はてなキーワード: 坂道とは
優秀なら既に正規雇用されているだろ。
また、既にサラリーマン経験があるものはボーナスなどちゃんとした報酬が得られなかったということもあり、年齢的にも既に独立したりしているケースも多いと思う。
氷河期世代は高いものを買えない。アニメやゲーム世代と被るけど、安いものは買える。
でも家やら車やら高いものは買えない。非正規ならなおさら、ローンも通らないだろう。
であれば、最近上がってきた住宅ローン金利などを還付する、車を買う際のオートローンなども低金利もしくは0にするべきである。
氷河期より1歳違いなら優遇を受けられないというのであれば、金利なら年齢により条件変更は容易なので、年齢により坂道をつけることは可能である。
もし、誰かの責任で氷河期世代が割を食っているのあれば、下の世代の責任はなく、上の世代の責任である。
上の世代の責任にするにしても、そうすると現在、70代、80代の負担が増えることになるので、既に稼ぎがないので回収も現実的ではない。
雇用対策でなく、優遇対策のほうが現実的だと思うけど、既に対策も遅いのでもう無理だと思う。
日本は特に他人への優遇は憎むべきことで、誰かを優遇すれば反発食らって終わる。
困窮者は、地方の誰も住まないような空き家に無償か格安で住まわせる対策以外は現実的に救う方法はないかな。
対策するにしても、もう遅いんだよね。
アスファルトはなんかコールタール(原油のねばっとしたところ?)を熱したら固まるやつ
そのままだと勿体ないので砂利を混ぜて道路に使う
タールはニコチン・タールのタール煤みたいな概念でコールは固まるみたいな意味の英語
原料がセメント粉(石灰系の成分)で、水と砂を混ぜて乾かすと固まる。固まる前に猫が歩くと足跡が残る
砂を混ぜるのは、勿体ないもあるが、いい感じに強度が高くなるため
砂混ぜないでも固まるが、硬度が高すぎて、折れやすく(砕けやすくなる)
使い分けとして、アスファルトには次の利点があるため、道路などでの使用が多い。
デメリットとして、匂いが強い、熱々にしないといけない、圧をかけないといけないがあるため、建造物などでは使用しにくい
メリットは、タイヤに特化した滑り止め性能。砂利を混ぜてるため、表面がざらざらしており表面の水はけもそれなりによい。
コンクリだと、砂利を混ぜるとパキっとなって剥離するので、人為的に凹凸をつけないと滑る。
逆に、急坂だとアスファルト施工の難度(ロードローラーの登坂力の制限や、平らにする作業)があがるために、コンクリが多い。
あと、アスファルトのほうが掘り返しやすい。アスファルトカッター(実際には多用途だが道路工事の業者はほぼそれでしか使わないのでこの名称で定着した)さえあれば
休日だ
やることがない
「休日は何してるんですか?」と尋問を受けた時、「基本は家に居ますね」とは言いたくない
アリバイ(自宅不在証明)を得るべく、美術館に行くことにした。徒歩で
ポケットに手を突っ込んで歩く
普段は幹線道路?沿いを散歩しているが、車の騒音で全くラジオが聞こえないので、
今日は2・3本奥の道を通ることにした。
キョロキョロしながら歩いていたので、獲物を物色する空き巣に見えたであろう
ラジオでは名も知らぬ男女が、特に重要でもなさそうな話をしている
大して面白いとは思わなかったが、ラジオなんてそんなもんだ、ということにして、そのまま聞き流す。
局を変えるのも面倒だし
坂道を上り、坂道を下り、何らかの無形文化財を説明する看板を通り過ぎる
そのあたりで道に迷っていることに気が付く
名も知らぬ公園を通り抜ける。レンタル自転車のステーションがあって便利そうだ
何故かステーションの隣に、誰かのママチャリが置いてある。公園に人の気配はない
近所の人が自転車置き場代わりに使ってるのだろうか どうでもいいけど
多分、あの先を進めば美術館にたどり着けるだろう。別に違ったら違ったで構わないので坂の方向に突き進む
当たった。もう知っている道だ。いつも繁盛している感のある中華料理屋を通り過ぎる。いつか行ってみたい
そのまま、この地域では有名らしいデザイナーだかアーティストだかの自宅兼アトリエ前を通り過ぎる
同僚がそのように言っていただけなので、どの程度有名なのかは知らない
美術館の隣にある大学の正門を通り過ぎ、さらに坂道を上り、美術館に到着。
そのまま入館しようかとも思ったが、若干疲れていたので近くのベンチで休むことにする
美術館の周辺は犬の散歩をしている人が多く、前に来たときはこのベンチも犬で賑わっていたが、
今日は犬の気配も人の気配もない。天気があまりよくないからかもしれない。残念だ
ラジオでは「つまらないプライドを捨てました」というメッセージが紹介されていた。どうでもいいな
入館料を支払い、企画展の展示に向かう
今回は、石崎光瑤なる人の、なんか鮮やかな花鳥画が観れるっぽい。予備知識は何もない
個人的には「若冲への憧れ」というコピーは、なんか「若冲の下位互換」みたいなネガティブな印象を受けるんだけど、どうなんだろう
まぁ若冲を全然知らないし、どうでもいいか・・・ と思ったら、美術館所蔵の若冲の作品も展示されるらしい へぇ
石崎さんは、富山の人らしい。昆虫が好きだったらしい。伊藤若冲の埋もれていた作品を見つけた人らしい。登山が好きだったらしい
流派の系図?みたいなのがあって、俵屋宗達とか尾形光琳が上の方に書いてあった気がする。へぇ
中々、花鳥画がでてこない。焦らすねぇ。昆虫の絵も図鑑並みに奇麗で見ごたえはあった
そんで、花鳥画。奇麗。
沢山あったけど、リーフレットにも載っている、白い孔雀の奴が良かった。
雄がめっちゃアピールしてるのに、雌がそっぽを向いている 切ない
後、カラスとタケノコの奴。画自体はもちろん、解説文に感情が乗ってて良かった。
あと、スズメとか、鶏とか、菊とかボタンとか、色々ありました。
それと、インド旅行だかのカラー写真で案内人のシカリーが一番目立ってたのが良かった
1点は工房の作品かも、と注釈されていたので実質1点なのかもしれない。
これだけ見ると、石崎さんの方が頑張ってると思うよ 胸を張って欲しい
せっかくなのでロダン館も観ていく。何度も観ていて飽きているので、もはやウォーキングの延長として雑に通り過ぎていく
ロダン館をぐるりと一周し、出口に向かう。売店では「燦雨」の屏風のミニチュアが、「買う人いるのか?」くらいの結構なお値段で売っていた
お腹が空いた。たい焼きを食べようかという誘惑に駆られるが、もう夕方なのでやめておく
何が言いたいのかというと、鳥は観ても食べても良いよね、という話。
https://anond.hatelabo.jp/20250125235759
意外と安全運転ができないチンパンジー・ドライバーは多いのだな、と増田とブコメを読んで思った。
制限速度遵守は安全運転の超基本で、元増田の言ってることは基本的に正しいと俺は思う。てか、公道走れば分かると思うが、大抵の車は制限速度くらいで走ってると思うぞ。たまに追い越し車線をすごいスピードで駆け抜ける車があるけど、あれは普通ではない。坂道やアクセルの加減で多少速度がオーバーすることはあるが、それは仕方ない。
遅い車は確かに気になるが、追い抜けばいいだけで迷惑に感じないけどな。歩道を歩くのが遅い人がいるからっていちいちイラつく人っているの? そもそも心の持ちように問題がある。余裕がない状態で運転するな。イライラしてるチンパンジードライバー、お前だよ。
教習所で習ったろ? 睡眠不足や疲れた時に運転を控えるのは当然で、心身に余裕ない状況での運転はNG。イライラしてるお前が悪い。時間がないだって? 時間に余裕ない行動をしてるお前が全て悪い。
教習所で習ったことだが、スピード出して急いで車を追い越しても、到着時間なんて大して変わらんもんだよ。一般道だと赤信号に捕まって結局後続車に追いつかれてる。イラつく奴は「自分のペースで走りたい」だけで、気持ちに余裕がないのよ。
俺も制限速度を守る人間だが、通勤ラッシュ時は周囲の心もスピードも乱れているので、俺みたいな慎重な人間がいるとかえって危ない場面が増える。なので俺は週末のゆったりした時間しか乗らないようにしてる。
危険が予測可能な状況で運転を控える判断は正しい。けど、この気づきの核心は「心もスピードも乱れ」たドライバーが多いということ。そんな状態で運転するチンパンはただのアホで、運転に向いていない。スピードが乱れたチンパンは尚更だ。公道は危ない奴が多いのだ。その気づきが大切だ。カオス状態の公道が危険なのであって、よほど自信がなければ避けるのが正常な判断だ。「そんな状況で運転できるのが普通の運転者」なのではない。危険な場所で運転しないのが正しい判断と思う。
速度の差が危険なので周りに合わせないやつは危険だぞ。
速度の差を危険と感じるのは、車間距離が狭いから。そんな車間で走るから危険を感じるのよ。あなた、せっかちなチンパンね。教習所で車間距離はとれと学んだでしょ? 前方不注意で事故の責任取るのあなたチンパンよ?
車間距離が十分にあれば速度差が危険にはならないんだよね。これは運転してたら理解できる事実。せっかちに前方と距離を詰める車いるけど、追突したら、あんたにオカマ掘った責任あんのよ・・・(^^)
ていうか、周りに合わせろと言ってるけど、あなた自身が自分のペースで走りたいだけでしょう・・・。まさかただの自己中じゃないよな。チンパンは社会性があるとは言え、野生動物だから動物的な行動しかできないんだよな・・・ホント世話焼ける。
でも、慣れない山道を走る場合、どうしてもカーブや交差点で速度は落としてしまうから、スムーズに走る地元の方には迷惑がかかるのは分かる。そういう場合は道を譲ってあげればいい。
世の中色んな人がいるのは社会人なら当然分かることで、運転上手な人もいれば下手な人もいる。公道もそうで、いちいちイラついていたらキリがない。
ブコメも増田もそうで相手に分かるように諭してあげるか、嫌だと思ってもするっと無視すればいい。
ていうか、「周囲に合わせて制限速度を守らないほうが安全運転」と言う奴、それは「赤信号もみんなで渡れば怖くない」状況だ。
安全運転でも何でもなく、周囲が危なっかしい・せっかちなチンパン運転者ばかりなだけで、ある程度状況に合わせないと危険という意味では「危険回避」ではあるのだけど、あくまで危険回避のための例外的状況であって、安全運転とは別物だ。速度超過を安全運転と宣うのは止めてほしい。
気づけば、毎日のようにいくつもの配達アプリや単発バイトアプリを立ち上げ、その時々の仕事をこなしている。ウーバーイーツ、タイミー、その他の短期・日雇いの募集をリロードしながら、効率よく仕事を掛け持ちしてきた。好きな時間に好きなだけ働ける──そう思って始めたはずなのに、いつの間にか心も身体も追い詰められている。名前は伏せさせてもらうが、そんな自分の小さな物語をここに綴りたい。
最初は「自由に働ける」「拘束時間がない」「上司に叱られない」などの言葉に惹かれて、ウーバーイーツの配達パートナーになった。自転車さえあればスマホ一つで仕事がスタートできるという手軽さも大きな魅力だった。通勤電車に押しつぶされる苦痛も、会社独特の人間関係に煩わされるストレスもない。好きな時にアプリをオンにしてオフにするだけ。その自由さが、自分の未来を切り開いてくれそうに思えた。
しかし、現実は甘くはなかった。ウーバーイーツを始めた最初のうちは、「デリバリーして報酬を得る」ことへの単純な楽しさに勢いづけられていた。街を走り回り、新しいお店や道を知り、配達先のお客さんと時折交わすちょっとした会話に刺激をもらう。SNSで「今日は〇〇円稼げた!」と成果を自慢する仲間たちの投稿を見ると、自分ももっと頑張ろうという気持ちになっていた。
だが、いつの間にか市場には同じようなギグワーカーが増え、報酬は徐々に下がってきた。それに合わせるように、自分の身体も疲れやすくなっていることに気づく。最初は平気だった長距離移動も、今では足が鉛のように重く、坂道を見るだけで気が滅入るようになった。食事のタイミングも不規則になり、おまけに天候に左右される仕事なので、雨の日はカッパを着てもずぶ濡れ。真夏の猛暑日は灼熱地獄で、熱中症寸前の状態で走り回ることもある。
そんな中、稼ぎは思ったほど伸びない。ウーバーイーツだけでは生活が安定しないので、タイミーなどの単発アルバイトにも手を広げた。イベントの設営やチラシ配り、倉庫内作業に警備員の仕事まで、その日その時の募集に合わせてシフトを埋めていく。それこそ、朝から倉庫作業をして午後は配達、夜は警備の仕事へと転々とすることだって珍しくない。一日で3種類の仕事を掛け持ちする日もある。昼間の炎天下で自転車をこぎ回し、夜は立ちっぱなしで交通誘導。体力はぎりぎりだ。
スケジュール管理が地獄だ。スマホのカレンダーには隙間がないほどバイトや配達の予定が詰まっている。ちょっとでも時間が空くと、自分を奮い立たせるように「いま休んだら、その分稼ぎが減る」と考えてしまう。「休みたい」「眠りたい」と思っても、どうしてもスマホの通知が気になってしまうのだ。案件が出ては消え、人気の仕事は数分で埋まる。画面を閉じてしまうと、まるで「自分だけが損をする」ような気になって、結果的にはずっとアプリを見張ってしまう。
自由な働き方のはずが、いつの間にか24時間仕事のことを考えるようになっている。何時に寝ても「明日は朝イチでいい案件を取らなきゃ」と早起きをするし、日中は配達の合間に単発バイトの募集をチェックする。夜勤の警備を終えてフラフラになっても、「ウーバーイーツの朝活を逃したらもったいない」という気持ちが首をもたげる。こうして「休むタイミング」を自分で見失ってしまうのだ。
もちろん、成果があがる日はある。一日じゅう走り回って数万円稼げたときは、達成感も大きい。けれど、その分身体の疲れも半端ではない。一度寝込んでしまうと、翌日の予定がすべてキャンセルになり、収入は激減する。ギグワークは働いた分だけ金銭が入る仕組みだが、逆に言えば「休んだらゼロ」なのである。固定給が保障されているわけではない。契約社員でもなければ、正社員のような福利厚生もない。病気になればすべて自己責任だし、事故にあったときの補償や手続きも複雑で、泣き寝入りするケースも多い。
ある日、配達先に向かう途中で自転車のチェーンが外れ、修理に手間取ったことがあった。その時間が大きくロスとなり、その日の報酬は目標に届かなかった。それだけならまだ良かったが、焦る気持ちのあまり安全確認も疎かになってしまい、狭い路地で車との接触事故にヒヤッとした。幸い接触はギリギリ避けられたが、一歩間違えば大けがにつながっていただろうと思うと、冷や汗が止まらなかった。その時、「自分は今、どれほど危うい橋を渡っているのだろう」と改めて恐怖を感じた。
もう一つの悩みは、周りに相談できる相手がいないことだ。ギグワーカー仲間と呼べる人は、SNSや配達先でたまに顔を合わせる程度で、深い付き合いをする機会がほとんどない。配達や単発バイトは一匹狼のような働き方なので、基本的に個人プレー。上司も同僚もいない。困ったときに頼れるのは自分だけ。何かトラブルが起きても、サポートセンターに連絡したり、ネットで検索したり、自力で解決するしかない。そしていつの間にか、「人に相談する」という発想そのものが薄れてきてしまった。
親や友人には「自分で選んだ働き方だろう?」と半ば呆れられることもある。特に、昔ながらの正社員志向の強い人たちには理解されにくい。「きちんと就職しないのか」「いつまでそんな不安定な仕事をするのか」と詰問されると、言い返す気力も失われてしまう。正社員の道を選ばなかったのは自分の意思だが、それでも誰かに認めてもらいたい気持ちはある。だが、ギグワークを誇らしげに語るには、現状はあまりにも厳しい。結局、周りの声も気になって精神的に追い詰められ、だからと言ってこのままギグワークをやめると今度は生活費が足りなくなる。その堂々巡りから逃れられない。
一方で、「自分にはこれしかない」と思ってしまうほどに技術や経験を積み上げられずにいるのも事実だ。ギグワークは基本的に専門的なスキルが要求されにくい。もちろん配送の効率を高めるテクニックや、接客でのコミュニケーション能力は多少身につくが、いわゆる「キャリア形成」という視点では弱い。そのため「この先ずっと同じことを続けていても大丈夫だろうか」と不安がつきまとう。もしアプリの運営が急に方針を変えたり、報酬体系が改悪されたり、新しいテクノロジーが登場して仕事そのものが消滅したりしたら…。いまの自分には「スキルを生かして他の業界で働く」という保険がほとんどないのだ。
どこかで一度腰を据えてスキルを磨きたいと思いつつも、「今月の家賃と光熱費をどうにかしないと」という緊急事態が常に目の前にある。少しでも時間を惜しんで働かなければ、すぐに家計が赤字になる。勉強をしたり資格を取ったりするための時間を捻出するのが難しく、結局は今日のバイト、明日の配達を優先せざるを得ない。そして無理をして働いた結果、心身ともに疲弊してしまい、ますます長期的な展望が見えなくなる。そんな悪循環に陥っているのだ。
周囲には、器用にギグワークをこなしながらも別の副業や投資、またはクリエイティブ活動で成果をあげている人もいると耳にする。しかし、自分にはそうした才能や投資に回す資金もない。趣味が仕事につながるような器用さもなく、日常の大半の時間とエネルギーをバイトや配達に費やしている。結果として何のステップアップにもならないまま、ただ疲労だけが蓄積していく。そのことを考えると、閉塞感がいっそう強くなる。
さらに困ったことに、ギグワークを続けているうちに生活リズムが乱れ、毎日の食生活も疎かになりがちだ。食費を節約するためにコンビニ飯やカップラーメンで済ませることが多くなり、栄養バランスは崩れ気味。不規則な睡眠からくる倦怠感も加わり、最近ではよく体調を崩すようになった。病院に行くにも保険証の問題や医療費の負担が気になり、結局「大したことないから大丈夫」と先延ばしにしてしまう。自分の健康を後回しにしていることも、心のどこかではわかっているのだが、日々の仕事に追われる中でつい目をつぶってしまう。
こんな状態が続くと、気づかないうちに無性にイライラしてしまうこともある。ちょっとしたトラブル、たとえば注文の配達先がわかりづらいとか、バイト先で誰かに指示を出されるとか、そういった些細な場面でカッとなってしまう。もちろん、その後すぐに自己嫌悪に陥る。自分でもコントロールできない不安定な精神状態が、さらに自分を追い詰める。それでもアプリの通知が鳴ると、また仕事へと向かってしまうのだ。
たまに、どうしようもなく自分自身を情けなく感じることがある。かつては「正社員になりたくない」と言いながらも、「それでも自由に生きていける」と信じていた。だが今はどうだろう。休みもなく、全力で動き回ってやっと家賃と食費を確保するのが精一杯。何かの拍子で仕事に穴が空けば、一気に生活が破綻しかねない危うさがある。働いても働いても先行きが見えず、自分はこれから何を目指していくのか──そんな疑問が頭をもたげるたびに、どうしようもなく不安が胸を締め付ける。
先日、久しぶりに地元の友人と話す機会があった。「就職してもう3年になる」と彼は言う。昇給もあり、休日はゆっくり趣味を楽しむ余裕もあるらしい。もちろん会社勤めには会社勤めなりのストレスがあると彼は言う。それでも、安定した収入と社会保険、将来の見通しがあるのは大きいなと、正直羨ましく思った。かたや自分は、毎月のように思いがけない出費で苦しくなる度に、ギグワークの限界を感じてしまう。
最近は、「このままでいいのか」「もっと自分らしく働ける場所があるのでは」と、胸の内で葛藤することが増えてきた。もっと若い頃にちゃんとスキルを身につけておけばよかったとか、就職活動をまともにしていれば違う未来があったかもしれない──そんな後悔の念が頭をよぎる。だが、一方では「正社員になっても合わなかったらどうしよう」「自由を失うのは嫌だ」という思いも消えない。結局は自分の軸が定まらないまま、いくつものアプリに振り回されている状態だ。
それでも今、立ち止まって考えなければいけないと感じている。ギグワークのメリットだけを見て始めたけれど、その実態は思った以上にハードで、先行きも不透明だ。瞬間的に稼げる日があるからこそ、「もう少し頑張ったら、もっと上手くいくかもしれない」と期待してしまう自分もいる。しかし、その期待に何度裏切られてきたことだろう。そして今、文字通り身体も心も限界に近い。
働き方は人それぞれで、ギグワークが心地よい人ももちろんいるだろう。だが、自分のように生活が常に綱渡り状態で、休めない、将来が見えない、そんな不安に怯え続ける日々が正解とは思えない。自分を否定したくはないが、このままでは本当に持たない。そう思う瞬間が増えてきた。いまの自分にとって必要なのは、「仕事を詰め込むこと」ではなく、「働き方を根本から見直すこと」なのかもしれない。
けれど、現実には今月の家賃支払いが迫っている。止まってしまうと収入がゼロになる。タイミーに登録しているバイト先も、急にキャンセルすると二度と仕事をもらえなくなるかもしれない。そういう不安が頭をよぎるからこそ、「もう少しだけ頑張ろう」とアプリを起動してしまう。その葛藤の繰り返しに、心が悲鳴を上げている状態だ。
こんなふうに自分の本音を言葉にすること自体が、ひさしぶりかもしれない。いつもは一人で走り、一人で悩み、身体を酷使してひたすら稼ぐだけの毎日だから。もし似たような境遇の人がいるなら、「限界を感じるのはあなただけじゃないよ」と伝えたい。世間では「ギグワークは自由で気軽」なんて言葉がよく飛び交うが、その裏でこうして苦しんでいる人もいるのだと知ってほしい。
この先、どうするのかはまだわからない。いきなり正社員の道に進むのも気が引けるし、あるいは資格を取るために短期的に集中するのも現実問題として難しい。だけどこのままのギグワーク漬けの生活が続くと、いつか本当に身体を壊してしまいそうだ。そうなって初めて「働きたくても働けない」と、取り返しのつかない事態になるかもしれない。考えるだけでも恐ろしい。
小さな覚悟として、明日は一日だけでも休みを取ろうと決めた。生活費は苦しくなるだろうが、まずは自分自身のために時間を使わなければならない。それがきっと最初の一歩になる。スマホの通知をオフにして、久々に一日じゅう寝るもよし、図書館で情報を調べるもよし。心と身体を整え、将来について冷静に考えるための時間を確保してみる。そうしなければ、きっと何も変わらないまま、自分をさらに追い詰めてしまうだろう。
「ギグワーカーだけど、もう限界」――こんな言葉を自分の口から発することになるとは思わなかった。けれど、今の自分にとってこの言葉は紛れもない真実だ。自由を夢見て飛び込んだ世界で、いつの間にか不自由の枷に縛られていた。それでもまだ、どこかで「自分らしく生きたい」と願う気持ちが残っている。この文章を書きながら、せめてその願いを灯し続けたいと思うのだ。
もう少しだけ悩んでみよう。もう少しだけ自分を大切にしてみよう。もし同じように疲れ果てているギグワーカーがいれば、いまが踏ん張り時かもしれない。休む勇気を持つのも、逃げる決断をするのも、次の一歩を踏み出すためには必要だ。自分らしさを取り戻すために何ができるのか、ぎりぎりのところで考える機会をつくってみたい。そう、ほんの少しだけの勇気で、自分の人生は変えられると信じているから。いずれにしろ、僕は今、限界寸前だ。だけどこの限界をきっかけに、新しい一歩を踏み出せると信じたい。
前編
八王子、京王線北野駅徒歩10分弱。温浴なし、サウナ室1つに15℃前後とシングルの水風呂2つ。内気浴と外気浴スペース。タオルはレンタル350円。
先に言ってしまうが年末年始に巡った中ではここが一番良かった。その一番の魅力が薪ストーブサウナ。無音で暗いサウナ室に入った途端、薪の燃える良い香りにくらっと来て、最長の2時間で入ったが5,6セットくらいやってしまい時間をフルに使ったし2日後にすぐリピートした。
セルフロウリュに加えアウフグースイベントも1時間毎の高頻度で開催。
総じて良かったけど強いて言うならってレベルで…
とても良いサウナに出会えてとても嬉しい。家から電車を乗り継ぐと少々手間だけどそれでも行きたいと思ってしまう。
初めて行った時は、慣れない薪ストーブサウナの効果なのかぽっかぽかになり、退店後駐車場の喫煙スペースで一服していたら真冬の夕刻というのに汗が頬を伝った。新しい体験ができた。
八王子北野駅となると、都心の方からは少し面倒に感じられるかもしれない。それでもサウナ好きなら一度味わってみて欲しいと思う。めっちゃ良いので。
入店時に下足箱に靴を預けるがそれがロッカー番号となる。鍵の札に「上段」とか「下段」とか書かれているので下段を避けると良い。
24時間営業のサウナ施設(清掃で入れない時間有り)。5つのサウナ室に、シングル、15℃前後、22℃前後と3段階の水風呂という、スーパー銭湯ならぬスーパーサウナと言える施設。色々なサウナ室があるのでここはWebサイトやYouTubeの紹介をぜひ参照してほしい。
1階に炭酸泉の温浴、2階のサウナフロアには内気浴スペースに加えて気温をかなり下げたクーリングルームも有る。飲食、休憩スペース有り。外気浴は無し。1階は会話OKで2階は完全黙浴。
シューロッカーでは奇数番号を選ぶ(更衣室ロッカー上段を使える)。シャワーの後まずは「戸棚蒸風呂」というサウナ室へ。戸棚風呂とは"浴槽に膝が浸かる程度に湯を入れ、下半身を浸し上半身は湯気で蒸す仕組みの日本古来の入浴方法"とのこと。お湯を贅沢に使えなかった頃の入浴法らしい。そこで適度に身体を温めて汗腺を開くのが1セット目。
1セット目は15℃前後の水風呂。休憩ののちアウフグースの時間をなんとなく確認する。
内気浴スペースにはドリンクカウンターがあり、そこで「スタンダード飲み放題」(500円)を発注する。左腕にリストバンドを巻いてもらえば、ポカリと麦茶、オリジナルのデトックスウォーターが飲み放題。このデトックスウォーターが美味しいというか、サウナに良い。
好きなサウナ室は「瞑想」という仕切りで区切られた1人様の椅子が並ぶ部屋。暗くて静かで居心地が良い。次点でケロサウナ。2セット目からはシングルに入り、気分に任せてその後ぬるめの水風呂に入ってまどろむ。
こういうサウナ室の種類の豊富な施設では自然とセット数も増えて4,5セットくらいやってしまう。
サウナに満足したら1階に降りて大型テレビを眺めながら炭酸泉にゆっくり浸かる。
終了後は地下の飲食・休憩スペースでビールとか飯。眠けりゃそのまま昼寝。
サウナ室、水風呂、内気浴スペース、サウナ後の温浴、地下の休憩スペースと、総じて良かった。ただやはり人気店、話題店なだけあっていつ行ってもそこそこ混む。基本どこに行くにも空いている朝イチが好きで、清掃時間明けの9時朝イチを狙って行ってるけど、それでもかなりの賑わい。
別に独り占めみたいな状況が欲しいわけではないけど、グループ客が連れ立ってぞろぞろ歩いて(業界では「ドラクエ」と呼ばれる)、黙浴のルールがある中でお喋りされるとちょっとなぁとなってしまう。
ただしそういった点を踏まえても、それらを乗り越えるくらい全体としてはサウナ室や水風呂、内気浴スペースの魅力は自分には高め。今後は平日休みがあれば本当にたまの贅沢として使うかなぁという感じ。
もうサウナブームと言われたのも軽く過去のように感じるけど、これだけ「混んでるところは嫌だ」みたいな事を言ってるし自分の好きなところが激混みになったらちょっとげんなりはしそうだけど、それでも業界全体が盛り上がって創意工夫を凝らした良いサウナ施設が増えてくれたら良いと思う。
ここ数年のブームは(コロナもあってか)個室サウナなのかなぁ。自分はまぁ未体験だし一度くらい体験してみてもいいけど料金設定がなぁというくらい。
一方でここまで書いた様な大衆向けで良い施設も増えてるし増えるのはやっぱり喜ばしい。
サウナのお客さんには人それぞれ楽しみ方の癖のようなものがある。老舗銭湯系を愛する人もいれば、寛ぎ空間としての施設の清潔さとスペースのゆとりを重視する人、モンスターのガウン着用は我慢できないという「絶対全裸休憩派」に「動線至上主義派」、100℃超のアチアチサウナとシングル水風呂を愛する「温冷落差過激派」、セット数や水風呂の入り方をとってもそれぞれ好みがある(オーガズムを迎えやすい体位みたいな、セックスやマスターベーションの癖みたいなものだななんて思ったりする)。そういった客の多様な好みに合わせて、色々なお店ができたり各店が工夫を凝らしたりしてくれるお陰で、イチ利用者として楽しむことができる。
これからも飽きる事なく色々楽しめそう。苦しかった2020年以降を生きながらえた老舗名店には敬意を表するし、このサウナ激戦の中新たなチャレンジに踏み切るお店・会社にも感謝感激雨水風呂よ。
世の中的にはまだサウナブームは続くのかな。ゼロ年代にはこんなにサウナサウナって言われてなかったよな。当時自分は名古屋栄でのバイトの後終電までの短い時間で、当時はただ仕事に疲れたおっさんや終電逃してお金もない人が集まるカプセルホテルだったウェルビーに行ったりしていた。まさか全国的に有名になる日が来るとは思わなかった。
これからこのブームがらどうなろうと俺は色んなところに行き続ける。各店、新規参入業者には頑張ってもらいたい。
まだまだ寒い日は続きそう。(夏も行くんだけど)みなさま良いサ活を! いいお店あったら教えて!
「芸人が自分で『裏回し』って言っちゃったらそれはもう『裏回し』でもなんでもないんだけど、やっぱり『あいつが言ってるなら俺も言いたい』ってのはあるじゃない」ってのがあった
「人に『気付かれない』ことまで含めて『芸』」なんだけど、やっぱりどうしたって裏回し職人として認知されたいって部分もあるよなと。にんげんだもの
芸人に関しては「誰にも気付かれてないけど、俺、裏回ししてんすよ」ってメディアで言っちゃえば承認欲求を満たせるしネタにもなるよな
でも、一般人が仕事してて実際裏回ししてる場合が沢山あるわけだけど、彼等はたぶん「俺、やってるんすよ」って言わないじゃない
出来た上司とか出来た経営者とかはちゃんとそういうの見て評価してくれるだろうけど、基本誰にも気付かれないってのが確実にあるよなあ
世の中はそういう裏回し素人によって支えられてるってこと、忘れちゃいけない
本人的には承認欲求なんか欠片も無くて、ひたすらに「業務が滞らない様に、巧く回る様に」っていう気持ちでやってるんだろうけども
有り難いと同時に言いたいのは、「無理はしないで欲しい」ってこと。それをすることで心身共に弱るようなことにだけは絶対なってはいけないです
みんなで泥縄式で「なんとか終わったぜ」で仕事すればいいのです。華麗に無駄なくスピーディーにこなす為に誰かが犠牲になる必要は無いのです
(でもサボっている奴は論外。というか、サボってる奴が居なければそれなりに綺麗にまとまるんだよ)
あちこちオードリー年末回でもう一つ興味深かった話は、「燃え尽き」について
随分前のことらしいが、伊集院がラジオの仕事に於いて燃え尽きというかイップス状態になったそうで
嫁の扶けもあってそこから抜け出した時、「総てが素晴らしい」と感じたそうだ
その話を聞いた若林が「俺も最近同じ状態になりました」と言っていた(最近も最近で、M-1審査する一ヶ月前くらいのことらしい)
そこで思い出すのはスピリチュアル系の「別の領域」の話。そこは「総て在る」世界であり、やっぱり「総てが素晴らしい」と感じるそうだ
「エゴの声に振り回されず、願望を手放した状態」だが、意図的にその領域に踏み込むのは難しく、「自ずとやって来る」ものだという
まあ、瞑想や自己観察や自愛によって到達するって場合もある様だが
あと、伊集院や若林の様に「燃え尽きた果てに到達する」ことも(ある意味「自意識の死」を迎えてるんじゃないかな?)
実は自分も「総てが素晴らしい」と感じていた時期があった
あの時なんでその領域に到達出来たのかと言うと、「一年間ジョギング」していたからである
そんな単純なフィジカルからのアプローチでも到達出来るのだ(「早足かな?」程度のジョギングで。サブスリーを目指してトレーニングとかではない)
体力がつき、人生初と言っていいほど漲っていたからそうなった様だ
でもジョギングをやめてしまったら元の精神状態に戻ってしまい、同じ気分を味わいたくて愚直に走ってみたもののもう駄目であった
(平地をダラダラ走るからかなあ?あの時みたいに「坂道を登ったり下りたり」ならいけるのかなあ?)
感情老化は激しい今日このごろだけれども、燃え尽きとは違う。何も極めてないので燃え尽きるものが無い
またあの領域に到達する為には、やっぱりフィジカルの鍛錬しか無いのかもしれない(瞑想は苦手だ。脳内が多動な上に呼吸法が下手だから)
こんにちは。私自身過去に虐待を受けており、ただ受けただけじゃ元が取れない(?)ため、創作に活かしていただきたくこんなことありましたよ!というのをお話できたらなと思い筆をとっています。不謹慎って思われないかなとか、人の経験だしネタにしづらいなとかシコりづらいなと思われるかもしれませんが、マジでガンガンネタにして元を取りたいので好きにしていただけますとハッピーです。自分の経験ベースで、児童相談所とのやり取りがあった時に聞いたことも交えていきますね。
受けたものとしては経済的虐待(ネグレクト)、教育・文化的虐待、精神・肉体的虐待、性的虐待などが挙げられます。
順番に思い出しながら書いていきます。
基本的なスペックとしては母は軽度のASDと知的のしょうがいがあり、父はわかりませんがヤニ力スパチ力ス酒力ス浮気とフルコンボでした。お手本のような力スです。力スの見本市。3歳頃に母方の祖父母宅に転がり込んで居候をはじめましたが、父はいつのまにか逃げました。
ネグレクトについてはよくある形ですが、まず父親が今生きてるのか死んでるのかわかりません。父親も幼少期、兄と弟と共に公園に連れて来られ、おもちゃを渡されて「ここで待っていてね」と両親に言われたがそのまま両親は戻って来なかったため児童養護施設で育ったと聞きました。血ですね~
父は気付けばいなくなっていました。
食事も食べられる時と食べられない時とあり、食卓につくとありとあらゆる動作や食べ方、箸の持ち方、口の動かし方、全てを罵倒され罵られます。ろくに食べられたもんじゃないし、味もわかりません。母は料理が上手じゃないくせにオーガニック派(笑)だったため、添加物着色料など使う食材は徹底的に避けており、貧乏なのに国産無添加無農薬にこだわり、結果的に食べられるご飯の量は少なかったです。
食卓でまともに食事が出来なくてもお腹は空きます。育ち盛りの子供なら当然。そのため、夜中にこっそり起き出してキッチンで食べられるものを探しました。三角コーナーの生ゴミからまだ食べられる野菜の皮や芯を探して食べていたら、祖母に気付かれていたようで、バレた日から「ゴキブリ」と呼ばれるようになりました。草 誰がやねん
教育・文化的虐待については、親の望む進学先ではないためお金を出してもらえなかった、などがありました。福祉に繋がることも出来ず、進学などが制限されるというのもよくあるケースのようです。弟も進学先を制限されて学費を支払ってもらえず、私が支払っています(よくあることらしく、親戚やきょうだいが払うケースは多いそうです)
精神的虐待というと幅は広いですが、たとえば父と母の結婚は母方の祖母が元々反対していたらしく、家にいる間はずっと祖母が父の悪口を言っていました。母に対して「育てられないならなんで産んだんや」と金切り声で叫んだりなどしており、それを私たちきょうだいは黙って聞かされていました。生まれてくることを望まれていなかったのだという感覚が形成されたのはこれがデカいのかな?と思います。自己肯定感ダダ下がりポイント。母も母で言い返すことをしなかったのが余計に悪かったのかも。もしかしたら母にちゃんとそれを否定して欲しかったのかもしれないですね。今となってはどうにもならないことですが。
また、兄も父によく似た男でした。気に入らないことがあれば殴る蹴る、罵倒する、無能と罵り物を投げる、壁を殴る。など。実家の壁には多分未だに穴があります。兄は父親のことを憎しみ、嫌っていましたが、大きくなればなるほど兄の態度は父に似ていきました。それを指摘すれば烈火のごとく怒り狂い、怒鳴り、それがまた、酔って暴れる父親に酷く似ていました。
これ創作ならシコポイントだと思うのですが、実家にいたころ私は背もたれのない椅子を使っていました。そのため、兄が後ろを通る度に後ろから蹴られ、頭を殴られ、怒鳴られるため、未だに年上の男性が後ろに立つとちょっと怖いです!多分厳密には自分より体格のいい人が、だと思います。どれだけ信頼していても、あっ!蹴られる!と思ってビクッとします。身体が強ばるような感覚で、全身に力が入るような一瞬の緊張があり、もう家を出て10年近く経ちますがいまだに抜けない癖となっています。
あと、メンタルがぶち壊れて鬱をやった時、寝込む私に兄が硬式テニスのテニスボールや、ボール入れを頭に投げてきたことがあったため、未だに🎾これとかこれの容器を見るとオッ……となります。私の中で武器や凶器に分類されるのかも。痛かったから。物はよく投げられましたね。お皿とかも投げてた気がします。
兄が暴れるのに怯えた祖母が金切り声をあげて泣き、母は抵抗せず殴られて、唯一力で抵抗できる祖父が必死に止めて、という生活が続きました。兄も軽い鬱だったようです。
母もただ大人しいかと言われるとそういうわけではなく、多分ですが発達障害やASDの兆候があったように思います。同じ日本語を話しているはずなのに、全く話が通じず、言っていることの意味が全くわからないというようなことがありました(例を挙げるならば、私が家にいるのが限界になり児童相談所と相談して一時保護を受けるか他のなんらかの施設に行くか……という話になった時、今まで服も全部お下がりなぐらい私にお金かけなかったくせに「古い一軒家を買い取ってそこに住めばいい」「父の自営業の事務所代わりにも出来るし」と言い出したりとか。父は配送業で全然勤め人だし、その頃にはもうろくに連絡も取れてなかったし、何より私は父から強姦されてたので一緒に住むなんてとんでもねえよという感じでした。それが嫌だと言ったら「実家から私たち家族が引っ越してあなたが1人で住めばいい」とか言ったり。実家は祖父母の家であり、そんな権限は家庭内地位が最下位の母にあるわけないし、もちろん同意を得られるはずもないのに)。
母の言い出すことはいつだって意味がわからなくて、きっとこれまで母が受けてきた抑圧や苦しみ、刷り込まれてきた固定観念で雁字搦めになった価値観を私にも押し付けているようでした。いわゆるヒスお母さんに近いです。二段ベッドの上の段で寝ていた私が、メンタルぶっ壊して学校に行けなくなった時、大声で騒ぎながら私を二段ベッドの上から引きずり落とそうとしたり。足つかまれて引っ張られてたので、誰かに足首を掴まれたり、足を触られるのも今ちょっと怖いです。後ろに男性が立つ時ほどではないですが。
そして我が家は貧乏で、母が乗っていた自転車も近所の人のをお下がりでいただいていました。古い自転車はブレーキがきしんで、坂道にある私の家に母が帰ってくる時はいつもキィキィと甲高い音が鳴っていました。あの自転車の音がなると、ああ母が帰ってくる、またきちがいが私の暮らしに入り込んでくる、祖母が母を怒鳴り罵倒しヒスり金切り声を上げる、と絶望したものです。
未だに自転車のブレーキのキィキィいう音を聞くと、こんなところに母がいるわけないのに、その時の嫌な気持ちを思い出します。母が帰ってくる。きちがいが帰ってくる。私をメチャクチャにする。
ここまではよくある(あっちゃいけないですが)家庭内での機能不全についてお話しました。かなり主観的視点で書いたので、お気分が悪くなったようでしたら少し休憩されたり、読むのを中断してくださいね。
メチャクチャ興奮していただく分には、不謹慎だ!とか思わないので、好きにネタにしてください!(私の方からネタとして差し出していますしね)
いちばんはじめに感じた違和感は、幼い頃からさせられていた習慣でした。物心ついたころ(4歳とかぐらい?)から、父親に「父ちゃん愛してるって言え」と言われ、キスを強要されていた記憶があります。頬にとかではなく、普通に口で。舌を入れられたこともあって、それがとても嫌でしたが、キスをした後口を拭えばメチャクチャに怒られました。でも物心ついたときからずっとそうだったので、それが変なことだということは中学生ぐらいまで気付きませんでした。類似したことはたくさんあり、身体は自分だけのもの、他の人は家族であろうとプライベートゾーンに触ってはいけない、ということを知らずに育っていました。
肩とかお腹とか、たぶん他の人からしたらおかしいんじゃないか?ってぐらいたくさん触られていたように感じます。
決定的にこれはおかしいぞと感じたのは、小学校3年生ごろのことでした。私はそれぐらいの年齢にしては発育がよく、胸が大きくなっていたころだったのですが、お下がりばかりの服しか着られない貧乏家庭で当然ブラジャーなど買ってもらえるはずもなく、薄い服で胸を気にしながら過ごしていました。
ある日久々に父親と会った時(なんで会ったかは覚えてないな……)、不意に胸を触られて、「胸大きくなってきたな。もう女になったんか」と言われました。
キッショ。
小3やぞ。女になったんかて。キモ。草。
そっからはもう、なんというか、転がるように良くない方向へ進んでいきました。車の中で、連れ出されたよく知らない建物の中で、父の知り合いらしい誰かの家の中で、身体を触られる地獄が始まりました。脱がしやすい服を着せられて、父のヤニ臭い白い車に詰め込まれ、どこかへ連れて行かれて。知らない場所まで連れていかれるから、帰り道がわからないから、逃げ出せなくて。父親の吸っていたECHOの臭いが胸に張り付いて。私のからだははじめから私のものではなくて、いつの間にかそれをされている間はぼんやりしているようになりました。現実逃避というか、精神が身体から乖離しているような。
ずっとなにか、火を見ている気持ちでいたような気がします。自分でもよくわからないのですが、ゆらゆら揺れている炎の記憶がやたらとあります。もちろん暖炉とか火がある環境でレイプされてたわけじゃないのに。なにか他のこと考えてないとやってらんなかったんでしょうね。
非常にはっきり覚えているのは、強姦されたときにいた和室の中で、破瓜の(あるいは膣の引き裂けた怪我の)血で汚れた畳のしみを、「お前が舐めて綺麗にしろ」と下卑た笑いを浮かべた男から言われたことです。
あれが父親だったのか、父が呼んだ他の誰かなのか、もうわかりません。「いぐさに染み込んだ血は舐めたって綺麗になりません」と言った私の頬を叩いて畳に押し付けたことだけ覚えています。朧気な記憶の中で、タンクトップの男が私を押さえ込んで、組み敷いて、汚い床の上で。身体はどこもかしこも裂けるほど痛くて、軋む音がして、換気扇の音がうるさくて、ヤニ臭くて、吐き気がして、息をしてるのかしてないのかわからなくて。ぐるぐるぐにゃぐにゃ天井が回っていて、汚い天井が揺れて、その記憶だけがはっきり残っています。
あとは気付いたらビニール袋を頭に被せられて、窒息しかけた記憶もあります。これも誰がやったのかわかりません。ビニール袋を被せられて、突き飛ばされて、倒れ込んだ私の腹に誰かが飛び乗るような感覚がありました。踏みつけられたのかな。わからないけど。
お腹の中でなにかがぐじゅりとおかしくなるような感覚がして、ビニール袋の中で声にならない悲鳴をあげて、意識が途切れて。その時内臓が破裂したみたいで、免疫が人より著しく低かったりだとか、そういう後遺症?みたいなものがあります。
母にその後病院に連れて行かれた気がしますが、医者に「転んでぶつけた」と言い訳している記憶があります。無理あるだろと思ってました。
酔っ払った父が私を突き飛ばして、顔から倒れ込んだ私の上に馬乗りになって首を絞める景色。畳しか見えなくて、もがいても逃げ出せるわけなくて、足掻いているうちに首に手を回されて。骨が軋んで、気管が狭まって、だんだん瞳孔が開いていくのか涙でか視界がぼやけていきます。焦点があわない視界で必死に瞬きをして。こひゅこひゅと喉からすきま風のように息が漏れて、喉が圧迫されて、必死でもがいていたら父がゲラゲラ笑って私の上から降りる。気まぐれに降りただけで、父の気が向かなかったら今私はここにいなかっただろうなと思います。
首を絞められることは何度かありましたので、それでも今も生きているということは、殺してしまったらいけないという意識はあったのでしょうか。
或いは力や体格で絶対に敵わない弱いいきものが、自分の力加減ひとつで必死にもがいてあがいて生き延びようとする様を見て楽しんでいたのかもしれません。私を組み敷く父が下卑た笑いを上げていたのを見るに、その可能性が高いかもしれないですね。
首を絞められるにしても、前から絞められるのと、後ろから絞められるのでは苦しさが違います。
正面から絞められる方が苦しいです。後ろから絞められる(人差し指~小指までが喉に触れる)状態だと、力の当たる面積が分散するからか、締め付けられている感覚はより大きいですが苦しさはマシでした。正面から首を絞められると、親指がぐっと気管を押さえつけてきます。ピンポイントで親指の一点に力が集中するため、苦しみが強いです。息ができない感覚が続いて、視界がぼんやりしてきたところで、ぱっと手が離されると、一気に外気が喉になだれ込みます。喉にはずっと何かが詰まっているような感覚がして、その後は1日ずっと咳が出ます。
首を絞められた状態だと身体中に力が入りませんので、そのまま激しく体を揺さぶられたり、犯されたりすることもありました。
首を絞められた記憶がいまだに無意識でこわいのか、首周りを圧迫されることがめちゃくちゃ怖いです。
ネックレスも物によっては無理なレベル。チョーカーとか全然つけられないし、ハイネックとかタートルネックとかもぴたっとしていると不意に圧迫感とあの時の恐怖を感じて過呼吸になりかけたりします。当然、人に首を触られるのも怖いです。首周りってやっぱ急所なのでだいたいの人間はそうだとは思うんですが、マフラーとかも辛くて巻けません。不意にパニック発作が出たりする可能性があり、リスキーなので。
性的虐待とは書きましたが、今思うと普通に暴行も多いですね。というか、虐待という場における性的なものは概ねほぼ暴力だと思います。もちろん快感とかはあるわけなく、痛みや屈辱の面が強すぎる。内臓を掻き回されて痛めつけられる、という感覚が強いです。
下品な話ですが匿名なため書いてしまうと、それが繰り返されたことで何年も経ったけどまんこがゆるい気がします。レズのため他の女の身体に触れた時、自分の身体の異端さを感じる時があります。ガバマンすぎる。でもそりゃそうだよな。裂けて拡がったままになっちゃったんかな。わからないけど。
反射的に怯えてしまう、で言えば、足首掴まれた記憶から足首がきゅっとタイトになってる靴下もあんまり得意じゃないかも!こわい!
これはよく聞く話ではありますが、私も性的虐待があって以来、その記憶を塗り替えなきゃ、という意識で性的な行為に依存的になったように思います。付き合っていない女とセフレになったり、パパ活したりとか。「自分はもう汚いんだから」という記憶のせいで、自分を大事にできない。自分を守れない。
長々と書いてしまいましたが、今のところこんな感じでしょうか。文章をお読みになってこのエピソードもっと深く知りたいなとか、ここ掘り下げてほしいなとか、この面ではどうだった?とかあれば、また書こうと思います。よければお声がけください。
anond:20241209190903 の表題が混乱を招いたので解説
元増田表題は後述するように広義の山梨県下は富士五湖周辺などで観光経験があること、および甲府市内限定で巡ったわけでもないことから、
山梨県の中心部の(山エリアではない)市内観光という意味合いを手抜き的にまとめた結果
諸般の事情でブチっとなって中央線に飛び乗ってから泊まれる安宿を検索した
ブチっと泊ったはいいがどうしたものかと考えあぐねた末、上記スーパー銭湯での欲求の不充足を埋めるべく
ゆるキャンの地に行くことにした
電車で最寄り駅まで移動したあと黙々と歩いて到着
一人で浸かって、なんか色々と落ちるものが落ちた
終始、見晴らしがいい上に一度登ってしまえばひたすら下るだけなので
展望台のレストランはカロリー消費後なこともあり、とても美味しい
上記1回目は山梨を全く意識しておらず、観光目的でもないためノーカン
この公園なら高低差があるため紅葉が見れる帯域があるのではと川口湖畔から強行
結果は外れ
当初は箱根で紅葉狩り予定だったものがズルズルと足を伸ばしたものなため
笛吹川フルーツ公園に対する家族の印象が良くないものに終わったことに懸念を抱き
長野旅行に行く途中でほったらかし温泉の来迎を組み込んでのイメージアップ作戦を図る
そこそこ成功
長野旅行の立ち寄りという体裁のため山梨観光という認識がなくノーカン
観光目的で立ち寄ったという認識からことごとく外れているという結果だった
今後軌道修正を図っていきたい
・塩顔、高身長、東大法学部卒、財閥系商社勤務の父親とミス青学ファイナリストの母親の次男として生まれる。
・不器用でオドオドした兄と比較されながら常に褒められて育つ。
・小学校では毎年リレーのアンカーを務め、ドッジボールでも大活躍。クラスの女の子全員から好かれる。
・兄が不合格となった開成中学校に進学(兄は区立中学校に進学)。
・中学2年時、同じ塾に通う芸能活動をしている女の子から誘われて脱童貞。
・中学3年時に身長170cmとなる(偏差値60の都立高校に通う兄は身長160cm)。
・高校3年時に身長185cmとなる(明治大学法学部に通う兄は身長164cm)。
・バイト先、サークル、授業などコミュニティごとにセフレがいる(全て自分で処女喪失)。
・青学ミスコン並の容姿を持ちながらメディアやサークルには一切近寄らずお茶の水女子大学にて学生生活を過ごした某有名企業の創業家の娘を紹介され結婚(もちろん処女、紹介時に一目惚れされ自分にゾッコン)。
・政令指定都市を擁する都道府県の地検を数カ所経て法務省へ異動。以降検事正就任まで検察庁ではなく法務省にて勤務。
・法務省刑事局長となる。
・検事総長となる。
渇いている感じがする。
これじゃいけない感というかもっと何かをしたい感というか。
人手不足を引き受ける立場を続け、ライフステージの中で色々な葛藤状況が重なって、軽くバーストし、適応障害と診断され、しばらく休職してやっとリハビリ勤務を始めたところなのだけど。
不調が出たのは徐々にだけど突然だった。
休む前も職場に行くだけで涙が出る、仕事をこなしながら座り込んで30分くらいに立てなくなるなどの症状があった。薬で眠れるようになり,休職で強制的に夏休みをつくり、イレギュラーや重要な決定をする必要のある仕事からは一旦離れて、まさにリハビリ勤務になった。
大変理解のある職場で、ほぼ責められることはなく、気持ちよく休職させてくれた上に、ここまで配慮した復帰のお膳立てをしてくれる。
だからこそここが一番慎重にならなければいけないところ。
与えられた業務だけちゃんとやって、決まった時間に出勤退勤することを守り、その上で自分の健康状態を回復させていく。
それしかやらなくていいはずで、むしろできる限界値が大幅に下がっていて、実際にリハビリ勤務を2日終えただけで、休職前の1週間分くらいの疲れが自分に来ている。
なのに、
「早く元の立場に戻りたい」
とか、
とか、
あれもしたいこれもしたい、
色んな欲求が渇きのように疲れた体を押し上げていて、動け動けって言ってきて、しんどい。
これが躁状態というやつなんだろうか。
動いてないと、誰かの役に立ってないと、誰かと繋がってないと、遊んでないと、私の中の自信が尽きてエンプティマークが点滅し、やがて自信喪失してしまう気がする。
やりたいと思うこと、全部をこなすことが器用に操縦できる状態じゃなくなったから休んだのに、頭では分かっているのに。
休息すべき時に、気がついたら毎晩のように夜の街に遊びに行ってしまう。
お酒を山ほど飲んでしまうし、友達とどれだけでも話していたくなってしまう。
壊れかけた自転車で、坂道を上ってるみたいな感覚がある。目指すところは自分の渇きが満たされる頂上、でもパワーが足りないからうまく漕げすにだんだん後ろへ下がってくばかり。
今必要なのは仕事も遊びも無理に漕ぎ続けることじゃなく、自転車から降りて歩いて牽きながらてもちょっとずつ歩いていくことだと分かってる。
渇いていても、それは私の価値が足りないのではなく、エネルギー自体が足りないだけなのだから無理をしてはいけないんだって、自分に言い聞かせながら唾を飲み込んでる日々。