろう。

 一方でスポーツができるか否かという基準も作っているが、これは、いかスポーツというものが、軍隊的でファシスト的で、簡単に人を操れる道具かということを示している。

 スポーツマンという基準を作る限り、連中は好き放題できる。

 彼女提供させた奴らのように、連中がいか醜悪でおぞましいかが、そこには表現されきっている。

 あのスポーツ部活というものに入って、嫌な思いをしなかった者など居ないだろう。

 そんなこともまともに見もせず、スポーツマンなんてものチヤホヤするバカ女の末路が、肉便器だ。

 少しでも人間性に目を向ければ、学校スポーツマンなんてカスしかいない。

 日本人がまともにスポーツをやれるようになるのは、成人してからで、学校部活なんて、一番性格が最悪で暴力的な屑が占領している。

 結局のところ、スポーツマンと付き合っていられる女というのは、人をブランドしか判断せず、しか現実に何が起ころうがすべて無視していられる自己満人形みたいな女だけだ。

 そりゃ女子アナなんかをあてがいまくるわけである

 一般ニュースアナウンサーなんてのは、中身空っぽ人間ボイスロイドで、上っ面だけで良い印象を人に与える以外の何の才能もいらない職業からだ。

 あいつらは、歩くブランド品として以外の何の価値もない。

 その点、モデルよりもよっぽどマネキンに近い奴らである

 大体、ちょっとでも考える知能があれば、無批判ニュースを垂れ流しにし続けることなんてできないわけで、アナウンサーというのは、積極的に頭の中身が空っぽであることが要求される職業なのである

 アメリカなんかでは、しょっちゅうアナウンサーがブチギレて放送事故を起こしており、向こうでは日本ほどサイボーグ化が進行してないのだろう。

 まあ日本でも、思想性の強いアナウンサーは、ワイドショーかには居るわけだが。

 むしろあの連中というのは、放送事故も起こさずに、自分で言ったニュースに不満があれば、自分意見を表明して、そのうえで場を取り繕って進行できるわけで、相当コミュ力思考力も高い証拠だろう。

 その真逆存在が、ひたすらニュース音読してるだけの普通アナウンサーであり、アナウンサーというのは、全く真逆の二タイプが居るわけだ。

 ワイドショーの、本当に頭のいいアナウンサーと、一般ニュース番組の肉人形を一緒くたにアナウンサーとして括るから政治世界民主主義崩壊しているのである

 中身空っぽロボットみたいな奴に限って、都知事になって成功している。

 あいつらは、全て少数権力者の指示通りに動いてるだけのマリオネットだ。

 逆に、ワイドショーアナウンサーが人気を得ることは殆どない。

 彼らは、アナウンサーとして一括りにした肉人形を、同じアナウンサーから頭が良いはずと騙すことに利用されるだけだ。

 というのも、自分で読み上げたニュースを、自分批判するという構図自体が、視聴者から反感を持たれやすい。

 このアナウンサーは、自らの立場を利用して、自分思想宣伝している、卑怯だ! というわけだ。

 実際に卑怯宣伝工作をしてるのは、そのニュースを描いた奴だけなのだが。

 こういう衆愚を騙して、一方的洗脳するには、対立する意見を横に並べてはいけないのである

 横に並べて公平に扱っているかのように見せかけながら、相手意見だけを誇張し、曲解し、誤解を与えるように切り抜きして書く新聞記事の書き方こそ正答なのである

 ワイドショーアナウンサーは、本当にニュース原稿を公平に読むため、その後に自分意見開陳したところで、視聴者はその反論を真に受けない。

 むしろニュース自分で読むというアドバンテージの上に、後で自分意見だけを言って終わらせる形式に、反感を抱くだけなのだ

 だからテレビ局というのは、”思想性"の強いアナウンサー自由にさせておける。

 自分たち原稿さえ読む仕事をさせれば、あとは問題にならないからだ。

 そして、連中を自由にさせておくことで、自分たちの公平さを捏造し、アナウンサーという職業に、ちゃん自分で考えられる頭のいい人たち、という誤った印象操作をすることができるのである

 むしろ、実は、原稿棒読みしてるだけの肉人形は、自分意見を押し殺して、仕事に没頭しているプロフェッショナルと思われている。

 ジャーナリズムテレビドラマなんか見ればわかる通り、あの手のアナウンサーは、そういう存在として描かれる。

 連中の実態は、むしろベン・スティラーの『ズーランダー』に出てくるアホモデルもの方が近いのに、である

2025-01-16

このままだと俺はきっと親を〇すだろう

就職氷河期もあけつつあった、ハザマと呼ばれる世代人間

地方駅弁を出たが、就職に失敗してブラック企業に入った

ブラックながらもなんだかんだやれていたが、経営者が変わり、輪をかけてブラックになった

いつパワハラの火の粉が飛んできてもおかしくないという雰囲気だし、斜陽産業なので業績を求められてもどうしようもない

若いころ公務員転職しようとしたが、これも面接で全敗した

俺はどうしても面接突破できないのだ。今の会社は、スポーツ紙に載ってた中途採用募集新卒カードを切って入ったものであって、まともに面接を勝ち抜いたわけではない

ぶっちゃけ地方駅弁でもこういう会社からすれば国立大新卒がやってきた!となり、俺の人となりとか志望動機なんかはジャッジされることな就職できたわけだ。つまり面接での成功体験がない

なので、今更転職しようにも、ただでさえ面接に通らないのに年齢も重ねているので、無理。つまり詰んでいるわけ

で、なぜこうにも追い詰められているかというと、親が悪いんだよね

俺は喘息もちで、体を鍛えろということで無理やり柔道をさせられてて、辞めさせてももらえず、そこの体育会的な指導性格ねじ曲がった。理不尽に怒られたり怒鳴られたりすることをたぶん人よりも怖がってたし、故にそもそも就職したくなかった。だから志望動機が思い浮かばない。

漏斗胸で、体力もなく運動神経もない。そもそも社会である程度の地位にいる人はまず、性格とか頭の良さとか以前にそれらの土壌として体がタフだ。俺はそうじゃない。運動が嫌いだし、今更体力づくりなんてしたくない。運動が好きな個体であればせっせと運動してただろうね

3月まれ4月まれと比べると明らかなディスアドバンテージを背負わされた。生まれるのが一週間遅ければ東北大くらいには行けただろう

滑舌が悪い。よく障碍者と言われていた

弟が実際に発達障害なんだが、その腐った遺伝子の影響は俺にも表れていて、精神科に行ったとき失念したが何らかのコミュニケーションの値が一般の人より高かった。ニュアンスで言うなら、発達障害ボーダーが80くらいで一般の人が20が平均のところ、俺は60とか

俺は学生時代からちょっと変わった奴と言われていて、結局それは医学的に正しかったわけだ。障碍者みたいな滑舌でしゃべる変な奴なんて面接に通るわけないよね。最初から、もしくは公務員でも、ホワイトに入れてたら人生こうはなってなかったかもしれないけどね

ガチャというが、これは言葉としてはちょっとおかしいので、俺ら世代ネットに転がってたスヌーピー名言(笑)の「配られたカード勝負するしかないのさ」を元に話を続けるが

カード配るのは親なんだよね。俺はこれらのクソカードを親に押し付けられたわけ。「実力も運のうち」ってハーバード大教授も言ってるわけだが、実際に俺はそういう意味ではまったく運がなかったね

こういうのを他責思考とかって言ってくる奴いると思うんだけど、逆。矢印を自分に向けて、向け続けて、結局自分を突き抜けて親にまで向かったって話。遺伝子レベルでの、究極の自己否定から、これ。

俺は別に虐待されたわけじゃない。まあ今のポリコレ社会からしたら怪しい部分は少々あったが、両親は俺に愛情を注いでたと思う。彼らは彼らなりにベストを尽くしたと、赦そうとした時もあった。けど、結局人生の苦境に立たされると、配られたカードがクソという事実に向き合わないといけないわけ

子育ては結果だから仕事試験試合も、結局は過程がどうあれ結果がすべて。子育てもそう。そして、それをジャッジするのは子自身なんだよね。

「僕は両親から虐待されてたけど東大入れましたあ~親ガチャなんてありません~」とか言ってる若者いたけど、親はお前を東大に行かせるためにあえて虐待してたんだよ?って話。これをどう否定するの?このケースは過程に愛がなかっただけ。結果がすべてだから虐待してくれてありがとうって言えや





精神が幼稚だとか、努力してないとか、意志が弱いとか、人生選択を誤ったとか。これらって全部俺のお脳が発するものであって、お脳が悪いんだったら結果として出力されるものも悪いものになるに決まってるだろ。で、ハッタショ気味の俺のお脳の良し悪しは結局俺の親が配ったものなんだよね

で、俺は親のせいで人生苦しいことだらけな訳。「結局悪いのは親じゃん」って理解したのは大学生就活に失敗しまくってた時。その時に、死のうかなって思って、包丁持って腹に充てて30分くらい突っ立ってたことあるんだよね。

あれから20年、死ななくてよかった幸せ人生だったかって言うと、NOなんだわ。もちろんいいこともあったが、苦しいことの方が圧倒的に多かったなって思うね

俺は産まれてきたくなかったし、死にたいそもそも俺を出生させた時点で親はクソなんだわ。産むならせめてまともなカード配れや。これは今から産む奴にも言うけど、まともなカード配れないんなら産むな

とはいえ死ぬのは怖いんだよね。生物なんだし生存本能があるんだから仕方ないね。なので「じゃあ死ねよ」で話は終わりませーん簡単に使える安楽死施設あるんなら話別だけどね。首吊り失敗してもう二度と自殺企図できない体になったらどうするの?お前が養ってくれるの?

というわけで、八方塞がりな訳だが、今の会社に居続けるのもも限界がきたなという感じなので、すべてをかけて転職しようかなと思ってる。デイトレード等も当然だめだったしな

とはいえ、失敗する可能性の方が大。だから、この転職が失敗に終わったら、苦しみに満ちた俺の人生を「親に返す」しかいかなって思ってるね

そのぐらいの覚悟をもって転職活動をしないといけないんだろうなって思ってるね

一線を越えたならば、怖いという感情も薄れ自殺することができるかもしれないという考えもある

別の感情が薄れたらごめん(笑)

2025-01-14

年収750万だけど婚活市場では弱者男性扱いされる

僕は都内IT企業で働いていて、役職こそ管理職ではないものの、年収はおおむね750万円ほどある。正直、一般的にはそれなりに悪くない水準だと思っていたし、実際に自分自身も贅沢さえしなければ生活には十分ゆとりを感じている。しかし、いざ婚活を始めてみると、なぜか自分が思っていたほど女性から評価が芳しくなく、「それしか稼げないの?」という冷たい反応をされることもあった。いわゆる“ハイスペ”には遠く及ばずとも、平均以上だと思っていた僕からすればかなりのショックだった。どうやら都市部婚活市場では年収750万円では決して高収入に分類されるわけではなく、下手をすれば“弱者男性”扱いされてしまうらしいのだ。僕はこの現実を知ったとき、一体何が原因なのかと自問自答するようになった。そもそも750万円という金額が本当に低いのか、あるいは僕自身が何か別の面で期待外れなのか。自分が誇りに思ってきた数字が、婚活においては必ずしもアドバンテージになっていない現実に戸惑いを感じた。だが、これが現代婚活市場の厳しい実態の一端なのだろう。多くの女性男性を条件で仕分けする際、年収1000万円以上を理想に掲げることが少なくない。僕の750万円は、それらの女性にとっては妥協ラインにすら満たない場合がある。自分の中では“そこそこ頑張っている”つもりでも、市場ルールに照らし合わせると弱者認定されるなんて、複雑な思いだ。もちろん、全ての女性がそうではないとわかってはいても、やはり婚活で不利を感じる場面があるのは事実である

僕なりに分析すると、婚活では「条件ありき」の人が多く、感情や相性以前にフィルタリングされる傾向が強いと感じる。大まかな目安として、相手を探すとき女性年収職業で手っ取り早く候補を絞り込むことが多い。その結果、僕のプロフィールを見た女性のうち、高収入を望む層からすれば750万円は魅力に欠ける数字になってしまうのだ。実際にやりとりの中で「実家お金持ちなの?」とか「昇給の見込みはある?」などと探りを入れられたり、「将来は家を買えそうですか?」と露骨経済的基盤を問われたりすることもある。もちろん結婚生活にはお金必要なのは百も承知だし、将来設計真剣に考えるからこその質問だというのもわかる。ただ、そのハードル想像以上に高い。30代後半にさしかかっている今、さら年収が跳ね上がる見通しが自分の中ではそこまで描けていないとなると、どうしても結婚相手理想から外れがちになるようだ。共働きでいっしょに頑張ればいいのに、と思う僕の感覚と、婚活をしている女性たちの感覚にはまだまだギャップがあるのだろう。

一方で、僕自身にも問題がないわけではない。見た目は中の中くらいで、特別おしゃれに気を使うタイプではない。どちらかというと社内では地味な存在で、人付き合いもそこまで広くはない。婚活という場では、やはり外見やコミュニケーションスキルも強力な武器になる。女性に対してガンガンアピールできるタイプではない僕は、収入にそこまで突出した魅力を加えられない場合、選ばれにくくなるのも仕方ないのかもしれない。実際にマッチングアプリなどを利用しても、プロフィール写真や職業年収を公開している状態であまり興味を示されないこともある。もしかしたら、僕よりもう少し年収は低くても、トーク力があって積極的男性のほうが人気が高い場合だってあるのだろう。結局は総合的な魅力が婚活市場ではものを言う。年収一つだけでは足りず、雰囲気や会話のテンポ、そして容姿への最低限の気配りといった部分も軽視できない。そこで僕が“地味”な自分を変えようと、服装髪型に気を配り、エステに行って肌の手入れまで始めたのは、婚活において少しでも有利になりたいからだ。

ただ、こうして自分磨きをしても、いざ会話に入ればやはり「年収1000万円以上の人を探しているんですよね」というストレート言葉を聞くこともある。それが悪いわけではなく、それぞれが自分理想を追い求めるのは自由だと思う。でも、僕にとっては大きな壁だ。女性からすれば当たり前かもしれないが、「自分より年収が高い人で、なおかつ家事育児を分担してほしい」「余裕ある暮らしをしたいから、最低でも1000万円台の年収は欲しい」といった希望を堂々と掲げているのを見ていると、僕の年収750万円はやはり埒外なのだろうかと感じざるを得ない。自分仕事は手に職があって、ある程度安定しているが、爆発的に収入が上がる職種でもない。となれば、将来的に1000万円のライン突破できる自信は今のところ薄い。そこを理解してくれる人を探すしかないのだが、そもそも高収入志向が強い層には見向きもされないのが現状だ。

僕は実際、結婚相談所でも「年収○○万円以上」のように検索条件を設定されてしまうとひっかからないこともしばしばだ。だからこそ年収を軸に選ぶ女性とは最初から相性が悪いのかもしれないし、むしろ早い段階で合わないと判明するのはお互いにとっていいことかもしれない。ただ、問題はそこに留まらず、年収軸が合わない女性を外したとしても、次の壁として年齢や容姿コミュ力など、さまざまな要素でふるいにかけられるのだ。僕は30代後半になっており、相手女性は同年代か少し年下を希望するが、彼女たちは往々にして“もっと条件のいい男性”を探していることが多い。この“条件のいい男性”の定義は幅広いが、やはり年収学歴職歴ルックスまで総合的に見られることが多く、僕が唯一そこそこ自信を持っていた年収も、望まれる条件に届かないケースが少なくない。「750万円では不満」という声は直接的に聞かなくても、相手リアクションプロフィール希望条件を見ていると察することがある。

また、自分が“弱者男性”扱いされるのを痛感するときは、女性側が「一般的にはそこそこの年収」と理解しながらも、なお「もっと上がいい」と言ってくることだ。しかも、そういう女性がなぜか“ちょっと高飛車な態度”を取りがちなことも多い。上から目線ジャッジされる感覚があるのは、婚活をする男性としてはやはり居心地が良くない。もちろん、全ての女性がそうではないし、中には一緒に働きながら共に家庭を支えていく意欲を示してくれる人もいる。でも、婚活市場全体を見渡すと、「さらに上、さらに上」という条件のインフレが起きていて、僕程度の収入では“もっとがんばってよ”と背中を押される立場になってしまう。ネットなどでは「750万円なら十分高収入だ」と言う人もいるが、それは会社業界地域によって価値観が異なるからだろう。少なくとも都会の結婚相談所やハイスペ志向女性が多い場では“あと一歩及ばない男性”という扱いが現実にあるのだ。

実際のところ、僕はこれまでの仕事人生必死努力してきたつもりだ。年収750万円に到達するまで残業休日出勤も多かったし、役職に就くことを目標自己啓発もしてきた。それでも婚活においては、もっと若い時期から違う職種外資系企業転職し、バリバリ稼げる道を選ばなかった自分を後悔するような瞬間がある。なぜなら、そこに大きな差が生まれしまうからだ。同年代でも外資系ベンチャー成功して1000万円超を稼いでいる人たちは、婚活市場女性から勝ち組”として扱われがちだ。あるいは医師弁護士コンサルなど、資格肩書きでわかりやす高収入証明できる男性が一気に目立つ。その陰で、僕のような「努力してようやく平均以上」に到達した層は埋もれがちになるように思う。自分では弱者とは思っていなくても、婚活市場メガネで見られたときに、僕はあっさりと“弱者男性”に分類される。

もちろん、こうした状況に不満を抱くだけでは前に進めないし、自分理想相手にも巡り合えない。だからこそ、婚活の仕方をもう少し工夫する必要があるとも思っている。年収を最重視する女性ばかりを相手にすると疲れてしまうから、同じように共働き希望している女性や、年収よりも性格の相性を重視してくれる女性が多い場を探すべきだと感じる。実際、そのような女性たちと話してみると、僕の現在年収を大きな問題と捉えず、むしろ「安定していていいですね」と評価してくれることもある。ただ、それでも容姿コミュニケーション能力がある程度高い男性モテるのは変わらないらしく、根本的には世の中の風潮として“強者男性”が注目されがちなのは避けられないようだ。

また、年収に対する女性側の感覚を変えることは僕にはできないのだから自分さらスキルアップして収入を上げる道を探るのも手だろう。現時点で750万円が限界と思っていたが、もしかしたら資格取得や副業転職などでキャリアアップすることができるかもしれないし、5年後には年収1000万円を目指せる可能性もゼロではない。そうなれば婚活市場での立場も変わるだろうが、あくまお金目的で近づいてくる女性を求めているわけではない。それでも、経済的安心感を大切にする女性が多いのも事実から、“努力次第で大台を狙える存在”になることで、多少は評価が変わるかもしれない。

何にせよ、「年収750万円」という数字世間一般で見れば決して低いわけではないものの、都会の婚活市場では“中の上”にも届かず、むしろ“中の中”程度か、それ以下に認識されることがあるという厳しい現実がある。僕はそれを実感しているからこそ、理想だけを追いかける女性を恨むのではなく、自分が本当に必要とするパートナーとはどのような人なのかを改めて考え直す時期に来ているのだろう。いくら条件が整っていたとしても、結局は二人で過ごす時間が楽しく、困難を乗り越えられる相性が大切だ。

今は、条件重視の婚活疲れた女性たちと出会える場を探しながら、自分自身ステップアップを図るという二正面作戦で進めている。その中で、年収以外の僕の魅力に気づいてくれる人と出会えたら最高だと思うし、さらには「あなたとなら共に頑張れる」と言ってくれる女性がいれば、年収750万円の現状でも十分に幸せな家庭を築ける自信がある。むしろ結婚後にパートナーと力を合わせて世帯収入を増やすという方法だってあるのだから。最終的には、自分を“弱者男性”と決めつけるかどうかは他人評価による部分が大きいのは確かだが、自分が本当に何を望んでいるのか、どんなパートナー人生を共に歩みたいのかを明確にすることでしか理想未来は手に入らないのだと思う。僕は今の年収を出発点として、相手を条件で選り好みせず、地道に活動していくつもりだ。自分に合った女性は必ずいると信じて、これから婚活を続けていこうと心に決めている。結局、結婚とはお互いの価値観人生観を共有していくものスタートラインで少し不利に感じようとも、それを自分武器に変える努力をすることで、幸せにたどり着けると信じたい。そう思いながら、僕は今日婚活の場に足を運ぶのだ。

anond:20250114090703

ワイは低スペック女やから

そのアドバンテージすら

常識のない自己中低スペック男に付け狙われる」という超ドマイナスしかなかったたで

anond:20250113160549

女はリミットがあるって言うけど、その代わりに若さが持つアドバンテージが絶大だから上手くバランス調整されてるよな。感心する。

2025-01-13

anond:20250113201147

取り柄として大きすぎるのよね。

資本主義社会におって、平均より稼いでいれば結構大きなアドバンテージだし。

それが弱者弱者孤独孤独って、私可愛くないからって明らかに自分より不細工より言ってる腐った女みたいだなと。

面倒くせえ、お笑いだよ。

anond:20250112220238

徳川秀忠関ケ原遅延が実は徳川家康命令によるものだったという書状を入手した、とかかな?

関ケ原に負けた際にも自軍兵力を温存しておくためにわざと遅れさせた。

その確かな証拠を手に入れた!

とかだったら、徳川幕府が成立したあとでも十分にスキャンダルになると思う。

かなり無理のある歴史解釈だけど絶対になかったとも言い切れないのが、戦国の世だと思う。

両軍ともに野戦による一大決戦で決着が着くとは考えていなかった可能性がある。

その場合自軍をまるまる温存できていた場合アドバンテージがないこともない。

まあ、無理がありすぎる話だな。

実際の戦争は数の世界からな。

ロシアがとにかく数を揃えることで勝っているのだし、

ウクライナは数を揃えられないから負けている。

そういうものなんだろう。

2025-01-07

anond:20250105142918

アッシュ能力の後付けが酷すぎて(吉田秋生が後半筆滑りすぎた感ある)読んでて萎え

最初インテリステゴロも得意なストリートチルドレンボスぐらいの扱いだったのに

話が進むにつれて「SWAT並みのシューティング能力を持ってます」「IQ180あります」「コルシカマフィアボス帝王学叩き込まれます」「世界一腕の立つ殺し屋からエリート戦闘教育受けてます」「北斗神拳使えます」って能力盛り盛りに盛られて、最終的に快楽殺人鬼が集まる凄腕無国籍傭兵集団相手無双してんの萎え萎えでしたわ

だってさ、ちゃん最初から話追ってる読者からしたら「お前そんなに強かったならスキップ連れ去られる前にバー暴動鎮圧てきたよな……?」「お前そんなに強くてそんなに頭良かったなら英二の身体能力の高さを考慮した上でショーターの膝撃ち抜いて運動機能奪って徒手格闘でその場にいる月龍達鎮圧できたよな……?」ってなってしまうわけよ

アッシュ吉田秋生の前作『吉祥天女』の「小夜子」の系譜で、言わば男版の小夜子を作り上げたアプローチはとても良かったんだけど、

小夜子は「女」っていう肉体的ディスアドバンテージ考慮した上で立ち回ってたが、アッシュは男故にそのアドバンテージ考慮される事なく、ただただ「線が細いけど恐ろしい程鍛え込まれ身体」でゴロツキから屈強な元軍人までステゴロで殺せるフィジカルエリートになってしまったのはとても残念だった

最初からある程度設定ブレなきゃもっと楽しめたのにと思う

完全に余談だけど、吉田秋生舞台日本にしたほうがやっぱ面白い

海街diary詩歌川百景も読もうぜ

ん?YASHA……?イヴの眠り……?一体お前は何の話をしているんだ……?

2025-01-05

Nintendo Switch2に期待

 任天堂が誇るハイブリッドゲーム機Nintendo Switch」は、2017年の発売以来、世界中ゲーマーから熱烈な支持を集めてきました。その人気の理由は多々ありますが、最大の魅力として挙げられるのは、テレビにつないで大画面でプレイすることも、携帯機として外に持ち出して遊ぶこともできる「ハイブリッドコンセプト」です。任天堂ゲーム機といえば、これまでも携帯機の「ゲームボーイシリーズや据え置き機の「ファミリーコンピュータ」「スーパーファミコン」「Wii」など、数多くの革新的ハードウェアを世に送り出してきた歴史があります。その中でも、携帯機と据え置き機の境界を取り払ったNintendo Switchは、ゲームの遊び方に大きな変革をもたらしました。そして今、多くのファンが心待ちにしているのは、その次世代機とも言える「Nintendo Switch 2(仮称)」です。

 噂段階では「Switch Pro」「次世代Switch」「Switch 2」などの呼称が飛び交い、正式発表はいまだ行われていません。それでも、ゲームファンの間では次なる進化形への期待がとても大きくなっています。では、実際に「Nintendo Switch 2」に対して、どのような期待を抱いているのか、私自身の視点でいくつかのポイントを挙げながら考えてみたいと思います

 まず第一に、ハードウェア性能の向上です。Nintendo Switchは発売当初こそ「据え置きとしても携帯機としても十分な性能を両立している」と高く評価されましたが、近年は競合他社のハードPlayStation 5やXbox Series X|S)の登場や、PCゲームグラフィック表現進化により、Nintendo Switchにおける処理性能やグラフィック面での限界が浮き彫りになりつつあります。もちろん、「任天堂らしさ」を最大限に活かすタイトルにおいてはフォトリアルを追求しすぎる必要はなく、むしろ独自アートスタイルゲーム性が際立つ作品も多いです。しかし一方で、大手サードパーティマルチプラットフォームタイトルを十分に快適なクオリティ動作させるには、現行のSwitchスペックでは不足を感じる場面も少なくありません。そこで期待されるのが、次世代機ならではのCPUGPU性能の大幅な強化です。

 実際に、Switch 2がNVIDIA製の最新チップを搭載し、4K出力やレイトレーシングといった先進的なグラフィック機能対応するのではないか、という噂もあります。もしそれが実現すれば、これまで移植が難しかった大型タイトルや、より高いフレームレートを求める作品も、スムーズに遊べるようになるでしょう。さらに、性能アップが期待されることで、任天堂独自ゲーム体験に加え、サードパーティ各社のAAAタイトルもより豊富に展開できる可能性が高まります次世代ゼルダマリオといったファーストパーティ作品クオリティアップはもちろん、海外の人気シリーズが同時発売で遊べるようになれば、Switch 2は携帯できるハイスペック機として、これまで以上の存在感を放つはずです。

 第二に、携帯機能さらなる洗練です。Nintendo Switchの強みである「いつでもどこでも遊べる」体験は、そのまま継承されると考えていますが、さらに快適性や携帯性が向上すればなお嬉しいところです。例えば、ディスプレイサイズをもう少し大きくして解像度を上げる、あるいはディスプレイベゼル(枠)を狭くして本体サイズを抑えつつ画面領域を拡大するなど、最近スマートフォントレンドに近い形で進化していくと予想できます。また、バッテリー寿命の延長も大きなポイントでしょう。Nintendo Switch初期型から比べれば改良型や有機ELモデルなどでバッテリー持続時間改善されているものの、ハイスペック化に伴う消費電力の増加も予想されるため、そこをどのように工夫するかはとても気になります

 加えて、携帯モードテレビモードの切り替えが今よりスムーズかつ快適になることを期待していますSwitchならではのドックの仕組みは非常に便利で、テレビ接続して遊びたい時はドック差し込むだけ、携帯モードに切り替えたい時はサッと本体を取り外すだけで画面遷移がスムーズに行われるのが魅力です。もし次世代機4K対応や性能が向上したとしても、その簡便性は失ってほしくありませんし、むしろ即座にクイックレジュームできたり、もっと時間スタンバイから復帰できたりすると、より魅力が増すのではないでしょうか。たとえば、ゲームによってはテレビモード携帯モードで別々に最適化された解像度フレームレートを設定できる仕組みがあると、遊びのスタイルに合わせた柔軟なプレイが実現しそうです。

 第三に、Joy-Conコントローラーの改良です。Nintendo Switch本体左右に着脱できるJoy-Conコントローラーが大きな特徴ですが、発売当初からスティック故障(いわゆるドリフト問題)やボタン耐久性などが指摘されてきました。もちろん、ユーザー使用環境によって状態は大きく異なるものの、Switchユーザーの中には「予備のJoy-Conを買うハメになった」という方も少なくないでしょう。従来の対処方法としては、任天堂無償修理を行うケースもありますが、根本的な構造の改良が求められているのは確かです。

 次世代Switchでは、耐久性操作性を高めるための改善が期待されますアナログスティック構造を変えてドリフトを起こりにくくする、ボタンの押し心地や押しやすさを見直すなど、長期間使用しても快適に遊べるコントローラーが求められるでしょう。また、Nintendo Switch Liteのように一体型となった本体形状のオプションも用意されるのかどうかも気になるポイントです。さらに、ハプティックフィードバック振動進化)や、モーションセンサーの精度向上、HD振動さらなるブラッシュアップなど、コントローラーが生み出す独特の臨場感が次のステップに進めるかもしれません。

 第四に、オンラインサービスソフト面での充実も忘れてはならない要素です。任天堂は「Nintendo Switch Online」という有料オンラインサービスを展開し、ファミリーコンピュータスーパーファミコンNINTENDO64ゲームボーイアドバンスなどの往年の名作タイトルを定額でプレイできるサービス提供してきました。こうしたレトロタイトル配信は、過去の名作を改めて楽しむだけでなく、若い世代クラシック作品を伝える重要役割を担っていますしかし、現行のサービスではオンライン周りの使い勝手通信品質に関して、まだまだ改善余地があるという声もあります次世代機では、より高速かつ安定したオンライン体験や、クラウドセーブの充実化、フレンドとの交流機能拡張などが期待できるでしょう。

 そしてもう一つ、大きな期待要素として「後方互換性」が挙げられますNintendo Switchに対して、任天堂独自の高い互換性や、ソフト資産いか継承するかは非常に重要テーマです。特にSwitchは膨大な数のダウンロード専用ソフトインディータイトルが充実しており、「ダウンロード専用ソフト次世代機でも続けて遊びたい」というユーザーは多いはずです。もしSwitch 2(仮)で後方互換性がしっかり確保されれば、ユーザーは現行Switchゲームライブラリー無駄にすることなスムーズに移行できますし、開発側もSwitch 2向けの新作に注力しやすくなります。これまでに培ってきたハードソフト一体の発想を大切にしてきた任天堂であれば、きっとユーザーの声を無視することはないと信じたいところです。

 また、発売時期にも注目が集まっていますNintendo Switch自体2023年の段階で発売から6年以上が経過しており、任天堂ハードとしては比較長寿命の部類に入ってきました。一方、Switch本体の累計販売台数は1億台を超えており、まだまだ世界的に需要がある状況です。そんな中で任天堂次世代ハードをいつリリースするのか、戦略的タイミングも含めてファンは気になるところです。早ければ2024年、あるいは2025年頃といった噂もあり、「もう少し先ではないか」「既に開発キットが配布されているらしい」など、真偽不明情報が行き交っています。いずれにせよ、Switch 2の存在公式に発表される日が来れば、ゲーム界隈は一気に盛り上がることは間違いないでしょう。

 ここまでハードウェア面やオンラインサービス、発売時期などに対する期待を語ってきましたが、やはり最終的に重要なのはゲームソフトの魅力です。任天堂看板タイトルであるスーパーマリオシリーズ、「ゼルダの伝説」シリーズ、「ポケットモンスターシリーズに加え、「スプラトゥーン」や「カービィ」「どうぶつの森」など、多彩なファーストパーティIPをどう進化させるか。あるいはサードパーティタイトルとの連携をどの程度深めるかが、次世代ハードの成否を左右すると言っても過言ではありません。たとえば「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」や「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」のように、広大なオープンワールドと斬新なゲームメカニクスを合わせて新たな遊びを提案する作品誕生すれば、次世代機の魅力をアピールする最高の機会となるでしょう。

 さらに、近年のゲーム業界ではクラウドゲーミングやサブスクリプションサービスの流れも加速しています任天堂はこれまでクラウド技術に対して積極的というイメージは薄かったものの、特定タイトルクラウド版を配信するなど徐々に取り組みを始めています。もしかすると、次世代機ではさらクラウド活用が広がり、ユーザーゲームデータを端末に保存しなくても高品質タイトルを楽しめる世界が訪れるかもしれません。ただし、現状ではインターネット環境通信の安定性によってプレイ感覚が大きく左右されるため、どのようにユーザー体験を向上させるのかが課題です。その点では、任天堂らしく「持ち歩けるゲーム機」だからこそ、ローカルデータを持っておきたいという意見もあるでしょうし、一気にクラウドへ移行するというシナリオは考えにくいのではないかとも思えます

 もう一点、個人的に熱望しているのは、Nintendo Switch Onlineにおけるバーチャルコンソール的なサービスの強化です。現状でも、ファミリーコンピュータスーパーファミコンNINTENDO64ゲームボーイアドバンスなどのタイトル一定数遊べるようになっていますが、配信数やラインナップにはまだ偏りがあり、地域によっては遊べるタイトルが限られているケースもあります。例えばゲームキューブやWiiの名作をもっと気軽に遊べるようにしてくれたら、昔のゲームをもう一度体験したいというファンや、これから初めて触れる若い世代にとっても嬉しいはず。Switch 2では、これら過去ハードライブラリーをより充実させ、オンラインでのマルチプレイ対応など新しい要素を付加することで、多世代ゲーマーが一堂に会して楽しめるような環境を整えてくれると期待しています

 総合的に見て、Nintendo Switch 2(仮称)に求められるのは、「任天堂らしい革新的な遊び方の提案」と「より高いハード性能や快適な操作性」の両立ではないでしょうか。現在Switchで得られた成功体験をそのまま引き継ぎつつ、ユーザーの声を取り入れて細やかな不満を解消し、さらに新たなゲーム体験をもたらす――それこそが次世代に求められる任天堂の強みだと思いますハードシェアを牽引するためには、性能や価格だけでなく、そこに独自の魅力が備わっていなければなりません。Joy-Conがもたらしたおすそ分けプレイHD振動などの仕組みが、その一例と言えます過去の名ハードWii」で採用されたリモコンコントローラーや「ニンテンドーDS」のタッチスクリーンなど、任天堂は常に「人間ゲーム体験を豊かにする新しいアイデア」を大切にしてきた歴史があります次世代Switchでも、何かしらの意表を突くギミックが用意されているかもしれません。

 そうしたギミック存在はまだベールに包まれていますが、多くのゲーマーが「どうぶつの森」や「スプラトゥーン」の次回作携帯でも大画面でも高画質で遊べるかもしれない、と期待に胸を膨らませているのは間違いありません。噂が絶えないだけに、ファンとしては早く正式発表を聞きたいところですが、任天堂サプライズ発表を好む企業でもあり、E3などの大きなイベント独自Nintendo Directで突然「Nintendo Switch 2」の詳細を明かす可能性も否定できません。もし、その時が訪れたらゲームファンの間で爆発的な話題となるのは確実でしょう。

 さらに、Switch 2の登場が持つ意味は、任天堂自身ユーザー提示する「これからゲーム体験への道しるべ」としても非常に重要です。VRARクラウドゲーミングなど、ゲームの遊び方は今後も多様化していくことが予想されます。そんな中、任天堂が「持ち運べて、テレビでも遊べて、かつ新しい遊びを提案する」ハードをどうブラッシュアップしていくのかは、業界の大きな関心事でもあります特にコロナ禍以降、家庭内でのエンターテインメント需要が増えたことを踏まえると、Switchのような「家でも外でも遊べる」コンセプトは非常に強力なアドバンテージを持っていると言えるでしょう。

 私は、次世代機が発売された後も現行のNintendo Switchがすぐに廃れることはないだろうと考えています。1億台以上の普及台数を誇るSwitchには膨大なユーザーがいて、ソフト開発メーカーもなお活発にタイトルリリースしています。一方で、次世代機が登場したとしても、最初の1〜2年間は並行してソフトが発売されるケースが多いはずです。後方互換性が確保されれば、ユーザーは移行期間をよりスムーズに過ごすことができるでしょう。また、SwitchSwitch 2のラインナップをどう差別化していくかも、任天堂の腕の見せ所です。過去には「Wii U」と「3DS」が並行して存在していた時代もありましたが、Switch 2が登場したときにどのようなポジション取りが行われるのか、非常に興味深いところです。

 結局のところ、Nintendo Switch 2(仮称)は「Switchのどこをどれだけ進化させ、どんな新しい遊びをプラスアルファするのか」が最大の注目点です。グラフィック面や処理能力が強化されるだけでも、従来のSwitchユーザーには大きな恩恵があるでしょうし、Joy-Conドリフト問題などが解消されればユーザー体験は大幅に向上します。しかし、それだけでは「任天堂らしい驚き」というスパイスが足りないとも言えます。たとえば、コントローラー拡張現実(AR技術対応し、机の上にキャラクターが出現して遊べる機能が加わるとか、ジャイロ操作さらに精密になって新感覚スポーツゲームが登場するとか、そんな発想があっても不思議ではありません。過去には「Nintendo Labo」のように、ダンボール工作して体験する拡張キットも提案してきた任天堂ですから、新たなインタラクション可能性はまだまだ広がっていると感じます

 最後に、私は次世代Switchであっても、ゲームのものの「楽しさ」という根幹が最も大切だと思っています。高性能なハードウェアを備えていようと、画期的デバイスがあろうと、ゲームの中身が面白くなければ意味がありません。その点、任天堂は長年にわたって「楽しさの創造」を追求してきた企業です。マリオゼルダなどの定番シリーズですら常に新しい挑戦を続け、ゲームとしての驚きや喜びを生み出してきました。もしSwitch 2が登場するとなれば、そのハードで遊べる新作

2025-01-03

男は暴力という絶対的アドバンテージがある。

女のDVとか男が本気で殴ったら服従するしかないでしょ。どういう環境で育てば女が平然とDVする状況に育つんだ?本気で殴られた事無いんだろうな。

2025-01-01

anond:20250101123316

それはもう神様文句言ってもらうしかないですよね

そういうふうにデザインされたんだから

それ言うなら女性として生まれた際のアドバンテージも全部放棄しないといけなくなるけど大丈夫ですか?

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