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はてなキーワード: 枕詞とは

2025-02-13

女叩きは金になる

1.まず青バッジを付ける

2. ChatGPTで「露悪的かつ過激に」あるいは「ユーモラスに」という枕詞を置いて、「女性批判揶揄することを目的としたツイートを生成して」と指示を出し、生成したツイートをひたすら呟く

(「申し訳ありませんが、ご要望には対応できません。」と返されることも多いがめげてはいけない)

3. ChatGPTに他人ツイートを喰わせ、最新の時事問題について日々言及し、RTフォロワーを稼ぐ

4.ChatGPTで生成した文章noteで売る

これだけで月数万は稼げる

実際にやってた俺が言うんだから間違いない

なんなら一部の情報商材界隈で推奨されている

(ちょっと前は嫌韓の方が推奨されていた)

以下、その理由説明する

独身

まず、こいつらは基本的独身可処分所得だけは有り余っている。

嫌韓が推奨されなくなった理由は、嫌韓に走る層は保守的で、何だかんだで妻子持ちが多く、

使える金が限られていることが分かってきたか

知的障害発達障害

アスペで興味の対象限定されている。あるいはアスペ常同行動が多い。

そのため娯楽やエンタメとの適切な付き合い方を学ぶ機会を幼い頃から得られず、趣味に使う金の配分が異常

あと自制心がない

から女叩きに時間と金無限に使う

推し活や風俗やコンカフェで訳分からん金の使い方する層とメカニズムは似ている。

金銭感覚ヤバい

こいつらはとにかく生活が雑。生活の質を高めよう、快適な生活を送ろうという発想がない

下手するとセルフネグレクト状態

食事外食コンビニ飯が多い。サブスクに何円使ってるのか把握していない。

野菜が値上がりした」「自炊すると⚪︎円浮く」みたいな概念がない。適切な金銭感覚を構築できていない。

そのためガンガン金を使ってくれる

反社会的な傾向

これも嫌韓が推奨されなくなった理由と重なる

嫌韓に走る層は方向性問題はあれど日本を愛しているため、共同体を維持・進歩させようという意思はある。

その点、女叩きをする層は共同体という概念のもの憎悪を抱いている

社会に適合するために反省改善を行う、ということができず、怨恨絶望に耽溺して社会に背を向けている

そのため自分を慰撫する言説のためにいくらでも金を払ってくれる。

・性欲

どれだけ言い訳したところで憎悪の正体はただの性欲と執着なので、

本能的かつ根源的な欲求に駆られて金と時間を際限なく注ぎ込んでくれる。

時間の使い方

単純にネットを見ている時間は男の方が長い。

あと女は家事やら仕事やら趣味やらそれなりに生産性のあることに励むが、男は無意味机上の空論に延々と時間を費やす

とまあこんな感じの理由

最近同業者も増えて競争率は高まっているが、男の底辺マジで量も質もキリがなくて顧客には不足しないため、小遣い稼ぎの在宅ワークとしてはおすすめ

2025-02-10

anond:20250210191353

その手の枕詞事実と異なっていてもいいんだよ

お疲れ様って別に疲れてないときだって言うし言われるでしょ

2025-02-05

anond:20250205093609

自分で言うのもあれだが」というのは、一般自画自賛(ここでは自分ユニークだと言う事)に対して反発を抑えるための謙遜社交辞令しかない。

自画自賛することに対する予防線から増田だろうが他だろうがこの枕詞を使う事には変わらない。

従ってこの予防線別に増田で名出しすることに対する罪悪感を象徴するものではない。

また、あなたが言うことが変わらないのと同様、あなたに言われたからといって私がやることが変えるつもりはない。

私は今日あったことを投稿したら日記を書くなと茶化されたことがあった。

それに「はてな匿名"ダイアリー"なのだが?」と返したら「お前は化粧室で化粧をするのか?」と返された。

この相手の主張はあなたとは全く方向性真逆だ。

あなた名前等がコンセプトを表していて、それに従えと主張するが、それと正反対の人もいる

ルールはなく、サンクションも効力が弱い。

と言っている増田がいるが、その通りだろう。

あなた意見理解したが、過去には真逆意見も聞いてきたし、両方の意見理解はするが、だからこそこの件について一つの真理があるとは思えないので、従う気は無い。

あなたが主張する権利は最大限擁護するので、私等のやることに文句を言い続けるのはどうぞご自由に。

dorawiiより

2025-02-02

理系だけど日本古典文学を割と読んだから語る④

【前】anond:20250202175752

11:好色一代男 島田雅彦 訳[新訳] 雨月物語 円城塔 訳[新訳] 通言総籬 いとうせいこう 訳[新訳] 春色梅児誉美 島本理生 訳[新訳]

この中では雨月物語しか読めていない。確か角川ソフィア文庫で読んでいる。

村上春樹海辺のカフカ」で言及されていたので興味を持った。物語集として面白いのだが、序文紫式部を持ってくる自意識の強さが良い。あと、僕はそもそも怪奇物語が好きだ。好きなのは凄惨なスプラッタお化け屋敷的なジャンプケアではない。何か人知を超えた存在がいるという驚きや恐れなのだ

これは僕の感傷マゾとつながっているのだろうが、言い出せない妄念を抱えた死者というモチーフが好きだし、神話物語に通じる奇譚が好きで、だから仏教説話説教臭い割に好きだ。

ところで、東京創元社編纂したSF短篇集「時を歩く」にピンとくる言葉があった。空木春宵によれば、幽霊とは虐げられた人々の象徴で、だから怖いというよりも親しみを感じるそうだ。その言葉にはたと膝を打った。だから僕もお化け妖怪が好きなのだ。異様な姿をしていて、理解できるのかできないのかわからない、その「他者」っぽさが面白いんだ。モンスターが深い知性を持っているという設定、大好き。

ちなみに、小林泰三「酔歩する男」の元ネタ菟原処女伝説が、「浅茅が宿」でも触れられている。これを書いていたら小林泰三をまた読みたくなってきた。

菊花の約」は小泉八雲が「怪談」で翻案している。小泉八雲も上と同じ理由で好きだ。一度彼が翻案する前の原典を読んでみたい。僕は箱庭的世界というモチーフが好きなので「安芸之助の夢」が特に大好きだ。

ところで小泉八雲朝ドラをやるそうだ。大好きな作家だが、きっと観ないんだろうな。僕がテレビを見る習慣をなくしたのは、一つはイケメンの歯の浮くようなセリフを聞きたくないかなのだが、もう一つは小説家を目指すために、帰宅してから寝るまでの時間をずっと執筆にあてていたかなのだ。あと、ドラマを見ていると本編を放っておいて、史実ではどうなっていたかを調べる悪癖もある。

というわけで、残りの物語もそのうち読む予定。

12:松尾芭蕉 おくのほそ道 松浦寿輝 選・訳[新訳]与謝蕪村 辻原登 選[新釈] 小林一茶 長谷川櫂 選[新釈] とくとく歌仙 丸谷才一 他

これも「おくのほそ道」しか読んでいない。たしかビギナーズクラシックスだ。人々と交流しながら俳句を作っているのが楽しそうだけれど、地元に句会の記録が実は山ほど残っていたりしないんだろうか。

そういえば句会に通う友人にそそのかされて試みに俳句作ってみたけれど、短歌と比べて情報量が圧倒的に凝縮されている。言葉選びが極めて厳密で、密度が高い。短歌は十四文字だけの余裕があるがあるから、聞いていてもゆとりがある気がする。僕は散文の文学の良さは情報圧縮困難性、言い換えるならばどういう話かあらすじを短くまとめると魅力が失われる度合いが高いものを高く買っている。逆に、詩文はどこまで世界圧縮できるかだ。しかしながら、短歌枕詞で五文字も使う。なぜこんな効率の悪いことをしているのかは不思議だ。

短歌与謝野晶子俵万智穂村弘あたりを読み、俳句は他に高浜虚子あたりを読んだ。

俳句じゃなくて短歌だが、与謝野晶子熱量がすごくて読むのにえらく時間がかかった。また、穂村弘は生々しい男の生理表現されていて何となく好ましく思う。しかしそれを荒っぽくぶつけているようできっちりと計算して表現している。形式があらかじめ用意されているからこそか。「台風の来るを喜ぶ不精髭小便のみが色濃く熱し」「男の子はまるで違うねおしっこの湯気の匂いも叫ぶ寝言も」「泳ぎながら小便たれるこの俺についてくるなよ星もおまえも」。僕は意外と暴力的ものが好きらしい。

俳句は数が多く、未読が多く、次々に新しいのが生まれており、追いつけない。ここに載せられた作品もいつかは読みたいが、記憶に残らないこともあるだろう。しかし、すべてを記憶しておかないと不安だというのも強迫観念に過ぎない。読んだその場で一期一会幸せを覚えれば、それでいいのかも。ちなみに、俳句が作者の目の前で論評されるバラエティは、かつて通った小説創作講座を思い出して胸が苦しくなるから、見ていない。あれ残酷だよね。

こうしてみればわかると思うが、平安時代文学と比べると、まだまだ読めていないのが江戸時代作品だ。開き直って現代語訳でどしどし読みたい。

古典は急がない。いつまでも待ってくれている。世間流行っている作品とか必読書とかそんなのとは無縁だ。千年前の作品を読むのが一年や二年遅れたところで、どうということはない。

ところで脱線するけれど、いま生きている人を推せる人って偉いと思う。だって、いつスキャンダル裏切られるかわからいからだ。それこそ明治文豪クズだったとかいう話はよく聞くけれど、今となっては本人を含めて関係者がみんな死んでるので、多少は冷静でいられる。新たに醜聞が掘り起こされても「昔の人だからね」とどこか冷静になれる。今の人だとこうは行かない(以下、きちんと謝罪をしなかったためその態度に非常に腹が立ってファンをやめた人や、音痴イケメン歌手実例を事細かに挙げるつもりだったが、見苦しいので削除した)。他にも存命人物だと、事件を起こす前のオウム真理教面白がってた著名人や、古本屋で見つけたロリコン写真集に「これぞ芸術」と推薦文を寄せていた文化人に「逃げるなァァァ」と言いたくなることがある。

やっぱり推しは死んでいる人に限る。どんな差別発言をしていても過去の人間だから納得できてしまう。そんなことを頭の片隅に置いてネットサーフィンをしていたら、芥川龍之介が「侏儒の言葉」で似たようなことを言っているのを見つけた(正確には、悲観主義について調べており、そこから哲学者フィリップマインレンダーを見つけ、そこから偶然にも「侏儒の言葉」の言葉にたどり着いた)。

   古典

 古典の作者の幸福なる所以兎に角彼等の死んでいることである

   又

 我我の――或は諸君幸福なる所以兎に角彼等の死んでいることである

侏儒の言葉」は好きなんだけど、読んでいると段々と彼の鬱に巻き込まれていく。いつか芥川全集をぶっ通しで読みたいが、晩年作品を読むと真実を言い当てすぎていて心底気分が悪くなってくる。二十代の頃のようにシニシズムを楽しむだけの体力がもはやない。ネヴァーモア! 昔はアンブローズ・ビアス悪魔の辞典」とか大好きだったんだけどな。

とはいえ、数百年前の古典を無批判に読んでいると、人間身分上下があることやとりあえず天皇家が偉いことが自明に思えてくるし、人命がアホみたいに軽いことに感覚がマヒしてくるので、これもまたよろしくない。

こういうことを考えている時は大抵は体調不良ときなので、筋トレなりストレッチをしたりするのがいいのである。僕らは結局肉体を備えた存在で、そこから入力がどんな言葉よりも助けになることが多い。というか、言葉自家中毒を起こすことはよくあるのだ。ペッペデス。頭が良すぎて不幸になった人間物語は好きだが、芥川には生きて戦後を見てほしかった。

さて、池澤夏樹全集では、これ以降の巻では明治作品が扱われる。しかし、ここまで書いてきてかなり長くなってしまった。ひとまず、江戸時代までで一区切りとし、近代作品はまた別の機会としたい。おそらく本気になって書いたら、作家ごとに思い入れのある作品は多く、言いたいことはたくさんあるので、もっと長いエントリになることだろう。近現代作家集に至ってはIからIIIまであり、合わせて何十人もの作家が紹介されている。倍近くになるだろう。

ただし、その機会がいつ訪れるかはわからない。先にドストエフスキー中島敦ポーラブクラフトについて書くかもしれない。あるいは、文学にかこつけた自分語りが一段落したので、これで終わりにすることも大いにありうる。

なお、次のエントリでは、有名どころだが話の流れから言及できなかった作品について述べる。

INTERMISSION④

さっきは何が苦手かについて書いてしまったので、逆に何が好きかについても少しは語ろう。芥川賞をはじめとした現代文学を読んでいて、どういう作品自分に刺さるかを整理すると、知識豊富な語り手の小説が一番好きで、その次が自分の巨大な感情論理的言語化するのがうまい人が語り手であるものだ。それから、無軌道な性欲や暴力衝動、ひがみなどの負の感情を抑えきれない人間が出てくるのが続く。自分中高生の頃、そうしたダークな受賞作が連続していたと記憶している。田中慎弥共喰い」とか、時代は下るが西村賢太苦役列車」とか、砂川文次「ブラックボックス」とか、自分暴力衝動に屈する人間を描いたのが好きだ。青来有一「聖水」とかもそうだ。世間からはみ出してしまった、汚らしい人間が好きだった時期がある。おそらく「悪とは?」が内なるテーマだったんだろう。

芥川賞は一つの賞でしかなく、世間的には評判が良くてもピンこと来ない作品はどうしてもある。若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」は最初から自分の中の無意識の声たちについて説明しすぎていて、「それだったら最初から意識の流れとか無意識って言えよ」って思ってしまって、それ以来ずっと批判的にしか読めなかった。あれは高齢者向けの一人で生きることを学ぶ教養小説なんだよな。あと、又吉直樹作品結構な頻度で、的外れ批判をしてくる劇団員女性が出てくるけれど、「お前、本当は社会的作品批評が嫌いだろ?」っておちょくってやりたくなる。村田沙耶香コンビニ人間」については前回のエントリ名前を伏せてチクリとやってしまった(最後まで読んでいないくせに!)。

理想を言えば性別だとか人種だとか国籍だとか年齢だとか思想だとか、そういうのを抜きにして作品評価したいんだけれど、ある程度年齢を重ねてくると、十代の頃のように素直にストーリーを受け止められず、若いころのように思考の柔軟性がなくなり、労働で疲れていては異質なものを楽しむゆとりが減る。どうしても自分属性性格が近い人の文章面白く感じるので、公平に評価するためにマイノリティ枠を設けるってのは、いくつかの問題点があるとはいえ、一つの知恵だと思う。なお、文学的に優れていることと、そのとき自分に刺さって面白いのと、今の社会必要としているのとは、まったく違うので、話題小説がいつも面白いわけにはいかないのはしょうがないのだろう。

脱線すると、芥川賞を取ってもその後書き続けられた作家のほうが面白い。というか、受賞作がつまらなくてもその後面白くなる作家も多い。しかし、逆に芥川賞を取る前の青臭い作品しかない魅力もある。長編を連載するだけの構成力も体力もないデビューしたての漫画家の初期短編からしか得られない栄養素があるのと同じだ。

なお、僕は大体漫画を買うとき短編が多い。「Fellows!」「ハルタ」「エロティクス・エフ」「楽園」「アフタヌーン出身漫画あたりから、絵が好みなのを選んでいるようだ。

というか、みんなあれだけ長編少年漫画を読むだけの体力があってすごい。ただし、僕がなかなか長編漫画が読めないのは、活字のようにぶっ通しで一気に読もうとしているからという可能性がある。連載を追うペースで、ゆっくりと読めばいいはずだ。

なんでこんなことを言うのかというと、僕は同世代経験相対的に乏しいためだ。例えばゲームが下手すぎて、ドラクエファイナルファンタジーなどの多くの作品プレイできていない。ポケモンでさえ途中で飽きる人間なのだ自分が好きなペースで刺さった作品を読んでいるだけなのだが、時折どうしても疎外感を覚える。若いころにもっと流行りのJ-POP聞いてりゃよかったよ。そりゃあ人は人、自分は自分だけれど、寂しい。

とはいえ少年漫画の多くは恋愛が扱われるので、そこまで読みたい気分でもないのである

こういうことを書くと「課題の分離」とかいう話になりそうだけど、個人的にはアドラー心理学はそこまで信用していない。さっき書いた「課題の分離」をはじめとした有益概念は多いし、原因を探るよりもまず対処法を考えるのは、実生活で非常に役に立つ。というか、実際に役に立った。だが、「嫌われる勇気」をはじめとした本ではいいことを言っている一方で、「私に反論するとしたら、それは私の理論理解していないからだ」という、反証可能性を潰すような自己完結した思考をしているのがいただけない。これは初期のフロイト派の「私に反論するとしたら、それは私に父親見出しいるからだ」とか、古い時代フェミニストの「私に反論するとしたら、あなた女性差別を乗り越えられていないからだ」とか、それらと同様の理屈だ。なにか自己完結した、人の話を聞かない嫌らしさを感じる。

自己完結と言えば、たとえば何人かの反出生主義者が(もちろん別の哲学的立場でもいい、実例は見たことがある)、予期される反論に対してすべて想定問答を作ってガチガチ自己防衛をしているのを見ると、圧倒的な壁のような「他者」を感じる。この人と議論しても、自分相手も何も変わらないだろうなという、諦念を感じることがある。互いに変化をもたらす「対話」にならないのだ。

意識の高い人たちが叩かれるのはこれも理由かもしれない。会話をしても意見を変えてくれないだろうと感じるのだ。一方的議論をしたいのなら活字でいい。僕は対話がしたいのだ。

2025-01-22

anond:20250122095330

「俺は男だけど」でもう馬脚あらわしてるんだよ。

Xでは常識枕詞

2025-01-19

女の「No」は「Yes」みたいなやつ

ペットボトル捨てに行こうか?」

たとえば資源ごみの日に妻に聞くとする。

すると一発目は「まだいい」と答えてくれるのだが

しばらくたって「ほい」といってペットボトルが入った袋を渡してくる。

ここで「あれ、さっきいいって言ったよね」なんて反応しようものなら

途端にピーピーギャーギャー雲雀の子が始まってしまうので

小声で「あるんかい」と自分を納得させるようにツッコミを入れるのが

俺のできる精一杯の抵抗だ。

あるいはキッチン三角コーナーに

山盛りになったフルーツの残骸や卵の殻(水が溜まってる)などを見つけ

「これ、誰がやったの」なんて聞こうものなら

「片付けてから言ってよ!」と癇癪玉みたいな反応が返ってくる。

勿論俺がこれを見て黙って片付けるられるような"できる夫"なら

最初からこんなことを言わないのかもしれないが

こちらとしては今後の三角コーナーの運用について

たとえば「山盛りになる前に一度捨てる」とか「卵のからは粉砕してから捨てる」とか

共通認識をもったほうがいいんじゃない?という提案でもしようかと

軽い感じで聞いたにもかかわらず

初っ端からまるで自分が責められているような反応しかできないやつって居るよねえ。

まあ、そんなわがままお姫様みたいなところが好きなんだが。


追記

釣り認定とか問題外だぞ。

お前らこそ何が楽しくてコメントしてんの?

ただー。「これ誰がやったの?」はたしかに嫌味な言い方だったかもしれん。

これは昔、死んだ親父によく言われてムカついてたことを思い出したわ。

反面教師どころか、同じような言い方をするようになっちまってたんだなあとちと反省

女の云々は"昔から嫌よ嫌よも好きよのうちなどと申します"みたいな枕詞みたいなもんで

とくに意味はないよ。そう過剰反応すんなって。

お察しの通り最後の一行が言いたかっただけです。

共感してくれたひとたちありがとう

2024-12-14

anond:20241214163551

本件記事には、「創作でなければ」という枕詞を使う場合、その使う人は、創作は駄目と考えているのだ……との主張が含まれる。

「駄目」にはいろいろな意味があるが、ここでは、社会悪(だ) くらいの意味だろうから、その前提で進める。

残念ながら、この主張は成り立っていない。日本語文の読み方のレベルがかなり低いか、あるいは妄想によるものだと思う。

はてな創作に対するアレルギーってちょっと受け付けない

何に対しても「創作でなければ」という枕詞を使う人が非常に多い

特に増田みたいな所に創作か否かをやたら持ち込むのはマジで意味が分からない

創作か否かで評価をする理由は何?

なぜ創作は駄目と最初から考えているのか

例えば、洗濯乾燥機と縦型洗濯機の話で、あり得ない誤情報を流したり居もしない人の体験談捏造するのは良くないが、そういうのは無視すればいいことだ

その話で誰も損をしてないし、嘘を付くことが何か規約ルール違反するわけでもない

例えば特別学級にいたという増田の話なんて創作でも体験談でも何でも良いじゃないか

俺が思うに単に嘘つきが嫌いという非常に幼稚な感情と、ブクマしたものデタラメ場合への予防策なんだろうなって感じる

実際のところどう思っているの?

追記

コメント読んだが、そもそも無視すればいいのにワザと絡むでいるのが凄く意味がわからない

別に真実のように書いてある嘘なんてどこにでもあるんだし

君らがやってるのはなんちゃって自警団じゃないか

田舎のクソジジイやクソババアみたいだ

下手な言い訳しないで、自分と違う考えの人間の粗探しをして集団イジメて楽しむための予防線、くらいに素直になろうよ

気持ち悪いんだよな

2024-12-02

anond:20241202224012

単純に聞きたいんだけど、弱者男性って、自虐なの?自慢なの?それを枕詞に煽られて顔真っ赤にする女も、割と安い思考だと思ってるからさぁ…

anond:20241202222850

この枕詞に「弱者男性だが」つけてる人検索するとここ数日でめちゃくちゃ書き込み出てくるの増田ホラーよな 反復行動にも程がある

2024-11-26

田中東子先生は悪くないしダブスタでもない

『宇崎ちゃん』や『たわわ』が問題である点は2つある。

論点1.女性性的に客体化した表現により、女性性的な部分ばかり評価される風潮を拡大再生したこと

今でもジェンダーギャップ120位前後をうろうろしている日本では、女性性的な部分ばかり評価されるようになっている。街には美女美少女2次元3次元を問わない)を起用した広告が溢れ、スポーツ選手会社経営者などでもすぐに『美人選手社長』のような枕詞がつけられる。結局、女性のすることは業績ではなく『やっている女性性的魅力があるか、無いか』ばかり評価されているのは明らかだ。そのような社会において巨乳美少女を描いた宇崎ちゃんやたわわのようなマンガはそのような『女性性的魅力があるか無いかばかりが問われる』社会の風潮を拡大再生産しているから良くないのである

論点2.公共機関とのコラボや、公共性の高い一般紙への広告により、性的コンテンツを見たくない人の権利侵害したこと

そのような『女性性的魅力があるか無いかばかりが問われる』社会を拡大再生産しないようなコンテンツならばエロであっても流通すること自体問題ない。だが、世の中には性的な物を嫌がる人がいて、そのような人にも配慮しなければならない。だから、『書店で専用エリアで見た人が不快になる』のは書店のそのようなエリアに来た人の問題だ。だが、赤十字のような公共機関コラボしたり、日経のような一般紙広告を出すのは良くない。それをすると、性的な物を嫌がる人の目にも届いてしまい、相手を不必要不快にするからだ。

翻って田中東子先生のしたことを見てみよう

論点1について】

田中東子先生BL本を書いて販売した。だが、そのことに何の問題があるというのか。現在日本には『男性性的魅力ばかりが評価される』ような社会の誤った風潮は無い。だから田中先生BL本がそのような風潮を拡大再生産することも無いから何の問題もない。

論点2について】

私は『BLは愛であって性欲目的ではない』のように主張するつもりはない。BL本も普通に性的コンテンツである。だが、田中東子先生BL本は公共機関コラボしたり一般紙広告を出したりはしていない。だから性的コンテンツを見たくない人の権利侵害していない。

2024-11-20

シロクマ先生記事の書き方は、齋藤知事パワハラと同じである

インテリ層の良くない部分が出ているので、あえて名指しで批判する。

シロクマ先生の書き方は良くないです。今すぐに謝罪して記載を改めるべきです。どんな人間馬鹿にされたことは敏感に感じ取ります

もしも本当に、心の底から馬鹿にするつもりも嘲るつもりも無かったのであれば、全ての比喩表現を直接的な表現に改めて、その上でどのように受け取られる可能性があるか考えてみてください。

シロクマ先生の以下の記事は、齋藤知事パワハラと全く同じです。

追記

皮肉が良くないと受け取られてしまったため、本記事趣旨追記します。

まとめると、「選挙民を馬鹿にし、自己批判は無く、現状を嘆き、陰謀論で締める」のは、インテリ層の振る舞いとして最悪なので即刻止めるべき、です。

シロクマ先生記事が、善意から皮肉と言う形で選挙民に気づきを促すという趣旨で書かれていたとしても、それは理路として齋藤知事パワハラと同じ構造を持つ、

"良い民意"を持つシロクマ先生が、"悪い民意"を持ってしまった相手を変えてあげようという意図をもって記事を書いたのであれば、その手法は、パワハラ正当化する構造と同じですよ、という指摘です。(そんな意図ではない、そういう文脈ではない、よく読めばわかるはずだという反論をされないために、具体的に個別例を挙げています

皮肉からは悪意を感じ取るのが通常の感性ですし、悪意を感じ取った相手嫌悪感を覚えることはあっても好意を持つことはありません。その結果、より立花氏に優位になる記事になっていますよ、という意味です。こういう記事表現の積み重ねが、立花氏の活動を補助しています

皮肉とは、「悪意ある民意との記載にそうだそうだと同調するキミら(私も含む)は、動画コメントした彼ら彼女らよりも選挙に至るプロセス理解していただろうか?」という、自己批判もしくは悪い感情を持っているぞと伝えたい相手(例えば齋藤兵庫県知事)にするべきです。

追記ここまで。

シロクマ先生記事のうち、記載を改めるべき箇所

インターネット民主主義が加速して良かったですね

ビバ! デモクラシー

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20241119/1732024800

斎藤氏はパワハラ疑惑を巡る認識を問われると、「よい県政をしていきたいという中で業務上指導や注意を厳しくしたことはあった。これがハラスメントに当たるかは第三者委員会などで審議されることになる」と語った。

https://mainichi.jp/articles/20241119/k00/00m/010/159000c

小学生を含めて(個人的感覚では、不満を表明できるのは小学三年生前後)、悪意には非常に敏感です。どのような言葉遣いであっても馬鹿にされたかどうかは瞬時に理解します。

インターネット民主主義が加速して良かったですね」という「良かったですね」という物言いは、対象を嘲る言い方です。自覚が無いのであれば今すぐに改めるべきです。

以下、具体的に指摘します。

民主主義が三度の飯より好きな人には、ともあれ好ましい選挙だったのではないだろうか。

「今回の選挙は、民主主義を正しく反映したと言えるのではないだろうか」という書き方ではいけなかったでしょうか。

なぜ、「民主主義が三度の飯より好きな人には」と、民主主義を好ましいと思う人を「三度の飯より好きな人"には"」という表現にして限定しまたか

今回の選挙結果を、揶揄する意図が無いのであれば即刻改めるべき表現です。

他の支持者との一体感体験やすい仕組みのおかげで、「いいね」や「シェア」ぐらいでも推し活気分や選挙活動気分を味わえたりする。

自分は、いいねシェアボタンを押す行為は、選挙活動とは言えないと思う」と書き方ではいけなかったでしょうか?

なぜ、「推し活気分や選挙活動気分を味わえたり」という、自身で「参入する敷居がものすごく低い」と書いているにもかかわらず、「気分」や「味わえる」という表現しまたか

他人選挙についての関わり方を見下すつもりが無いのであれば即刻改めるべき表現です。

SNS動画にじかにコメントする、という方法もある。なにもコメントが秀逸である必要はない。凡庸コメントでも、論理的破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない。支持する人への応援コメントでも、敵対者への批判非難コメントでも、数多く集まりさえすれば強力なコメントたり得る。どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ。誰が言ったかや何を言ったかだけでなく、何人が言ったか重要であることを、いまどきのネットユーザーが知らないわけがない。

「どんなコメントであっても、200も300も連なれば有意味になってしまう。論理的破綻したコメントでも、事実関係の怪しいコメントでも、いまどきのネットユーザーにとっては、何人が言ったか重要になってしまう。私はそれを好ましいとは思わない」と言う書き方ではいけませんか?

どのようなコメントであっても数が連なれば有意味になることが好ましくない、もしくは危険だと思うのであれば、そう表現すべきではありませんか?

なぜ、「事実関係の怪しいコメントでも、別に構わない」と許容したのにもかかわらず、「どんなにしょうもないコメントでも、200も300も連なれば有意味だ」として、自分と同じコメントをする人が200や300ある人たちを「しょうもない」と馬鹿にしたのですか?

他人コメントの書き方を馬鹿にする意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。

それらは従来型のマスメディア機能した帰結でなく、双方向メディアとしてのインターネットが普及し、猛威をふるった結果として起こった。だからインターネットテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとしてはびこるようになった、と表現すべきだったと思う。

「それらは従来型のマスメディア機能した帰結では無く、双方向メディアとしてのインターネット機能した結果として起こった。だからインターネットテレビになったというのは不十分な表現で、テレビを超えた、いや、テレビ以外の何かとなった」という書き方ではいけませんか?

もしくは「双方向メディアとしてのインターネットは、従来型のマスメディア機能とは異なり、より積極的他人干渉するようになった」というような書き方ではいけませんか?

従来型のマスメディアを超えることによるなにがしか危機感を覚える、好ましく思えないのであれば、それを直接表現すべきではありませんか?

「猛威をふるった」や「はびこるようになった」という書き方に、従来型のマスメディアよりも双方向メディアとしてのインターネット貶める意図が無いのであれば、即刻改めるべき表現です。

特にこの表現は顕著なので注記しますが、「ならばマスメディアが猛威をふるいはびこっていた従来よりも良くなったでは無いか」と返答されるとは、本当に思いませんでしたか

その返答に対して「マスメディアの方が優れていた」以外の回答を持っていますか?もしも持っていないのであれば、それは双方向メディアとしてのインターネットを見下した表現です。

みんな投票選挙活動に参加できて良かったですね

投票率が上がり、選挙活動への参加が増えたことは良いことだ」と言う書き方ではいけませんか?

馬鹿にする意図が無いのであれば「良かったですね」という表現は即刻改めるべきです。

単独文言では無く、前後文脈から、この文章を読み取った相手が「投票選挙活動への参加を馬鹿にされた」と受け取らないと、本当に信じていますか?

「なるほど、コイツインターネット情報収集したり、いいね応援したり、コメントを書いたり、自分で考えて投票した俺を、子ども扱いしているんだな」と受け取られる可能性が無いと思っていますか?

真摯相手人格尊重してなおその表現しか出てこないのであれば、おどけた調子文章を書くのは止め、少なくとも真面目な話題ではビジネス文書のように書くべきだと思います

インターネットも含めた諸々をとおして、投票所により多くの人が足を運んだこと、より多くの人が選挙活動に参加したことだ。それって民主主義にとって基本的必要不可欠なことでしょう?

段落内のおそらく骨子の部分である、この部分はとても良い書き方をしているだけに残念でなりません。

民主主義はタテマエとしてずっと、全員参加を謳っていたし、少なくとも欧米ではだいたいうまくいっていた。 まれに、チョビ髭の伍長のような人物を輩出するとしても、だ。

その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、それは捉え方の違いだろうと思う。

(「"良い民意"が"悪い民意"に変わってしまうとしたら、民主主義は壊れるのがお似合いではないだろうか」というのは、どのように書き換えてもアリストラティア(優秀者支配制)を意味すると思うが、そこは民主主義の捉え方の違いだろう)

民主主義は、時としてヒトラーのような独裁者を生み出すとしても、全員参加が理念であった」という書き方ではいけませんか?

前段の主張も含めて、文脈からは「民主主義とは、建前としては全員参加だが、本音ではバカは参加しないものとして上手く回っていた。バカが参加して壊れるのは制度限界だ」としか読み取れません。

それ以外の意図を持つ文章として文脈構成しているのであれば、全面的に書き直すべきです。おちゃらけた書き方をしようとするあまり文脈上そう受け取る人がいても非難できないと思います。これよりのちの文章を読む限りではこの読み方をして欲しいと想定するしかないです。

(また、ヒトラーの例えを出しておいて「マスメディアという制御弁が民主主義政体を安定させる効果があったのは、たぶんそうだろう」と書く意図は量りかねますナチ党の躍進にラジオが大きな役割を果たしたことには一定了解があるはずです)

いまどきの民主主義理念を作り上げた人というと、ロックルソージェファーソンといった近世近代思想家を思い出す。ところが彼らが生きていた時、末端の大衆にまで選挙権が行き渡り、末端の大衆選択までもが民意フィードバックされる民主主義想像するのは難しかったのではないか。たとえば、民主主義の始祖たちの眼中に、立花氏がバカと呼んだ人々はどこまで含まれていただろうか?

少なくとも、ジェファーソン名前を出して合衆国独立宣言で最も有名な一節である "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal,"を無視するのは看過できません。

このall men (すべての人々)に、大衆シロクマ先生の言うところの「末端の大衆」)が含まれていないと推測するのは侮辱でしょう。もしもよく知らないのであれば名前をあげるべきではありません。

トーマス・ジェファーソンが、いかマスメディアに悩まされていたか("nothing can now be believed which is seen in a newspaper. truth itself becomes suspicious by being put into that polluted vehicle")を知らずとも、

ほんの少しでも興味があれば、ジョン・ロックが人はみな生まれながらにして公平であるが、そのままで不都合なので、人の承認のもと政府を作るであるとか、ジャン=ジャック・ルソーが間接民主制すら否定していたことなど、見聞きしたことがあるはずです。

彼らが、貴族選良市民のみを対象として考えていただろう、末端の大衆シロクマ先生が想定するのが、教育を受けていない人、政治に詳しくない人だとすると、当時の農民奴隷犯罪者等)は考えていなかっただろうと想定して枕詞に使うのは、不適切です。

(その後の段落は、シロクマ先生想像や思いが書かれているので、別に問題は無いと思います

個別選挙結果が未来制度設計材料になっていくのも、民主主義のいいところだ。亀のようにゆっくりと、しかし着実に。ただし、こうした民主主義ドタバタを、ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう。未来が明るいといいですね。

この段落でも、その前段の、民主主義論に関する部分は私自身の主義主張とは異なるが、シロクマ先生の考え方を述べている部分なので良いと思う。

ただし、文脈上「全員参加という民主主義の建前を維持したまま、インターネットが深く介在する場合には"悪い民意"を取り除き、"良い民意"を選び取れる制度設計を、末端の大衆ではない我々が行うべきである」としか読み取れませんが、そういう主張でないとすれば記載を改めるべきです。

(私はそれをアリストラティア(優秀者支配制)だと思いますし、良くないものだと思いますが、主義主張の違いなのでそれについて表明することは良いことだと思います

「ただし、制度設計改善される前の現在の良くない状態を、他国が狙っているかもしれない。改めるべき点は早急に改めるべきだろう」と言う書き方ではいけませんか?

「ほくそ笑みながら眺めている国もあるだろう」というのは、陰謀論と何が違いますか?何を意図して記載したのでしょうか。

未来が明るいといいですね。」というのは、皮肉では無く本心からそう思っているのだとすれば、記載を即刻改めるべきです。

また皮肉を書いたつもりであれば、誰を皮肉ったのでしょうか?今回の選挙に参加した誰を馬鹿にする意図をもって表現されましたか

なぜ齋藤知事パワハラと同じである

シロクマ先生の「インターネット民主主義が加速して良かったですね」という記事は、全体としては皮肉めいた、兵庫県知事選挙の結果を受けての現行の民主主義制度への感想でしょう。

これを、面白おかしものとして読む人がいることは否定しません。(私もホットエントリーにあがってきたので読みました)

ただ、それはパワーハラスメントと全く構造が同じです。

パワハラをする側にとって、されたもの右往左往したり泣いたり病んだり職を辞するのを見て愉快だと思うのと同じだという指摘です。

齋藤知事は、「よい県政をしていきたいという中で業務上指導や注意を厳しくした」と表現しています

知事時代パワハラ問題視した人は、この「業務上指導や注意」の「やり方」を問題視したはずです。性根や意図、背景では無く、手法問題があったのだと認識しているはずです。

愛があろうが、心の底から相手のことを思っていようが、パワーハラスメントに該当すれば、それはやはりパワーハラスメントなのだというのが、これから社会での共通認識で合って欲しいと、自分は思います

その意味で、シロクマ先生の「インターネット民主主義が加速して良かったですね」という記事は、インターネットを利用して投票先を決定した人をバカだと呼び、彼らを選挙から排除すべきである、そうしなければ民主主義は壊れる、利するのは他国だ、という記事になっています

そういう意味で書いたつもりでないのであれば、そう読み取れるようにおちゃらけた書き方をするべきではありません。すぐに改めてください。

バカだと呼んだのは立花であるとか、選挙 Permalink | 記事への反応(24) | 13:00

2024-11-18

anond:20241118091855

パヨは「何度も言ってるけど」って枕詞が好きみたいだけど

普通は同じこと何度も言うのは無駄から

2024-11-11

結婚相手に求める条件

30代半ば、ずっと彼女無しの男。最近少しうまくいくかも?って感じの女性出会ったのだが、色々と気になる点がありすぎて今後どうしたものかと考えている。

まず、私の状況を少し述べる。私は仕事の都合で、ここ4年ぐらい日本から遠く離れた国に住んでる。住んでる街は日本人がほぼいない。なので女性出会えるって時点でなかなか貴重な状況。

相手女性とは某SNSで知り合った。会話を交わすうちに、ほぼ同年代女性で、かつそれほど遠くないところ(といっても200km離れているが)に住んでいること、相手自分と同じように旅行が好きということが分かった。

見た目も、すごく美人というわけでもない年相応の顔だが、笑顔とかが素敵な感じがして良い印象だった。話していて楽しいし、会いに行ける距離だし、見た目もまぁ好み。相手も話が尽きない感じで話してくるし、比較的手応えがある。

ここまで挙げると文句無しな感じなのだが、この先さらプロセスを進めていくとなると気になる点がある・・・。それが一つでないのだ。いくつか挙げてみようと思う。

食事マナー

まず、食べ方が汚いのだ。箸で食べるものなどが犬食いで食べていて、大変見苦しい。ボロボロとこぼしているのをみると非常に食欲が無くなる。食べきれない大きさなら箸で切るとかすれば良いのに。そして、それを口に頬張った後は口を開けてクチャクチャ食べていて、対面に座っていると何を食べているのかが見えてしまって萎える。終いには寄せ箸である。ここまで来ると、一緒に食事をするのが大変不快に感じてしまう。外国暮らし比較的長いとはいえ、ある程度までは日本暮らしていたのだから当然そういう教育を受けていると思うのだが、食事だけでここまで気なる点が出てくると、一般の家で躾として教わるような他のことも怪しいんじゃ無いかと思ってしまう。

食の好み

食の好みは人それぞれだと思っていたのであるが、嫌いだったり避けているものが多すぎる。

まず酒が飲めない。これは結構いるのでわかるのだが、匂いを嗅いだだけでダメと言われると、家で私が飲むことも叶わなさそうである

その他、主菜になるような肉や魚に関しても嫌いなものが多くて、家での食事メニューもかなり限られそうな感じがする。

そして、何より食の好みに疑似科学的な要素を持ち込んでいる(アンチ砂糖みたいなやつ)。ダイエット等で言われるやつらしいのだが、食事の全てで「これは砂糖が入っているから食べられない」と言っている。精製されてる糖類はだめらしい。「健康食事は人体が必要栄養素をバランスよく摂ることで、ダイエット砂糖摂取量じゃなくて摂取カロリーと消費カロリーの差をどうつくるかの問題」だと思っている私には、こうした疑似科学をずっと聞かされると正直辛い。

衛生観念

以前彼女の部屋に遊びに行った時に、彼女のベッドやソファーなど、特定家具に座るどころか、絶対に触れないよう釘を刺された。潔癖症なところからくるものだとは思うんだけど、自分が汚いものとして扱われているようでショックだった。そして、そんなに潔癖なのに、部屋が汚いのである。綿埃みたいなのが塊になっていて、カーペット家具の隙間にどっさり溜まっている。ぶっちゃけ私の部屋のどこよりも埃が溜まっている。ここよりも汚いと思われているのかと思うと悲しみを覚えた。より親密な関係になったとしても、これだけ潔癖だと体の関係になるかは正直わからない。

コミュニケーションの頻度

コミュニケーションの頻度と内容も辛い。お互いの勤務時間休日が異なることもあり、長文の電子メールを数日おきに返すやり取りをしている。礼儀としてもらった程度の分量を返すようにしているのだが、どんどん分量が多くなっている。もともと私が筆無精な性格なところもあり、長文の返信を書くのが負担だし、平日は仕事自分自由時間がほぼ取れない生活なのだ。なので、必死の思いで絞り出した自宅で自由時間を使って返信を書いている。

そしてそもそも、その内容もここで挙げているような気になる点がどんどん見えてくる(食の好みだったり、後述する金が無い事など)ので、どう反応したものかと返答に苦慮することがある。

経済的価値観

そして最後に金の使い方である。私は日本企業から駐在外国に来ており、別に特段の高給取りではないものの、普通に食べて、定期的に趣味のものを偶に買っても貯金ができる程度は給料を貰っている。一方で彼女は現地の企業フルタイムで働いているものの、職種的に最低賃金ギリギリしか貰えないらしい。そのせいかお金の使い方が圧倒的に違っているのである。何を買うにしても、その購入基準に「高い」や「安い」の枕詞がつくのであるカフェで飲むコーヒーの種類からファストフードチェーンで頼む食べ物、はたまた遊びに行った場所選択肢にその値段いくらであるかというのが最も重要ファクターとして存在するのである別に高いものが最高とは思わないし、私も学生時代お金が無い惨めさを味わっているのだが、相手学生ではなく30代半ばである。そんなに節約したいなら、カフェに頻繁に行くことなんて辞めて投資にでもお金を使うべきだと思うのだが・・・。私としては、持参したコーヒー公園で飲むとかでも良いのだが、お金を使ってカフェなりレストランなりにいくなら、その瞬間だけはその考えを忘れて欲しい。

そして、何より、これを言ったらおしまいなのだが、私は毎週のように往復数時間車を運転して会いに行ってるわけで、移動にかかるガソリン代や駐車場代、車の洗車代など、カプチーノアメリカーノミルク分の差額どころか、エスプレッソマシン自体がが買えてしまうほどのお金を使っているのだ。正直、私にだってこれは毎週払い続けるのは結構かかるなぁという印象がある金額である自分は会いたいと思ってこうして自分お金を使っているのに、相手は安いかいか価値判断しか動いていないことが透けてしまって大変辛い。会えない時は電子メールのやり取りをしているのだが、その会話の端々からも「安い」「高い」といった言葉が出てきている。もし今後より進んだ関係になった際、この価値観を常に聞き続けないといけないかと思うとげんなりしている。

雑感

ぶっちゃけ、上の要素を我慢して攻略を引き続き進めていけば、結婚はできちゃいそうな手応えを相手の反応からは感じているのだが、生活に及ぼす影響が甚大な要素が多々あって、これからどうしたものかと考えてしまう。

年齢や居住地問題もあり、選り好みできる立場では無い気がするのだが、あまり生き方が違う気がする。最近大統領選で人々の間には信じられないほどの格差や壁があることが改めて示されたけど、これもその一例なのだろうか。それとも、私が気になると挙げた点は大抵の人が当てはまるもので、私の判断基準おかしいのだろうか?世の中の結婚している人たちはどう結婚して、どう折り合いをつけているのかが気になって仕方ない。

そろそろメールが届く頃である。なんて返そうか。

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2024−1112 追記

数年ぶりの増田だったけど返事がもらえて嬉しかった。以下返信です。

anond:20241111112152

コミューニケーション、実は最初はもうちょいと頑張ってた。

勤務時間前とか、休憩時間とかを使ってできる限り早く・・・で返信してたんだよね。それこそ、仕事メールよりも真面目に書いてて、朝起床時には届いているメール昼過ぎぐらいまでには2500文字ぐらい返信してた。休日もそんな感じでやってたので、自分時間が全く取れなくて、ストレスめっちゃ溜まってしまったのよ。

指摘してもらった通り、金と食い物っていう生活で大きなウェイトを占めている部分なのが僕も気になってるんだよね。

今まで何回かあった限りでも、アレは食べられない、コレは好きじゃ無い、ソレは砂糖が入ってる・・・って言われるパターンが多くて、どこ行っても同じようなものでかつ安いのを食べる感じになってて。

正直、楽しいってのが、その人との話が楽しいのか、珍しく自分好意を向けられたことが嬉しくて楽しいって感じているのかがよくわからなくなってる。

ちょっと地雷感があるってのはまさにそうだよな。認めたくは無いけど、薄々感じてた。

とにかく、友達のままでいるって選択肢を示してくれてありがとう

anond:20241111112504

心底からソバイスすると、潔癖症ってのはいかに相手のことを不潔扱いするかにかかってる

招待されて素直にホイホイ上がってる時点でおまえの負けだ

ソバイスと自虐しつつ、「いか相手のことを不潔扱いするかにかかってる」という洞察をもたらしてくれてありがとう。考えたこともなかった。

だけど、その他言われたことを考えてみると、確かにそうやってマウンティングというか、優位に立ちたいって気持ち彼女にあったのかもな。

なんか、そういうところを踏まえると余計に難しそうな感じがしてきたわ。

想像もしていなかった返信だったんだけど、すごく嬉しかった。ありがとう。めちゃくちゃ参考になった。

2024-11-07

SNSありがちな正義ハンマーしつつ免罪符を打つ枕詞「もしこれが本当に事実なら」

私は怒りたいし燃やしたいけどファクトチェックは面倒なのでしません。事実だった場合に私は正義執行できるし、事実でなかった場合も免責の通り私は炎上に加担しておらず悪くありません。

2024-10-20

anond:20241020082747

問題になっているのは、「何も悪くないのに弱者男性になってしまう」ことだ。

ネタマジレスするけどたいして弱者じゃないのに自分弱者カテゴリに落としてくる奴ばかりだろ

弱者男性だけど」って枕詞つけないと注目してもらえないからな。

2024-10-09

職場キモいおじさんが嫌い

ハゲ自分ネタにしてる(滝行してるとこに加工した写真とかを自分で作ってる)。

プレイングマネージャーだけど人間マネジメントが壊滅的にできない。

常に口角が下がった喋り方、不機嫌そう。

ミーティングでの基本スタンスダメだし。

チームの雰囲気が悪いという課題がもう2年くらい現場から上がってるけど、対策が「全員で集まって1日しゃべり場しかない。

常に忙しいが口癖。

人に何かを頼まれると必ず初手で「忙しくてできないと思うんだけど...」と言う。

なのに重要なことを決める段階になるとなぜか現場ポジションの顔して何も決めない。

語尾やツッコミなど全てがアニメ口調。「〇〇でござる!!」とか本気で言う。

全社総会みたいなフォーマルな場にも「働いたら負け」みたいな変な柄のTシャツ着てくる。

飲み会でめちゃくちゃ自分語りする、最近はひたすら婚活の話。

喋ってるうちに興奮してくるとツルみたいな甲高い声で叫ぶ。

ハラスメントしないように気をつけてるつもりらしく、「女性にこう言うこと言うと嫌がられると思うんですけど」とか枕詞つけた上で結局言う。

すぐに自分のことを老害とかインターネット老人会とかという。

こんなんなのにまだ33歳。

2024-09-22

anond:20240922210850

最低最悪って枕詞つけておかないと、アタマのわるい支持者に勝手自民党なんかの信者にされるからな。

あと、野党は最低最悪以下だって事だよ。

まずい飯とうんこだったら、普通はまずい飯を喰うんだよ!

これはカレーだ!といってウンコ喰うのは脱糞民主党くらいのもんだ。

2024-09-15

貧乏人のひがみ

 かなり幼い頃、英会話CMをみながら親が、

英語だの英会話だの言うけど、おまえら日本語正しくつかえてっかーって話だよな」

 と言った。

 それをまに受けた。中学になっても「日本語を正しく使えないくせになにが英語じゃ」と、まったく勉強せず、三年生のときに、“do” と “be” の意味がわからない自分に気づいた。両親は夏目漱石の『こころ』すら読んだことがないらしい。

いじめ」という言葉が広まるまえに、わたしはいじめられていた、らしい。わたしはその、嫌がらせをしてくる奴らのことを、友達だと思っていた。つらくても楽しい気持ちはずっと保っていた。でも友達たちといて、仲間に入れてくれることはなかったから、親に話すのは「〇〇くんが仲間に入れてくれなかった」「〇〇くんに殴られた」「〇〇くんに無視されてる」しかなかった。

 親はそんなわたしのことを見てなのか、

「おまえは耐えててえらいよ。〈憎まれっ子世に憚る〉っていうでしょう。きっとおまえは凄いおとこになるよ」

 と言った。そのことを、一年前に入院した病院出会った、統合失調症父親よりも年齢が、一回り上の男性に話した。男性は、

いじめられてるーって、親がなーんにも対処しないで、子どもを〈憎まれっ子〉って言えちゃうのは、おかしいよなあ。おれはそれは、ぜったいにおかしいとおもう」

 と言った。

 両親はよく、我が家のことを話すとき枕詞のように「うちは貧乏から」と付ける。わたしは家が貧乏だと感じたことは、一度たりともない。

 お寿司が食べたい、とそうせがむわたしをみてか、スーパーで安い刺し身を買ってきて、酢飯を作り、母親と一緒にお寿司を作っていた。我が家ではそれを〈貧乏寿司〉と言っていた。〈貧乏寿司〉には、いくつか外れがある。中にとんでもない量のわさびを入れているのだ。こいつに引っかかったら、顔をしかめて「水、水!」と叫ぶしかない。いや、記憶によると、そう叫ぶことすらできなかった。数年後、父親マイホームを建てた。わたしはそこで「ねえ、また〈貧乏寿司〉がたべたい」と言った。

 中学にあがって、担任教師との相性が頗るわるかった。というのもわたしが捨てた、英語担当であったし、なんにせよマークされていた。無視されたり、授業中に〈できない生徒〉として吊し上げられたり。

 しょうじき、イヤミ先生だなあ、としか思っていなかった。同じくマークされてる友達同士で、提出物にその先生似顔絵を描いて提出したり、授業中に顔を見合わせて、いっせーので突っ伏して、終わるまで顔を上げなかったりして楽しんでいた。

 担任教師について親に聞かれると、その、嫌だったことをよく喋った。楽しかたことが思い浮かばなかったからだ。

 一年も終わりになるころ、親が、いまさら担任教師について直訴してくる、だのなんだの言っていた。わたしお小遣いで手に入れたゲームをやるのに精一杯だったから、軽く流しておいた。それでも聞いてくる。「なにされたの?」「なにがいやだったの?」「つらかった?」などと。いらだちが高まってくると、アタマが熱くなった。わたしは涙を流していた。なんの涙かは知らなかったけど、親はきっと、わたしがつらかったから、こうして涙を流しているのだろう、と、思うのだろう、と考えられたから、声を大きくしてワーンワーンと泣いた。親は

「これまでつらかったでしょうに。よしよし。つらかったらかあちゃんことも、頼っていいんだよお。パパだっている」

 と言った。わたしは、正解だったんだなあ、と思った。

 母親は、校長学年主任、その担任教師と話をしてきたらしい。当時はその内容を知らなかったが、どうやら校長とは、学年が上がった際に、その担任教師わたしを同じクラスにしない事を、確約していたらしい。わたしの大好きな人は、その担任教師クラスになった。

 卒業式の数日前、クラス先生たちが演説のような、羽ばたくキミたちへ、的な話をした。

 その担任教師は、

英語というのは、道具です。ええ?! と思われるかもしれません。が、あなたがたが学んできたものは、実際に使われている〈言葉〉です。私が話している、あなたがたが話している日本語と、同じです。思考ツールなのです」

 と話し、先生がたのお話のなかで、もっとも、心に残った。

 YouTubeで、高級住宅街についての動画を見た。コメント欄には、両親みたいなのがウジャウジャいる。

2024-09-07

小学生の頃に遭った痴漢(仮)について

タイトルの通り、小学生時代に遭った痴漢やそれに類することについてと、書き出してみて思ったこと。

1回目 飲食店にて

初めての痴漢(仮)は、小学校低学年の頃だった。

当時の私はピアノを習っていて、発表会に祖母と母が来てくれた。おろしたてのワンピースフリルのついたソックス、少しだけかかとの高いよそゆきの靴、いつもより豪華に結ってもらった髪にはリボンかわいい格好ができて嬉しかったのを覚えている。

発表会は市民ホールを貸しきって、昼すぎまでかかっていたと思う。早起きしたぶんお腹はペコペコで、遅めの昼食は近くて回転率がよくすぐに食べられるお蕎麦屋さんを選んだ。

昼すぎでも土日だったからか、お客さんが並んでいた。回転率のよさは知っているので、並ぶのは苦にならない。眠気も出てきていささかぼんやりしつつ、だらだらと前に並ぶ人へ続く。

すると突然、ぐいっと左手を掴まれた。反射的にそちらを見上げると、知らないおじさんが私の手をとり握手するみたいにぎゅむぎゅむ握っている。とても、とても驚いた。けれど声は出なかったし、ぴくりとも動けなかった。知らないおじさんは「可愛かったからつい」と言って、手を離して店を出て行った。

母たちは「びっくりしたねぇ」などと何だか和やかに言っていたが、私はほんとうに驚いて、つまりショックで、その後どうしたか覚えていない。もちろんかなり古い記憶なので、単純に時間経過によって忘れてしまっただけかもしれないけれど。


ほんとうに驚いたとき人間悲鳴も上げられないしすぐに逃げもできないのだな、と何だか絶望に近い気持ちになったことは覚えている。アニメドラマ刑事ドラマが好きでよく観ていた)のようにはできないのだ、と。

かわいい」は褒め言葉のはずなのに、なにも嬉しくなかった。なんとも言えないモヤモヤが澱のように腹の底に溜まった。

プライベートゾーンを触られたわけでもなく、何なら一緒にいた親族問題視したふうでもなく、法的に痴漢には分類されない体験。今でも一般的になんと分類するものか分からないままだ。それでも私の中でだけは、初めて遭った痴漢として記憶している。

2回目 通学路にて

小学校中学年の夏。

私の地元田舎で、徒歩通学だった。当時はとにかく読書が好きで、通学中は図書室で借りた本を読みながら歩くのがほとんどだった。二宮金次郎みたいに。

学校帰り、季節もあってまだまだ明るい中、いつも通り本を読みながら一人でひたすら歩く。毎日毎日そうしているから慣れたものだった。

車が1台ぎりぎり通れるくらいの、田んぼと畑と農家然とした少し古めの民家ばかりの道で、ふいに後ろから声をかけられた。自転車に乗った男子学生だった。中学生か高校生か、とにかく同じ小学生でないことしかからなかった。親や学校先生以外で年上と話す機会もそうなかったし。

喉が乾いたので飲み物を分けてもらえないか、と言われた。夏なので肩に水筒をぶら下げていたのだ。大人なのに変なの、とは思いつつ、水筒のコップ代わりの蓋になみなみ注いで渡した。

水筒お茶を飲むところをぼんやり眺めていたら、コップを持つ男子学生の手がぶるぶる震えていた。おそるおそる口をつける。そのさまを見て、なぜだか急に、明確におかしいと感じた。一気飲みはせず、謎に丁寧にお茶を飲んでから返されたコップ。水筒に戻しながら、どうやって帰ろうか不安になった。自宅までそんなに距離がなかったからだ。なぜかついてこられるのでは、と思った。その間も、ぽつりぽつりと男子学生からの問いかけが続く。いつもこの道を通るの、とか、何年生なの、とか。

今の私は何でそこで律儀にと思うが、その時は走って逃げるとか急に話を切り上げるとかい選択肢がなかった。失礼だと思ったからだ。誰か帰路の小学生でもいれば、知らない子でも混じって帰ったと思う。でも誰もいなかった。人っ子一人。えー…とか、うーんと…とか枕詞みたいに付けたふんわりした回答をしながら、子供なりに頭はフル回転していたはずだ。でも、打開策が思いつかなかった。

少しして、私たちがいた道沿いの民家から住人のおばさんが出てきた。知らない人だったけれど、何してるの、と声をかけてくれた。それを見て、男子学生は何も言わず自転車を走らせて去っていった。その背中が私の帰り道と同じ方向だったのを見届けて、まだ呆然としたままの私は、なんにもないです、とだけ答えた。知らないおばさんが「さっきの子は知り合い?」と言うので、首を振る。ちょっと回り道してから帰りなさいね、と言われた。私もそのつもりだった。

この体験も、お茶をくれと言われて分けただけで何もされていない。痴漢ではない。なので何と呼べばいいかからないけれど、自分の中ではその他の痴漢と同じカテゴリに分類して記憶していると思う。そういう系統の嫌な気持ちだった。

3回目 図書館にて

これも小学校中〜高学年頃。

私の両親は離婚しており、母に引き取られていた。夏休みに父のところへ泊まりに行っていたときだった。

例によって本が好きなので、県立図書館へ連れていってもらった。いっちょまえに児童書卒業していたので、見る本棚一般書架。父はAVコーナー(ネットカフェみたいに区切られたブースで各々映像資料が観られる。アダルト資料ではない)にいるというので、一人でゆっくり本棚を眺めていた。作者なんかは知らないから、タイトルや表紙のデザインを中心に何となく気になった本を探す。児童書に比べてかなり数が多いので、背表紙を眺めているだけでも楽しかった。タイトルしか読んでいないのに、いくら読んでも読み終わらなくて。

ふと、足元がぬるい感じがした。見下ろすと人が床に手をついてしゃがみ込んでいた。年齢は分からなかったけれど、男の人であることだけは分かった。

図書館の本棚上下左右ギチギチに本が詰まっている。下の段の本を見るには、学校ミクロマンとイジられていた私の体躯でもしゃがみ込まなければならなかったので、下の方が見たいんだなと思った。図書室で人気の本棚にみんなが密集するのはよくあることだ。と思ったけれど、はぁーーー、と長い息を膝に吐きかけられているのを見て、一気に過去の嫌な気持ちが呼び起こされてしまった。気付いていないふりでじりじりと距離をとり、別の本棚へ移動する。

何だったんだろう、と心臓がばくばく言うのを落ち着かせているうちに、暑いから息が上がっていただけでは?という気になってきた。そう思うと何をビビっていたんだろうと馬鹿らしくなって、また端から背表紙を読んで、読んで、時には取り出して表紙やもくじを眺めて。

じきに、また足元に違和感があった。今度は微妙にぺたぺた?ぬるぬる?する。見下ろすと先ほどの男の人がしゃがみ込んで、私の膝辺りを舐めていた。他人の舌が肌を這うことなどないし、誰か分からないし、理由も分からないし、どうすればいいかからなくて、なのに気付いていることを勘付かれてはいけないと咄嗟に思った。心臓はまたばくばく暴れて、目の前の本を適当に抜き取り「これにしよ」なんてわざとらしく声に出して、父のところへ逃げた。

この時に借りたのは『エリコ』という本だったと思う。いま調べてみると表紙が記憶と違っているけど、女の子モノクロっぽいイラストの表紙だったはず。父の家に戻ってから読んだけれど、分厚い上に当時の私には内容が難しくて、とても難儀した。話が全く分からなくなってから飛ばし飛ばし読んで、なんだか図書館での嫌な気持ちフラッシュバックするような描写を目にして、結局ギブアップした。主人公が高級娼婦らしいので、確かに当時の私には早すぎたし「猥雑と戦慄がからみあう、嗜虐と倒錯近未来バイオサスペンス引用元:BookLive)」はあんなことの後では取り合わせが最悪だった。今までの人生で読み始めたのにギブアップした本はこれと『ドグラ・マグラ』だけなので、すごく印象に残っている。

この体験一般的にも痴漢に入るのではないかと私は思うけれど、そのときの私には分からなかった。知らない人に舐められて驚いたし怖かったのに、誰にも言えなかった。一緒にいたのが母だったら、もしかしたら言えたかもしれない。正直、相手と同じ性別である父には言いづらいと感じた。自宅に戻ってからは、今度は今更だと思って母にも結局は言えなかった。

4回目 通学路にて

4度目は小学校高学年。

さすがに生きているだけでも変な目に遭うことはあるのだと理解していた。それに、そういう場面では声も出ないしパニックになって機敏に動くのは難しいことも。

私は護身術として極真空手に通うようになっていた。ビビって声が出ないし動けないなら、度胸をつければよいと思ったからだ。流派だの何だのはよく分からないままだけれど、男子に混じって毎週通った。練習体育館で行われていて、フローリングの上で拳で腕立て伏せをするのが大嫌いだった。骨が痛すぎるし、未だにフローリングでやることではないと思っている。

それから、通学路も勝手に変えた。2回目のときに使っていたのは車1台でいっぱいの道幅だったが、片側1車線ずつの道だ。さらに少し行くと複数車線の道もあるけれど、遠回りになるのでこちらばかりを通っていた。徒歩通学だしショートカットたかった。車通りはやはり少ない。

この時も学校からの帰り道だった。一人で帰っていて、道路の向かい側に停まった白い車から声をかけられた。運転席の窓を開けて、男性小学校へはどっちに行けばいいかと尋ねてくる。あっちです、と指をさすと、地図で教えてほしいと大きな紙を広げた。道路を挟んだままだと見えないので、道路を渡って運転席の窓から紙を覗きこむ。それは確かに地図だったけれど、地図と腹との隙間から陰茎が見えていた。数センチの隙間から、手で擦って見えたり隠れたりする陰部。

相変わらずショックではあったけれど、またか、という諦観もあったように思う。私はやはり気付いていないふりをした。努めて地図だけを見て、現在地も分からなくて、「地図読めないけどとにかくあっちです。ずーっとまっすぐ道なりで左側にあります。私はそこから来たんだから間違いないです」というふうな回答をした。

習い事があるからとその場を駈け出して、ないと思ったけど一応追ってきていないのを確認して、座り込んだ。心臓は毎度のようにばくばく言っていたけど、走ったから当たり前だなと思った。前よりも怖くなくなったし、毅然と振る舞えた気がするからたぶん空手効果はあった、と思いながら自宅へ帰った。今回もこのことは誰にも言えなかった。

思うこと色々

そういうわけで、私が小学生ときに遭った痴漢やそれに類するものは覚えている限り4回だ。多いのか少ないのかは分からない。

もちろん、中学生でも高校生でも大学でも大人になっても何かしらは遭った。それでも一番覚えているのがこの小学生時代。今やすれた30代だけれど、私も子供の頃はさすがに無垢だったのでショックが大きかったのだと思う。


どう気をつければいいのかというと、正直私は分からない。嫌な言い方だけれどもはや事故みたいなものから。防ぎようがないという意味で。ただただ、こういうことをする人がいなくなってくれればいいのだけど。

一つだけ。もしもこんなことがあったと言われたら、ちゃんと聞いてあげてほしいとは思う。

中学にあがってから路上で知らない人に突然キスされたことがある。グレてイキって気は強く成長した私は、黙り込んでいた小学生時代とは違ってすぐに学校に報告した。とにかく腹立たしかたからだ。分かることはすべて話した。場所とか、相手風貌とか、原チャだったとか。それらは全校放送で流れた。

おそらく親にも連絡が入ったのだと思う。その日の夜、養父(母は再婚した)にリビングへ呼びだされた。本当なのかと聞かれたので、本当だと答えると、場所地図で描けと言われた。不審に思いながら自宅から中学校への道順を描き、ここ、と丸をつけると、嘘だと言われた。こういう場合被害に遭った場所から描き始めるのが心理学的に普通だそうだ。私としては通学中に起きたのだから理にかなって描きやすい順番だったのだけど、そう言われた。心理学なんて分からないので反論もできなかった。原チャの車種はなんだとかも聞かれたけれど、私が知っている中での形や大きさで最も近い名称が「原チャ」だっただけで、詳しくは知らなかった。グレ友達2ケツで乗せてもらったやつくらいにしか認識していなかったから。養父趣味ハーレーがあったので、バイク中途半端に出したのもよくなかったのかもしれない。

そうして私の虚言であったとされ、おそらく学校へも連絡したのだと思う。保健室登校しても、教師がどこかよそよそしかった。あくまで私の感覚なので、実際のところは分からない。

ショックだった。折り合いの悪い養父であっても、もはや養父側の人間で信用していないと自分では思っていた母であっても、なぜだか報告すれば信じてくれると思い込んでいた。

初めて報告したらこうして狼少女にされてしまったので、前述のとおりその後も何度も変な人に遭ったけれど、誰にも話していない。

今でも覚えているので、やはり他の家庭、いわゆる子供(年齢は問わない)をもつ家庭では子供を信じてあげてほしいと思う。様々な要因で恒常的に嘘をつく子供がいたりするらしいのは知っているけれど、嘘でなかった場合に取り返しがつかないからだ。私のようになってしまう。独身の私が言うのもおかしいけど、子供は健やかにつべきだ。大人になったら嫌でもすれてしまうのに。

この文章は、職場男性から小学生にあがった娘の親バカノロケを聞かされてぶわっと思い出したまま書き殴った。

電車通学が珍しい地方小学生だった私でも、4回。0回の方がいいに決まっているので、こんなことがどこでもありうるから気をつけてあげてほしい、と言おうと思ったけれど、職場の人に実体験を話すのは憚られたので。初めて表に出して少しすっきりしたかもしれない。

2024-08-29

呪術廻戦オタでありフジファブリックファンが抱いた巻頭カラー感想

Twitter(X)でもいいけど、TLの雰囲気を悪くしたくないからとりあえずここに吐き出しておく。お披露から二晩三晩経っても、脳内から感情が消えなくて生活に支障が出だしたので供養の意味も込めてる。割と感情のままに書き殴ったから乱筆乱文。

先に本旨を要約すると、私はポジティブ感情からネガティブ感情に変化し、今は少しずつ前向きになってきている。

雑な言い方をすると、呪術オタが雑考察してフジを腫れ物扱いして燃やしてんのがキツすぎ。作者よりも呪術オタの挙動フジファンの傷を抉ってる。でもだんだん立ち直ってはきてるしついでにお願いがあるよ。ということ。

【↓↓↓↓↓以下約5,500字↓↓↓↓↓】

8/25の夜、配信でじゅじゅフェスを観ていて、最後巻頭カラー絵のお披露目があった。人生の半分をフジファブリックにどっぷり浸かって生きた私は、ひと目でアルバム『CHRONICLE』を模していると気付いた。

結論から言うと、好きなバンドと好きな作品が思わぬ形でコラボしたことに驚きと歓喜が止まらなかった。

そのとき感情Twitter本垢(フジファブリックはじめ音楽日常メインにつぶやく)に突発的に書きなぐって投稿した。ひと目見て気付いたこと、そして作者も私の好きなバンドファンであることが伝わってきたことなど。

そして、呪術廻戦にハマってから作った、漫画アニメだけをつぶやいたり、ファンアートにいいねしたりするアカウントで、ファンたちの感想(じゅじゅフェス)を拾っていった。

そこで私はショックを受けた。呪術廻戦ファンの間でイラストに対して「正気を疑う」「倫理観ない」「不謹慎」「バンドファンや遺族に失礼」などの言葉が並んでいたからだった。

さらにはひと目見て「犬がいる!かわいい!」と好意的に受け取っていたアカウント主すらも「オマージュ元を知って地獄に落とされた」という主旨の投稿をしていた。

このショックを言語化するのに時間がかかって、友達の力も借りながら受け止めて今に至る。

正直に言うと、これらの呪術廻戦ファンの声を受けて、私は ①悲しみ ②怒り を感じている。

そして今は、これらを踏まえて ③祈り に近い感情も浮かんでいる。

①悲しみ に関して

私の人生をかけて愛したバンドアルバムの名を用いて作者にヘイトを向けている投稿散見されること。

フジファブリックという文字志村正彦人生結集といえるアルバム『CHRONICLE』の文字と、「吐きそう」「気持ち悪い」「正気を疑う」「地獄に落とされた」「倫理観おかしい」という強い批判、もとい軽蔑言葉が並んでいること自体が悲しくて悲しくてたまらない。

彼らにはもっと前向きで明るい言葉が似合うのに。「変態的かつ普遍的な美しさ」「クセになるサウンド」「新境地」「世代を越えて愛される」など、フジファブリックを応援してきたファンメディアは素敵な言葉を紡いできた。

作者に批判言葉を向けさえすれ、誰かを不快にさせる行為言動行為者の一面に過ぎず、行為者そのもの価値観人間性否定するものではないと私は思う。

そして私は同時に五条悟オタでもあり、作中で亡くなったことに悲しんだ経験もある。

ちょうどその話が掲載されてから1年弱経とうとしていることも思い出し、その当時は私の落ち込んでいる様子を見かねた友達や同僚が励ましてくれた。一方で、デリカシーなく「死んじゃったねw」と心のヒビを直接割る言葉をかけてきた人にも遭遇した。

このようなことを、五条悟を愛する人なら、少なから経験したのではないだろうか。

同じように、五条悟を愛するがあまりフジファブリックファンの心に残る微かな傷を、その強い言葉でほじくり返しているかもしれないことは考えられないだろうか。

作者はこういうことも勘定に入れて、「諸々の意味を込めて」とあえて濁したコメントしたのではなかろうかと私は思う。

6年半も続く大作を描き上げるにあたって、これだけ出版業界不況の中、掲載誌の売上を落とさぬよう、耐え難いプレッシャー責任を感じながら物語を続けていく自身を、軸となるフロントマンを喪って再始動した経歴をもち、過酷プレッシャーの中それでいて15年も走り続けたバンドと重ねたのかもしれない。

②怒り に関して

こっちのほうがショックの中に占める割合が大きい。

前述した強い軽蔑言葉フジファブリックを並べてほしくないという怒りは先立つ。

次に、メンバーのパーソナルな情報が、漫画ファンによる考察(という体裁下衆の勘繰りと言いたいくらい)の道具として利用されたことに怒りを感じている。

ご存知の通り、志村正彦2009年12月24日に29歳という若さで突然この世を去った。これは揺るぎない事実である

しか本来、生年月日と同じように命日も非常にデリケート個人情報である。彼がミュージシャンとして世に出ることがなければ、近親者は知れども、世界中の誰もが知り得なかっただろう。

対して創作物登場人物はどうだろうか。物語において読者は、登場人物の動きを第三者的に、いわば神視点で見守ることができる。キャラクター同士の内緒だって筒抜けだ。そうした舞台上の人物たちと観客とはいわゆる“恋愛テクニック”のように「秘密の共有」ができる。この恋愛にも似た興奮を私たち読者は楽しんでいる節があると思っている。

フジファブリックはバンドという周縁はコンテンツだとしても、メンバー実在人物であるがために、当然プライバシー尊重されるべきである。実際、ファンインタビュアーメンバー私生活に関して踏み入ったり聞き出そうとしたりしない。

命日や享年というデリケート情報を持ち出して、その事実安易に繋げたうえに、尾鰭をつけてありもしないストーリー勝手に繋げていく行為が、私には他人の家に土足で上がりこむ行為に見えてならない。

曲がりなりにもオタクなら、プライバシー情報コンテンツたらしめるものを分けて考えてほしい。

例えば、2つの事実にA、B、C、Dの4つの共通点があるとして、AとBとを繋げば万人が心地よく終われるものを、いくら線で結べるからといって、CとDを繋いで、恣意的ストーリーを生み出されては、どちらの側も良い気持ちはしないだろう。

から、「この位置五条悟が配置されているから…」「バンドは存続しているか五条悟は死から復活する」など、死去の事実からの逃避や不確かな根拠を並べ立てられるのは、両者のファンとして理解に苦しむ。

Twitter(X)では常日頃からしょーもない話題炎上しているが、よくある例として「これでは〇〇が可哀想」という構造をしているものがある。

こんな親に育てられて可哀想、こんな飼い主に育てられて可哀想、こんな環境に放り込まれるなんて可哀想…など枚挙に暇がない。

それと同列で、当人感情勝手想像してバンドファン家族に対して「嫌がっている」「失礼だ」とレッテルを貼る行為はそれ自体が失礼に値するように思える。

私自身、人生の半分といえど他と比べるとまだまだファン歴は浅いものだと自覚しているが、

曲がりなりにも十数年応援してきた身としては、苦しみや悲しみを押してまで志村正彦の全てを提供してくださっている志村家と地元有志の皆様には感謝してもしきれない。どんなに苦しもうとも、それ以上に彼の生きた証を残したいという使命のもとご尽力くださっている姿を見れば、どんな形であれ、一人でも多くの人に彼の存在が知られることは彼らへの報いではなかろうかと私は考えている。

からこそ、彼を取り巻く話題は明るいものであってほしいし、そうなるよう関係者ファン努力している。

それを、「ファンではないけど」「バンドは存じ上げなかったけど」と枕詞を載せて外野から関係者ヅラして物申していることが腹立たしくて仕方ない。許可取り云々の話ではない。無知蒙昧を晒し、それがフジファブリック関係者に届くことこそ最大の無礼ではないのか。

あとイチャモンついでに、現体制の3人のメンバーを「残りのメンバー」って言ってるのは何なんだ。3人は残りものなんかじゃない。言葉尻を捉えるようだが、夫を亡くした妻を未亡人と呼ぶような気味悪さが残る。甚だ不快だ。

個人的言い得て妙だと思ったのが、志村時代リアルタイムで知っている先輩ファンの「ファンでもない奴らが騒いでいる」「不謹慎厨じゃねーか!」という発言だった。正直この発言のお陰で少し溜飲が下がった。

フジファブリックはメンバー関係者ファンも優しい人ばかりだから、強い言葉に対して萎縮する(私もその内の一人)のではと思っていたが、ファンコミュニティで軽蔑ではない言葉で真っ当に怒りを表出できる人の存在に救われた。持つべものは信頼の置ける先輩ファン

もちろん、一連の話題モヤモヤが抑えきれず、私が呆れた呪術廻戦オタクのように作者や作品への痛烈な批判を長文で述べた先輩ファンもいた。

奇しくもこれの執筆最中更新され、何周も読んだが、確かに納得できる内容で、その視点も勿論いちファンとして持ち合わせている自分認識できた。

あらゆる表現物すべてにおいて、意味意図が付随する。それら全てを拾ったとして、特に何を取捨選択するか、とりわけ「何を言わないでおくか」も巷で話題の“教養”とやらに含まれるのではないだろうか(一つ留意しておきたいのが、表現意図として無意識に語られるもの特に特定属性への偏見差別に関しては無視してはならない)。

少し脱線するが、ネットで語られるような“教養”と“雑学”はしばしば混同されているように感じる。いたずらに知識量を増やし自己のための娯楽として完結するものではなく、悲劇の再来の抑止や自分自身や後進の未来社会を豊かにするために、蓄えた知識の中から取捨選択し、それらを原動力として行動することを教養と私は呼びたい。

祈り に関して

簡潔に言えば、こんな言いがかりイチャモンをつけている暇があったら、問答無用フジファブリックを聴いてください!ということ。

件の『CHRONICLE』でいえば、志村くんの犬(モジャっていいます)だけが正面を向いていて、それ以外の総くんダイちゃんかとをさんの犬は横を向いています

対して、巻頭カラー絵は、五条悟と虎杖悠仁の犬が正面を向いています

この背景には、『CHRONICLE』まで(厳密には志村Vo.時代最後アルバムMUSIC』まで)のフジファブリックは、明確に「リーダー志村正彦」という線引きがあって、いわばフジファブリックという物語主人公をずっと務めてきた事実があります

そしてリーダー亡き後、3人がパワーバランスを強化しながら調和させ、いわば三位一体の形でそれぞれが主人公になって物語を作っていきました。

これを踏まえて考えてみるとどうでしょう

映画化も決定した懐玉・玉折編で主人公だった五条悟、そして本編で主人公の虎杖悠仁、両者は同格に物語主人公であることが示唆されるでしょう。

さらに、アルバムスウェーデンメンバーが寝食を共にして制作されたこともあり、寮生活を送る4人とレコーディングに勤しむ4人の仲睦まじさを重ねることができます(詳しくはアルバム同梱のDVDドキュメンタリー映像が収録されています)。

また、10thシングル及び3rdアルバム収録の「若者のすべて」が現在進行形で大ヒットしたこともあり、そこだけを世間一般に切り取られがちという煮え切らなさをファンは常々抱えています。「五条悟?イケメンから人気なんでしょ?」にも通ずる消化不良です。

フジファンなら同意してくれるかもしれませんが、志村正彦変態で捻くれていて一途でお茶目で繊細で孤独な男なんです。

暇つぶし花屋女性店員デートする妄想をしたり(花屋の娘)、酒の力を借りないと甘えられなかったり(ロマネ)、海辺で泣いている女性お嬢さんと呼ぶ気障ったらしさがあったり(NAGISAにて)、自分を獣に喩えて思いっきり飛び出す大胆さがあったり(モノノケハカランダ)、

それなのに、否定される事が怖かったり(バウムクーヘン)、大切な人を亡くして何年経っても忘れないと覚悟を決められるのに(黒服の人)、相手自分のことをすぐに忘れてしまうと悩んだり(クロニクル)、そんな卑屈な考えをを誰かに否定してもらいたがったかと思えば(エイプリル)、君がいなくても元気でいられると強がるふりして泣いちゃったり(Bye Bye)、非常に魅力的な人物です。

そんな男の姿も、たった一人の大切な人に素直になれなくて、だけども本当はすごく寂しかった不器用な男の姿も、どこか似ている気がするんです。

ちなみに私の見解としては、志村正彦は相当なハジケリストです。

北欧の熊と太極拳使いの髭面の男性を戦わせたり(熊の惑星)、踊ろうぜと誘っておきながら黙れと言ったり(TAIFU)、走る足音ドラえもんタラちゃんの比ではない異音だったり(銀河)、かなり尖ってます

このハジケリズムは3人にも受け継がれ、サルバドール・ダリが発起人となってタコスパーティーをうやむやに開催したり(アンダルシア)、言い間違いから曲を生み出したり(東京)しています

最後に、現体制の3人のメンバー言わずもがな、たくさんの名曲を生み出し、私たちを慈しみ寄り添ってくれています

ツアーラストや周年のホールでも、招待されたフェスアリーナでも、地方の観客がすし詰めになるような小さいライブハウスでも、必ず「僕たちは誰かの居場所になりたい」「今フジファブリックでい続けられるのは皆さんのお陰」と伝えてくださってます

Twitterにも書いたのですが、私の本心は、「どんな形であれメンバーが生み出した楽曲を愛してもらいたいし、バンドと共に豊かな人生を送ってほしい。生きていようが亡くなっていようが、その人が存在した事実バンドの曲が生まれ事実楽曲が様々な人の人生に関わった事実は消えないので、悲しみも抱えつつ前を向いて生きていく糧になってほしい」ということです。

フジファブリックのお陰で人生が豊かになって、呪術廻戦に生き様を教わったオタク感想でした。

P.S.それっぽいキーワード検索したら筆者を特定やすいように書いたつもりです。もしそれっぽいな〜というアカウントを見つけたら、私事ですが現在就活中ですので、オススメホワイト企業を教えてください✌️

2024-08-27

anond:20240827140147

ちなみに削除対象になる例は

回答:飛行機買えばいいじゃないですか。

回答:車なんて買わなくていいです。

なんだけど、

高級車買えと、飛行機買えって大差ある?軽自動車を買いたい(貧乏と推測できる)って意図をくみ取ろうよ

それとも、安全を考えると、という枕詞さえおけば飛行機買えも別に問題なくなるわけ?

飛行機のほうが事故率考えると安全なのは確かだよ、うん。

2024-08-25

anond:20240825130308

それは思う。海外女は自立してるし意見を主張しない人間大人と見做さないので、もっと強気にハッキリと意見主張する。

相手にはっきり罵詈雑言をぶつけて媚びない。


日本女は「普通男性は違うけど」とか被差別属性のくせにいちいち枕詞に変な配慮つけすぎ、優しさを強い言葉を使わないことだと考えてるので批判すら遠慮しがちでやり方が弱い

男性に媚びすぎ

反差別ですら自分でできない。ぜんぶ理解してくれる優しい王子様待ち、受身

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