はてなキーワード: 公共交通機関とは
私は北関東から大学進学に伴って東京に出てきて15年以上経った。今でも実家に帰ると思うのは「地元には本当に何もない」ということだ。
東京でもう何年も前、なんなら10年以上前に流行ってその後ブームは収まったとはいえ定着したものとかが、地元には本当に無い。
地元は農村のような本当のド田舎ではない。実家は私が6歳の頃に家を建てた新興住宅地だし、近くには高速道路のインターチェンジを中心として開発された巨大ショッピングセンター等が立っている地域もある。それでも、それでもなお、実家に帰ると本当にやることが無いと感じる。
イベント事も何もやってない。東京なら毎日どこかしらで何らかの催しが行われているのに、地方には本当に無い。
文化的施設もない。美術館や博物館もない。唯一映画館だけは巨大なものがある。土地は余ってるからね。
高校生の頃、デートと言えば映画かカラオケしかなかった。街を歩いてお洒落なカフェでケーキでも、なんて出来なかった。だってそもそも「歩く街」が無いんだもん。
また地方はどうしても車移動になる。車移動の何が悪いかって、基本的に目的地を定めてdoor to door で移動することだ。明確に目的地があってそこに向かって走る。その途中に何が有ろうが関係ない。家を出て10歩で車に乗り込み、店の前の駐車場に着いてすぐに店の中に入る。それ以外の世界は無い。
精々、巨大ショッピングモールに行ってその中を歩き回る程度である。とはいえどこのショッピングモールもそう変わり映えはしない。
東京であれば、例えば池袋・新宿・渋谷のようなターミナル駅に行ってとりあえず徒歩でぶらぶらしていれば色々なものが目に入ってくる。面白そうなお店を見つけて覗いてみたり、新しいお店が出来ていることに気がついたり、まぁ何にせよ何の目的もなくその駅にさえ行けばいくらでも遊べる。
もっと小さい駅でも良い。とにかく公共交通機関と徒歩で移動するというのが凄く重要で、車移動の地方とは得られる情報量が全く違う。触れられる文化の質も量も段違いだ。
東京の大学に進学した時、最初に感じたのが「東京生まれ東京育ち」との大きな差だった。
彼らとは18歳の時点での人生経験が100倍は違うと感じた。彼らは物事をよく知っていたし、遊ぶ場所も知っているし、色々なイベントを経験し、多様な文化も吸収していた。
田舎者だった私は凄く悔しくて、頑張って東京の文化を吸収しようとしてきた。一応15年以上も住んでみてある程度は東京に染まれたとは思う。
それでもこの経験をしてしまうと、東京を離れることが非常に怖いと思う。子供を育てるなら絶対に東京以外あり得ないと思うし、たとえどんなにお金が無くても何が何でも東京にしがみつくだけの価値はあると思っている。
こういうことを私は東京に来てから知ることになった。一応は子供の頃にも東京には何度も遊びには行った事があったのだがそれはあくまで観光だったので特別な場所を見ているのだと思っていたし、東京に住む人と交流することも無かったから気が付いていなかった。
だけど今はSNSがある。子供のころから東京に住む同世代の人たちの生活を垣間見ることが出来てしまう。そこには自分の地元と同じ時代の同じ国とは思えないような生活が広がっているのだ。
そんなもの知ってしまったら当然東京に行きたいと思うだろう。言葉も通じるしパスポートもいらない場所に、まるで異国のような未来都市があるのだ。
この現実を無視して地方からの人の流出を防げと言ったってまぁ無理でしょ。この格差は正直「差別」とかに近いレベルのものだと思う。生まれのせいで差別を受けていると言っても良いぐらい、地方と東京じゃ違う。
雑多に適当に書いてるので指摘があれば書いてね。
一昔前はアナログビデオカメラ等で撮っている形式でほとんどが裏ビデオみたいなのが流れていたと思う。
デジタルカメラによるPC経由でのデータの取り扱いができるようになり、盗撮系の販売サイトやエロ動画サイトにアップロードされるようになる。
スマホにカメラがつけられたら窃視症患者はみんな撮るよね?みたいな感じで撮られまくるしニュースにもなるし。
まぁでもちゃんとしてる(?)のはスマホ以外で撮ってると思う。
販売されてるころから「やらせ」という蔑称でモデルを用意してそれを撮るみたいなのも横行していたが、
最近はモデル起用以外の何物でもない公共交通機関の中でほぼ同人AV撮ってるような感じなのが多い
・電車内で座っているところを盗撮、こちらに気づいてわざと見せてくる
・階段等で盗撮しているところを相手から声掛け、なぜかわざと見せてくる
・痴漢モノだけど駅でモデル撮り→乗車まで撮ってから痴漢シーンはどう見ても電車内じゃない。よくわからないけどトイレまで連れ出してヤってる
・店員撮りみたいな感じだけど、ワンピースの下から余裕で撮れるしブラから乳首が見えてるし大陰唇もはみ出してる
・デカケツにケツが半分以上見えるようなスカートを履かせて街中を歩かせたり買い物シーンの盗撮
・デカパイがノーブラ乳首浮きとか谷間で乳輪くらい見せたりして街中を歩かせたりしてなぜかその女の部屋に入ってヤる
・モデルに対して「そこしゃがんで」みたいな指示すら撮影内容に入って聞こえてくる
正直どこでそういう女性を調達しているのかも不思議だし、モデルに金はらってリスクを取りたくないかというのも感じるし、世の窃視症患者はこんなんで満足してるんだろうかと疑問になる。
今年の春に全国転勤で数千キロのオーダーで北上しましてね、真冬の北国で暮らすという初めての体験をしちょります。
札幌や函館は旅行で何度か行きましたけど、こんな真冬ど真ん中ではなかったんですよね。
歩けば命が凍りつき、車道はまるでスケートリンク、バスや電車はそもそも走ってねえ。
いやほんま、なんで基本給20万円代前半で北は北海道・南は沖縄の転勤ぐらしをしてるんすかね俺は。
いやほんま北はマジで無理です。
南の夏はまだ何とかなった。
ゆうてヒートアイランド現象起こしてる都会と案外差はないですからね。
北の寒さはアカンて。
つうかね、道路凍ってて公共交通機関なしって、それもう出勤停止でよくないですか?
こんな非人道的で生産性のない日々を続けてたら人生が!壊れる!
でもね、貴重な体験が出来ましたよ。
本当に!マジで!辛いだけ!
ちょっと手当があってもタイヤ交換や暖房代で計算していったら結局最後は赤字ですからね。
年収5割増とかじゃないと嫌だねえ。
そりゃ逃げるよねえ。
同じ会社の知らん奴がパソコン広げてて、後ろから見るとちょっとやばい感じのデータをいじって見てるんだが、絞めるべき?
もう20年ほど前の年末、12月の29や30あたりだったろうか。
その時自分はまだ中学生かそのあたりで、妹も小学生くらいだったと思う。
父は普段から気分のムラが大きく、その日もそういう日で、冷蔵庫の残り物を床に叩きつけて怒鳴りつけていた。
個人的には面白かったのだが、笑ったら殴られるので家から逃げることにした(こんな感じで家にいられなくなって逃げることがたまにあったが、今は離れて暮らしている)。
私たちは寒い地方の田舎に住んでいた。山と田畑と住宅しかないような小さな市町村である。
徒歩で行ける距離にあるコンビニは1件しかない。年末の最高気温は0度を下回るし、積雪もかなりある地域だ。
ゆえに吹雪の中歩き回るのは得策では無いのだが、友達の家には自分の家族の問題で何度も避難させてもらっており、年末まで団欒をお邪魔する勇気は、どうしても自分には無かった。
祖父母の家は両親の職場より遠く、年末ゆえか吹雪ゆえかは忘れたが唯一の公共交通機関のバスは運行していなかった。誰も頼れないと思った。
今思うと、近所の小学校なんかに職員が居たなら路頭に迷った子供くらいなら受け入れてくれるだろうし、なんなら隣家だって頭を下げれば入れてくれるはずだと感じるのだが。
親父に殴られやしまいかとそればかり考えるガキ風情にそんな機転は無かった。
少し考えて、隣町のショッピングモールまで歩くことにした。小さいながら暖かく、フードコートで水も飲めて好きだったし、自転車で行ったこともある。
母の職場も近く、当時の自分には、もうそれしか方法がなかった。
通学バッグを持って、何を着たかは忘れたがとりあえず防寒して、自分と妹は歩いた。
今google mapで調べたが、およそ7kmの道のりである。途中に山があって、たかが7kmといっても子供には過酷だ。
前が見えないながらも携帯なしで目的地までたどり着くことが出来たのは、ひとえに田畑というのが周りが開けていて迷いにくい道だからだと思う。
風を遮るものも無いけど。
吹雪というものを体験したことがない人のために解説するが、まずかなりの勢いでクソデカい雪が目の中に入ってくる。スキー用のゴーグルでもしなければ目を開けていられない。
そして雪の1粒1粒がとても大きい。成人男性の中指の第1関節くらい大きな雪が、とめどなく顔や襟に侵入してくる。冷たいし不快だ。
ただでさえ視界が悪いのに、さらに雪が目にダイレクトアタックしてくる。
そこまで強くない風にも、雪という氷の粒が乗るだけで破壊力が増す。
積雪があるということは、道が悪いということでもある。
常に脛くらいまで積もった雪の中を足で掘ったり蹴散らして進むので、体力の消費が早い。
柔らかい雪を蹴散らしたとて、硬い地面も雪で覆われてゴツゴツ・ギュムギュムしており、大人になった今でも体力を持っていかれる。
その日は雪ばかり降って気温があまり低くなく、凍っていなかったのは幸いだった。
10代の体力があったのも助かった。
家から持ってきたか買ったかは忘れたが、途中でお菓子を食べた記憶があるのもよかったと思う。
積雪があるということは、道路脇に大きな雪の山が築かれる、ということでもある。
道路の除雪で溜まった大量の雪が、歩道と道路の間に大きな壁となる。
高さはおよそ2~3メートル。歩行者側に崩れてくることはほぼないが、沢山ある歩行者用信号のない道路を渡る時、致命的に邪魔であり、事故になりかねない。
視界が悪いなら当然だ。今思うと危なすぎる。
雪がマフラーにびっしりこびりつき、吐く息で水滴になって、外気温で凍ってパリパリになるのが気持ち悪くて嫌いだった。
歩いて汗をかいて全身蒸れているのに、休憩のために座り込んだらたちまち冷えた汗が体の末端からキンキンに冷えて、つま先や指の先から感覚が無くなってゆくのも嫌だった。
子供の頃からの吹雪への慣れや体力もあって当時は耐えることが出来たが、これが妹がもっと幼ければ死んでいたかもしれないな、と今は思う。「年末に子供が2人、吹雪の中行方不明になる」なんて、大人になった今は洒落にもならない話だ。子供ながらなんてことをしたのかと今になって反省しているが、当時を考えるとどうにもできなかったな、とも思う。
昼から歩き始め、猛吹雪を身体中に受けて、なんとか山を超えて、ショッピングモールに着く頃にはもう夕方だった。
入口端の公衆電話で、室内に入り体についた雪が解けてビシャビシャになりながら母の番号に電話をかけ、仕事終わりに拾ってもらい、家に帰る頃には真っ暗だった。
自分たちが家を出て吹雪の中歩いて避難したことについて両親から言及された記憶は無い。怒られた覚えも、謝られた覚えもない。
なんなら自分たちが何も言ったのかも覚えていない。
2013年に起きた、北海道・湧別町の暴風雪により遭難し命を落とした岡田さんと助かった娘さんのニュースを、この時期になると思い出す。
1月2月だったとしても酷い暴風雪に、きっともう大丈夫だろうと思った春先に襲われて、2人ともとても怖い思いをしただろう。
お父さんの冷たくなってゆく体を見ているしかなかった娘さんの気持ちを考えると、心が固く締め付けられる。
自分の命を捨ててまで娘を守ろうとするお父さんの決死の勇気に、今の自分は果たして新しい家族に同じことが出来るだろうか、と襟を正される思いだ(もちろん、自分だってできるだけ家族も両方生き残れるよう努力するが)。
そして、もしもっと自分が出来た子供なら、こんな風に命をかけて自分を守ってくれる存在がいたのかな、とも思う。
以上、あまり参考にならない体験談と自分語りだが、少なくとも幼い自分自身の頑張りを成仏させるため、ここに記しておく。
初めから畳む気無いじゃん
ベビーカーは電車バスで畳まなくていいって決まりにまだなっていなかったのでそりゃもうエグい叩き方をされていた。
そりゃ不可能だ、それは周囲に余計に迷惑をかける、子育て知らないからそう思うんだろうけど現実的じゃないって理不尽叩きまみれだった。
ネット民がまだ若くて独身で子育て経験ない人が多かった影響もあるだろう、匿名掲示板汚染などで、ネットではどれだけ性格悪く振る舞ってもいいって人が溢れてた影響もあるだろう。
でも今はああいう人達がネットで白い目で見られるし、公共交通機関ではベビーカーを畳む必要がありませんと一言で反論できる。
理不尽叩き界隈は少なくなった分先鋭化して盗撮してSNSサイトで晒したり悪質化してる感じはあるが、それでも叩き一色だった頃に比べればマシになって良かったと救われた気持ちになった。
特定を避けようとして嘘をついている訳ではなく、私は、本当に医師ではない。
これは、自意識過剰おばさんに対して、ある可能性を示唆することが狙いのポストである。
自意識過剰おばさんとは、「セクハラを警戒している素振りを、警戒されている相手にわざと露骨に見せることで、男性へ嫌がらせをするおばさん」のことだ。
"先日電車に乗った時の話。
席が空いていたので座ったら、その瞬間に隣に座っていたオバサンが立ち上がった。
んで、駅に降りたのかというと、そんなことはない。
ドアの近くで立っている。
どうやら、オレは警戒されたらしい。
何ちゅー失礼なババアだ、てめえのことなんざ誰も見てねーよ!と言いたいのは当然なのだが、
防犯の観点で考えると、オバサンの行動も間違ってはいないだろう。
警戒を怠ったばかりに強盗にでも遭ったら、オレは責任取れないし。
しかしムカつくのは、自身の身の安全の為にこの一連の行動を行っているのであればともかく、明らかに俺への当て付けで行なっているように思えることだ。
自身は女性である、故に男性を不信感を持って見ることが許され、スキあらばそれを常にアピールしたい、だって女ですもの!女ですもの!という明らかな悪意が感じられる、ということである。
そんなに自分に魅力があり、常に異性から狙われていると思いたいのであれば、勝手にそう思えばいい。
また未婚化・少子化・若者の恋愛離れが進む昨今、誰からも相手にされないけど女アピールしたいオバサンは急増していくものと思われる。
今後日本国内のあらゆる男性にとって、自意識過剰なオバサンへのスルースキルが必須となるのだろう。
義務教育でも教えればいいのにね"
私も見た目がチー牛なため、よくそういうおばさんにターゲットにされ、日常生活に支障をきたしている。
医師の収入が大幅にアップするのは、専門医を取得した30歳以降だ。
そのため、物価の高い都市部であれば、鉄道などの公共交通機関に乗らざるを得ない。
また、親ガチャに外れて、奨学金を借りざるを得なかった研修医の場合、尚更である。
また、国立医学部に奨学金で通う苦学生の場合、私大医学部に親の金で通う坊ちゃんと違い、公共交通機関で通わざるを得ない。
また、開業医の中にも、営利度外視で慈善的な治療をしている場合、公共交通機関を使わざるを得ない人もいる。
当然ながら、医師の受験科目にチー牛かどうかをチェックする面接などない。
そして、公共交通機関に乗って通勤中、白衣を着ている訳にもいかないため、一般人のチー牛にしか見えない医師だっているだろう。
自意識過剰おばさんは、自分たちが攻撃しているチー牛やオッサンの中に、そうした医師がいる可能性を考えたことがあるだろうか?
攻撃されるチー牛やオッサンが、コンタクトや美容院に行き、警戒されないように、見た目を改善すればいいと言う自意識過剰おばさんもいるかもしれない。
だが、手術で細かい所を正確に診ないといけない外科医や外科の後期研修医は、コンタクトをしにくい。
また、医師は診療科にもよるが、基本的に非常に忙しいため、通勤中だけコンタクトをして、病院で外すといった手間のかかることはしにくい。
その間に患者が死んでいたら、後悔してもしきれない。
そもそも、医師は激務で忙しいため、過労で充血した目でコンタクトなどしている余裕はない。
もし、公共交通機関で、自意識過剰おばさんに攻撃されている研修医が社会的抹殺のリスクを感じて、自衛のために自家用車を購入しようとして、
そのために、外科からすぐに高い給与が得られる美容に転科したら、日本の損害である。
一部では、自意識過剰おばさんから、チー牛やオッサンを守るため、男性専用車両の導入が試験的に始まっている。
都電で「男性専用車両」運行、「弱い男性を認めてほしい」「女性支援を否定しない」乗客の希望を乗せた40分間
私は、自意識過剰おばさんに悩まされるチー牛の一人として、公共交通機関への男性専用車両の大規模導入を早期に期待したい
繰り返しになるが、私は医師ではない
また、誤解を避けるために一応書いておくが、この投稿は、元々掲示板などに私が投稿していたものを、世間により広く訴えるために、より分かりやすく、まとめ直したものだ
近年、人工知能(AI)の急速な発展に伴い、「AIは人間に害をもたらすのではないか」「AIが社会を支配してしまうのではないか」といった不安や懸念が高まっている。しかし、単に「AIだから悪」という価値観を持つことは、技術の本質や社会が直面している課題を正しく捉えられなくなる大きな要因となり得る。技術が普及する過程では常に新たなリスクや倫理的問題が顕在化するものだが、それらを踏まえて社会全体で適切に向き合い、利点を活かしながら解決策を模索するのが本来の在り方である。「AIだから悪」とあらかじめ決めつけてしまうと、AIがもたらしうる肯定的な側面に目を向ける機会を失い、結果として人類にとっての有益な発展を阻害してしまう恐れがある。私たちは、単純な二項対立でAIを悪とみなすのではなく、より柔軟かつ批判的思考をもってAIと向き合い、その可能性を探求しながら慎重に導入を進める必要があるのではないだろうか。
そもそも「AIだから悪」という考え方が生まれる背景には、SF作品などでしばしば描かれる「AIによる人類支配」のようなシナリオが大きく影響しているだろう。AIが自我を持ち、制御不能な状態となって暴走するイメージは、多くの人にとってわかりやすい恐怖をかき立てる物語として浸透してきた。しかし実際には、現在主流となっているAIの多くは「機械学習」や「ディープラーニング」と呼ばれる手法をベースとしており、大量のデータから確率的にパターンを学習する仕組みにすぎない。人間のような自発的意志や欲望を持ち、自らの意図によって行動を決定するというよりは、与えられたデータとアルゴリズムに基づいて最適化を行うシステムである。もちろん、未来にはさらに高度なAIが開発される可能性があるが、それがすぐに「悪意を持つ存在」へと直結するわけではない。そもそも「悪意」は人間の感情や欲望に基づくものであり、機械がそのような感情を抱くには、また別の次元の技術的・哲学的課題が存在するのである。
次に、AIが社会にもたらすメリットを考えてみたい。例えば、医療分野では画像診断や病気の早期発見、創薬プロセスの効率化といった形でAIの活用が進んでいる。医療従事者が本来の診察や患者ケアにより集中できるようになるために、AIが持つ高速かつ正確なデータ処理能力が大いに役立っている。また、教育分野でも個々の生徒の学習進度や得意分野・苦手分野に合わせて最適な教材を提供する「アダプティブ・ラーニング」が注目されている。さらに、公共交通機関や都市インフラの管理、災害予測など、AIの活用によって安全性を高める取り組みも多数見られる。これらは一部の例にすぎないが、AIが適切に機能することで、人間が負担していた危険な作業や大量の事務処理を効率化し、創造的な活動や人間同士のコミュニケーションに割ける時間を増やす可能性がある。そして何より、そうしたAIの活用から生まれる恩恵をより多くの人に行き渡らせることが、社会全体の豊かさや福祉向上へつながるのは間違いないだろう。
しかし、AIを盲信するあまり、リスクを見逃してはいけないのも事実だ。たとえば、AIによる差別や偏見の助長が挙げられる。AIは過去のデータをもとに学習を行うため、もし学習データそのものが人種・性別・年齢などにおいて偏りを含んでいれば、そのバイアスを引き継いだまま判断を下してしまう恐れがある。また、AIによる監視システムの高度化は、プライバシーや人権に対する脅威となる可能性を孕んでいる。中国における社会信用システムが世界的に物議を醸しているように、AIの発達した監視社会が政治的弾圧や思想統制の手段として利用されるリスクは現実の課題である。こうしたリスクや懸念を踏まえても、なおかつ私たちはAIを「ただ悪だ」として葬り去るのではなく、問題を明確化し、より公正かつ倫理的なシステムとして実装していくための議論を深める必要がある。技術そのものが悪を生み出すのではなく、それを用いる人間の価値観やルール設計こそが、悪を増幅させるかどうかを左右する鍵となるからである。
さらに、AIの普及とともに懸念される「雇用の喪失」や「格差の拡大」にも目を向ける必要がある。単純作業や事務作業が自動化されれば、多くの職種がAIやロボットによって代替される可能性は高い。一方で、新しい産業や仕事が生まれることも事実だ。インターネットが普及した当初、IT系の新たな雇用が急激に増えていったように、AI時代にもAI開発者やデータサイエンティスト、AIを活用した新ビジネスを運営する起業家など、多様な新しい職業が創出される見込みがある。ただし、その恩恵を受け取れるかどうかは、教育やスキル習得の機会、あるいはインフラ環境の整備によって大きく左右されるだろう。格差を是正しつつ、人々がAI時代に適応できるようサポートするのは政府や企業、教育機関の大きな責務であり、社会全体で取り組む課題である。
このように、AIは確かに多くの可能性と同時に少なからぬリスクを内包している。しかし、それは他の科学技術でも同様であり、「自動車が登場すれば事故が増える」「インターネットが普及すればサイバー犯罪が増える」といった歴史的事例を振り返ってもわかるように、技術の進歩と社会問題は常に表裏一体の関係にある。そこで必要なのは、技術そのものを一方的に悪と断じて排除するのではなく、どのようにコントロールし、社会の利益につなげるかという視点だ。自動車が普及した際に交通ルールや免許制度、インフラ整備などが整っていったように、AIに関しても倫理的枠組みや規制の整備、そして国際的な協調や情報共有を行うことで、リスクを最小限に抑えながら技術の恩恵を享受する道筋が開かれるはずである。
AIによる影響は産業界や技術界だけでなく、社会全体に及ぶものであるからこそ、多角的な視点で議論を深めることが重要だ。企業が自社の利益のみを優先してAIを導入すれば、労働環境や消費者の権利を損なう危険があるし、逆に必要以上に規制を強化しすぎればイノベーションの阻害にもつながる。だからこそ、政府や学術機関、民間企業、NPO、さらには市民一人ひとりが、AIの可能性とリスクについて正しく理解し、建設的な対話を行う必要がある。メディアを通じて発信される情報に対しても、鵜呑みにするのではなく、どのような観点や利害関係が存在するのかを見極め、複数の情報源を比較検討するリテラシーが求められる。こうした取り組みを継続していくことで、AIと共生する社会の基盤を整備することが可能となるはずだ。
結局のところ、「AIだから悪」という先入観は、私たち自身が新しい技術に向き合う意志や理解を閉ざしてしまう偏見にほかならない。私たちがすべきことは、AIが実際に社会や生活にもたらす影響を多方面から検証し、倫理や法制度を整備しながら、より良い方向へと導いていくことだろう。技術そのものに善悪はなく、それを使う人間の意図や制度設計の巧拙こそが、結果の良し悪しを大きく左右する。AIの進歩を恐れて拒絶するのではなく、責任ある形で技術を運用し、人類の発展と福祉に活かしていくために、社会全体が協調しながら知恵を絞る必要があるのだ。「AIだから悪」という価値観を一掃することは、単にAIに対するネガティブなイメージを払拭するだけでなく、技術の可能性を最大限に引き出し、同時にリスクを丁寧に管理していくための第一歩なのである。
割とマジでそう思う 少なくとも大きめなファクターのひとつではあるんじゃないかな
車って移動手段としても大事だし、少人数(4-5人)のコミュニティの仲を深める道具として最適なのよ 公共交通機関と違って、本来何も出来ない移動時間を気楽でクローズドなコミュニケーションの場に変換できるから
だから車を諦めると、行動範囲が狭まるのはもちろん、友達付き合いの幅も狭まって結婚が遠くなる
さらにしんどいことに地方は車の維持コストのせいで居住費の安さが相殺されている
だったら都会のほうが収入も上がるし、ということで東京一極集中が加速する
ほんで都会の家は高いし狭いしで、結婚して繁殖する気がどんどん削がれるスパイラル
って考えると、若者が車を簡単に維持できるような社会を崩壊させちゃいけなかったのかもなと思う EVは全然高いし信頼性低いし化石燃料はクソ高いし環境破壊するしもう手遅れ感あるけど
というわけで、車の税金安くしたり、購入に補助金だしたり、安価な駐車場を首都圏郊外に整備するのが、割と結婚促進や少子化対策になったりするんじゃないかなと思う
とりあえず婚活イベントだの官製マチアプだのに行政がカスみたいな金だすんじゃなくて、とりやすいからと車にかけてた税金を徹底的に安くするべき 二重課税とかもってのほか
でもこういうこと言うと反感買いそうだな はてなーって自動車アレルギー多いというか、鈍臭くて運転苦手で車維持する金ないだけのくせに車を「あえて持たない」ということにして精神勝利してる人多いから
地方で女子大を出て、東京で就職しようとしたが上手く行かず周囲のアドバイスへ従って「取り敢えず派遣」にした
当時のTVや出版、そしてインターネットなどのメディアは田舎は保守的で都会にこそ自由があるのだと喧伝していた
確かにそうなのかも知れない。でも当時は誰も地方の製造メーカーには独身寮があって年額で60万円もの実質収入が多いだなんて誰も教えてくれなかったし、私が見ている範囲のインターネットには何処にも書いていなかった
自動車メーカーの工場で働いていた女性のエントリーを読んで私は初めて知ったんだ。10年前にそれを知りたかった
当時と言うけれども、今でも私が見ているインターネットでは地方に働き口はない、セクハラパワハラだらけだし、子育ても公立校しかなくて環境が悪いという話をかなりの頻度で目にする
皆さんが推察しているようにトヨタだからか?そんなわけなかった
求人サイトで金属加工をしているというメーカーの期間工の募集内容を見ると年収で今の私を超えており、独身寮のほか既婚者向けの社宅があり、女性の正社員登用多数なんて書いてある
当時の私が悪いんだ。メディアやインターネットに書かれている情報をそのまま鵜呑みにして東京の企業しか調べたことがなかった
私は未だに派遣だ、10年間派遣だ。転職上手く行かなくてずっと派遣だ
持ち家なんてないし、公共交通機関があるので必要はないのだけれど車も持ってないし、結婚もしてないし、ましてやピアノなんて買えないし演奏する教養もない
私にあるのは食べることが趣味なので無駄に付いた贅肉だけだ。きっとあの増田は工場で働いてたから痩せてるんだろうな
ねぇ?なんで嘘ついたの?なんで誰も教えてくれなかったの?
子供3人で年収1200万円しかなかったら、その水準で3人育てればいいだけだし、年収600万円だったらそれなりの水準で3人育てればいいだけって話じゃないの?
引き合いにだす図で、特別児童扶養手当とか障害児手当とかを出して、「所得制限があってズルい」っていうけど、世帯年収1200万の家に障害児とかいないよ。
特別児童扶養手当とか障害児手当って、けっこう障害が重くて、育てようと思ったら世帯主は定時あがりで配偶者は専業主婦(主夫)だよ。
仕事辞めて無職になれば、住民税非課税だし都営住宅に入ればいいだろ。
育てれられない?
お前らが羨ましがっていた所得制限がある給付金もらえるからいいじゃないか。
特別児童扶養手当の3.5万円、障害児手当の1.5万円、児童手当の1万円、018サポートの0.5万円で、障害児3人も育てれば月額に19.5万円だろ?
市町村からも独自の制度でなんらか補助金が出るだろうし、NHKが安くなるとか水道代が安くなるとか公共交通機関が安くなるとか含めれば、月額25万くらいの所得になるわさ。
それで暮らせばいいだろ。
塾にも通わせられない?