はてなキーワード: 不和とは
ソーシャルメディアは、適切に使えば素晴らしいツールですが、誤った使い方をすると精神的・道徳的な問題を引き起こす可能性もあります。ユダヤの教えの観点から見ると、以下のポイントが重要です。
ユダヤ教では「ラション・ハラ(לשון הרע)」— 悪口や中傷を避けることが大切です。ソーシャルメディアでは、他人を批判したり、根拠のない噂を広めたりしやすいですが、これは避けるべきです。シェロモ・ハメレフ(ソロモン王)も「舌を制する者は命を守る」(משלי 13:3, 箴言 13:3)と言っています。
もちろん娯楽として楽しむのは問題ありませんが、過度に時間を費やすと「ビトゥル・トーラー(トーラーの学びを怠ること)」に繋がることがあります。時間の管理を意識し、有意義な学びや善行(ミツヴォット מצוות)に時間を割くことが重要です。
ソーシャルメディアは、ポジティブなメッセージを広める強力な手段にもなります。感謝の言葉や励ましの言葉を投稿し、他者を尊重するコメントを心がけることで、「ティクン・オラム(世界の修復)」に貢献できます。例えば、トーラーの一節をシェアしたり、善行のアイデアを共有することも素晴らしい使い方です。
「アイン・ハラ(עין הרע)」とは、人の羨望や嫉妬が悪い影響を与えるという考え方です。自分の成功を誇示しすぎると、知らず知らずのうちに他者の嫉妬を招き、不和の原因になることがあります。成功や幸福をシェアすること自体は悪くありませんが、慎みを持つことも大切です。
トーラーは「嘘を遠ざけよ」(שמות 23:7, 出エジプト記 23:7)と教えています。インターネット上には誤った情報が多くあるため、情報の発信・拡散の前に真偽をよく確認しましょう。
「シャバット」の考え方のように、デジタルの世界から離れる時間を意識的に作るのも良いでしょう。シャバットにソーシャルメディアを断つことで、家族との時間や精神的なリフレッシュが可能になります。
要するに、ソーシャルメディアは 「愛」「真実」「謙虚さ」 をもって使うべきです。便利で楽しいツールですが、それが 善行(ミツヴォット) に繋がるような使い方を心がけましょう! 😃✨
また友人を失うかもしれない。
原因ははっきりしているのだけれど、それの帰責性が自分にあるのか相手側にあるのかが分からず(もちろん自分では自分に責めを負うべきところがないと思っているのだが(あれば治すし))、また、失いそうになっている。まァ帰責性の存否にかかわらず関係の維持は可能だとは思うが、これは後で検討する。
はてな匿名ダイアリーを初めて利用するのは、決してアドバイスや共感を得たいわけではなく、ただ文章に直す作業がしたかっただけなので、この文章に関しては一切の責任を負わないし、二度と思い出すこともない。
筆者は2002年生まれの現役の大学生で、一年、浪人している。関東出身。男。彼女はいない。いたこともない。最近オナホを買って心底がっかりした。冷たかった。東京の山手線の内側の狭い部屋で一人暮らししてる。社会科学系。専攻している分野が世間的にはマニアックなので、人との交流は少なく、一週間で会話することがあるのは先生(教授)と、バイト先の生徒や関係者など、片手で数えられる程度の人数しかいない。それでも、社会性を失いたくない(社会にアクセスするハードルを上げたくない)から身だしなみも整えてはいる。年がら年中オフィスカジュアルみたいなものを着て、いい酒が飲める店にいつでも入れるくらいの格好しか持っていない。もしかしたら自分がおかしい(もしや統合失調症でも発症しているのか!)のかと思い、精神科や家族に相談してみたものの、極めて正常ということらしい。彼らと相談する際によく耳にしたワードとして「時代だから」というのがあり、いささか疑問がありつつも、自分にもそう言い聞かせ、またそうするようにしている。なぜなら、理由は単純な方が良い。だけど、友人と自分は同じ時代を生きているし、同じ時代で育ち、同じ地域で、同じ中高で、同じ部活で過ごしたはずなのに、なぜ?
友人Aの場合
Aとは、本来であれば今年で10年超えの付き合いになる。Aは旧帝に落ちて私立大学に現役で進学した。たまさか、学部は違うけれど同じ大学に所属している。彼女はいない。チー牛という言葉が出始めた頃、漏れなくチー牛を自称していたが、そんなことはなく、月並みかそれ以上だろう。Aは、サークルに所属しており、友人と先輩と後輩がいる。Aが大学に入ってからは、「ちょっと変わった」先輩(男)のお世話をしていることを嬉しそうによく話していた。「ちょっと変わった」先輩の話というのは、おかしな行動や、服薬している薬の名前、就活の動向や、就労後の話など。確かに、「ちょっと変わっ」ていた。
書いていなかったけれど、筆者は大学院に進むので就活はやっていないし、大学院のあとにもその技能を評価してくれる機関があるので、レールは敷かれている(ただしそのレールは「完全に」壊れている!)。Aはそのことをあまり良く思っておらず、酒が回ってくると「お前はいいよな」といった風な言葉をかけてくれる。じゃあお前も俺と同じ孤独を大学の6年間とその後の人生をもって味わえ、とは言わない。分別があるから。
おそらく、Aには特殊な技能はない。英語も普通、スペイン語は自己紹介も忘れ、ゼミでは経済?に関してやっているらしい。人当たりもよく、声もデカいし、健康な、世間の求める「普通」が服を着たような大学生だ。そのため、「普通の就活」が必要だった。ただ、彼はそれをしなかった。
さっきの「ちょっと変わった」先輩の真似をして、大手とベンチャー合わせて10社くらい?しか受けず、結局小売大手に決まったらしい。この文を見ることはないだろうけど、おめでとう。体を壊すなよ。Aから聞いた話では、不動産大手の二次面接?に進んだがあえなくやぶれ、ベンチャーと大手の2つが手札にあった。そのことを聞いたのはAと今度失いそうな友人Bと、共通の友人Cが同席しているときだった。
大手は、CMでもよく流れてる企業。我々の地元だったらみんなが口を揃えて納得する企業だ。業績も悪くはないし、払いもそこそこ。いいじゃないか。
ベンチャーは、SIer派遣会社。「独自のシステム」をもとに「円滑な」派遣を行っているらしい(又聞きなので詳しくはわからない)。報酬は基本給と地域制限付きの家賃補助とボーナス代わりのストックオプションか新株予約権付きのストックオプション。新株予約権!?
悩む理由がわからねぇ~!!!マジで!!ポンジスキームもいいとこだろ!
仮に上場できたとして流通価額の低いゴミ株なんか持ってたってなんの役にも立たねぇし、最終的に株式合併して希釈されるのがオチだ。しかも持株会で買わされるのは目に見えてる。人材派遣会社の株式の価値が上がる要因ってなんなんだ、このAI時代に。
もちろん、Aを引き止めた。大手に行ったほうがいいともそのまま伝えた。が、彼は納得しなかった。彼の言い分は、「社長の人格に惚れた」、「成長する見込みはある」、「自分を認めてくれた」、「頑張りたいと思ってる」など。
今は、頑張れるのかもしれないし、きっとできる。でも1年後は?3年後は?10年後30歳を超えたお前はなんの技能も持たずに転職して別の業界に身を投じたいと「現時点で」考えているのか(そういう趣旨のことを言っていた)?という言葉がでてしまった。言ってしまった。
ああ、言ってしまった。言っちゃだめなのに。本当のことは話しては、いけない。
Aはしばらく考え込み、我々は、楽しい話をし、酒をたくさん飲むことになった。
そのあと電車で各自帰路につき、帰り道が同じAと筆者は散歩がてら話をした。桜の良い季節だった。
そして、AからAの意中の女子と上野に行く計画を聞いた。西洋美術館かなにかに初デートで行くとのことだった。桜の季節の上野の初デート?コロナ解禁のタイミングだったため、混むのは目に見えている。だから、助言をした。
「絶対混むから展示が終わったら速やかに上野を離れろ。飯を上野で食おうと思うな。歩かせたら文句が出る。散歩しながら店を見つけようとするな。地下鉄で移動しろ。バスっていうのも悪くないな」と。さっきも言った。これは、言ってはいけない。言っちゃいけなかったんだ。言い方が悪かったのか?それも、そうだ。とにかく、悪かった。
Aは怒ってしまった。曰く、筆者の「正しい価値観(原文ママ)」を押し付けてくれるな、ということだった。本当に、そうだろうか。
別に、筆者の助言を聞くのはAの義務ではないし、また、それをAが実行に移さなかったところで、筆者は何も思わない。聞き入れられなかったのか、と思うだけで、しかもそれは筆者の自由だ。Aの気にすることではない。さらに言えば、仮に筆者の予想が的中したとしても、それはそれで初デートかくあるべきというやつなのだろうから、それも、味かもしれない。苦みかもしれないが。
Aは筆者に怒りながら言い訳を始め、筆者はそれに真っ向から対応してしまった。いかんせん、二人共酔っていた。Aはそれを認めなかったが(己の適量というやつを知らんのか?)。
そうして小一時間ほど深夜の野外で大声で話し合ったが、トイレに行きたくなった。当たり前だ。春の夜は、寒い。
筆者が「俺、帰るから。もしまた同じことを聞きたくなったら電話してくれ。必ず同じ内容をもう一度言ってやる。何度でも、だ。今日はもう、寒くてトイレの限界だ。」と言ったら、Aは「これは喧嘩別れじゃないんだ!もういい年なんだし!」と漫画で見たような捨て台詞を吐いて帰っていった。
その後、彼からの連絡はない。こちらからも、電話はしない。きっと、恥ずかしいだろうから。風の便りで、行方は知っている。
もう分かっていると思うが、筆者は伝えてしまうのだ。論理的に考えれば当然の帰結や、大人かくあるべき社会人かくあるべきという規範から導かれる「正しい価値観」に基づいてした思考を、伝えてしまうのだ。言い過ぎてしまうというよりも、簡潔に伝えてしまうのだ。言ってはいけないのに。
もちろん、言わずに流すこともできる。今っぽく「へぇ~ そうなんですね~なるほど~いや~わかんないです~笑」みたいに言うのも可能だ。ただ、それは可能だ。友人が痛い目に会おうとしているところに、なぜ、助言してはならないのか。痛みに慣れるのは、あまりよくない。余計なお世話だろうし、たしかに、余計なお世話だ。でも、友人である俺が言わなければ誰が言うんだ?親か?上司か?先輩か?それとも後輩?はたまた八奈見さんみたいなマニック・ピクシー・ドリーム・ガールか?八奈見さんだったら言ってくれる。ケアも、ある。でも、八奈見さんは、現実には、いない。そう、いない。
きっと誰も、言わない。なぜなら、波風が立つから。
彼らからすれば、筆者は「不和を生み出す存在(原文ママ)」らしい。これを居酒屋で言われたときは泣いちゃうかと思った。もう、22の大人なのに。酒が入ってなかったら泣いてたんじゃないかな。それくらいに、悲しい。嘘は、つかない。
多分、彼らからすれば人から何かを言われることそれ自体が、加害性を含むものなのだ。そして筆者は、その意図がないにも関わらず、きっと加害性に溢れている。それは怒られることとか褒められることとかは一切関係ない。自分の世界とそうじゃない世界の区別が全然ついていない。自己免疫性疾患みたいなもので、感受性と言う名のレセプターが過剰に反応しすぎるんだろう。ガラス症みたいな若者で現代は溢れている。そしてそうじゃない奴は、加害性を一見伴わないフェードアウトをされて(実際は加害そのものだ!)、彼らの社会から排除される。確かに、彼らからすれば筆者は脅威で、筆者からしても彼らは異常な世界に住んでいる。関わりはなくても良い。でも、同じ時代を生きているし、同じ時代を生きていた。
「過去に見捨てられたのではなく、過去を見捨てたのだ!」という悪役のセリフがあったような気がするが、筆者は明らかに過去に見捨てられている。過去を捨てはしないが、過去が筆者を排除しており、またそうせざるを得ないのだろう。筆者は過去を懐かしむこともできず、自分の頭の中で改変されたナラティヴを都合のいいように楽しむ不誠実なことを実行する直前のところまで来ている気がする。防衛反応だったとしても、やっちゃだめなことはやってはいけない。でも、やるしかないかもしれない。やってはいけないんだけど、やるしかないかもしれない。許してくれなくてもいい。自分を許す権利は自己にしか存在しないし、また、そうあるべきだから。いや、そうでなくてはならない。俺は俺自身を許す。必ず、必ず
これは若い人に覚えておいてほしい格言なんだけど、自分の人生の一番いい時に出会い結婚した相手とはほぼほぼ失敗するよ。
これは断言してもいい。
何でかというと相手にとっては自分の絶頂期がゼロ地点として認識されるからなんだよ。
例えば事業が少し傾いて業績が下がり収入も下がると相手はそれをマイナスと認識してこちらの評価を異常に下げてくる。
マジでいい事が一つもない。
人生の絶頂期に出会う女なんてそんな程度の女しか寄ってこない。
無駄に高いプライドが傷つくのを恐れて金がなくなったらすぐトンズラするよ。
じゃあどうすればいいかと言うと、何者でもない自分を知ってくれてる人と結婚するのがベスト。
「なんかやってる感を出すことが俺達の仕事なんだ」というどうしようもないメンタリティがこびり付いてる。
やってる感のための訓練を繰り返してるから実戦では絶対役に立たない。
やってる感のための不祥事対策を繰り返してるから絶対にまた不祥事を起こす。
やってる感のためのワーク・ライフ・バランス事業は全く仕事を減らすことに繋がらない。
やってる感のための融和団結活動とやらの中で次々と不和が産まれ空中分解。
やってる感のための会議をやる時間で本当にやるべきことが終わらなくなる。
やってる感のための仕事なんてやってられない真人間が消えクズだけが残る。
責任感のある人間は無責任な仕事の進め方に耐えられずに辞めていく。
クズの中から選びぬかれた本物のクズを煮詰めたクズの煮凝りだ。
なんでこんなゴミクズ共が税金でのうのうと飯を食っているのか。
作業所でクッキー焼いてる奴らの方が間違いなく社会の役に立ってるし、まともな社会性も有るだろうな。
下手したら刑務所で木工業をやってる連中のほうがよっぽど世の中のことを考えて暮らしてるかも知れない。
マジで、如何に自分が楽してメシ食えるか以外何も考えてない小悪党の巣窟だよ。
上から下まで満遍なくだ。
お正月は苦手だ。
明日、母と2人暮らす実家に姉が帰省する。父はいない。もう5年以上前に家を出たきり音信不通だ。離婚こそしていないが、法律上は届けを出せばいつでも婚約を解消できる状態にあるらしい。そんな家庭環境に至るまでを濃厚に思い知るから、私はお正月を好きになれない。
年末年始、父と2人で祖父母の家に帰省した日のことを思い出す。おせちが並ぶ食卓を囲んで、母に対する話題がなんとも言えない不穏な空気に包まれていたのを忘れられない。
離婚話のようなはっきりとした内容ではなく、父も「なんだかなあ」と頭を悩ませているような曖昧な会話だった。
当時、私は小学校高学年だった。ある程度の話が分かる年齢ゆえ、深刻な話はしていなかったものの、「(母は姉に)どうしてあんなに勉強させるんだろうなあ。かわいそうなくらい勉強してるよ」と、父が困ったように笑って話していたことは覚えている。私が「姉は自分で勉強しているだけだよ」と言ったら、「そうかあ?」と首傾げな相槌をして相手にはしてくれなかった。
母が姉や私に「かわいそうなくらい勉強させている」というのは否定したい。私は母から勉強しろと叱られたり、無理に塾に通わせられたりしたことはない。学校生活に耳を傾けて寄り添ってくれたのは、いつだって母親だった。
母の家庭環境は貧しく「学力はあったのに大学進学できなかった」という話を聞かされており、勉強が満足にできている自分は幸せなのだと感じていた。
父から見てその光景は「理想を子どもに押し付ける母親」に見えていたのだろうか。
父と2人で帰省をした年、姉は中2か中3で、成績が良く部活動にも打ち込んでいたので正月休みは返上していた(のだったっけ……)
だから帰省について来なかったのか、その時には既に家族仲に不和があったのか覚えていない。小学生だった私には、家庭に流れる空気が少し冷たくなっているのを感じながらも、その原因がどこにあるのか・どうしたらよいのかは分からなかったのだ。
母と姉が帰省しないことについては、さほど気にしていなかった。その翌年か翌翌年、中学へ上がる頃には私も帰省にはついて行かなくなっていた。「親戚付き合いとはこんなものなのだろう」と思っていた。勉強や部活が生活の中心で、最優先事項だった。
今になって思うのは、父と母の間で思い描く家庭や教育の在り方にズレがあったのではないかということだ。生まれも育ちも違う人間がともに生きる上で、それぞれの考えが異なるのは当然だ。
本来であれば、その差を話し合いで擦り合わせていく必要があるのに、それをしてこなかった。急に梯子が外れるような崩れ方ではなく、噛み合わない歯車を無視して歪みを大きくしてしまった。そんな風にして、私の家庭は今の状態になっていったのだと思う。
お正月、家族や親戚と久々に顔を合わせる人も多いだろう。年に数回しかない貴重な時間だということは、大人になってこそ分かる。勉強や部活が全てだった学生の私に、もし会えるのならば伝えたい。
って言うんだ。最年少の、まだ足りない頭のあなたなら言える言葉だ。まあ、今更こんなことを冷たい床の上でポチポチと文字にしても意味がないのだけどね……
来年、私は30になる。父は還暦だろうか。今どんな顔をして笑うんだろう。もう父の笑顔を忘れるくらいの年月が経ってしまった。私はいつまで、お正月の記憶に取り憑かれたままだろう。
お正月は苦手だ。
妻はフルタイムで通勤時間1時間〜1時間半、自分は30分ほど。
勤務時間は自分は9時間平均、お互い忙しいと10時間〜12時間前後かかる。
最近妻が出世して、かつ繁忙期に差し込んでいて、土日祝日問わずずっと仕事していて、コミュニケーションの機会が減っていて辛い。
前までは夕飯を一緒に食べるときは自分の冗談にも笑ってくれたりニコニコしてくれていたのに、今は疲れて帰ってきて、パソコン開きながら話を聞いていて真顔で淋しい。
この間の休日は夕飯もそこそこスキンシップに誘ったら「まだご飯食べ始めたばっかりじゃん」とやんわり拒絶されて悲しかった。平日にLINEでメッセージ送っても返事が来るのはだいたい夜でそっけない。
専業主婦でいてほしいわけではないし、将来のことを考えると妻には働いていてほしいが、こんな状況が続くと辛い。妻以外に癒やしてもらいたいとは思わないが、淋しい。
今この瞬間に存在する物質的な空間についてはあくまで3次元だと思う。
でもそこに刻一刻と変化する時間が重なるので、表層的な部分でも4次元だと捉えるべきだと俺は間がている。
そこから更に人間が認識して解釈しようとすると必然的な個体差が発生する。
つまり、俺達が「これこそが俺の認識している世界なんだ」と感じる時、それは5次元のものなんじゃないだろうか?
さらに言えば、今この場で自分が認識している世界はあくまで自分がそう思っているだけで、あとになって振り返れば「あの頃そう思っていた」でしかなくなるんじゃないだろうか?
たとえば、「あの頃はユダヤ人が本当に悪魔だと思っていたが、ヒトラーに騙されていただけだった」といった変化が起きたとしても、当時の自分がどのように「世界」を認識していたのかは覆せないし、未来でどう考えているのかなんて予想までしか出来ないわけだ。
「世界」が5次元だと考えると何が変わるのかと言えば、「世界」の広がりに対しての認識が変わる。
世界があくまで3次元空間に広がっているだけだと思っている人間が「世界は広い」と口にした時、その時考えている広がりは実際の広がりと比べると全くもって全然小さいということだ。
たとえば20年に1度の周期で大きな災害に襲われる地域に住んでいる人でも、その被害を目の辺りにしたことがない人と、実際に被害にあった人では、その災害や地域に対しての認識がまるで異なってくる。
同じく災害にあった人でも偶然軽く済んだ人とそうでない人では全く認識が異なるだろう。
年配の人であれば2回3回と災害にあってそれぞれによって印象が違う人もいることになる。
つまり、同じ地域に済んでいる人間の中であってもそれぞれに認識の違う「世界」が頭の中に広がっているとういことだ。
そんな所にフラっとやってきた旅行者が現地において過去の爪痕や伝聞について情報を集めた所で、彼らと同じ用に「世界」を認識することは出来ない。
だが、「世界」というものは所詮3次元のものだと思っていると、今現在の資料や現場といった2次元・3次元の情報収集だけで十二分に彼らが見てきたものと同じものが頭の中に描けると思ってしまうのだ。
つまる所、世界の広さというものに対して次元が違う勘違いをしていて、致命的なレベルで世界の大きさを認識できてないということなんだな。
こんなのは当たり前のことなんだけど、「世界」の広さを大雑把にしか分かってない人はこの広さを勘違いして痛い目を見たりする。
普遍的なパターンの組み合わせで世界は仮想的にシミュレートしていけば、それなりの学習能力がある人間が50年ぐらい生きれば十分に世界のコピーを脳内に描けるのだと思い上がってたりもする。
そういった人達が「俺は世界を知っているんだ」と口にする時、それは多くの場合は何らかの失敗や不和への秒読みだ。
繰り返しになるが、「世界」というのは3次元空間にのみ広がっているのではなく、時間という広がりも持っているし、それが実際には個々人の頭の中でバラバラに広がっているものなのだ。
それを軽んじて「今俺の眼の前にあるものこそが世界なんだ」と思っていれば、それぞれの人間の頭の中に広がる齟齬や、時間の裏側に隠されてしまった過去の事実を取りこぼしてしまう。
傲慢は人間の持つ最大の罪とされているが、「世界」の広さの取り違えというのはその典型的な例なのかも知れない
SFなんかで「世界中の原子や素粒子が今持っている状態を完全にコピーすれば、記憶も含めて世界を完全に再現できる」という思考実験がある。
確かにこのような考えに基づけば人間の頭の中を流れる電気信号の一つ一つさえも物理的な現象でしなかく、3次元空間に広がる物理現象の一つなのだろう。
そしてそこに時間というスケールを加えれば宇宙の始まりから終わりまでとなり、「世界」は4次元の中で完結してしまう。
まあ、俺もそれは分かってるんだが、分かってるんだが、その場合における物理空間の驚異的なまでの情報量は俺達が普段使う「3次元空間」という言葉で表現するには荷が勝ちすぎるように思ってる。
だから俺はある種の思考実験的なものにより「人間が認識できる程度の物理的空間×それを観測する個々人の認識」という形での「疑似的な4次元」に時間をかけての「擬似的な5次元」を世界の形として考えているわけだ。
SNSだと身内を嫌な気分にさせるし、自分も人のどうでもいい話で気分を落としたくないから匿名のここに書きます。これを読んでお手軽に気分悪くしてコンテンツとして消費してほしい。
人生が上手くいかない。最近(ここ数年)本当に面白くない。頭が多少良かったことしか取り柄がなかったのに、最近は机に向かうことすら難しい。朝起きるのが怖くて寝れないし、朝は体が重くて布団から出られない。最近は良くなったが2日に一回は耐え難い頭痛で行動不能になっていたし、5kg/年で太っている。余裕がなくてキレやすくなってるのに、脳のキレは悪くなっているのを色々な面で実感する。
多分、分不相応な学問の世界に食らいつこうしたことで何らかの精神疾患を抱えているのだが、悲しいことに自分の能力、努力不足しか原因が見つからない。
家庭環境は良好だし、住む場所もあるし、親に高い教育投資をさせたし、いじめられた経験もないし、海外経験もあるし、そこそこいい大学にも入ったし、別にアカハラなりパワハラする人間もいなかったし、研究環境も日本の中では上澄だった。人生で関わった人間は皆優秀でいい人だった。ある程度優秀な親から生まれた人間にこれだけ投資すれば、まあ普通に優秀な人間が出力されるだろう。あなたが人生で直面した人種差別や生育環境での困難にどう立ち向かいましたか?って作文が書けなかったくらい恵まれていた。でも今は心が折れて何も成し遂げていないし、努力もできなくなった。
有難いことに仲のいい(と思っている)友人もいる。皆頑張っているし幸せそうだ。メンタルヘラっている俺に会う余裕もあ る。そこだけは嬉しい。じゃあ何でお前だけ何も成し遂げられていないんだ、と自分に聞いても、自分の外部に原因が存在していない。
強いて言えばコロナ関連で色々ぶっ壊れたのだが、俺以外の全人類がこれで苦しんだので言い訳にするには弱い。もっと鮮烈な、例えば幼少期の家庭環境の不和や貧困、人格を歪めるレベルのストレス、疾病などなどがあればそれに依存できた。でも何もない。純然たる自己責任が事実として常に俺を責めてくる。
こんなに恵まれた人生で何ウダウダ言ってるんだと思う人が大半だろうし、俺もそう思う。もっと辛くても頑張っている人はいるし、別に今空腹やストレスで死にそうになっているわけでもない。希死観念もそんなにない、じゃあ何でパフォーマンスが最大限発揮できない?ストレスの根源が自分だから何をしてもストレスが消えないし、何か楽しいことをすると反動で気分が沈む。
精神疾患が甘えじゃないのは頭では理解しているが、言い訳に使いたくない。そもそも自分の無能を病気のせいにしたくない。
よくインターネッツの住人が人間の成功要因を環境or努力の薄っぺらい2択で議論しているが、俺は恵まれた環境で努力して上手くいかなかった。残った運のせいにするのか?人としてダサすぎるだろ、それは。じゃあ自分しか悪くないよ。
俺が不幸(だと思い込んでる)なのは関わる人間全てに良い影響を与えないし、普通に申し訳ない。そもそもこんな文を書いて自分と読者を不幸にさせているのが間違い。要はメンタル自傷行為を頭でずっとしているし、ついに今それを人に見せようとしている。終わりやね。
俺は何がしたかったんだ?今何をするべきなんだ?何も答えは出ない。研究が好きな賢かったはずの脳は既に壊れていて、現実逃避と問題の先延ばしだけを俺に命令してくる。緩慢な自殺をしている気分。
〈まとめ〉
これで人生上手くいかないってマジ?どんだけ無能なんだよ…リスカしョ…
〜完〜
SNSだと身内を嫌な気分にさせるし、自分も人のどうでもいい話で気分を落としたくないから匿名のここに書きます。これを読んでお手軽に気分悪くしてコンテンツとして消費してほしい。
人生が上手くいかない。最近(ここ数年)本当に面白くない。頭が多少良かったことしか取り柄がなかったのに、最近は机に向かうことすら難しい。朝起きるのが怖くて寝れないし、朝は体が重くて布団から出られない。最近は良くなったが2日に一回は耐え難い頭痛で行動不能になっていたし、5kg/年で太っている。余裕がなくてキレやすくなってるのに、脳のキレは悪くなっているのを色々な面で実感する。
多分、分不相応な学問の世界に食らいつこうしたことで何らかの精神疾患を抱えているのだが、悲しいことに自分の能力、努力不足しか原因が見つからない。
家庭環境は良好だし、住む場所もあるし、親に高い教育投資をさせたし、いじめられた経験もないし、海外経験もあるし、そこそこいい大学にも入ったし、別にアカハラなりパワハラする人間もいなかったし、研究環境も日本の中では上澄だった。人生で関わった人間は皆優秀でいい人だった。ある程度優秀な親から生まれた人間にこれだけ投資すれば、まあ普通に優秀な人間が出力されるだろう。あなたが人生で直面した人種差別や生育環境での困難にどう立ち向かいましたか?って作文が書けなかったくらい恵まれていた。でも今は心が折れて何も成し遂げていないし、努力もできなくなった。
有難いことに仲のいい(と思っている)友人もいる。皆頑張っているし幸せそうだ。メンタルヘラっている俺に会う余裕もあ る。そこだけは嬉しい。じゃあ何でお前だけ何も成し遂げられていないんだ、と自分に聞いても、自分の外部に原因が存在していない。
強いて言えばコロナ関連で色々ぶっ壊れたのだが、俺以外の全人類がこれで苦しんだので言い訳にするには弱い。もっと鮮烈な、例えば幼少期の家庭環境の不和や貧困、人格を歪めるレベルのストレス、疾病などなどがあればそれに依存できた。でも何もない。純然たる自己責任が事実として常に俺を責めてくる。
こんなに恵まれた人生で何ウダウダ言ってるんだと思う人が大半だろうし、俺もそう思う。もっと辛くても頑張っている人はいるし、別に今空腹やストレスで死にそうになっているわけでもない。希死観念もそんなにない、じゃあ何でパフォーマンスが最大限発揮できない?ストレスの根源が自分だから何をしてもストレスが消えないし、何か楽しいことをすると反動で気分が沈む。
精神疾患が甘えじゃないのは頭では理解しているが、言い訳に使いたくない。そもそも自分の無能を病気のせいにしたくない。
よくインターネッツの住人が人間の成功要因を環境or努力の薄っぺらい2択で議論しているが、俺は恵まれた環境で努力して上手くいかなかった。残った運のせいにするのか?人としてダサすぎるだろ、それは。じゃあ自分しか悪くないよ。
俺が不幸(だと思い込んでる)なのは関わる人間全てに良い影響を与えないし、普通に申し訳ない。そもそもこんな文を書いて自分と読者を不幸にさせているのが間違い。要はメンタル自傷行為を頭でずっとしているし、ついに今それを人に見せようとしている。終わりやね。
俺は何がしたかったんだ?今何をするべきなんだ?何も答えは出ない。研究が好きな賢かったはずの脳は既に壊れていて、現実逃避と問題の先延ばしだけを俺に命令してくる。緩慢な自殺をしている気分。
〈まとめ〉
これで人生上手くいかないってマジ?どんだけ無能なんだよ…リスカしョ…
〜完〜
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人生が上手くいかない。最近(ここ数年)本当に面白くない。頭が多少良かったことしか取り柄がなかったのに、最近は机に向かうことすら難しい。朝起きるのが怖くて寝れないし、朝は体が重くて布団から出られない。最近は良くなったが2日に一回は耐え難い頭痛で行動不能になっていたし、5kg/年で太っている。余裕がなくてキレやすくなってるのに、脳のキレは悪くなっているのを色々な面で実感する。
多分、分不相応な学問の世界に食らいつこうしたことで何らかの精神疾患を抱えているのだが、悲しいことに自分の能力、努力不足しか原因が見つからない。
家庭環境は良好だし、住む場所もあるし、親に高い教育投資をさせたし、いじめられた経験もないし、海外経験もあるし、そこそこいい大学にも入ったし、別にアカハラなりパワハラする人間もいなかったし、研究環境も日本の中では上澄だった。人生で関わった人間は皆優秀でいい人だった。ある程度優秀な親から生まれた人間にこれだけ投資すれば、まあ普通に優秀な人間が出力されるだろう。あなたが人生で直面した人種差別や生育環境での困難にどう立ち向かいましたか?って作文が書けなかったくらい恵まれていた。でも今は心が折れて何も成し遂げていないし、努力もできなくなった。
有難いことに仲のいい(と思っている)友人もいる。皆頑張っているし幸せそうだ。メンタルヘラっている俺に会う余裕もあ る。そこだけは嬉しい。じゃあ何でお前だけ何も成し遂げられていないんだ、と自分に聞いても、自分の外部に原因が存在していない。
強いて言えばコロナ関連で色々ぶっ壊れたのだが、俺以外の全人類がこれで苦しんだので言い訳にするには弱い。もっと鮮烈な、例えば幼少期の家庭環境の不和や貧困、人格を歪めるレベルのストレス、疾病などなどがあればそれに依存できた。でも何もない。純然たる自己責任が事実として常に俺を責めてくる。
こんなに恵まれた人生で何ウダウダ言ってるんだと思う人が大半だろうし、俺もそう思う。もっと辛くても頑張っている人はいるし、別に今空腹やストレスで死にそうになっているわけでもない。希死観念もそんなにない、じゃあ何でパフォーマンスが最大限発揮できない?ストレスの根源が自分だから何をしてもストレスが消えないし、何か楽しいことをすると反動で気分が沈む。
精神疾患が甘えじゃないのは頭では理解しているが、言い訳に使いたくない。そもそも自分の無能を病気のせいにしたくない。
よくインターネッツの住人が人間の成功要因を環境or努力の薄っぺらい2択で議論しているが、俺は恵まれた環境で努力して上手くいかなかった。残った運のせいにするのか?人としてダサすぎるだろ、それは。じゃあ自分しか悪くないよ。
俺が不幸(だと思い込んでる)なのは関わる人間全てに良い影響を与えないし、普通に申し訳ない。そもそもこんな文を書いて自分と読者を不幸にさせているのが間違い。要はメンタル自傷行為を頭でずっとしているし、ついに今それを人に見せようとしている。終わりやね。
俺は何がしたかったんだ?今何をするべきなんだ?何も答えは出ない。研究が好きな賢かったはずの脳は既に壊れていて、現実逃避と問題の先延ばしだけを俺に命令してくる。緩慢な自殺をしている気分。
〈まとめ〉
これで人生上手くいかないってマジ?どんだけ無能なんだよ…リスカしョ…
〜完〜
https://x.com/xuejianosaka/status/1838520416266321944?s=46&t=3CrM4yYxrYQRL_dzwCrKxg
「#偶発的な悲劇を政治利用すべきではない(七)。CMG日本語部論説員:実は、深センで少年が襲われた同じ9月18日の夜、神奈川県横須賀市では22歳の日本人男性が駐日米軍関係者による自動車事故で死亡していた。日本警察側によると、米軍関係者の複数の男女が乗っていた乗用車が右折禁止の交差点で強引に右折。バイクを運転していた日本人青年がはねられ、搬送先の病院で死亡が確認された。このニュースに対するYahoo ジャパンでのコメント数はわずか20件余りだった。筆者は幼い頃から、「中日は一衣帯水の隣国」「末永い友好」「歴史を鑑に、未来に向かう」と教わってきた。そんな中国人として伝えたいのは、中日間にはたくさんの美談が存在するということだ。時には、不和があり、友好的ではない声があるとしても、それが隣国同士の正常な交流を妨げることはない。混乱がある時こそ、物事の是非を明確にし、極端な考えに流されることなく、中日交流の本筋を守っていくべきだ。」
要するに、アメリカ人が日本人殺しても騒がないくせに中国人が日本人殺したら騒ぐのはおかしい!って言いたいんだろうけど的外れすぎて草
偶然起こった事故と明確に日本人を対象にしたヘイトクライムを並べて被害者ヅラとかさ…
わざとだよね?わざとであってほしい そうじゃなきゃ頭が悪すぎるから