はてなキーワード: 乱暴とは
ラーメンのような刺激の強い味があまり好きではないため、私がいつも自分用に買い置きしているのはうどんやそばばかり。
熱湯を入れ、5分待つ。フタを開けると、ダシのいい匂いが広がります。
まずは、大きなお揚げを口に運ぶ。唇で押しつぶすと絞り取られた熱い汁が、口の中にあふれ出しました。
とそこへ、玄関から物音が。しばらくして、夫が私のいるキッチンに姿を現しました。
後から聞いたことですが、今日は職場で軽い予定変更があり、帰宅が早くなったそうです。
私は少しおどけて、(きつねのように!)お揚げをくわえたまま「早かったね」と夫に声をかけました。
しかしその瞬間、なぜか夫の顔はひどく強張ったものに変わりました。
そして、私の方に歩み寄ると、食べかけの「赤いきつね」のカップを乱暴につかみ、
「当てつけか!」
そう叫びながら、私に向かってその中身を勢いよくぶちまけたのです。
幸い、私はやけどをすることはありませんでした。
すぐに我に返った夫によって介抱を受けながら、私は彼の説明を聞いていました。
なんでも、いまインターネットでは「赤いきつね」のアニメーションCMが公開されており、その内容をめぐって男女の間で侃々諤々の議論が起こっているそうですね。
何が論点になっているのかはいまひとつ理解できませんでしたが、この議論に参加している女性たちは、世の男たちは皆このCMに描かれているような女が好きなのだ、と主張しているのだとか。
そのため、私が「赤いきつね」を食べる姿を目撃した夫は、『あなたも結局はこういう女が好きなんでしょ?』と皮肉を言われているのだと早合点してしまったのです。
もちろん私にそんな意図はなく、ただの偶然です。たまたま今日は「赤いきつね」が選ばれただけであって、別に「緑のたぬき」でも良かったのです。
そもそも私はインターネットの世界に疎く、そのような論争の存在を知るはずもありません。そのことは夫も分かっていたはずなのですが。
頭を冷やして自分の早とちりに気づいた夫は真っ青になり、すまなかったすまなかったと泣きながら謝ってくれました。
私は取りすがる夫の背中をなでながら、悪いのはあなたじゃない、インターネットの人たちだよと根気づよく言い聞かせてあげました。
本当に、なんということをしてくれたのでしょうか。私の優しい夫を、こんな風に狂わせてしまうなんて。
インターネットの方々が激しい議論を好むという話は、夫や友人たちから聞いて知識としては知っています。それは素晴らしいことですし、当事者同士が納得しているのであれば、ご自由になさればよいでしょう。
ですが、「男は」「女は」と大きな括りで乱暴に話を進めることで、私や夫のような無関係な人々を巻き込むことだけはやめてください。
つい感情に任せてとりとめのない文章になってしまいましたが、このあたりで失礼させてもらいます。
私には今夜、仲直りのために夫から別の熱い汁をぶっかけてもらう予定がありますので。
では皆さんも良い夜を。
meganeya3
現在大ヒット中「悪役令嬢転生おじさん」の上山道郎が描いた藤子・F・不二雄フィーチャー格闘漫画「ツマヌダ格闘街」ではかなり動きの「理」を教えてくれるぞ。そして面白い。
2025/02/19
お前らはほんまに。
ごめんな、
善意に基づくポジティブなブクマだと思うから別に悪く言いたくはないんだけど
ツマヌダ格闘街は典型的な「頭でっかち運動音痴オタクが書いた理論倒れ格闘術漫画」なんだ
あれって乱暴に紹介すれば
「地道にたくさんドリルしてフィジカルトレーニングしてスパーリングもした運動歴10年超の体重もある筋肉質なアスリートに
一人でちょっと謎の練習した細身の文化系の若者や女性や老人が古流武術の理論で勝っていくマンガ」
じゃんな
古流だのなんだの特別なメソッドで多くのリアルなアスリートの上をいくような話なんだけど
そんな甘い話は現実にはないっていうか、
あれ要するにニセ科学やぞ
実際に日本の武道界隈って一時期古流武術や中国武術やらに「そういう人」が集まったんだよな
「一般的なフィジカルな努力や痛くて苦しいぶつかり合いを迂回しながらその上を行きたい人」ね
はっきり言ってオタクっぽい変な人が多かった
その中でも頑張って努力した人はいたし別に全否定はしないんだけど
都合のいい非実在ロマンを追い求めてしまった部分はあると思うし、
やってた当人たちもそれはもうみんなわかってる
作者の人が自覚してるのか天然なのかは知らんけど(8巻ぐらいまでしか読んでない)
ろくに格闘技どころかコンタクトスポーツしたことない人なのは確信持って言える
作者が重たいものを持ち上げたり重たいものと衝突したりした経験や考察が豊富にある
描写でわかるよね
もちろんフィクションに収まる限りはどんな妄想も何でもありであって
これはあくまであれを何か現実に使える知見のように書いてるブコメがあったから言うんだけど
たとえば古武道の突きと対照的に貶められる「普通のストレート」や「普通のタックル」だって
実際にはトップアスリートが全才能と競技人生注ぎ込んで体の使い方を工夫し続けるものなんだ
世界中でそういう人たちが指導者も含めて切磋琢磨しながらじりじりと改善し続ける技術の粋なんだ
そういうものが競技人口激少の古武道の老人やお姉さんが教えるメソッドやノウハウに劣ることなんてあり得る?
仮にそんなメソッドがあるならとっくに現代スポーツに吸収されてるってわかるでしょ
もちろん古武道を真面目にやってる人はいるし優れた技術持ってる人はいる
けどそういう人ほどアスリートに敬意を持ってるよ
ツマヌダに出てくる達人観やそれをすっと受容できる人はやっぱりスポーツやアスリートを深いところで舐めている
わかってる、舐めてはいない
舐めてるというより本当に本当に運動が苦手で運動と無縁で全然知覚してない世界ってだけなんだよな
例えばプロボクシングの井上尚弥の試合で動きを見れば芸術品なことぐらいはわかる
あれが世界最高歴史上最高だってことが (クロフォード?うるせえな)
達人からちょろっと習ってちょろっと修行したところで凡庸な下っ端のプロボクサーに勝てることすらない
最大規模の競争の中で飛びぬけてきた大谷翔平が人類最高の野球選手だし
大谷ほどの才能と努力ですら大谷がたどったパスと仲間と指導者抜きには今の大谷になってない
一人で変なお姉さんに習っててモチベーションも舐めてる漫画家志望の若者が誰に勝てるっていうんだ
そんな優れたメソッドがあったら国が取り入れて体育に使うよ
本当に運動に一切興味がなくてなんにも経験がないんだよなはてな民
じゃあ自分でやってみようってやってみればおかしいことに気づくよ
読んで真に受ける癖に実行しないからあんなにおかしいことすらわからないんじゃん
それよりもその辺のボクシングでもMMAでもヒートトレーニングでも、実地でやるジムに入会すれば
その100倍は体でわかることがあると思うよ
全然大した人になんかなれないけど自分の中での進歩はすごくあって
「普通のジャブ」 「普通のストレート」習うだけで面白い発見なんか無数にある
苦しいことはあるけど続ければ苦しくなくなって
それで漫画のやられやくレベルの人の凄さが分かって、それで十分じゃない?
そんなの乱暴すぎると思う
って言ったら「そんなの乱暴すぎる!」って声が上がりそうだけど、正直、政治も経済もエネルギーも、みーんな東京が牛耳ってるじゃん。なのに「責任は全国民にあります」なんて、ちょっと都合良すぎない?
たとえば政治。日本の国会がどこにあるかって言ったら、もちろん東京。法律も予算配分も全部ここで決まって、それを地方が受け入れるだけ。地方の意見を汲み取るふりはしてるけど、結局は東京の官僚や政治家が「こうします!」って言ったら、それに従わなきゃならないのが現状だよね。もし「地方の人も日本の責任を負ってる」って言うんなら、東京の決定に歯向かえるくらいの権力を地方に与えてみてほしい。そんなこと、絶対にしないでしょ?
経済だってそう。大企業の本社はほぼ東京に集結してるし、金融機関だってほとんどが東京。地方に工場や施設をつくるのも、結局は東京にいるお偉いさんたちの指示ひとつで決まる。地方にとっては死活問題でも、東京の企業にとっては数字の上で「損得」を考えるだけ。もし地方が「こんな工場はいらない」と言っても、実権を握ってるのは東京だからね。そこからも「日本全体の責任は、東京が引き受けるべき」という構図が透けて見えない?
さらに、エネルギー問題に関しては分かりやすいよね。原子力にしろ火力にしろ、水力にしろ、大抵は地方で発電して、それを東京がガブ飲みしてるわけだ。事故が起きれば、被害を受けるのは発電所のある地方。東京は「計画停電ツライわ~」くらいで済んじゃうけど、実際に放射能や環境汚染で苦しむのは現地の住民じゃん。そもそも原発をつくる立地条件だって、東京に影響が少ないような場所を選んでるわけでしょ? なのに「日本の責任はみんなのもの」とか言われても、地方としては納得いかないよね。
食料にしたって同じ話。地方の農家や漁師が汗水たらして育てたものを、東京が大量に買い付けて食べてる。その価格を決めるのも基本的には東京の市場や商社、スーパー。地方の人がどれだけコストかけて育てても「これくらいの値段でよろしく」って勝手に決められちゃう。挙げ句の果てに、「地方は補助金もらってるから甘えてる」みたいに言われるんだから理不尽だよね。補助金を出すかどうかを決めるのだって結局東京なんだから。
だからさ、日本の責任を「みんなで等しく負いましょう」なんてキレイごと言われたって、地方からすると「はあ?」ってなるわけ。そもそもの決定権は東京にあるんだし、利益を最大限受けてるのも東京。そして必要なもの(電力や食料)を地方に作らせて、それを安定供給させる仕組みを整えてるのも東京側。要するに、全部東京が中心にいて、地方は東京の決定に振り回される構図ができ上がってる。
それなのに、責任は地方にもあるんだー、なんて言われたら、正直「責任ばっかり押しつけるな!」って言いたくなるよ。この国の政治も経済もエネルギーもぜんぶコントロールしてるのは東京なんだから、「日本をどうにかしなきゃ」っていう責任はまず東京が負うべきだよね? もちろん、地方が完全に責任ゼロってわけじゃないけど、どう考えても主役であり、主導権を握ってるのは東京でしょ。
だからこそ、東京に住んでる人たちはもっと自覚してほしい。「日本が変わらなきゃ」って言うなら、自分たちの行動や決定がどれだけ地方に影響を与えてるかをちゃんと理解すること。そのうえで責任を背負う覚悟を持ってほしい。だって、すべてを支配しているんだからさ。
要するに、日本という国の未来や課題をどうにかしなきゃいけないという責任は、東京に住んでる人のもの。地方はあくまで受け身になるしかない仕組みになってるんだから、東京こそが「日本の責任を引き受ける」って堂々と言ってほしいんだよね! それが嫌なら、まずは東京中心の構造を変えて、地方が対等に意見を言える環境を整えるべきなんじゃない? そうしない限り、日本の責任は東京の責任、って言われても仕方ないでしょ!
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/beatangel/n/ne4748d44fd03
これのブコメが凄い(酷い)
sayuremix
ロジカルシンキングの鉄板本「考える技術・書く技術」の著者バーバラ・ミント氏は女性である。
2025/02/11
「女は一人残らず非論理的なバカである」とは言ってないのだから
賢い女を一人挙げたところで反論たりえない。
「トランス女性の筋力は統計的にこれぐらい女性と隔絶してる」って話に
「私の知人のトランス女性Aさんは女性平均より虚弱なんですけど!」と反論してるようなもの。
というかこういう種の反論については文頭でくぎを刺されている。
集団の中の極端な人物の言動を例に出して集団全体を攻撃する早まった1般化の1種…が行われがちであるし、
そのまんまやってる反論が一位って
yahooのコメント欄でも概ねお前等よりは知能指数高そうっす。
忌憚のない意見ってやつっス。
mazmot
なんでもええけど、「一部」とか「一般」の「一」を算用数字にするのだけはやめてくれ。
「論理」が顔赤らめて逃げ出すわ
どうよこれ。
本論で反論できないから「こいつハッタショじゃね?www」的なイジリで反撃。
これが2位ってやべーだろ。
はてブは一応インテリとか高学力者の集まりみたいなアイデンティティあった気がするんすけど
いまや知能の塩梅もマナーの程度も私公立中学校レベルなんすよね。
Buchicat
女叩きしてんのになぜご本人のアイコンは女の子風なのか。この辺いつも理解に苦しむ。
2025/02/11
大変頭がいい感じの反撃。
これが3位。
限界集落なのに悪い面だけ若々しいわ。
つーか実際
キモオタが愛好する二次元美少女と現実の女性はあらゆる意味で混同すべきではないと思うんだけど、
いわゆる「二次元と現実の区別が出来ない」のって書き手のような美少女アイコン使いのキモオタさんたちではなく
duers
わからせポルノの弊害。フィクションで愚かな女見つけて脳汁垂れ流しすぎたせいで、
知能も品性も他人に説教をするようなレベルを見せられていない。
こういうやつがいることよりこれが4位になる集団について考えるべきなんだと思う。
suikyojin
何より、自分が論理的であるかのように発言する人間こそ感情的に思える。
自戒も込めて。
2025/02/11
「性差より個人差」については1でも触れた「マクロの話にミクロで反論」に過ぎないうえ
そのものズバリの言い回し(言い逃れ)をしたフロイトについても触れられているので
この人は明らかに本文を読めなかった人。
論理不在の「~こそ感情的!」はおつむ回らない小学生の口喧嘩の定番「バカって言う奴がバカ!」であって、
要するにこの人は本文を読めなかったかわりに「バカって言う奴がバカなんだよう!うわーん!」を言いに来ただけ。
honya_neko
具体的な指摘がゼロ。
俺なら相手の「アラ」を無数発見したら100文字中に2個でも3個でも具体例を挙げるけども
こういう口ぶりで一つも具体的に挙げない人間というのは
挙げられないのにハッタリこいているだけです。
更に予言しておくとこうやって挑発してやっても応じて具体例3つ挙げる程度の意気地を見せないのがこの手合い。
BBQ_BBQ
女性を下に見ている人間のアイコンが大体美少女っぽいのは本当なんなんだろうな。
2025/02/11
3と同じがもう一個。このくだらない言い返し。
つーか真面目な話、
キモオタが嗜好するフィクション美少女というのは良くも悪くも現実のウンコとかする女とは隔絶した何かなのでは?
この辺の区別がマジでつけられない脳だからキモオタポスター見て「自分が欲望されてる」みたいなクレームに繋がるんだろうか?
永瀬廉がキャーキャー言われてるのを不細工一般人である俺が我がことと感じて照れたり不快になったりしてたらだいぶ頭おかしいわけだが
俺と永瀬廉よりさらに遠いのがおめーらとフィクション美少女だぜ?
何の共通点もねえよ。
kakaku01
ただ女を憎んでるだけなのを無駄に長い文章でメガネクイッしてたアカウントがとうとう落ちるところまで落ちたのを見届けてニッコリしています。
「ニッコリしています。」
まあ講評はナシで。
hazlitt
あのさあ、真面目な話さあ、
まともに問題文本文を通読出来た形跡がある奴すらいないわけじゃん。
「ちょっとやってみたくなる」とは?
俺はあの書き手はハッタショのキモオタなのだろうと思ってるけど
知能それなりの奴で、かつ女叩きへの情熱が並外れた奴で、文章も書き慣れてる奴だと感じる。
つまりこれはぼちぼち能力が高いように感じるわけ。能無しに比べれば。
(アホのためにわざわざ書いておくとこれはあの書き手の書いてる文が正しいか間違ってるか賛同するか反対かとかいう話ではない)
それに引き換えお前等はどうなのか。
知的パフォーマンスは公立中学レベル、情熱のかわりに散発的な感情と粗雑な党派性があるだけ、文にいたっては読むことすら満足でなく書くなんて夢のまた夢。
「小銭稼げる」
「ちょっとやってみたくなる。」
wwwww
チンパンジーに「ちょっと今度の選挙で議員になろうと思ってる」と打ち明けられたみたいな気分だわ
HanPanna
それを相反の概念であるように語る人間は非論理的だ。ドモルガンの法則など、論理学には全く興味ないんやろな。
2025/02/11
まず、この人は10位であるのが不当。1位になるべき。
だって一応本文読んでるんだもん。
地に埋まったハードルだがこの人だけは越えてる。
で、この人は提示されている複数の資料への批判や反論を一切避けて
まるでフロイトが記事の根拠資料であるかのように反論しているが、
そうではないよね。
「かつてフロイトは近いことを口走ったが迫害を受けてトーンダウンした」
「しかしフロイトの予言はマクロ傾向としては当たっていたのがわかった」
つってるだけ。
これは明らかにHanPannaさんが
記事をちゃんと読まない奴を騙す目的で欺瞞の反論を書いているわけで
この人は他の奴のようにひたすらのアレではなく中程度のアレ、
でも全部見てきたからはっきり言えるけどこの人が10人のうちで一番知能が高い。
だって一応問題文読んで「どういう風に詭弁を弄そうか」って考えたんだもん。
他の9人はその能力すらないんだぜ?
ひでークラスだから俺はこのHanPannaさんの答案には50点付けたい。かろうじて赤点を脱する。
掃き溜めの中のガチョウぐらいの感じ。
以上見てきた人気上位10人全員、
「当該note記事が正しいか間違ってるか」までたどり着いていない。
俺はトランプ再選の最大の被害者はこいつらみたいな連中だと思ってるんだけど
要するにこいつらは意識高いわりに知能面には安っちいコレクトネス判定ソフトしか入ってない。
意識に知能が追い付いてない。
なので
「女性は論理を理解出来ない」というなんだか冒涜的でセイサベツ的なタイトル見て
「むむ!こいつは正しくない!」 「正しくないということは正しい我々より知能が低い!」とやってるだけ。
こいつら自身の頭の出来をスポイルするためにしか存在してなくて、
こいつらには判断付けられない問題や読めない文章にクチバシ突っ込むために
そのらくらくスマホみてえな物差しだけを頼りに意見もどきの無内容テキストを吐いてるだけ。
言い分は尖っているしおそらくは一部が盛んに指摘したがる通りハッタショでキモオタではあろう。
「資料の引き方が恣意的で実際にはこういうことが書いてあるんだ」とか、
「論理展開のここがこう成り立ってないでしょう」とか。
(これら単体では部分的ツッコミで全体への反論としては弱いかもしれないが、10人はそれすらない)
ミクロ反論にハッタショいじりにキモオタいじり、汚言や詭弁や勝利宣言しかできない連中、
これは単に「我々は正しいから正しい!」つってるだけの脳がアレしてしまった退廃的権威主義者であって
書き手が正しいか間違ってるかの議論よりはるか手前の地点で終わってるんだよね。
つーかアイコンや発達を攻撃するにいたってはポリコレにすら反してねーか?相手がキモオタ男性だからなぜか不問になってるだけで。
フェミニスト女性に対して言い分スルーでプロフ欄開いて「ブスじゃねえか」「ジャニオタじゃねえか」ってやるのとどう違うのか。
はてぶ上位陣は自分たちののっぺりとした「正しさ」すら使いこなせていない。
しょーもないソフトしか入ってなのにそれすらまともに走らないハードが肩の上に載ってる。
ほんと帽子掛けなんすよね。
HanPanna
1.についてrei自身がマクロと言いつつキャサリン・マッキノン一個人を根拠にしてるんだから、一個人で反論されて当然だろ。
2025/02/13
ごめん
HanPannaさんだけは自覚的な詭弁論者であるみたいに書いたけどただの能力の問題な可能性出てきたな。
「フロイトガー」も悪意はなくて、あの程度の文量だともう把握できなくなって「フロイト」という単語に反応しただけ、故意の曲解とか詭弁とかじゃなかったんだなこの感じ。
まだまだ油断があったというか買い被ってたわね。
lady_joker
分からんでもないのだが、reiみたいな有名なヘイターにそこまで論理を駆使して反論するのもバカを見るから、雑に殴って終わりにしようというブコメの空気も私には理解はできる
2025/02/13
以上見たように、そういうのは買い被りです。
なんかあなたもほんとはわかってる気がするけどな。
このざまは「あえて雑に」じゃあないんです。
いつもこの程度だし脳のフル出力でもこの出来です。
このエントリは「態度が悪い」と非難してるのではなく「頭が悪い」と指摘するものです。
それは究極的には当人の責任ではないのかもしれないけど自覚はすべきでしょう。
すくなくともこの10人は全員reiより数段知能が落ちると思います。
あなたも出来るのかもしれない。
そもそも相手が何言ってるかすら読めないのにどう反論するんだよっていう。
そして人類の大半はこいつら側です。
こいつらは俺がピックアップしたのではありません。
このコミュニティとシステムによって選抜されたいわば「上位の10人」ですよ。
それもたぶん僅差とかではなく大差で。
Bは社会問題になる理由として「年金受給額が低い」を持ち出してるから反論になってません
だってAの社会問題にならない理由は「早死にして年金受給しない」だから
Bの未来予測を全肯定したうえですらAの主張は揺らがないわけよ
頭悪いにもほどがあるわけ
だってAの主張なんてがばがばだぜ?
ただの希望的観測とすら言える
Aに反論したいなら「そんな推測に根拠ないだろ!」で論破っぱよ
なのによりにもよってBは「受給額が少ない」って、
死亡女性、日本大使館にDV訴え ハンガリー邦人殺害 | 共同通信
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/1261228313462947961
についた、id:ahirudakさんのコメント。
このコメントを2月10日午前9時20分ぐらいに見て、どんなくそミソジニストたちが頭の悪いコメントをしているのだろう、と他のブックマークを見回したのだが、「日本女が悪い」という論調のコメントが見つからず、困惑している。
以下、9時30分段階のブックマークを引用。発言者のidは不要な情報であり、また、ブックマークページを見れば、idとコメントの対応は明らかであると考え、除去している。
(ここから)
差し控えるって言えばそれで終わるのなんなん
非公式大使館にあたる交流協会は、本人のミスで困ってる日本人をも飛行機代立て替えてくれてるのに、公式大使館がこの対応はあり得ない。邦人保護とは大使の保身のことなの? https://www.recordchina.co.jp/b218391-s0-c30-d0135.html
外務省も「一回解体した方が良い」組織なんだよな。戦前あれだけやらかして、そのまま生き延びたあげく杉原千畝に報復人事仕掛けたようなクズ振りで、戦後も全く変わってない/昭恵トランプ会談の妨害とか万死に値よ
DV対策を重視して母親に極めて有利な制度になっている日本と、連れ去りによる親子断絶を問題視して制度が組まれている欧米。父親の一存で出国を阻止できるハーグ条約は、イカれたDV野郎の存在に弱すぎる。
18歳までは日本国籍あるはずだから、子のパスポート発行してあげればよかったのに…/https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/zaigai/shigoto.html "邦人の生命・財産を保護することも重要な任務です。"
本人のパスポートならともかく、子供のパスポートとなると、大使館が邦人保護のためにできる事の範疇を越えている気がする。大使館に女性の家庭について調査する方法なんてないんだから、これは警察の範疇だろう。
まず、事実が何かを考えたい
今回の件は邦人単独の出国ならどうとでもなるが、子どもの連れ去りを伴うなら大使館では対応できない。当たり前の話だがお気持ち爆発させた人類には理解できないらしい。
まあ日本の在外公館は一般人には冷たい。「領事館の仕事ガー!」って言ってる奴は領事館って観光に来た与党の政治家のガイドが仕事だと思ってるんだろうね/当然だが観光ガイドは領事館の仕事ではない
女性は2023年に離婚し、子ども2人と帰国を希望。しかし子どものパスポートを元夫に取られていた為、昨年夏頃大使館にDV被害を訴え、子どもの帰国の為の文書を発給するなどの対応を要望したが、元夫と話し合うよう促さ DV ハンガリー 殺人 大使館・領事館 日本
ハーグ条約があるから離婚・弁護士介してDV認定されても出国できない海外在住ブログ読んだことあるから大使館の対応自体はこうなると思う。(単独親権はよっぽどじゃないと取れない)子の連れ去りホントに警戒されてる
連れ去りってどこに書いてあんの?こんな人殺しするようなゴミ男が子供を育てられる訳もなし、虐待死させる予感しかない。共同親権なんてDV野郎を利するだけのゴミ制度だ
“帰国のための文書を発給するなどの対応を要望したが、元夫と話し合うよう促された”パスポート10年用の価格1.6万円の内の1万は邦人保護関連経費なのに門前払いかよ。外務省は詐欺師か。https://hapilaki.net/wiki/passport-takai news
この件は担当した警察の対応が酷すぎて、公式に謝罪動画を出してる。被害者は警察がアテにならないことを悟り、最後の望みをかけて大使館に駆け込んだ。そして殺された
本件は連れ去りではないよね?/この件に関してではなく、連れ去り全般に関して言えば、一方的な連れ去りが解決されるまで、いかなる有形力の行使も心情的には許容したい。やったもんがちにしないために規律が必要。
子の連れ去りを疑われたパターンか
「DV被害者が海外に逃げるということがハーグ条約によって事実上阻まれてしまっている」「ハーグで返還申立をされたら「原則返還」です。DVの証拠があっても殆ど勝てません 」殺されるまで逃げられない制度なんて
子供の誘拐に加担したとして共犯扱いされるリスクがあるのでパスポート発行できないのは分かるが、警察と橋渡しするとかできたことはあっただろうなと。とは言え大使館での相談の様子が分からないので何とも言えない
ブコメは大使館をなんだと思ってるんだ。警察よりでしゃばれたら内政干渉もいいとこやろ。精々パスポートなんとかできなかったかくらい
DV被害者は加害者から社会からも断絶するように仕向けられてパニックになり支離滅裂な説明になり&加害者側の説明の方が理路整然としているケースが多いことに注意しないといけない。
大使館内で保護して、現地政府と交渉するぐらいしか出来る事はないだろう。ただ大使館が前のめりと称されるぐらいに動いた形跡がないのが残念でならない。大使は日本の国会に召喚されて質疑を求められるのが当然。
大使館はDVの被害訴えられても現地警察が何もしてくれないならやれることないよね。でもパスポートに関しては紛失したってことにして再発行してあげればよかったのだから、融通効かない冷たい対応ではあったね。
日本人女性の子供の連れ去り案件のせいで中々進まなかったのかな。子供の連れ去りなんて日本人女性でなくともやるだろうが…… crimenews事件ニュース
ひたすら現地の国を尊重して出しゃばらずお任せしてればリベートたっぷりなんでしょ。第一三共の人とかも見捨てられてるしねえ。
「女性は2023年に離婚したが、子どものパスポートを元夫に取られていたため、昨年夏ごろ大使館にDV被害を訴え、子どもの帰国のための文書を発給するなどの対応を要望したが、元夫と話し合うよう促されたという。」 DV殺人
日本大使館は邦人保護も仕事なのにそれをしないで実際何やってんだか謎で有る。情報収集やら政治家のアテンド以外にもキチンと仕事しやがれって言うのですよ。
子の連れ去りを疑われた可能性。そうだとしても、DV被害を訴えていたなら、帰国はともかく、保護はするべきだったのでは。結果的に殺害された結果は重い。
“大使館は取材に「相談があったかどうかも含めてお答えを差し控える」と述べた。”証拠隠滅でも図ったのかな。外交特権と思ってそうだな。石破も岩屋もだんまりか。まあ自民党との党是としてはそういうことかな
“子どものパスポートを元夫に取られていたため、昨年夏ごろ大使館にDV被害を訴え、子どもの帰国のための文書を発給するなどの対応を要望したが、元夫と話し合うよう促された”
(以下はid:ahirudacさんより後のブックマークのコメント)
邦人保護が仕事なのに。相談があったのにろくに対応しなかったという自白?→「大使館は取材に「相談があったかどうかも含めてお答えを差し控える」と述べた」
DVとか殺人は言語道断だけど、日本でいう親権みたいなやつは現地の法律や風習ではどうなっとるんやろ?日本的発想では「子供は母親のもの」が暗黙の了解だけど。
「連れ去り」とやらをされる方は、実際のところほぼ間違いなくDVなんだよな
(ここまで)
○手をこまねいていた日本大使館が悪い
○大使館ができることは限られているので、大使館での保護は難しかった(のかも)
○ハーグ条約のため、子どもを人質に取られたようなものだったのではないか
※ただし、「子どもの連れ去りを警戒されて加害者から離れられなかった」という内容は書かれておらず、ブックマーカーの推測
○現地警察が悪い(現地警察にも駆け込んでいるが一蹴された、現地警察が謝罪の動画を出している、という話も)
唯一、
というコメントが、「日本(人)女(性)」に言及しているが、まともな頭で読めば、「子どもの連れ去りは日本人女性でなくても、他国籍人でも男性でもやるものだろうから、もし仮に日本人女性ばかりフォーカスされているならば的外れだ」という意味であり、(日本)女たたきとは真逆である。
結論づけると、
と感じるほど女たたきが多いとは到底思えなかった。
id:ahirudakさんは昨年11月がファーストブックマークである。
誰かの転生なのか、
愉快犯なのか、
判断のつかないところがあるが、いずれにしても、見えているものが違いすぎて、不気味としか言いようがなく、困惑している。
追記:
何か非表示で2usersついているけれど、セルフブックマークではない。
再追記
https://anond.hatelabo.jp/20250210111336に、
あるいは、ヤフコメやX(twitter)のポストには、もしかしたら「日本女が悪い!って女叩き」が多いのかもしれないと思い、同じ記事のYahoo!転載記事のコメントを「おすすめ順」で見た(日本女たたきが多いなら、きっちり上位に来るものだろう、という目算だ)が、やはりそんなことはなく、Xも同様だった(全部に目を通せるわけではないが、皆無といってよかった)。
一歩譲って、ヤフコメやXのことをさしているならば「○○では」と書くか、あるいは、当該のページをブックマークするものだろう。
と書いた通りで、ヤフコメなどでもちっとも多くなかったのと、文章がぶれてしまう感じがして、当初は削っていたんだ。すまない。
以下の考えは個人的なものなので事実じゃないし、聞き流してもらって構わないけど
ポイントは以下の2つで、手術までしたがる人は当然障害のレベルとしても重いし、「元の性別で合っているんだよ」と説得するのも難しい(=だから合わせやすい心の方に身体を合わせる)からだと自分は思っている
・性同一性障害も程度があり、異性の格好が出来れば平気な人もいれば、異性の身体になれないと耐えられないレベルの人もいる。当然、後者ほど障害としては重い
・人のメンタルを治療・矯正するには、カウンセリングで済む場合もあれば催眠・洗脳レベルまでやらないとダメな場合もある
性同一性障害が発生する理由はまだ判明していないのだが、当事者は小さい頃から違和感を持っていた人が多い
すると、なぜそう思ったのか明確な理由がないので説得されても納得できず、違和感が大きくなっていくんじゃないだろうか?
実際思い込みで本当は性同一性障害じゃなかったと歳を取ってから気づく人もいるし、そういう人は何事もなかったように普通の人間として社会を生きる
醜形恐怖症で整形する人いるじゃん?あれも「言うほどあなた不細工じゃないじゃん」って人多いと思うんだよ
乱暴な言い方をすると、それと同じように理解するしか無いのかもしれない
他人からどう見えたとしても本人が社会生活を送る上で困ってるから障害なわけで(逆に言えば、本人が困っていなければ障害ではない)
「元維新議員に猶予付き有罪判決 カラオケ店で中学生に性的暴行」
ん?と思った
と思ったけど、あれか不同意わいせつ罪か、この場合新しい法律でも執行猶予付くんだな
解説すると
13〜15歳への性的行為をした場合(要は援交した場合)のうち
挿入・フェラなどしてないならば
旧法律 児童買春で裁かれる 報道は「児童買春」 執行猶予が付く
新法律 不同意わいせつ罪で裁かれる 報道は「性的暴行」 執行猶予が付く
挿入・フェラなどしているならば
旧法律 児童買春で裁かれる 報道は「児童買春」 執行猶予が付く
新法律 不同意性交罪で裁かれる 報道は「性的暴行」 執行猶予が付かない
報道だけ見ると確かに「カラオケに連れ込んで乱暴したのに執行猶予がついておかしい」となるが
実際は挿入・フェラすらしてない、してたら執行猶予がつかないはずだから
だけど新法律では13〜15歳への罪状は「不同意」だから報道としては「性的暴行」になる
ややこしい
「性的暴行」以外の言葉作りなよ、前は「わいせつな行為」って言ってなかった?
間違ってたらすまんこ
てか何したんだ?手コキ?
「今昔物語」はここに収録されている福永武彦訳で読んでいる。池澤夏樹の義父だね。僕は結構説話集が好きで、「聊斎志異」や「捜神記」、「デカメロン」やガラン版「アラビアンナイト」なんかも読んでいる。近々「カンタベリー物語」も読む予定だ。
さて、なんで「今昔物語」を全部読まず、部分訳の福永武彦訳にしたのかというと、理由はいくつかあるのだが、気軽に持ち運びのできる全訳が出ていないのが一番の理由だ。また、講談社学術文庫は、天竺編と震旦編、それから本朝世俗編が出ているのだが、なぜか日本を舞台にした仏教説話を収録した巻が翻訳されていない。有名どころの仏教説話は頭の中に入れて置きたいとうっすら考えているのだが、原文を読むのが近頃は億劫なので、早く翻訳が出てくれないかと祈っている。
内容は芥川龍之介が翻案したものを含め、人間心理の観察や奇妙な話、怪異の話や下品すぎる話、それから強烈な個性を持った人間の話など様々だ。一つ一つの話が短いので楽しめるし、芥川龍之介が近代的に翻案する前はどんな話だったか、比べるのも楽しい。ちなみに、水木しげるがインパクトのある話ばかりを漫画化したバージョンが中学高校の図書館にあったが、あれも面白かった。あとは、家にあった子供版に、卒塔婆だか石碑だかに血痕がついたらその土地が水害で滅亡する予言を信じる老婆の話が収録されていた。周囲の人が老婆をからかうためにわざと卒塔婆に血を付けるのだが、その晩に本当に村が滅亡する。世界の民話に似た話があったと記憶しているが、出典が思い出せない。自分はギリシア神話をはじめとした、運命の皮肉やアイロニカルな予言を扱った話が好きである。やっぱり説話集は面白い。
ただし、編集の方針だろうか、「今昔物語」では似たような話が何度か続く配列になっている。だから通読していると飽きる瞬間がある。
これは「聊斎志異」でも同じで、酒を飲んでいたら死んだ友人が化けて出てきたが、酒を飲んでいたせいか死んだことを忘れていて、そのまま話が進むみたいなパターンがかなり多い。他にも幽霊やキツネが化けた美女が出てきて結ばれてハッピーエンドみたいなのも何度も繰り返される。結局みんなモテたいのね。
「宇治拾遺物語」「発心集」「日本霊異記」、これらはすべて未読である。「日本霊異記」は最近になってKADOKAWAが現代語訳を出しているので、積んである本を片付けたら入手予定だ。なお、これは①で述べた雄略天皇のエピソードの出典の一つもである。
「平家物語」は古典の苦手な僕でも原文で読みやすいと感じた。理由は恐らく、口承文学だから声に出したらなんとなくわかるからなのと、敬語が相対的に簡略化されているからなんだろう。それとも、ちょうど「火の鳥」乱世編の舞台で、歴史の流れ的に何が起きるか既に分かっていたからだろうか? それとも、教科書をはじめとして、断片的に名シーンを知っていたからだろうか? バトル物として楽しんだんだろうか?
日記を読み返すと、「古代の貴族世界が音を立てて崩壊していくのがよくわかる」と綴っていたし、「空海と密教美術」展で観た平清盛の血曼荼羅が登場したのに滅茶苦茶興奮していた。
ちなみに、神保町の本祭りで、ちょうど講談社学術文庫版が一巻から十巻までがセットで安売りされていたので、良い機会だと思って購入したのだが、後になって全十二巻だったと気づいた。道理で安いわけだ。このバージョンは解説が丁寧で、「平家物語」かなり京都中心のバイアスがかかっているという指摘がされていた。例えば、平清盛が大輪田泊を建築したことは今でこそ評価されているが、「平家物語」では単に京都の荒廃をもたらした暴政ってことになっている。木曽義仲もただの田舎の乱暴者扱いだ。ちなみに、かつて滋賀県を旅行したときに、彼の没した古戦場・粟津を訪れたのだが、住みやすそうな普通の住宅街になっていたのに驚いた。
「太平記」についてもついでだから書こう。実家が神奈川県なので、鎌倉幕府滅亡まではかなり馴染みのある地名が多かったので楽しんだのだが、南北朝に分かれたままで話が終わるし、明確に「完結した!」という実感を持てる構成ではなかった。明確な善玉悪玉の物語でもないしね。みんな結構幕府側に着いたり朝廷側に着いたり右往左往している。この機を見るに敏なあたりがいかにも中世武士らしいし、おかげで誰が誰の勢力についているか、すぐにわからなくなる(ここまで書いて思ったのだが「平家物語」は平家の滅亡というわかりやすい大きな流れがあるから読みやすいのかも)。
それに、歴史書っぽくいろんな中国の古典から引用するけれども、日付が操作されていたり、複数の天皇を意図的に混同していたりする(光明天皇が即位した個所、太平記ではなぜか光厳天皇の重祚としている)。あくまでもこれは物語なのだ。
そして、物語だから、出てくる辞世の句にすごくいいのがたくさんあった。いま手元に本がないのが恨めしい。メモから見つけたのは「皆人の世にあるときは数ならで憂きにはもれぬ我が身なりけり」……なにこれつらい。
なお、各神社仏閣の縁起物語や中国の古典に脱線することが多く、それはそれで非常に面白いのだけれど、「だからこんなに長くなるんだよ……」みたいな気持ちになった。多少は「平家物語」でも登場・退場する人物の背景に脱線するけれどね。「ジョジョの奇妙な冒険」でも敵のスタンド使いの背景が紹介されるシーンあるよね。あのテクニックは話の流れがちょっと止まるので使いこなすのが難しい。ところで、あまりにも歴史書からの引用が多いので、これまた講談社学術文庫版の「史記」を読むに至った。……と、記憶していたのだが、日記を読むと両者を並行して読んでいたらしい。我ながら、なんでそんな無茶をした? 両者とも疑問点が多くて日記にやたらとメモを残している。
ところで、太平記の巻二十二に、相手のことを馬鹿にして「へろへろ矢」と呼ぶシーンがあるが、オノマトペの歴史的に興味深い。
前回も書いたけれども、せっかくなのでもう少し細かく書こう。これはちゃんと池澤夏樹の全集で読んだ。
「能・狂言」には身体障害者に明確な悪意を向け、冗談半分で暴力をふるうとんでもないネタもあるのだが、盲目であることが当時どのように受け止められていたかがわかる。江戸時代なんかだと視覚障害者は団体も作っていたみたいだし、だから近江絵などで風刺の対象ともなっているのだろう。岡田利規の訳がかなり砕けていて、特に狂言だとカタカナも多用している。「おーい太郎いる?/はーい。/あ、いたのね」には笑ってしまったが、当時の日本人にはこう聞こえていたのだろう。演劇の人なので、酔っ払いの歌などを声に出してそのまま演じられそうなのがいい。カタカナ言葉が今の日本語の生きた要素として使われていることがよくわかる。
現代の第一線で活躍する作家に訳させるってのはかなり贅沢だ。今の言葉で古典に新しい命が吹き込まれるって本当なんだな。
「説教節」は女人禁制による悲劇を描いている。これは父方の祖母からも似た話を聞いた覚えがある。何かウグイスだか何かの鳥に変じてしまう話だったようだが思い出せない。どこかの寺院縁起譚だったと思う。翻訳は伊藤比呂美で、この人は「ラニーニャ」という作品で芥川賞候補になっている。
「曾根崎心中」はいとうせいこう訳。ここからは浄瑠璃。作中の大阪弁が興味深い。大阪が舞台だし、近松門左衛門の作品なのでそれはそうなんだが、江戸時代の大阪ことばがどうだったかってのはすごく面白い。三幕の悲劇でプロットは単純なんだけど、台詞の長さとか掛け合いとかが欧米の演劇とはリズムが全然違っている。そういえば昔、「コメディお江戸でござる」のなかで「七つの鐘が六つ鳴りて」が引用されてたけど、原文って最初から最後まで七五調らしい。この次もそうだが、借金で首が回らないってネタは時代的な物か。
「女殺油地獄」はひたすらダメな人間がとうとう強盗殺人までしてしまう救いのない話なんだが、ここまで徹底した悪人というか堕落して行く過程がすでに文学で表現されていたってのがまず面白い。ダークヒーローとかそういうのではなく、自己弁護と言い訳にまみれた情けない悪人の物語だ。翻訳は桜庭一樹で、ところどころ注釈的に時代背景を地の文で説明しているんだけど、現代語訳っていうのはこういう自由さもある。たぶん池澤夏樹はどう翻訳してほしいか指示を出さなかったんだろう。
殺人の場面は本当に暗鬱。面白いので近松門左衛門の作品はもっと読みたい。江戸時代に実在の事件をモデルにした猟奇サスペンスがあったってのが面白い。ジャーナリズムの発展ってやつだ。ただし、人生がうまくいかない人をすべて発達障害で解釈しようとするのは、否定するだけの根拠はないのだが、多用しすぎるのもどうかと思う(一昔前の「シゾイド的人間」みたいに流行っているだけかもしれない)。
ところで、まったく関係ない作品同士で、源融の庭の話が引用されているのは不思議で、それほどよく知られていた話だったのだろう。また、わからない言葉がちまちまあるので調べながら読むことになるんだけれど、「坊主持ち」って遊びが出てきて、これはお坊さんとすれ違うまで荷物を全部持つ遊びらしい。じゃんけんで負けたら全員のランドセルを背負う小学生の遊びの起源か?
「菅原伝授手習鑑」は牛車を押す場面を浮世絵で見たし、松王丸の部分は新渡戸稲造「武士道」か何かで引用されていたのを思い出した。忠義のために身動き取れなくなる話は「菊と刀」にも通じている。意外と又聞きで歌舞伎の物語を知っているのかもしれない。ところで、学生時代に見た子供が切腹する歌舞伎は何の話だったんだろう。
翻訳は三浦しをんでこれを読んだ昨年当時はは四十七歳のはずなんだけど、「ギッタンギッタンにする」「ニャンニャン」という、古いんだか新しいんだかよくわからない言語感覚が特徴。この作品では道真公の流罪の原因をかなり自由に創作しているようだ。
もう少し読みたいものだと思い、浄瑠璃と加歌舞伎とかの現代語訳はないものかと「弁天娘女男白浪」について調べると、それは一部分を演じるときの題で、本来は「青砥稿花紅彩画」というらしい。
「義経千本桜」はキツネが身代わりになるシーンがあるが、「菅原伝授手習鑑」にも木像が身代わりになるシーンがあり、これはよく見られる演出だったんだろうか? かなり自由に筋が作られている。安徳天皇女性説とか初めて知った。このあたりも「平家物語」の時代を知っていると楽しい。
「仮名手本忠臣蔵」は四十七士全員のエピソードを語る時間はさすがにないが、悪玉は徹底的に憎たらしく描かれており、エンターテインメントの基本が抑えられている感じがする。ここでも入れ替わりの芸がある(上に書いた入れ替わりは、駕籠に乗った九太夫が医師と入れ替わっている個所)。なるほど、日本の演劇のストーリーだけじゃなくて上演時のテクニックについても調べる必要がある。
ところで、解説を読んでいると、「仮名手本忠臣蔵」は仇討ちの物語というよりも恋愛劇だという指摘があった。他にも、どの脚本が伝統を逸脱しているとか細々説明している。
あと、「しんとく丸」の話はどっかで聞いたことがあるんだが、どこでだったのかが思い出せない。
好きとか嫌いとか、こういう本能的な感情の動きは、まったく道徳的でない。
近頃は読みもしないくせに、イケメンが出てくるフィクションに対する独断と偏見が自分の中でどんどん育っていることに、非常に困惑している。他人のプライベートな空想や願望にとやかく言うのはみっともないし、読みもしないのに批判するのは非常にダサいので、こうした非論理的な感情にはいつも戸惑う。逆に、一度きちんと読むべきではないか? それか、徹底的にスルーするかだ。そもそも、フィクションはそもそも他人の頭の中身なので、刺さらないときには徹底的に刺さらないってだけではあるまいか。かつては普通に男性向け女性向けと関係なく小説を楽しめていたのに、こんな人間になってしまったことが極めて残念である。
おそらく、これも僕のイケメン嫌悪と去勢不安がなせる業だろう。まだ四十にならないのに前立腺肥大を患い、ED気味である。
じっくり考えてみたのだが、ジャンルを問わず、男性であることを否定的に書く作品や、男性の苦痛を軽視するものに否定的な感想を持つようだ。昔はジェンダーSFとかを、思考を広げて無意識の前提に気づかせてくれると面白く読んでいたのに、年齢を重ねて頑固になってしまったようだ。困ったものだ。そこのままではさらに年齢を重ねたらどうなることやら。
逆に、自分が性欲を持つ男性であることを肯定するタイプのポルノが大好きだ(具体的なジャンルは揚げてもしょうがないので略す)。この好きと嫌いの両者は僕が自分の性を肯定できるかにかかっている。つまるところ、「僕は男性としてダメじゃないか?」という不安を表裏一体で反映している。自分がヒゲの永久脱毛をする気が全くないのも根底には同じ感覚がある。見境無く散らばっている性癖や文学の好みの背後に、一本の理屈が通っていると気づくと、自己理解が深まったようで、事態が何も解決しなくても、何かすっきりした気持ちになる。
逆に、女性作家ですごく気に入ったものを十作くらい集めて、何が好きだったをまとめてみると、こういう作家の属性で評価するとこから自由になれるかも。今度試みてみよう。偏見から自由になりたいものだ。
それに、偏見に凝り固まった感覚が浮かんでくるのは、人と会わずに孤立している時なのである。そもそも、人との距離を取り、一緒に過ごす時間を奪ってしまうような創作活動は、僕を幸せにするだろうか?
仲良し家族をアピールするために物心が付いた頃から父親の命令で毎日家族で晩御飯を食べていた。
幼い頃から晩御飯の度に妹に顔や体型や私の要領の悪さを遠回しな言葉でチクチクと馬鹿にされた
やめてほしいと言ったら、おそらくアスペルガー症候群で言葉の裏側やニュアンスを理解できない母親に「不機嫌にならないで!」「学校でもそんな態度取ってるの?」と怒られた。
それが幼い頃から高校卒業まで毎日続いた。食事の時間になる度に苦しかった。
ここまで厳格に統制された家であったにも関わらず、母は訳がわからないところで育児の手を抜いた。
外で遊びたいと言ってもパソコンがしたいからと言われて放置された。
5歳頃に一人で公園に行かされて、6歳ぐらい年上の放置子に卑猥な言葉を言われながら追いかけ回された。
小さい時からこんな状態だったからまともな自己肯定感を育めず、人間関係の構築方法も分からず、まともに友達を作れなかった。
小学四年生の時、授業中にからってきた男子にやめてほしいと伝えたら、教師に腕を乱暴に掴まれて廊下まで引きずり回されて、廊下で泣くまで怒鳴られた。
私が黙って我慢しないのが気に入らなかったらしい。
これがトラウマになって抵抗するのをやめて、からかわれても我慢していたら、小学六年生の時に別の教師に「からかってきた男子を睨んだ」と言いがかりを付けられて過呼吸になるまで怒鳴られた。
中学校の時の似たような状況だった。
中2の時、教科書を紛失したらしい男子に私が隠したと言いがかりを付けられて給食に洗剤を入れられた。その給食は別の女子に誤爆して騒ぎになり、なぜか私が責められた。
中3の時、別の男子に給食のスープを掛けられ、担任の音楽教師に「肌が赤くなってるのは火傷じゃなくて塩分のせい。だから問題ない」と言われた。
この状況を是正するため、塾に行きたい、私立の学校に行きたい、せめて精神科に行きたいと母親に言ったら「お金がない」と断られた。
我が家は父はマスコミ関係者、祖父は医者。経済的には恵まれていた。お金がないというのは本当だったとは思えない。
母と喧嘩して冷静になるために自室のドアを閉めて一人になろうとしたら、妹はわざわざドアを開けて母と一緒に私に聞こえるように大声で私の悪口を言い続けた。
高校生になる頃には変な妄想や衝動感に悩まされるようになった。独り言が止まらなくなった。
お小遣いは高校生になっても1000円。バイトは禁止。友達と遊びに行くことなんてできなかった。
この僅かなお小遣いを貯めてゲームを買ったら、購入の許可がなかったという理由で父が発狂して手鏡をこたつに叩き付けながら怒鳴られた。
後日、当て付けとして父は妹に全く同じゲームを買った。私は懐を痛めたのに。
高校でもまともな人間関係は築けなかった。部活も入ったけど頭がむちゃくちゃになって人と話すのが怖くてすぐに辞めた。
高校生になってからはただ道を歩いているだけで痴漢やナンパをされるようになった。
17歳の時にネットで知り合った風俗嬢でメンヘラのレズビアン女性に「一緒にラブホに行ってくれないと自殺する」と脅され、それを拒否したら「M女郎が」とその女性の取り巻きの19歳の女性に罵られた。
大学生になってからも結局妄想も虚無感も衝動感も恐怖も収まらず、30歳になった今も治らない。
無力感に取り憑かれて何かを継続することができず、職場も人間関係も転々とし続けている。その間たくさんセクハラやパワハラをされた。
「いやゲームをしている時は幸せだったはず。だから大丈夫」「今は幸せでしょ?だからいいじゃない」
はぐらかすのをやめてほしいと言ったら
「私だって辛いんよ」
と逆ギレされて泣かれて話にならなかった
これから私はどうすべきだろう
近年、社会では「多様性を尊重しよう」という声が高まり、あらゆる場面でダイバーシティを推進する取り組みが行われてきました。もちろん、それ自体は素晴らしい精神だと思います。人種や性別、宗教、性的指向など、それぞれの違いを認め合うことは、人として基本的な姿勢と言えるでしょう。しかし一方で、この「多様性の尊重」がいつしか「多様性を強制する」形へと変質してきたのではないか、と感じるようになりました。まるで、異なる考え方や価値観を持つ人を全員一様に「正しい方向」に導くために圧力をかけられているかのような空気――そんな窮屈さを感じる局面が増えてきたのです。
そのような状況下で、ドナルド・トランプという人物が大統領として登場し、大きな注目を集めました。トランプ氏は政治的に正しいとされる言葉遣いや、既存のエリート層が好む“立派な建前”にあまり縛られない傾向があるため、非常に賛否両論を巻き起こしました。メディアによっては「過激」「差別的」「無知」など、否定的な言葉でレッテルを貼られることが多くありました。しかし私にとっては、彼の言動や政策には、これまで社会の空気によって押し付けられてきた「多様性の強制」から逃れるための一つの突破口が含まれていたように思えます。
そもそも、多様性というのは「自然に尊重される」からこそ意味があるもので、無理やり徹底させようとした瞬間に、その本質を見失ってしまうのではないでしょうか。たとえば企業の採用や大学の入学枠などで、一定数の人種や性別の人を割り当てる“クオータ制”は、多様性を担保するために取り入れられる仕組みの一つです。しかし、数合わせのように実施されることでかえって逆差別を生んだり、「実力ではなく属性で優遇されているのでは」という疑念を周囲に抱かせる要因にもなる。結果として、本来目指していたはずの「真の平等」からは遠ざかっていく――そんなジレンマを強く感じていました。
もちろん、差別や偏見はあってはならないものです。しかし「多様性」という言葉がある種の道徳的な棍棒として機能し、少しでも異なる考え方を示す人を一方的に“狭量”や“保守的”と断じてしまう風潮は行き過ぎだと考えます。「こうすべきだ」「こうあらねばならない」という圧が強くなると、人々は本心を言い出せなくなり、自らの思考を萎縮させる結果になるでしょう。誰もが同じ価値観を採用しなければ「人として劣っている」とみなされる――そんな社会はむしろ不健全です。
トランプ氏の政策には、たしかに従来の政治手法から見れば急激な変化をもたらす要素が多々ありました。入国管理の強化や、世界の軍事・経済問題に対するアプローチは、国際協調を重視する立場から見れば乱暴に映る部分もあるでしょう。しかし一方で、政治的・社会的な大義名分を強要してきた空気を一度壊そうとする姿勢には、ある種の“解放感”を感じました。「こういう言い方はしてはいけない」「このグループを批判するのはタブーだ」などと、言葉狩りのような圧力が強まっていた時代に、“言いにくいこと”をはっきり言う人が登場したことは、私にとって一つの転機でもあったのです。
トランプ氏の言動は、単に過激なショーでもなければ、差別を助長するだけの発言とも限りません。たしかに彼の発言に反発を感じる人もいるでしょう。しかし、私が重視したいのは「自分の頭で考え、自分の価値観を持って生きる」という一点です。多様性を大切にするという大義名分を利用して、人々の考え方や言葉遣い、さらには採用・昇進など社会システムにまで、特定の“望ましい”基準を一方的に押し付ける風潮には、どうしても反発を覚えてしまいます。トランプ氏は、そうした空気を「正論で塗り固められた建前社会」として切り裂き、自由に発言できる余地を取り戻そうとした人だと私は解釈しています。
私自身が彼のすべての政策や言動に賛同しているわけではありません。しかし、“多様性”という美辞麗句を盾にして、誰もが同じ価値観に従わなければならないような状態は、おそらく本当の意味での多様性とは呼べないはずです。トランプ氏が大統領になったことで、社会全体に「自分の意見をはっきり言ってもいいんだ」「皆が同じ方向を向いていなくてもそれはそれで構わないんだ」という空気が広がったように感じられます。それは、一部の人には居心地の悪い変化だったのかもしれませんが、私にとってはようやく肩の荷が下りるような安堵にもつながりました。
多様性を尊重することと、多様性を強要することはまったく別物です。真に多様性を認め合う社会を目指すのなら、「違い」を許容しようとする前に、そもそも「人は違って当たり前だ」という前提を受け入れる必要があるでしょう。いくつもの意見や価値観が混在していることこそが自然な状態であり、それらを無理に一方向へ収斂させようとすることこそが不自然だと考えます。トランプ氏の存在によって、私はこの不自然さから「解放」されたように感じるのです。自由にものを考え、自由に表現できる――それが本来のアメリカの姿であり、そして世界が学ぶべき姿なのではないでしょうか。
だからこそ、私は「トランプのおかげで多様性の強制から解放されて幸せだ」と言いたいのです。もちろん、一人ひとりが抱える背景や価値観は違うので、必ずしも私の感じた解放感を共有する人ばかりではないでしょう。それでも、少なくとも「違う意見を持っていてもいい」という当たり前の事実を取り戻すことができたのは、彼の“強引ともいえる行動力”があったからこそだと信じています。自分が思う本当の多様性――それは、全員が同じルールや価値観に縛られるのではなく、各々が自らの考えで行動できる余地が残されている社会。そんな社会を築くためには、言いたいことを言う自由を奪わない姿勢が欠かせません。私は、その方向性を改めて示してくれたトランプ氏の存在に、素直に感謝しています。
1月30日午後11時、NVIDIAの新GPU、RTX5090/5080シリーズが発売される。
世界的に品薄が懸念されるこの商品は争奪戦が予想されたが、東京・秋葉原のパソコン用品店「パソコン工房」でも混乱が起きた。抽選開始となった15時には、近隣の幼稚園に柵を乗り越え侵入する者が現れ、怒号が飛び交うなど、現場は騒然とした状態に。15時20分ごろにはパトカーが現場に到着する事態となった。これを受け、パソコン工房は、16時から予定していた5080シリーズの抽選販売を中止。今後の対応については未定だという。31日10時に店頭での抽選販売を予定していたソフマップは、ウェブ抽選への変更を発表。この事態を受けての対応とみられる。
まずは私が自分で見聞きしたこと及び店舗からの公式情報に限って時系列で事実関係をまとめ、その後、本案件について考察する。
<29日までの状況>
40シリーズなどの通例では、前日に販売方法等が各店舗から発表される。29日には、秋葉原のPCパーツショップとしてツクモeXが早々に深夜販売をせず、ウェブによる抽選販売にすると発表。一方でドスパラ、ソフマップ、アークは特に告知をしないまま、30日を迎えることとなった。問題となったパソコン工房では、「明日開店時以降に告知致します。」とXに投稿した。
<30日の状況>
10:45ごろ:現場到着。十字路に人が集まっている。店側が事前の列形成を禁止していたため、なんとなく店の周りに人がいる状態。しかし店舗入り口脇に小さい列もできていた。
11:00:開店時間。店舗スタッフが抽選販売の概要が書かれた看板を店舗前に設置。待機していた人が殺到した。店舗スタッフは「押すなよ」「並んでも確率変わんねーんだからよ」「写真を撮ったら散れ」など、乱暴な口調で対応していた。
11:00すぎ:抽選権が先着100名であるため、幼稚園前に行列が形成される。
11:20ごろ:大通りに達するまでに行列が伸びる。店舗スタッフが出てきて、「15時前の列形成は無効」と行列の人々を促し、解散させる。
〜〜
14:30ごろ:再び、店舗前十字路付近に人が集まり始める。列形成ポイントに指定された幼稚園前の歩道で待機すると無効扱いとなるため、十字路近辺や、幼稚園向かいの(株)メディセオ東京中央FLCあたりに人がたむろするようになる。周辺の影響を懸念してか、店舗スタッフが複数出てきて、場所をあけるよう要請。しかし15時に向けて、急速に人が増えていく。ざっと見た目でも100は優に超える数であった。
15:00前:抽選時間を前に、現場は列形成地点となる歩道だけぽっかりと場所を開け、それ以外には人がひしめくという事態に。
15:00〜:抽選を開始する旨、スタッフが宣言をすると一気に列形成地点へと人がなだれこんだ。結果的に、禁止されていた事前列形成に限りなく近い位置にいた者が優位となった。「押すな」などの怒号が飛び交う、ちょっとしたパニック状態と言って良いだろう。幼稚園の柵を乗り越えて侵入する者も現れた。ガードレールから歩道内が列として認識され、横入りを防ぐためスタッフがガードレール沿いを守る形に。その後、列先頭から抽選開始。
15:15ごろ:最後の当選者が出て、抽選は終了。まだ多くの人が列内、列外にいたが、解散を命じられる。
15:38:パソコン工房秋葉原パーツ館は公式Xにて、16時から予定されていた5080シリーズの抽選販売を中止すると発表。
16:59:ソフマップAKIBA パソコン・デジタル館が公式Xにて、事前に発表していた31日の店頭抽選販売を、ウェブ抽選へ変更すると発表。
〜〜
<考察>
抽選販売にする最大のメリットは、早い者勝ちではないため、店舗へ人が同時に殺到するのを防げることにある。にもかかわらず、パソコン工房はその抽選権を先着100名と限定してしてしまった。さらに悪いことに、15時から先着100名と告知をしたことにより、11時の開店時点よりさらに多くの人を集める結果になった。
こうした方法をとった理由は、1.店舗オペレーションの最適化 と2.適度なお祭り感の醸成にあると考えられる。1だけならば、ツクモのように完全ウェブ抽選で済む話である。しかし、店舗に殺到しすぎてしまっては、オペレーションに支障をきたすだけでなく、今回実際に起こったように、トラブルの原因ともなる。
そこで、抽選時に人数を限定しつつ、即座に結果発表、そして事前会計、という流れを組むことにより、結果発表や当選後のキャンセル処理、再度抽選などの手間を省略し、店舗オペレーションを円滑にし、さらにお祭り感も醸成しようと考えたのだろう。
しかし結果的には、100名という、需要よりはるかに少ない抽選権しか用意しなかったため、混乱を引き起こすこととなってしまったわけだ。
<考えられた対策>
まず、前述のようにトラブル回避だけが目的ならば、深夜販売の有無にかかわらず、ウェブ抽選のみにすればそれで済む。店頭に人が来る諸効果を合わせて得ることが要件となる。
最も単純な方法は、時間指定で抽選券を無限配布することだろう。例えば11時〜14時まで店頭にて抽選権を配布、15時に結果発表と告知すれば、多少の行列はできるだろうが、押し合いへし合いの大混乱は避けられたはずだ。この方法では、抽選結果発表及びキャンセルが出た場合の処理などが必要となるが、16時までに来店、などと条件をつけておけば最小限にできる。たった10枠の当選を無駄にする人がそう多く出るとは思えない。
<総論>
今回の事態は、抽選券への需要を見誤った点が直接の原因と考えられる。(ここでは客のモラルに関してはスコープ外とする)
しかし、問題は朝の時点での人の集まり、及びその後の店舗前の状況を見れば、予測を超え100人では済まないと考え、急遽対応を変更することは、十分に可能だったと思われる。(実際に、昼の時点で懸念するXの投稿がある)
にもかかわらず、当初通りに進めたことが、混乱を招いたと言えるだろう。
また、顧客コミュニケーションの拙さも副次的な要因と考えられる。前夜のXでは、「明日開店時以降に告知致します。近隣住民のご迷惑になりますので、開店前にお並び頂かない様お願い申し上げます。※お並びになられても無効とさせて頂きます。」と投稿している。
この投稿では行列を禁止しているだけで、早い者勝ちを否定していないため、結果的に、早い者勝ちに備えて、開店前に人が殺到する状況を作ってしまっている。店舗スタッフが「並んでも確率変わんねーんだからよ」と乱暴な口調で説明していたが、その内容こそ、事前に知らせるべきものであり、「店舗に当日来させて」知らせるものではなかっただろう。
1月30日午後11時、NVIDIAの新GPU、RTX5090/5080シリーズが発売される。
世界的に品薄が懸念されるこの商品は争奪戦が予想されたが、東京・秋葉原のパソコン用品店「パソコン工房」でも混乱が起きた。抽選開始となった15時には、近隣の幼稚園に柵を乗り越え侵入する者が現れ、怒号が飛び交うなど、現場は騒然とした状態に。15時20分ごろにはパトカーが現場に到着する事態となった。これを受け、パソコン工房は、16時から予定していた5080シリーズの抽選販売を中止。今後の対応については未定だという。31日10時に店頭での抽選販売を予定していたソフマップは、ウェブ抽選への変更を発表。この事態を受けての対応とみられる。
まずは私が自分で見聞きしたこと及び店舗からの公式情報に限って時系列で事実関係をまとめ、その後、本案件について考察する。
<29日までの状況>
40シリーズなどの通例では、前日に販売方法等が各店舗から発表される。29日には、秋葉原のPCパーツショップとしてツクモeXが早々に深夜販売をせず、ウェブによる抽選販売にすると発表。一方でドスパラ、ソフマップ、アークは特に告知をしないまま、30日を迎えることとなった。問題となったパソコン工房では、「明日開店時以降に告知致します。」とXに投稿した。
<30日の状況>
10:45ごろ:現場到着。十字路に人が集まっている。店側が事前の列形成を禁止していたため、なんとなく店の周りに人がいる状態。しかし店舗入り口脇に小さい列もできていた。
11:00:開店時間。店舗スタッフが抽選販売の概要が書かれた看板を店舗前に設置。待機していた人が殺到した。店舗スタッフは「押すなよ」「並んでも確率変わんねーんだからよ」「写真を撮ったら散れ」など、乱暴な口調で対応していた。
11:00すぎ:抽選権が先着100名であるため、幼稚園前に行列が形成される。
11:20ごろ:大通りに達するまでに行列が伸びる。店舗スタッフが出てきて、「15時前の列形成は無効」と行列の人々を促し、解散させる。
〜〜
14:30ごろ:再び、店舗前十字路付近に人が集まり始める。列形成ポイントに指定された幼稚園前の歩道で待機すると無効扱いとなるため、十字路近辺や、幼稚園向かいの(株)メディセオ東京中央FLCあたりに人がたむろするようになる。周辺の影響を懸念してか、店舗スタッフが複数出てきて、場所をあけるよう要請。しかし15時に向けて、急速に人が増えていく。ざっと見た目でも100は優に超える数であった。
15:00前:抽選時間を前に、現場は列形成地点となる歩道だけぽっかりと場所を開け、それ以外には人がひしめくという事態に。
15:00〜:抽選を開始する旨、スタッフが宣言をすると一気に列形成地点へと人がなだれこんだ。結果的に、禁止されていた事前列形成に限りなく近い位置にいた者が優位となった。「押すな」などの怒号が飛び交う、ちょっとしたパニック状態と言って良いだろう。幼稚園の柵を乗り越えて侵入する者も現れた。ガードレールから歩道内が列として認識され、横入りを防ぐためスタッフがガードレール沿いを守る形に。その後、列先頭から抽選開始。
15:15ごろ:最後の当選者が出て、抽選は終了。まだ多くの人が列内、列外にいたが、解散を命じられる。
15:38:パソコン工房秋葉原パーツ館は公式Xにて、16時から予定されていた5080シリーズの抽選販売を中止すると発表。
16:59:ソフマップAKIBA パソコン・デジタル館が公式Xにて、事前に発表していた31日の店頭抽選販売を、ウェブ抽選へ変更すると発表。
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<考察>
抽選販売にする最大のメリットは、早い者勝ちではないため、店舗へ人が同時に殺到するのを防げることにある。にもかかわらず、パソコン工房はその抽選権を先着100名と限定してしてしまった。さらに悪いことに、15時から先着100名と告知をしたことにより、11時の開店時点よりさらに多くの人を集める結果になった。
こうした方法をとった理由は、1.店舗オペレーションの最適化 と2.適度なお祭り感の醸成にあると考えられる。1だけならば、ツクモのように完全ウェブ抽選で済む話である。しかし、店舗に殺到しすぎてしまっては、オペレーションに支障をきたすだけでなく、今回実際に起こったように、トラブルの原因ともなる。
そこで、抽選時に人数を限定しつつ、即座に結果発表、そして事前会計、という流れを組むことにより、結果発表や当選後のキャンセル処理、再度抽選などの手間を省略し、店舗オペレーションを円滑にし、さらにお祭り感も醸成しようと考えたのだろう。
しかし結果的には、100名という、需要よりはるかに少ない抽選権しか用意しなかったため、混乱を引き起こすこととなってしまったわけだ。
<考えられた対策>
まず、前述のようにトラブル回避だけが目的ならば、深夜販売の有無にかかわらず、ウェブ抽選のみにすればそれで済む。店頭に人が来る諸効果を合わせて得ることが要件となる。
最も単純な方法は、時間指定で抽選券を無限配布することだろう。例えば11時〜14時まで店頭にて抽選権を配布、15時に結果発表と告知すれば、多少の行列はできるだろうが、押し合いへし合いの大混乱は避けられたはずだ。この方法では、抽選結果発表及びキャンセルが出た場合の処理などが必要となるが、16時までに来店、などと条件をつけておけば最小限にできる。たった10枠の当選を無駄にする人がそう多く出るとは思えない。
<総論>
今回の事態は、抽選券への需要を見誤った点が直接の原因と考えられる。(ここでは客のモラルに関してはスコープ外とする)
しかし、問題は朝の時点での人の集まり、及びその後の店舗前の状況を見れば、予測を超え100人では済まないと考え、急遽対応を変更することは、十分に可能だったと思われる。(実際に、昼の時点で懸念するXの投稿がある)
にもかかわらず、当初通りに進めたことが、混乱を招いたと言えるだろう。
また、顧客コミュニケーションの拙さも副次的な要因と考えられる。前夜のXでは、「明日開店時以降に告知致します。近隣住民のご迷惑になりますので、開店前にお並び頂かない様お願い申し上げます。※お並びになられても無効とさせて頂きます。」と投稿している。
この投稿では行列を禁止しているだけで、早い者勝ちを否定していないため、結果的に、早い者勝ちに備えて、開店前に人が殺到する状況を作ってしまっている。店舗スタッフが「並んでも確率変わんねーんだからよ」と乱暴な口調で説明していたが、その内容こそ、事前に知らせるべきものであり、「店舗に当日来させて」知らせるものではなかっただろう。
少し前に、日本の医師がグアムで解剖学実習を行ったのをSNSに上げたことが炎上した。
投稿自体はすぐに消されて、数日後に謝罪の記事を出していたけど、謝罪の内容となかなかひどかった。
炎上の内容はここではあえて詳しくは書かないけれど、この件を受けて「自分が死んだら献体することを考えていたけど、今回の件でやっぱりやめようと思う」という書き込みが散見されて、非常に悲しい。
大多数の真面目な医師、医学生の真剣な学びが、たった1件のネット上の書き込みに邪魔されるのは耐えられないので、この記事を書こうと思いたった。
ここでは、医学部の解剖学実習がどのように行われるのか、医学生がどのようにご献体に敬意を払っているのか、また払うように教えられるのかということを書いていこうと思う。
大前提として、献体というのは100%本人と遺族の意思によって行われる。だから、あなたが今回の件を受けて、あるいはその他の理由でも、献体に出すことを不安に感じたのならば、その意思は確かに尊重されるべきだと思う。だけど、「医者や医学生はみんなあんな感じで解剖実習に取り組んでいる」「あれが業界のスタンダード」と思われたくはない。
最初に私の話を少しさせてもらうと、私は、とある大学医学部に入学したのち、3年目で中退している。だから医学教育は途中までしか受けていないし、今は一般の会社で働いていて医師ではない。中退の理由はお察しの通り成績不振で、留年して2年生を2回しているので2年生で行われる解剖学実習も2回受けている。
だからここでは、とある私立医学部で成績が下の下だった元医学生から見た「解剖学実習」というものについて書いていきたい。
なお、解剖学実習室で起こったことには、医師であろうとなかろうと、医学生であろうとなかろうと、中退した元医学生にも、守秘義務というものが発生する。だからここでは、個別具体的に起こったエピソードというよりは、一般論として「医学部では大体こういう感じ」というものとして読んでいただきたい。
解剖学実習は2年生の後期に行われる。他の教科は前期にあらかたやってしまって、2年生後期はほぼ毎日、1日中解剖学実習室に篭ることになる。だけど何も知らない中でいきなりご遺体を切るわけにはいかないので、前期には実習の準備講座のような授業がある。そこでは、まだ見ぬ人体の構造について、まずは教科書を見ながら勉強していくというもの。特に「骨学」と言って、骨の形や名前を覚えることは必須だった。
日本語と英語、余裕のある人はラテン語でも覚えるように勧められた。ちなみに上記の骨は順にラテン語で、Radius, Ulna, Femur, Clavicula, Costa, Mandibulaだ。
左右がある骨は左右まで同定するよう覚えさせられた。手や足の指の骨や、手のひらや足の甲を構成する小さい骨に至るまで、見ただけでわかるようにしなければならなかった。さて、骨学の実習にはもちろん骨の標本を使うのだけど、この標本は全て本物のヒトの骨を使ったものだと最初に説明があったのを覚えている。おそらく今同じ標本をヒトの骨から作ることはできないだろう。どうやって作ったのかは知らない。「人の骨の標本」と言われて、よく理科室にある骨格標本を想像する人もいるかもしれないが、骨学で使う標本は木箱に入っているもので、骨格標本のように組み立てられた状態にはなっていない。小さい骨もあるので「絶対に無くすなよ」と念を押されたのを覚えている。
「皆さんは後期に実際の人の体を使った実習を行います。これも本物の人の骨を使った標本です。こうなる前には、皆さんと同じように生きていた人たちのもので、非常に貴重なものです。くれぐれも粗末に扱ったり、乱暴に扱うことのないように」
目の前の骨が本物と聞いて、ビビる学生たち。いよいよか…という緊張感が走ったのはよく覚えている。
骨学の試験は、テーブルに一つ一つ置かれた骨の名前を解答欄に記入していくというものだった。回答は日本語または英語、ラテン語も可とされていたけど、ラテン語で書いた人っていたのかな。
ちなみに解剖学の先生(おだやかなおじいちゃん先生だった)が学生の頃は解剖学はラテン語で習ってたらしい。前期の終わりの暑くなってきた時期に、汗かきながら無言で骨学の試験を受けたのはよく覚えてる。
実習前には骨学の他にも、実際に遺体を目にする前に図録や教科書で人体の構造を理解する。いきなり人の体を切る前に、その準備段階として予習はしっかりやっておかなければならない。
解剖学実習は後期からグループで行われる。大体1グループ4−6人くらい。基本的に気の合う者同士で組むことが多いけど、人によっては仲の良さよりも成績が近い人同士とか、もっと戦略的なことを考えて組んでる人もいた。
各グループが1体ずつご遺体を担当し、学期の終わりまで解剖していく。1学年が大体100人ぐらいなので、20体前後のご遺体を1学年で解剖することになる。ご遺体がどのような過程で集められるのかについては後述する。
「解剖学においては、いま皆さんの目の前に横たわっているご遺体こそが最大の教科書です。そしてこの人たちは医者になる皆さんの最初の患者さんになります。多くのことをこの「患者さん」から学んでください。それこそが、彼らが自らを献体したことに対して皆さんができる最大の恩返しです」
実習はほぼ毎日、朝から晩まで行われるが、毎日実習の最初と最後には黙祷を行うのが常だった。班の中で持ち回りで毎週誰かが花を買ってきて、枕元に活けていた。
ご遺体はホルマリンで防腐処理を施されているので、実習室は揮発性のにおいで充満している。このにおいが苦手な学生は特別に換気のいい小部屋を与えられるが、その部屋は銭湯の半露天風呂のような構造で冬はとっても寒いので、その部屋の人たちは大変だなあと思って見ていた。またご遺体は血液も抜いてあるので、切っても血は出ない。ここが手術などとは大きく違う点かもしれない。
解剖学実習では、体のいかなる小さな部分も捨てることは許されない。遺体の一部でも規定外のやり方で「廃棄」することは法的な問題がある(たぶん下手したら「死体遺棄」とかになる)だけでなく、もちろん倫理的な意味でも絶対にやってはいけないことだ。
だから切り取った皮膚や脂肪などの組織片は細かいものも含めて全て別の箱に入れて、実習の最後まで取っておかなければいけない。
別の学年が実習していた時には、その組織片が実習室内の洗い場に捨てられていたのを先生が発見し、激怒。学年全員を落第させるぞといって大騒ぎになったそうだ。
組織片の扱いについてはそれほど厳しく慎重に取り扱われる。
森本梢子『研修医なな子』という漫画で、「解剖学実習中のなな子が、髪に脂肪の破片をつけたまま気づかずにいる」という描写があるけれど、これは少なくとも私が受けた解剖学実習ではありえないことだ。ていうか実習室で何したら脂肪片が髪につくの…?
実習では、本当にすべてを見る。
あらゆる臓器、あらゆる関節、あらゆる筋肉、あらゆる血管、あらゆる骨…。
場合によっては、色々な理由で普通とは違う構造をしたご遺体に当たることがある。手術で臓器を取っていたり、病気の痕跡があったり、先天的に他とは違う構造になっていたり。そんな時は他の班のご遺体を見せてもらったり、他の班からみんなが見にきたりする。
単純に腕が悪すぎて見ておくべき重要な神経や血管を見逃してしまい、他の班に見せてもらうこともある。「あの班はXX神経がすごく綺麗に出てるらしい」と話題になってみんなが見に言ったりもしていた。解剖学実習では、班ごとだけでなく学年みんなんで取り組む、みたいな意識が強かったように思える。
都市伝説的に、「遺体の耳を切り落として壁に当て『壁に耳あり』と言った学生がいた」「脳でサッカーをした」「大腿骨でチャンバラをした」といったエピソードが聞かれることがあるが、少なくとも私が参加していた解剖学実習では、みんな真面目に取り組んでいてそういう遊びをする空気ではなかった。別に空気がピリピリしている、というほどではなかったけど、ふざけたり大騒ぎするような人はいなかった。
上記の都市伝説について考えてみたのだけど、耳介(いわゆる外側に出てる『耳』の部分)は軟骨だから切るのはけっこう大変だし、解剖の過程で耳介を切り落とした覚えはないので、たぶん解剖学の普通の手順じゃないような気がする。耳介を切り落とす前にやることあるだろ普通に。ネットで検索した限りもしかしたら戦前とか、かなり昔の逸話のようだ。
ヒトの脳は蹴って遊べるほど硬くないのでこれは嘘だと思う。あと蹴って遊ぶ前にやることあるだろ普通に。
大腿骨チャンバラは現実に起こったとしたら骨学の実習中の話だと思うけど、行為の是非以前にまず授業中に何やってんだって話。
いずれにせよこんなことする学生は全員落第か退学になってると思う。なっていてほしい。
解剖学実習室では、時々遺族が見に来ることがある。もちろん実習室の中には入れないものの、壁一枚隔てたところにご遺族がいたりする。そういう日は朝にお知らせがあることもあるけど、何も言われないからって誰も来ていないとは限らない。だから言動には気をつけるようにいつも厳しく言われていた。
どこで誰が見ているか、聞いているか分からないので、実習室の外での会話にも気を付けるよう、注意もされていた。今回炎上した件で、「新鮮なご遺体」という表現に引っかかっていた人が多かったように、医師/医学生同士の会話で普通な言葉遣いでも、事情をよく知らない人が聞いたらビックリしてしまうことは往々にしてある。
「明日の実習でさ、ナントカ動脈の走行を確認したいからあそこ切ってここ開いて…」なんて話、一般の人に聞かせたらいけないよね。
同じように、解剖学の図表を公共の場所で開く時にも注意するように言われていた。私は『ネッター解剖学アトラス』という図表を使っていたけど、イラストなのに写真みたいに(何なら実物よりも)鮮やかに描かれているので、事情をよく知らない人が急に見たら確かにビックリすると思う。
今回炎上した件で問題になった写真撮影について、自分の時はどうだったかなと思い出してみたけど、当時はガラケーだったので少なくとも写真を撮る目的では携帯を実習室に持ち込むことはなかったはず。ロッカーに入れてたと思う。
実習室で遺体に触るときには手袋をするんだけど、途中で教科書を見たり他のことをするのに手袋を付けたり外したりを繰り返すので、そんな環境にわざわざ携帯を持ち込んでたとは思えない。
学年内で発表のために撮影が必要なときは、共有の小さなデジカメを使っていたと思う。もちろん、SDカード含めて外部への持ち出しは禁止で、実習室内の共有のパソコンでスライドを作って発表していたと思う。
スマホが普及した今では、当然スマホの持ち込みは禁止になっていると思う。
半年かけての解剖学実習が終わると、学生が自らの手で納棺を行う。
遺体と、遺体から切り取った組織片も、細かいものも含めて全て棺に収める。臓器などはできるだけ元の位置に置いておく。中には、遺族から預かった遺品を一緒に入れることもある。みんなで丁寧に納棺し、学生たちの手で釘を打つ。
遺族はこの納棺の時にも立ち会うことができないので、学生たちがご遺族の代わりに責任を持って納棺するのである。
学生の中には、ご遺体に手紙を書いて棺に納めていた者もいた。半年も一緒に過ごしたご遺体なので、親近感もあるし、感謝もある。文字通りの意味で「体の隅々まで見せてもらった」という点では、ある意味で家族よりも濃い関係を築いたものだと思うし、そういう自負が解剖を終えた学生にはある。
学生たちは、この段階で初めてご遺体のことを少しだけ聞くことができた。何歳で、どんな病気で亡くなった、とかぐらいだけど、それで「ああ、だからあんなに体格が良かったんだな」とか「あの臓器の状態はその病気のせいだったのか」などと少しだけ答え合わせをすることができる。
大抵の医学部附属病院では、年に1回解剖慰霊祭というものが行われる。解剖学実習のために献体した方や、医学部の研究施設で実験に使われた動物たちの慰霊祭である。解剖学実習をした学年(私のいた大学では2年生)の学生は全員参加で、あとは献体した方のご遺族、大学の研究者や関係者が参加する。もちろんスーツで来るよう求められるし、ここでも(なんたってご遺族が来ていることもあるし)ふざけた態度など取る人はいなかった。
一緒に実験動物の慰霊祭も行うんだけど、ネズミ何匹、ウサギ何羽…と当然ながら数が記録されていて、他にもあまり聞いたことない動物の名前も挙がっていたのが印象的だった。
献体とは、医学および歯学の発展のため、また、力量の高い医師・歯科医師を社会へ送りだすために、死後に自分の肉体(遺体)を解剖学の実習用教材となる事を約し、遺族が故人の意思に沿って大学の解剖学教室などに提供することである。(Wikipedia)
大学病院にはこの献体を生前に受け付ける事務局があり、あなたがもし自分の死後に献体をしたいと思ったら、まずは最寄りの大学病院や自分が献体したいと思っている大学病院の事務局を訪ねることになる。
そこで、幾度かの面談を経て献体に登録することになるが、献体には通常、家族の同意も必須となる。面談にも家族と来ることを求められるし、死後に家族の反対があれば献体自体ができなくなる場合もある。
事前に面談に参加していて理解が得られていても、「いざその時」になって気が変わった家族の反対で献体が中止になる例もザラにあるらしい。
献体に登録していた人が亡くなると、病院内で弔いをしてから防腐処理に入る。具体的にどのような処理をするかはここでは割愛するが、普通はホルマリンを使った防腐処置を施す。
問題になった医師が参加していた解剖実習のご遺体は、ホルマリンで防腐処理をしていないものらしい。ホルマリン処理をしていないご遺体の解剖は日本では難しいだろう。防腐処理をしていないということは、亡くなって間もないということだ。それで『新鮮なご遺体』と表現していたらしいけれど、SNSで一般の人も見る状態でその言葉は使うべきではなかったよね。
ちなみによく都市伝説で、「防腐処理した遺体をホルマリンのプールに沈めていて、遺体が上がってきたらそれをつついて沈める高額バイト」の話があるが、私の知る限り大学にそんなプールはないし、昔はともかく今は嘘だと思う。
ご遺体は、そこから1~2年は家族のところに戻ってくることはない。戻ってくるのは実習が終わって、学生が納めた棺を火葬して灰になった後だ。「故人の意思とはいえちゃんと葬式ができていないまま年単位の時間が過ぎる」というのは、想像以上に家族の負担が大きいんじゃないだろうか。家族の中には「本人が献体したいというから同意したけど、こんなに長い時間遺体が戻ってこないとは思わなかった」と後悔する方もいると聞く。
だからこそ、あなたがもし将来献体したいと思っているなら、そのことについては早いうちから家族とよく話し合っておくべきだ。
今回の件、医師界隈からもかなり批判されているようだけど、それもそのはず。普通の医者はあんなことしないし、あれと一緒にされてあれが普通のことだと思われたら、普通の医者が一番とばっちりを受けることになってしまう。
この件で献体を考えてた人がその意思を変えたり、臓器提供を辞めたりすると、困るのは今批判されている医者本人ではなく、将来の若い医学生や将来臓器提供を必要とする患者さんだ。もちろん、考えを変えることは止められないし、それ自体批判されるべきことでは全くないけれど、普通の医師、医学生が解剖や献体についてどのように考えているのかを少しでも知ってもらえたら幸いである。
医者になれず、担当したご遺体に対して先生が言うような「恩返し」ができなかった身としては、せめて自分の経験や考えを通じて、解剖や献体に対する誤解や偏見が少しでも解消されればと願っている。
続き。
(「かっこいい男の子が困っている女の子を助け、その身を心を傷付けながらも敵役をやっつけてくれる。」
これをメインのテーマにしがちなのが少年漫画じゃないの?と思ってしまったので。
少女漫画にも悪役や敵役は珍しくない。だけど悪役・敵役を「外部との葛藤・軋轢」とより大きく敷衍すると、基本的にはその「外部にある軋轢・葛藤と戦う」がメインになるのが少年漫画だと思う。
ぶっちゃけると外部の軋轢・葛藤とは、すでに上位を勝ち取っている他の「強いオス」である。
主人公をより「強いオス」と戦わせ、最終的に勝利した主人公を新たな「強いオス」として魅せる。
「困っている女の子を助ける」は動機になりやすく、同時にこの困っている女の子(特別な美形)は「強いオス」に与えられる褒美である。
少女漫画は、「内部との葛藤・軋轢の解消」がメインになることが多いように思う。少女は外部を打ち倒すことに興味がない。
「推しの子」で各キャラクターの内面の葛藤は描かれるので、そこで「少女漫画的」と言われるとわかったような気になったかもしれない。
増田は「フォーマットが」少女漫画と言っているので、自分が誤読している可能性はある。
ただ自分が思う「推しの子」が少女漫画たりえない理由。少女は誰に感情移入して読むだろうか?女性キャラクターの誰かであるなら、その少女は「困っている女の子を助けてくれるかっこいい男の子」アクアとの恋愛感情に強く惹かれているはずだ。この点で、アクアがフラフラしすぎで次から次へと他の美少女とのフラグを立てまくり、各々に濃い感情を持つが、誰に対しても決定打ではないというのは少女漫画として致命的なのではないだろうか。
ヒーローが主人公で、次から次へと現れる美少女と…という少女漫画もある。しかし少女漫画の場合、早い段階で「誰との」恋愛か?あるいは「誰とも」恋愛しないか?の軸を読者に示すように思う。)
ただ、エントリを読んで3年前にきたがわ翔が「鬼滅の刃」は少女漫画の技法をふんだんに取り入れている、と評したことを思い出した。
「鬼滅の刃は少女漫画である」プロ漫画家が『天使なんかじゃない』からの影響を断言する理由(プレジデント・オンライン)
https://president.jp/articles/-/52048?page=1
モノローグに話を絞っても、吾峠呼世晴がモノローグを多用したのは「少女漫画の技法を取り入れたから」というよりも「ストーリー展開を爆速で進めるため」という明確な目的があるように見えたからだ。
「鬼滅の刃」には、「このギミックがなければもっとページ数を費やすことになっていたはず」という設定が非常に多い。
主人公たちの超五感や鎹烏、ムキムキネズミたち、他にも多数あるが、
これらを使うせいでまだるっこしい説明をせずに済み、結果、非常に速いテンポで話を加速させることが可能になっている。
結果論ではあるが、その圧倒的なスピード感は読者に飽きさせず熱狂させるという効果を生んだ。
「鬼滅の刃」でのモノローグもその一つに思う。モノローグを使うことで1コマで済ませられている場面が全話にある、それも一話につき大量にある。
漫画なのに描かずモノローグで説明する、ある意味掟破りの表現だと思うが、鬼滅は成功した。
ストーリーを超スピードで進めても、作者の言語センスにより濃いドラマを作りだせていたからに思う。
少年漫画ではモノローグ、特にキャラの心情を読ませることを、少年漫画や青年漫画の作家は避けがちだ。
多用される場合、それはキャラの心情ではなく、戦況や状況を(読者向けに)解説することがほとんど。
心情を描くのにモノローグを多用するのは明確に少女・女性向け漫画の手法である。
しかしそれも約20年かそれ以上前に「モノローグを多用する表現手法は滅んだ。最後の使い手は吉田秋生である。」的な評論がぼんやり記憶に残っているのでよくわからん。
(吉田秋生は「BANANA FISH」ではほぼモノローグを封印していたが、そしてだからこそ終盤でほぼ唯一のモノローグに強烈な効果が生まれたが、そこはさておき自分がそのコラムを読んだときは「ラヴァーズ・キス」か「海街diary」を連載していたはず。)
作者が影響を受けた作家、作品として名前に挙げたのはすべて少年漫画か青年漫画の作家だが(吾峠呼世晴は初読み切りを描いたとき、ご家族から一番好きな雑誌に応募したらと言われてジャンプに持ち込んだという逸話がある。)、少女漫画を読んだことがあってもおかしくはない。
「推しの子」も「少年漫画と少女漫画の技法をブレンドしている」と言われれば、納得できたように思う。
作画自体がこのハイブリッドに感じる。おそらく女性のためか絵柄が柔らかく、目の表現に力があり、強い魅力を放っている。コマ割りや陰影の処理は青年漫画より。
個人的に、やはり「推しの子」のフォーマット自体は青年漫画に思う。
乱暴にカテゴライズするなら「推しの子」はハーレムもの、多くの美少女の間でいったりきたりする主人公という男性向けラブコメの亜種である。
どちらかというと、原作者の作家として育った環境が強く反映されているフォーマットに思われるため、これが「少女漫画から出てくる」という発想自体に驚く。
もし、「推しの子」が少女漫画だというのであれば、「推しの子」以前からとっくに青年漫画あたりに少女漫画は移行していたのではないだろうか。
また「推しの子」が少女漫画から出てきたのであれば、それは「少女漫画がやらなきゃならなかったこと」だからではなく、
不貞の証拠を押さえられた中村は3月26日にX氏と面会。自筆の謝罪文を提出した上で、500万円を解決金として支払う示談書を作成したのだった。
《証拠写真多数》「頬に手を添えて引き寄せるように…」広島カープ・中村奨成(24)“車中不倫キス動画” 不倫相手の夫には自筆の謝罪文を提出
https://bunshun.jp/articles/-/66487?page=2
「『週刊新潮』が香川のセクハラ暴走行為を報じたのです。2019年7月、彼は知人と訪れた銀座クラブで、横についたホステスのドレスに手を突っ込み、ブラをはぎ取った。はしゃいだ揚げ句、彼女の胸を直に触りキスをしたというもの。そのためPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患ったという被害女性が、客の乱暴を止められなかったということでクラブのママを相手取り損害賠償請求の訴訟を起こしました」(女性誌デスク)
その後、当事者同士で示談が成立し、被害者女性は訴えを取り下げているため、「リークではめられた」「過去の話」「当事者間で解決済み」「酒の席での失敗」と香川をかばう声がある。しかし今回、香川は事実であったことを認めており、行為の内容に伴い品格が問題視されているようだ。過去の〝パワハラ〟言動も掘り返されている。
【元文春エース記者 竜太郎が見た!】謝罪だけでは許されない香川照之の「乱行」 示談成立も行為の内容で品格が問題視 SNS時代の今、もみ消しは通用しない(1/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト
https://www.zakzak.co.jp/article/20220830-2MACY5V47BLC7G3E4LKP6BMFIU/
世間では、「訴訟はすでに取り下げられているのになぜ?」「ホステスはなぜ蒸し返すようなことをしたのか?」などといった疑義も少なくなかった。
「訴訟を取り下げるにあたって、Aさんには示談金が支払われているようです。実際に支払われたのは、330万円以上だったと聞いていますが、香川さんの行為が強制わいせつ罪として刑事事件に発展する可能性もあった点から見れば、妥当な額だと感じますね。
ただ、Aさんとしては示談に応じた時点で『終わった話』だと理解しており、それを今回自ら改めて蒸し返したわけではないようです。ただ、香川さん本人が訴えられたわけではないとしても、著名人が関連した訴訟は、夜の街では話題になりやすいですからね……」
香川照之 3年前のトラブルがなぜいま報じられたのか…銀座の高級クラブ「ホステスたちのウラ事情」(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(2/3)
https://gendai.media/articles/-/99407?page=2
坂本の所属する読売ジャイアンツに、A子さんへの扱いや妊娠中絶トラブルについての事実確認を行ったところ、以下のような回答があった。
「その女性の方には、坂本本人が『申し訳ない』とお詫びを伝えたうえ、互いの代理人弁護士を通じて●年●月(編集部注:A子さんのプライバシーを鑑み、具体的な時期を伏せています)に示談しました。今年になって女性から複数回、連絡がありましたが、示談後のことだったことから、互いの弁護士の間で再度協議し、本人同士が直接やり取りしないよう申し合わせました」
巨人・坂本勇人選手(33)が“無避妊中絶トラブル”で非情な発言「おろすならおろすで早い方がいいやろ?」「中出しし放題だもん」《証拠音声入手》 | 文春オンライン
https://bunshun.jp/articles/-/57264
「(一度目の妊娠は)相手が自分かどうかわからないので事実と異なる。中絶の詳細は聞かされておりません。(二度目の妊娠・中絶は)そのような事実があったことは聞いております。(「無理」などの発言は)事実と異なります。A子さんとは真摯に交際しており、性交渉や中絶を強制したことはありません。合意した上で決定しております」
※匿名性を保ったまま長文垂れ流すにはやはり増田が一番適しているなということでこちらに。
自分のために書き殴っているので、気になるけど読むのがだるいひとはchatGPTにでもかけてください。ある程度注意するけどPCで書くのでスマホには改行が気持ち悪いかも。
事件そのものやアナウンサーの裏事情とか真相は全くないです。知らないことは書けない。
今回、起こったことから対応まで「なんでこんなことに?」「アホか?」が大量発生していると思います。オールドメディアはマスゴミは~で捌くのは簡単なのですが、一般常識からかけ離れている面、そもそもこういう人たち、世界観なんだよねという前提について、いくつかの記憶と所感から整理したく。そういう意味では誰でも書ける内容かもしれないです。あと意識してなるべくドライに淡々と書いています。後半はかなり疲れてます。
今回は主にバラエティ現場(ないし出身者)を主語にして書きます。ここ数年の働き方改革と、コロナ禍という物理的な遮断を経てADの生活はそれ以前と比べるとマシになったらしく、ハラスメントの方も全く気にしないぜ!みたいなひとは結構減ったようなので(それでも現代の若者に即した職場とは言えなさそうですが)正確には「無法地帯時代のバラエティ現場(ないし出身者)」です。テレビ局はその図体のデカさゆえに、制作部門とビジネス部門で転職したかなというくらい文化や性質が異なります。理由としては他業種からの転職組が多くなりがち、とか暦通りの働き方ができるから、とか色々ありますがいずれにしろ主語をテレビ局にするのは強引な気がしたので。
いくつか切り分けて考えないといけない部分があって
2.なぜこんな対応になるのか
だと思うのですが3.は当事者がいるうえに、そもそも人の数だけ在り方もある、という感じで簡単に主語デカくして話せることでも無いなと思うのでパス。あと一旦文春の報道は大筋正しい、として書く。
彼らは莫大な金を動かすもの(番組)を作っているわけですが、その影響力とは対照的にめちゃくちゃ小さい世界、村で生きています。芸能人は言うまでもないですが、スタッフも同様です。でかい会社の社員だからといって、他の東証プライム上場企業にお勤めの方と同じ常識を持つかと言われると全く異なるわけです。
なぜか。バラエティ現場にとっての取引先は演者か事務所であり、同僚は肩まで現場に浸かったスタッフ、上司は自分たちより過酷な労働環境や、現代でいうハラスメントが横行していた時代を生き抜いた人間だからです。当然名門大学を卒業するまでは大方普通の学生であり、いろんな業界に友達がいたはずです。ただAD残酷生活が始まると、連絡つかない、予定立たない、予定立ってもドタキャンする、来ても疲れている、なんか目がバキバキしているなどで友達は簡単に減り、ADを卒業する頃には同業者かバキバキ仲間が大半になります。先ほど「莫大な金を動かす」と書きましたが、実際にスポンサーや代理店と向き合うのは営業なので、特に下っ端時代は日常的にビジネスマンと接することもありません。要するに世間と同じ常識の感覚を保ち続けるのが困難。で、麻痺させたもん勝ちでそういうひとが残っていきます。自分の環境おかしいな、今の自分は何かおかしいな、と思った人間から辞めていくか潰れていきます。自分のクリエイティビティを活かす機会が来るその日まで、暗黒ピラミッドの一番下から這い上がるゲームです。
もう一つ、AD残酷生活というのは99%人付き合いで決まります。どのビジネスでも人付き合いは大切ですが、ある程度のスキルやセンス、業務遂行能力が土台にあり、(致命的な悪印象を与えない限り)更に人付き合いもいいと嬉しいよね、みたいな加点ポイントではないでしょうか。逆です。人付き合いができる=偏った常識の世界に生きる人達に嫌われず好かれる、が土台で、仕事の出来不出来が加点ポイントです。仕事全然できなくても好かれていたらある程度は生き残れます。極端なことを言うと、仕事は早いけど繊細なやつよりも、仕事全然できないけれど「本当こいつできねーんだよwww」でどつかれても会社に何日も寝泊まりしても100日以上休みがなくても24時間電話かかってきても平気なやつのほうが長生きします。仕事もある程度できれば尚良し。面白さはあんまり関係ない気がする。
で、人付き合いの中にはセッティングも含まれます。合コンのセッティングですね。大学時代の人脈に自信がある奴は毎週ペースで組まされます(これにより更に良識のある友人が減ります)。下っ端ですからセッティング相手は先輩です。これは全員できるとは限りませんが、できたほうが覚えはめでたいです。海外にフォーマット販売できるタイプの番組ならともかく、キャスティングありきの場合はその人の覚えがめでたいほうが得ですよね。局にとっても。その最終形がアレなんだな、と今回思いました。もしかしたらアテンド、ぐらいの気持ちかもしれません。全然違うんですけどね。
今回は自局の社員、アナウンサーを献上していたという疑惑でここまで大きな騒動になっているわけですが、果たしていつから献上までしていたのかは不明です。飲み会程度なら全然あると思います。
もしあなたがテレビにある程度好意的で、知人からテレビ局に入ったと聞いたら、知っているアナウンサーの名前を挙げて「じゃあ◯◯アナも会社で見たことある?話したことある?」と聞いてみたり、冗談で「会ってみたいなあ」とか言ったりしませんか?テレビにある程度好意的、という前提が2025年、特にはてなだと難しいところですが、あなたがテレビを好きだった頃まで遡っていただいて…そんな時代がない人は想像力を膨らませていただいて…。ともかく、逆にテレビ局員に先程のようなことを言われたことはありますか?と尋ねたら、ほぼ全員から「ある」と返ってくると思います。一番表に立つ存在であり、文字通り顔であり、ヒット番組やドラマに並んで話題の入口となる存在であるからです。
真っ当な社会人の方が先輩やPJメンバーを通して、他業種の人と飲んで何かしら得ることがあるように、健全な飲み会や、自身のキャリアのために顔を出しておきたい会も多いのでしょう。世間の夏休みから数カ月後に、番組内で「今週◯◯アナはお休みです」とお知らせされるように、アナウンサーもまた特殊なスケジュールで生活しており、現場の人間と同じく、いやそれ以上に閉鎖的な環境に陥りやすい仕事だと思うからです。ただ、今はどういう言い方をしても性的なニュアンスを拭えません。番組で表に立つ人たちが歯切れの悪い言い方をしているのは、そういう面も、あるのかもしれません。そろそろ誤解されそうなので書いておきますが、今回のケースもその一環、と書くつもりは全く無いです。気を遣ってアナウンサーを先に帰すならまだしも、紹介した人間が先に帰るとか不在なんてのは異常だし、ホテルの部屋に呼ぶのも異常だし、性接待なんて意味不明です。
あと誰が知っている知らないは本当に当事者以外は判断つかないことだと思います。人の心を0にして考えたときに、ターゲットも吟味して口止めの方法など漏れないように全力を注ぐだろうし、言ったらキャリアが終わるとか周りに迷惑がかかるという気持ちを悪用するのは、ある意味最も手堅いから。若干乱暴な言い方になりますが、会社の顔である存在にそのような汚れ仕事をさせることは相当なリスクであり、テレビマンとはいえ正気ならまずとらない手段だと思います。そうした事実のない人が、そのように仕事を取ってきたと思われることに対して強く反発することも自然なことだと思います。ただそれが被害があったひとへの牽制になってしまう可能性は考慮しないといけないと思います。
最終的には持ちかけられた側が断ればいいじゃん、という話で多分断ってきた人たちもそれなりにいるのではないかと思うのですが。いわゆる超大物と呼ばれるひとたちは、水一つでも細心の注意を払ってケアされていて、2,3口飲んで、出番終わって戻ってきたら新品の冷えた水が置いてある。みたいな扱いを受けているので、こんな扱いを受けていたら一般的な常識で物事を測ることは不可能だな、とボトルの差し替えを済ませながら考えたことがあります。ちなみにスタッフでも偉くなると、たとえ自分のすぐそばにゴミ箱が置いてあったとしても、ご丁寧に机にゴミをすべて残して会議室をあとにします。それを本人は特段傲慢だとか思わずにやっている、周りも特に何も思わず片付けている、そういう世界観です。
会見があると知り、配信ぐらいはあるだろうとYouTubeで待機していたものの、いつまで経っても始まらず、中継自体が無いことを知ったとき、想像以上にまずいなと思いました。近年は危機管理上まずいだろと思う会見がいくつもありましたが、同じ土俵にも立てないパターンが来るとは思わず衝撃を受けました。
確かに生中継を行った場合、質疑応答のなかで社長が失言する可能性は高く、リスクマネジメントとしてこの方法を取ったと思われます。が、致命傷か死ぬかぐらいの差であって実際スポンサーはACに切り替えているわけだから、下手な小細工は打たないほうが良かったんじゃないかとは世間一般の目線で思います。あまりにも閉鎖的で強引なやり方にワンマン同族企業かと思ってしまうのですが、6,787名を抱える大企業(フジメディアHD)の中心であることは紛れもない事実でして。フジメディアHDは業界の中でも圧倒的にデカい企業であり、当たり前ですが四半期ごとに決算発表もしているし、株主や投資家と向き合うひとたちもいるわけです。そうしたまともな感覚の人が差し引き計算したうえで、
誠実に対応・調査して発覚する事実によるハレーション>>>>>>>>>不誠実に対応・調査して事実を誤魔化すことによるハレーション
なのかなと考えてしまい、いやどんだけヤバいんだよ…と思いました。まともな人の制止を振り切ってあのやり方にしたのであれば、それはそれで相当ヤバい。
あとこのご時世に「第三者(の弁護士を中心とした)調査委員会」なんて言葉遊びが通じるわけないだろ、アホかと真剣に考えたのですが、何でもいいから早く報告書を作って報告して、話題として早く蹴りをつけたい、という気持ちがあるのかなと思いました。話題が長引いて大きくなるほど、組織としては過去の体制へのケジメと、新しい姿を見せる必要があります。近年の芸能関連の不祥事を振り返ると、ジャニーズは解体され、STARTOとして再出発することで同族経営と距離を置きました。宝塚も法人化して取締役の半数以上を外部出身者に、また劇団員との雇用形態も変わる予定です。表に出るタレントを見る分にはそこまで変化を感じられない人もいるかもしれませんが、組織としてはかなりの変革を実施するに至ったわけです。
当然、フジメディアHDは既に数名社外取締役がいるのですが、フジテレビ社役員の多くを外部出身者にするとなれば相当嫌がると思います。社内政治がどうとかも多分にあると思うのですが、先述した通り現場というのは大変閉鎖的であり、そこにいないとわからないことが沢山あります。番組制作自体が他のビジネスの方法を簡単に当てはめることができない、専門性が高くて複雑な仕事でもあります。また、企画を募集して採用するのは編成の重要な仕事のひとつです。今後メディアとしての価値が落ちていくとしても、生み出すコンテンツの価値は残るはずだ、コンテンツの質を高めていかなければならない、というのは各局共通のビジョンであり、そのためには現場出身の人間が必要である。ちょっと嫌な言い換えをすると「現場を知らないやつに首をつっこまれるのは嫌だ」というわけです。フジ独特の露出文化により、担当番組が変わっても出世しても度々画面に出てきていたので、当時のお笑い好きであれば、記事にある幹部社員が誰かはすぐ察しがついたと思うのですが、彼は制作~編成~で管理職になっているので現場出身の典型的な出世コースに乗っていました。何もなかったら現場の血筋を引く役員になっていたかもしれません。もちろん「いやビジネスだし他の事業もあるんだから現場のことだけわかっていてもだめでしょう、バランスの取れる人がいないと」という考えもあります。そのため筋金入りの現場出身とそうじゃないひとが交互に主権を掴みがちなのですが、今のフジは後者のターンです。鎮火できないまま長期化して変化を見せる必要が出てきた場合、事の発端を鑑みれば現場出身者は真っ先に刷新の対象になるでしょう。これはなるべく避けたい事態であり、もしそうなったら「終わり」だと言う人もいるでしょう。
ここで再び人の心を0にして考えます。ジャニーズはBBCの報道をきっかけに被害者が声を上げ、事実の認定から始まり、被害補償の枠組みを整え、現在も補償は続いています。宝塚は初動を完全に誤った結果、遺族が弁護士を立てて積極的な発信を続け、謝罪・補償内容の合意に至るまでにかなりのダメージを負いました。そこだけ見ると、被害者とされる女性が訴えを立てたのはフジテレビではないわけです。もっといえば収録中の事故や社屋で発生した事件でもないのです。勤務時間に該当するかも微妙、更に示談も成立している。法律はマジでわからないので、むしろ教えてほしいのですが、これは企業に取ってはかなり大きな違いなのではないでしょうか。そしてその一点にすがる形で「血を入れ替える」を何としてでも避けるべく、不誠実と取られることは重々承知の上で「死なない程度に血を流す」を選んだのかもしれないな、と思いました。完全な推測です。デタラメな対応にはデタラメな理由を想像するのが精一杯です。
ただ、この事案を把握しながらも黙認していた人たちに「死なない程度」の判断がつくのかはかなり疑問であり、株主からの意見書に加えて、様子を見ていたスポンサーも続々差し止めを表明していますよね。広告枠という形の無いものを売り、何よりもイメージが大切な業界で、こういうときだけ一般的な企業の論理を当てはめて逃げ切ろうとしていたのであれば、無理があるだろと思います。正直、今ACに切り替わっている分については既にお代をもらっている可能性が高いのですが、春の改編に向けて積み上げるのが今の時期なので来期以降はゾッとしますね。あと、内容が内容だけに出演自粛もありうるのかなと思いました。特にアーティスト。道筋がつくまでジャニーズを締め出したときの逆でフジには出ません、みたいなことがあると現場としては結構痛いのではないかと思いました。出ませんとわざわざ宣言するかは別ですが。
既に視聴者とスポンサーの目はテレビ業界全体に向けられ、対応に動く局も出てきており、この流れが続けば、事態の短期収束はフジテレビがコントロールして成せるものではないでしょう。破産!停波!みたいなわかりやすい破滅は考えにくいものの、さっき書いたような意味での「終わり」は、今後のリカバリーの無さ次第では十分考えられると思います。
20年以上前なら「こんなことで責任を問われるなんておかしい!俺は社長と心中する!!!」みたいなのもあったかもしれませんが、テレビは随分と前からテレビだけで食ってませんし、そりゃ柱は番組ですけど売り方も色々ありますから、現場の血が流れていないビジネスマンも沢山いるわけで、その人たちからすれば、元々ネジが外れている人たちだとはわかりつつも「「偉くなったんだからその辺は弁えてくれるよね」「一企業としての利益をちゃんと考えてくれるよね」という最低限の信頼のもとで働くわけなので、特に他業種から転職してきた人なんかは本気でドン引きしているでしょう。企業として生き残るために血を入れ替えてくれと思う人もいるでしょうし、多分これ無理だなと思って転職先を探す人もいると思います。早期退職施策とキャリア採用を進めてきたところなので、必死に連れてきた人材が抜けてしまうとダメージは甚大。弱体化して身売りを検討する事態に陥れば、本当に企業として終わりを迎えてしまうかもしれません。
「越えられない壁」の部分が引っかかるんだよな。
その式の根拠は、増田が一個前に自分で言ってる通り「乱暴な一般化」だから。
性的魅力に関しては、おれは男女で明確に線引してるけど、その他の要素については男女で傾向こそあるものの「越えられない壁」があるとは思ってない。
増田が言ってるのって「男は女よりも運動能力が高い」みたいなことでしょ?(違ったら悪い)
傾向としてはそうだし上位層を比べてもそうだろうし、正しいといえば正しいから、そういう意味では越えられない壁はあるのかもしれない。
けど、おれはおれの実感に基づいて話してるし、おれは一般化したいともされたいとも思ってないんだよね。つまらない男より面白い女もいるから、そう言われると違うなあと思ってしまう。
「何について話したいかの違い」みたいな?
世界中のメディアがイーロン・マスクを天才経営者として讃えるたび、心の奥底に沸き起こるのは猛烈な反発心だ。彼の壮大なビジョンや野心的な計画がもたらすインパクトは計り知れない。電気自動車での革新、宇宙事業への投資、さらにはSNSプラットフォームを買収して世界の言論空間を一変させようとする姿勢――どれをとっても、彼が稀有な才能を持つリーダーであることは否定できないだろう。しかし、その裏側には、人を顧みない強引さや、誰もが乗り気でない環境を一方的に変革しようとする独善性が垣間見える。彼は常に「未来を創る」と言うが、その方法に正当性はあるのか。私は強い疑問を抱かずにはいられない。
特に、彼がSNS上で見せる軽率な発言は、私の中にある嫌悪感をさらに増幅させる。刺激的なツイートで株価や暗号通貨の相場を乱高下させ、批判者を嘲笑し、炎上を煽るかのような行動を繰り返す姿は、リーダーというより権力を得た“トリックスター”のようだ。彼の言動を追いかける投資家や支持者は多く、SNSでは絶え間なく祭り上げられている。しかし、そうした「熱狂」が生まれるほどに、私は逆に強い反発を覚える。確かに並外れた頭脳や行動力を持つ人物ではあるが、その影響力をどう使うかという点で、彼はあまりにも無自覚ではないだろうか。
テスラの急成長がもたらした電気自動車市場の拡大は、間違いなく自動車産業に大きな変革をもたらした。それまでガソリン車が主流だった市場をひっくり返し、世界的な環境意識の高まりに合わせて時代を先取りする――その功績は称賛に値する。だが同時に、「内部告発を試みた社員への圧力」「過酷な労働環境」などが報じられるたび、私は苛立ちを禁じ得ない。美しい未来を掲げる一方で、その裏では「効率化」「革新」という名のもとに弱い立場の人々を切り捨ててはいないか。企業トップとして、多大な責任を負っているはずの人物が、利益とスピードのためなら人間性を犠牲にしても良いと思っているのではないか――そんな疑念が拭えないのだ。
さらにツイッターを買収したことによって、彼の性格がより露わになったと感じる。コンテンツ規制や言論の自由をめぐって賛否両論あるのは当然だが、長年にわたって築き上げられてきたプラットフォームの秩序を、一夜にして根本から覆そうとする様子には乱暴さを感じる。彼が純粋に「言論の自由」を守りたいと考えている部分もあるのかもしれない。だがそのやり方は、あまりにも一方的で、議論よりも強制が先に立っているように見えるのだ。市場やユーザーコミュニティに計り知れない影響を及ぼすのに、まるで実験場のように扱っている――そんな印象を拭えない。
イーロン・マスクを支持する人々は、彼の天才性に魅せられているのだろう。既存の常識を打ち破り、火星移住やハイパーループなど、大胆不敵な夢を語る。そのビジョンの壮大さは、多くの人の心を掴むだけのパワーを確かに持っている。だが私は、その華々しい夢の裏側を常に見てしまう。膨大な資金を動かし、何千何万という人々を働かせ、社会のルールを変えてしまうほどの権力を持っていながら、彼の言葉からは「共感」や「謙虚さ」が感じられない。むしろ「自分だけが正しい」という慢心が透けて見え、周囲を振り回すことで注目を集めているようにすら思う。
なぜここまで拒否反応が強いのか。それはひとえに、彼が持つ「影響力の大きさ」にある。誰かが極端な意見を言うこと自体は、表現の自由の範疇だろう。しかし、イーロン・マスクほどの知名度や資本力を伴う人間が放つ言葉は、社会全体を揺るがしかねない重みを持っている。ところが、その発言や行動に時として慎重さがまるで感じられないのだ。「自分はあくまで一般人としてツイートしている」というような言い訳をするが、何千万・何億というフォロワーがいる「一般人」など存在するはずもない。こうした言動を繰り返す彼に対して、憎しみすら覚えてしまうのは、私だけではないだろう。
また、彼のコミュニケーション・スタイルがしばしば相手を嘲笑するように感じられることも、嫌悪の理由だ。議論や批判に対して真摯に向き合うより、自分の正当性を訴え、批判者をからかったり攻撃したりする。そのような姿勢は、強いリーダーシップというよりは、単なる攻撃衝動に近いものではないかと思う。カリスマ性を持つトップがそのように振る舞えば、多くの人が追従し、さらに対立や分断が深まる構図が生まれるだろう。まるで、大きな声で威圧した者が勝つかのような、乱暴な言論空間を助長しているようにさえ感じる。
もちろん、メディアは過剰に彼を煽っている部分もあるかもしれない。私たちが知るイーロン・マスク像は、メディアとSNSを介して編集された一面だけだろう。しかし、そこから受け取れる情報だけでも十分に「過激」であることは間違いない。もし彼に穏やかで思いやり深い一面があったとしても、表に出るのは挑発的な発言や、予測不能な行動ばかり。まるで、彼は注目を浴びるために、あえて波風を立てているようにすら見える。そして、その姿勢こそが彼のカリスマを強化し、信奉者を増やす一方で、私のような反発を覚える人間を確実に増やしているのだ。
私はイーロン・マスクの実績をすべて否定するつもりはない。電気自動車市場の発展は、環境問題への意識を高め、産業構造を大きく変えるほどの影響力を持った。また、宇宙事業への参入によってスペース業界全体が活性化した面もあるだろう。だが、それらの「功績」がすべて肯定されるべきかというと、そうとは思えないのだ。なぜなら、そのプロセスや彼の姿勢に数多くの疑問や問題が散在しているからである。テスラの工場では社員への過重労働が報じられ、Twitter社の買収後には大量解雇が行われた。一方的なリストラは、社員だけでなく利用者の信頼も損ねる結果になったはずだ。
「革命児」と呼ばれる彼だが、そもそもその革命は誰のためのものなのか。人類全体の未来を切り開くために行動しているのか、それとも自己顕示と自己満足のためなのか。もちろん、野心や自己顕示欲が全否定されるわけではないし、彼のような強烈なビジョンに突き動かされてこそ社会が進歩する面もある。だが、そこに「協調」や「周囲への配慮」が欠けていれば、残るのは混沌と犠牲だけではないだろうか。彼の一連の言動を見ていると、より良い未来を本当に望んでいるのか、それとも周囲を振り回しながら称賛を得ることに酔いしれているのか、判断に迷ってしまう。
彼のメディア露出やSNSでの動向は常にセンセーショナルだ。発言のひとつひとつが見出しになり、多くの人が熱狂的に反応する。その状況がさらに彼の影響力を拡大し、支持者は彼を「現代の発明王」として崇拝する。だが、それは彼自身が意図して作り出しているイメージ戦略でもあるかもしれない。自動車からロケット、そしてSNS運営まで、多岐にわたる分野で「既存の常識を壊す男」としてのブランドを強烈に打ち出す。その裏には、おそらく綿密なマーケティングも働いているはずだ。
こうした「自己プロデュース」の巧みさもまた、私の嫌悪感をあおる。もし彼が本当に未来のためだけを思って行動しているのなら、わざわざ挑発的な言動を繰り返したり、周囲を見下すような態度を取ったりしないのではないか。むしろ、その尖った姿勢こそが注目を集める秘訣であり、巨額の利益を生み出すエンジンになっている――そう考えると、ますます彼への不信感が募るばかりである。
また、彼のビジネス戦略や資金調達の手法も、ときに「投機的」であるとして批判されてきた。彼のツイートひとつで暗号通貨の価格が乱高下する様子は、社会全体を巻き込む大博打のようにも見える。もちろん、投資家たちはリスクを承知のうえで参入しているのだろうが、そこに新たに巻き込まれる一般層もいるだろう。巨大な影響力を手にした人物が、その力をどこまで自制しているのか、外からは判断がつきにくい。彼がいかに「自由」を標榜したところで、そうしたパワーバランスの偏りは真の自由からはほど遠いのではないか。
イーロン・マスクが嫌いだ、と口にすると、彼を称賛する人々から「嫉妬」や「時代遅れの思考」と批判されることもある。しかし、それでも私は彼の一挙手一投足に警戒心を解くことができない。彼のような存在が絶対的支持を集める社会は、一種の危うさを孕んでいると感じるからだ。リーダーが強引に物事を推し進めることで、一見スピード感のある変革が進んでいるように見える。しかし、その過程で切り捨てられる価値観や人々の声を、私たちは本当に無視してよいのだろうか。
私が彼を憎む理由は、こうした「社会的影響」を踏まえてもなお、彼があまりにも自己中心的に感じられるからだと言えるかもしれない。自分のビジョンこそが絶対に正しいと信じ、批判する者には容赦なく噛みつき、さらには軽率な一言で世界中を混乱させる。そのカリスマが絶大だからこそ、多くの人が振り回されてしまう。それが彼の望む未来の形であれ、人々に「ついていかざるを得ない」状況を作り出すことこそが、彼の真の目論みなのではないか。そう疑ってしまうほど、彼の支配力は強力だ。
もちろん、この強烈な拒否感は私自身の問題でもある。彼のように型破りな人間を受け入れられない、自分の閉鎖的な思考が投影されているのかもしれない。あるいは、あれほど自由奔放にふるまいながら次々と成果を上げていく姿への嫉妬心や劣等感もあるのだろう。しかし、それでもなお、「イーロン・マスクが憎い」という感情は消えない。むしろ、その感情が湧き上がるほどに、彼の存在が大きいこと、そして社会全体に与えるインパクトが桁外れであることを痛感させられる。
だからこそ、私は敢えて彼を批判し続ける必要を感じている。イーロン・マスクのような人物を「天才」「革命児」として無条件に称賛する風潮は、危うい夢を見せると同時に、多くの問題を覆い隠してしまう可能性がある。私たちは、彼のような突出した才能を「絶対の存在」として祭り上げるのではなく、その言動の裏にある思惑や影響力の行使について常に疑問を持ち、検証し続けなければならない。彼がもたらす革新が本当に世界を良くしているのか、それとも特定の価値観や層だけが恩恵を受け、他の多くが犠牲を強いられているのか、冷静に見極める必要があるのだ。
最終的に、イーロン・マスクをどう評価するかは人それぞれだろう。彼の型破りな行動力こそが新しい地平を切り開く鍵になると信じる人もいれば、私のように憎しみや反発を覚える人もいる。しかし、多様な意見が存在することこそが社会を前進させる。この「憎しみ」の声すらも、一つの大切な批判的視点として意義があるのではないかと思う。彼の眩いばかりの成功とカリスマに目を奪われる一方で、その裏側で踏みにじられているかもしれない人々の声に耳を傾ける必要がある。そうでなければ、未来を創るという名のもとに、ただ独裁的な支配が生まれてしまうかもしれないのだから。
私は、イーロン・マスクの存在自体をすべて否定するわけではない。むしろ、彼ほどの影響力を持つ人間が、もう少し「他者に対する配慮」や「謙虚さ」を備えていれば、今よりももっと多くの人々から純粋に支持されるだろうに、と残念でならない。そして、この憎しみの感情は、そんな「あり得たかもしれない別の姿」への期待を裏切られ続けてきた結果なのだろう。私は彼の言葉を聞くたびに、ああ、また無責任な発言で誰かを傷つけているのではないか、と心配になる。その繰り返しが、私の中の反発心を強固なものにしているのだ。
イーロン・マスクが語る夢やヴィジョンは確かに魅力的だ。火星移住に胸を躍らせる人もいるだろうし、電気自動車によるクリーンな未来に希望を見いだす人もいるだろう。彼が巻き起こしているイノベーションは、間違いなく人類の歴史に残る大きな一歩でもある。だが、その過程で生まれる軋轢や混乱、そして彼自身の傲慢ともいえる態度を見過ごしてはいけない。そこには、私たちの社会が本来持つべき「相互理解」や「多様性の尊重」が欠けているように思えてならない。
だからこそ、「イーロン・マスクが憎い」という私の感情は、単なる個人の感情以上の意味を持つのだと信じたい。彼のように突出した存在が現れるとき、社会は否応なく揺さぶられ、さまざまな価値観の衝突が起こる。そのとき、無批判に称賛するだけでは、本質的な問題には気づけないかもしれない。むしろ、強い反発心を抱く人々の声にこそ、彼の手法や態度が孕む危うさが映し出されていると考えてもよいのではないか。
私たち一人ひとりが彼をどう捉えるかによって、社会の未来は微妙に変化する。もしイーロン・マスクが真に誰もが幸せになる未来を望んでいるのなら、批判や反発の声にも耳を傾け、何が問題とされているのかを真摯に考えてほしい。その一方で、私たちもまた、自分たちが彼に何を求めているのかを見直す必要があるのだろう。彼の冒険心に夢を見たいのか、それとも彼が作るかもしれない新たな秩序に身を委ねたいのか。そして、そうした未来像に抵抗を覚えるならば、なぜ覚えるのか。その理由を自分自身に問い続けることこそが、彼のような巨大な存在に対する「本当の対抗手段」になるはずだ。
私がイーロン・マスクに憎しみに近い感情を抱くのは、彼が象徴するものが、私たちの社会の抱える矛盾や欲望をはっきりと映し出しているからかもしれない。彼の波乱万丈の行動は、私たちの心の奥底にある「常識を超えたい」「歴史に名を残したい」という野心を代弁している。同時に、そのためには他者を踏みにじってもよいという暗黙の了解すら示唆している。私はそこに嫌悪感を覚えずにはいられない。より良い未来を見たいと思いつつ、その実現手段にどうしようもない違和感を覚える。この相反する感情が「憎しみ」という強い言葉となって表出しているのだ。
最終的に、イーロン・マスクを憎むかどうかは個人の価値観によるだろう。彼を救世主のように思う人もいれば、私のように嫌悪感を募らせる人もいる。ただ、どちらの感情も社会にとっては大切な警鐘であり、そこから生まれる議論や検証こそが真の進歩へと繋がっていくのではないかと思う。彼が生み出す革新の光と影を直視し、その功罪を冷静に評価する。それこそが、私たちが「イーロン・マスク」という巨大な存在と向き合うために欠かせない姿勢ではないだろうか。私が「イーロン・マスクが憎い」と感じるのは、きっと彼が放つまばゆい光の強さに目が焼かれ、影に潜む危険を見逃せないからなのである。彼は目を背けられないほどの影響力を持っているがゆえに、私たちに葛藤を強いる。だからこそ、その存在について問い続けることが、社会の未来にとっても重要なのだろう。
この、女言葉(という名のオネエ言葉)を使用することによって感情を吐露しやすくなった増田が興味深い。
二次創作をしようとして、乱暴でひどい言葉遣いするキャラクターについてずっと考えていたことがある。
そのキャラならこういう場面でなんて言うかな、とずーっと考えていた。ある意味でロールプレイだったと思う。
普段他人に対して冗談でもシね・コロすなどと思わないし言わないのに、
その二次創作をしていた期間、何度かネット上のコンテンツに対して思った。
また、家族間の冗談の文脈で、シねという言葉を一度うっかり使ってしまった。
ショックだった。
その時点で何かがやばい、と思ってそのキャラの漫画を描くことをやめた。
漫画として自分には動かしにくいキャラだったというのもあるけど。
絵だけ描いていた頃、そんな状態にはならなかった。
もちろんそのキャラの性格もあると思うが、言葉遣いは性格が顕著に表れるので思考に影響を与えやすいと思う。
思考が口調(言葉遣い)になり、それはいつか人生を左右するという話。
口調が性格に与える影響は大きいと思う。
二次創作自体は今もやっているけど、そんなに口の悪いキャラクターを動かすことは今は無いので、そんな経験はあのキャラでのみだった。